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魔女アリシアと秘密警察  作者: 虹江とんぼ
18/19

魔女アリシアと秘密警察 終幕

分割しました。

ご不便ご迷惑おかけいたします。2016/10/18

終幕

 再び平穏を取り戻したロンデニオンは、活気に満ちていた。

 どれほど大きな事件が起ころうと、彼ら市民が足を止めることはない。

 人々は生活のために日々汗を流し、頭を悩まして生きていく。


 当初、このテロ事件は大きく取り上げられ、国家の行く末を左右しかねない影響力があると見られていた。しかし、一般市民への被害が限定的だった事と、死傷者の大半が官邸職員に留まったことが市民たちの反感を抑え、怨望を控えさせた。普段ルサンチマン的な批判をしがちな彼らでさえ、あの悲劇には同情を寄せていたのだ。

 テロリストの襲撃を受けた首相官邸での死者は四五名。その中で、最大の標的と見られていたのがアグ・ブレイコット首相だった。彼は死に至るほどの重傷を負いながらも、奇跡的に一命を取り留めることが出来た。

 噂されていたフェアリランドとの共同宣言は、事件によって有耶無耶となってしまったが、彼はなんと入院から一週間で復帰。

 これに不屈の精神を見て取り、ブレイコット卿は病院に詰めかけた市民達の喝采によって出迎えられた。『不屈の男』や『鋼鉄の男』といった具合に褒め称えられ、不安定だった支持率も急上昇。彼に対して懐疑的だった与党もこの人気に肖ろうと、手の平を返して追従を決め込み、フェアリランドと神秘主義の強化を模索し始めた。

 そして、これはブレイコットが退院して記者団の前に姿を現した際の一幕である。

「退院おめでとうございます、ブレイコット卿。大変な怪我だと発表されていましたが、もうお身体の方は大丈夫なんですか?」

「ああ、もちろん。我が国は神秘主義の国だ。あの程度――いや、あれだけの怪我を負っても生きていられたのは奇跡などではない。神秘主義のお陰、優秀な霊薬の成果だ。だが、今回の一件は私の不徳の致すところも十分に認識しているつもりだ。殉職された警備員ならびに職員、そして家族に、哀悼の意を示したい。然るべき場所で、厳粛に執り行なう。亡くなられた彼らの意思を無駄にしないよう、これからは様々な改革を取り入れる。柔軟な発想が必要であることを改めて認識するに至った。命を賭した彼らが誇れる国にしたい」

「ブレイコット内閣の新たな出発を期待しております。それからあと一つ、卿を救う為に首相官邸へ向ったと言われている捜査官に関する質問です。その捜査官が違法捜査や殺人に手を染めていたという情報がありますが、ご存じですか?」

「……さて、どうだったか。知らないな」

「ですが、救出されたのはブレイコット卿ご自身ですよね?」

「すまないが時間だ。続きはまた今度。失礼するよ」


 当局間で俄に囁かれている噂話があった。

 今回のテロにアステルス共和国が関与しているというものだ。

 もともと良好な関係を築いている訳でもない。商売敵として世界を二分する勢いで成長する新世主義国というだけでも、やっかみから言いがかりをつける者は多い。加えて、テロ事件の一週間後に在アルビオン・アステルス大使館のオーバン・グレント大使が急病で帰国、そのまま辞任するという交代劇も、陰謀論に拍車を掛けていた。しかし、テロへの関与を示す物が残されておらず、この件に関して追求されることはなかった。余談としては、グレント元大使は帰国後の一週間で病状が悪化、そのまま帰らぬ人となった。

 捜査当局関連で話題になったもう一つの事件がある。

 それは国家保安局の現場指揮官によるスパイ行為だ。

 クリス・オーブ元上級捜査官。

 彼はその国家機密に触れることが出来るという立場を悪用し、国際麻薬組織[血盟旅団]と共謀してテロを手引きしたとして、国家反逆罪の容疑で逮捕された。オーブ捜査官は無実を主張していたが、拘留二日目の朝、獄中で首を吊り自殺している姿を発見された。

 事件の総括としては、大麻市場を破壊された[血盟旅団]単独による報復であったと結論づけられた。これに対しアルビオンとフェアリランドは、一層の大麻取締りを強化するという方針で合致。麻薬撲滅への第一歩として、大陸最大の大麻生産地として知られているトァン共和国への侵攻が議会を通過。侵攻作戦に於いては、枢密院より『賢天の魔術師』三名の帯同許可が降りた。六月に雨期の到来が予測されている為、本侵攻作戦を九月に設定。作戦期間はひと月として、占領後の入植者の募集が既に始まっていた。

 たとえテロが起きようと、アルビオンはその性質を幾ばくも変えることはなかった。

 今日も彼らは踊り続ける。

 我らが世界の覇者たらんと、亡者の死列の先頭で、馬鹿踊りを踊り続ける。


 そして、事件から一ヵ月後。

 アリシア・ドナルドソンは裁判所の被告人席にいた。

 首相官邸で全てが終った後、ロンデニオン市警と共に駆けつけたヘイリーによるポーションの救命措置が取られ、どうにかアリシアは命を繋ぎ止めることが出来た。

 ヘイリー炎に巻かれつつあった首相執務室でアリシアを見つけた時、ポーションの通常の用途では体力が持たないと判断した。少量のポーションを適宜投与するという方式を取り、アリシアという形が崩れないよう保ち続けながら病院まで付き添ったのだ。一歩進んで二歩下がるというじり貧の状況下、ヘイリーの執念がアリシアをこの世に留めたと言える。

 しかしアリシアの傷は未だ癒えていない。

 怪我を負い過ぎていた彼女は、担当医の判断で長期霊薬治療という手法が取られていた。身体を負傷した状態で留め、自然治癒を阻害し、体力と相談しながら徐々に完全治癒状態を目指して再生させる霊医療である。治療期間は半年を予定していた。


 その為、被告人席に座る丸坊主の女は、まるで被害者のように痛々しかった。

 弾が貫通した目と頭には包帯が巻かれ、緑の患者着で車椅子に座り、希釈されたポーションと抑制剤の点滴を打たれている。

 アリシアは事件後、搬送された病院で目覚める前に懲戒免職処分となった。その後、弁護士会が彼女を告訴。ロンデニオン市警の捜査によって違法捜査と殺人が明らかとなり、彼女は眠ったまま逮捕され、目が覚めたときには警察病院に居たのである。

 死の淵を彷徨い、起きたら犯罪者だった。

 未だ脳の再生が不十分であるため、アリシアは半ば夢の中に居るような気持ちで裁判を聞いていた。考える事も、喋る事も、動くことも出来ないのに、自分の事を、多くの他人が勝手に決めていく。言い知れない気持ち悪さを感じて、アリシアは度々嘔吐し、呼吸困難になり、その都度裁判が中断された。だが、その苦痛も今日までだ――。

 陪審員の評決を手にした書記官がそれを読み上げる。

「評決の結果を読み上げます。結果は――有罪」

 この評決に、傍聴人席に居た男が騒ぎ立てた。白い中折れ帽に白いスーツという派手な出で立ちをして、両脇に露出度の高いドレスを着た半獣人の娼婦を侍らせた若者――カウス・ボランニだ。

「ハハハハハッ! ざまぁみろォオオオオ! 神様は見てるんだァ――ッ!」

 歓声を上げて拍手喝采。口笛を吹き鳴らして囃し立てる。

 大はしゃぎする若者に多くの者たちが眉を顰める。一瞥するが、関わりたくないので黙っていると、裁判長である白髭を蓄えたゴブリンが木槌を打ち鳴らして注意した。

「静粛に」

 アリシアの有罪で決定打となったのが、官邸での《魔族召喚》であった。国際魔術師条約にも抵触する《魔族召喚》は、人類の生命と財産を脅かす行いとして禁忌に指定されている。中でも生け贄を用いた種類の術式は、『生け贄』と前述するように殺人を意味しているのだ。

 それらの行為を、官邸から助け出された護衛の一人が見ていた。人の命を捧げ、暗黒大陸の怪物を喚び出す魔術が、テロと同等であると陪審員に判断された。

 そして裁判長による量刑が言い渡される。

「被告人、アリシア・ドナルドソンは、殺人、障害、器物損壊、住居侵入、魔術取扱法など、計一七の法律を犯した罪により、有罪。懲役三八年。被告人は、魔術師名誉法が適用され、死刑を選択する自由を有します――」

 これにまたもやカウスが立ち上がって拍手をしてみせた。

「名誉の死を――ッ!」

 下品な野次を押さえ込むように、裁判長は声を大にして続けた。

「自由を有します――しかしながら、被告人は既に制裁を受けている。肉体的、精神的、社会的な制裁を。それも加味して、凶悪犯罪を未然に阻止、解決するために身命を賭した献身的な行いもまた評価されて然るべきだ。懲役三八年、執行猶予三年とする」

 これに不服を表明したのは言うまでも無くカウスである。彼は傍聴人の列をかき分けて、最前列の柵まで来ると身を乗り出した。

「おいおいおいおいおいおい! こいつは犯罪者だぞ! 死刑にしろ! この魔女が俺に何してくれたかわかってんのか!?」

 裁判長はカウスを視界に一瞬だけ収めると鼻で嗤い、席を立った。

「以上をもって閉廷。その小悪党をつまみ出せ」


∴ ∴

 それまでの記憶が虚だ。数秒前ですら思い出せない。白昼夢の中を彷徨うような一時が終わりを告げると、アリシアはようやく目覚めたような気分で辺りを見回した。

 そこは裁判所の裏にある広場だ。花壇と植え込みの中を通る小径を車椅子は進んでいた。

「よかったですね、アリシアさん。どうなるものかと心配してましたよぉ」

「ヘイリー?」

「もう安心です。警察病院に戻ることも無いですよ。このあと、ちゃんと中央病院までお送りしますからね」

「事件は、おわったの?」

「そうですよ。アリシアさんのお陰です」

「あなたも、がんばったわ」

「えへへ、それはちょっと自覚してます」

 顔は見えなかったが、ふにゃふにゃした顔ではにかんでいるのが容易に想像出来た。

 そうだ、二人とも生きているんだ。今更そんなことに気付き、安堵が胸に広がった。

 暖かい風に身体を撫でられて心地良い。

 ずっと寒かったら、ずっと凍えていたから、心まで吹き込んでくる優しい風がたまらなく嬉しかった。空を見上げると、青空がどこまでも突き抜けていた。いつもより世界を広く大きく感じる。これはもったいない。自分の足で立って、歩きたくなった。

 きっと何処までも行ける。そんな予感がした。

 アリシアが微笑んでいるのを見て、ヘイリーが尋ねる。

「どこか、行きたいところはありますか? カフェとか、公園とか。あ、ピクシーの揚物屋さんにします?」

 難しい質問だった。何処にだって行きたいのに、何処も知らないのだ。どこに行きたいのかも、まだわからない。黙考の末に思いついたのが――

「ディンゴのお墓に行きたいわ」

 それを聞いたヘイリーはきょとんとしてから驚き、唐突に笑い出した。

「ディンゴさんのお墓!? あ、アリシアさんってば――あは、あはははは!」

 腹を抱えて大笑いするヘイリーに、アリシアは困惑した。

 人の笑いのツボを突くような発言をしたとも思えなかったし、あの小さな皮肉屋の死を悼むのがそんなに面白いとも思えない。鉛玉で頭を破壊されてもクリスとのやり取りはちゃんと覚えている。あの男はディンゴを手に掛けたと、その意味合いに、彼と自分の中で差異が有るとも思えず、ヘイリーにとんでもない性悪の嫌疑が持ち上がった。

 猜疑心に揺れていると、哄笑を抑えきれずにわき腹を抱える彼女が前方を指さす。すると木陰からは笑いを噛み殺して肩を震わせるトトが現れた。その次に、彼に支えられるように姿を見せたのは、右足を固定されて松葉杖を突きながら難儀そうに歩み出てくるディンゴだった。

 彼はいつも通りの仏頂面で鼻息荒く憤慨し、「勝手に殺すんじゃねえよイノシシ女」と文句を垂れた。だがこちらを一瞥すると、直ぐに照れくさそうにして、お気に入りのハンチングを深く被り顔を隠してしまう。

 思ってもみなかった人物の登場にしばし唖然としていたアリシアだったが、これが夢や幻の類でないと気付いてその表情を綻ばせた。

 治りきっていない体の節々が痛みを訴えかけるも、それを遥かに上回るの喜びに全身が熱くなる。出来ることならゴブリンの小さな体を抱き上げてキスしてやりたいほどだった。

 夏を間近に控えた陽光のように胸が熱くなっていた。どこまでも続く晴れ渡った大空は、この人生に似つかわしくないほど清々しい。自分を囲んでくれる仲間達の確かな存在に心が躍り、産まれて初めて神様に感謝した。互いに命を預け合うことの出来る得難い親友達との出会いに、生きて再開することができた運命に。

 この先の未来は依然として漠たるもので、やはり見通すことは叶わない。自分を取り巻く環境は謀略と怨望に満ち溢れていて、正道などというお題目を掲げながら生きていくことは難しいだろうと自覚している。それでも、彼らの善意や心意気に拾われたこの命が、多少なりともろくな道に進むことを願うと同時に、次の一歩を踏み出す力が湧いてくる。

 どうしても彼らに伝えたい言葉があった。

 この期を逃してはきっと気恥ずかしくなって言いそびれてしまうだろう。

 どうなるかわからない人生だから、今、伝えたかった。

 受け入れてくれたこと。認めてくれたこと。信じてくれたこと。助けてくれたこと。好いてくれたこと。生きていてくれたこと。そして、迎えに来てくれたこと。

 真心からの――「ありがとう」を。



                                    おしまい


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