表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔女アリシアと秘密警察  作者: 虹江とんぼ
17/19

魔女アリシアと秘密警察 (16)

分割しました。

ご不便ご迷惑おかけいたします。2016/10/18

16

 破壊された戸口の前を駆け抜ける。一瞬の邂逅――。両者は互いに一撃必殺の間隙を突き、殺意を朗々と響かせた。しかしその第一撃という絶好の機会はふいに終わり、続く第二撃が戸口の木枠を削った。

 瞬時に壁際に身を寄せ、首相執務室の中を覗き込む。ローム河に面する広い執務室には対のソファーやローテブル。執務机に骨董品、それに遊技台らしき物まである。弾避けになりそうな物が多く存在する中、床に倒れ伏す六〇代の男の姿を目にした。彼の胸元は朱色に染まり、身動き一つしていない。

「ハハハハハッ、もうここまで来たのか! 本当に期待を裏切らない女だよ、ブランカ。でも残念だったなぁ、この勝負は俺の勝ちだ」

 高笑いして勝利を宣言するバルドゥ。死角に回られ姿が見えないがそこに居ることだけは確かだ。相変わらず耳障りな笑い声で不快感が増していく。恐らく絶命しているであろうブレイコットの救援に間に合わなかったのは残念だが、今更悔いても仕方ない。彼の生死を問わず、どのみちバルドゥだけは仕留めるつもりだったのだから。

 いい加減に自分の耳が哄笑に辟易としている事を慮り、戸口の反対側へと反転。一瞬捉えたバルドゥの姿目掛けて銃撃を加え、そのまま壁際に隠れた。弾は外れたが、室内で素早く移動する音を聞き付ける。留まる事の無い機運の流れを読み取り、これが好機と身を屈めながら突入した。

 発砲しながらバルドゥはソファーの影に滑り込んでいく。不安定な姿勢でも彼の射撃能力は冴え渡り、迫る彼女の髪を散らし、顔を傷つける。それにも憶することなくアリシアは突撃を敢行。弾倉を交換しながら対となるソファーの背を蹴ると、高く飛び上がった。捨て身捨て鉢も良いところ。本能が希求するままに敵の死を求めて一本槍の如く己が切っ先を突き立てる。

 真上からの奇襲に然しものバルドゥも一瞬表情を驚きで開き、歓喜を浮かべた。

 宙空からの二撃が左肩を穿ち、彼が突き出してくる左手を貫通する。

 初めて与えた有効打にも関わらず、この剽悍な悪党を止めるには至らない。重力に引かれて落下するアリシアの首を血にまみれた左手が掴み取る。万力のように締め上げられるのも束の間、バルドゥはその膂力を持ってして、片手で彼女をローテーブルに投げつけた。

「うっぐ――」

 全身に電流が駆け巡り、身体が麻痺を起こしかける。バルドゥの銃口がこちらを向くことはわかりきっていた。気合いを捻りだし、闘争本能を剥き出しに吼える。身体を弾いて彼の拳銃を蹴りつけ射線を逸らした。テーブル上の不安定な位置から退くと、再び互いの銃が火を噴き合う。

 この距離では両者共に弾倉を再装填するのは途方も無いことだ。距離を取るだけでリスクがある以上、退くに退けない特攻を余儀なくされる。超接近戦からの銃撃を紙一重でお互いが弾き合う様は狂気でしかない。

 既に弾薬を消耗していた二人の拳銃はほぼ同時に弾切れとなり、拳銃のスライドがホールドオープンで固定された。

「――ッ」

 焦れて舌打ちをするアリシアだったが、バルドゥは殊更愉しそうに口笛を吹き鳴らす。

 まるで戦いが長引く事を喜んでいるようで、事実、そうなのだろう。再装填の機会を作るためにバルドゥの間合いから退くと、彼は拳銃を放り投げ、奇声を上げながら距離を詰めてきた。

「イイイイェェエアアアア――ッ!!」

 拳銃ごと右手を捕まれると、遠心力を働かせながら振り回されて壁に叩きつけられた。苦悶を浮かべている間にも彼の肘が顎を捕える。脳震盪で視界が揺れ、身体が弛緩していくのを抱き支えたかと思えば、足を掛けられて身体が一回転するほど容易に投げ技が決まってしまう。

「優先順位は教えたはずだなぁ。お前は弾を装填する為に俺と戦ってるのか?」

「言ってろォッ!」

 この男にあと一歩及ばない。その事が悔しくて徒手空拳のまま立ち上がり、バルドゥに再び挑む。あの技も、この技も、身体に刻みこまれ体得してきた全ての源流が目の前に居る。体術も射撃も、全部この男から教わった。アリシア・ドナルドソンという形を歪にねじ曲げ――工作員『ブランカ』を作り上げた元凶。

 アリシアは執務机の上にある物を投げつけた。ペンであろうが書類であろうが、怪我すら負わない物までまき散らす。一瞬でもいい、どうにかバルドゥの視界から消えるために形振り構わない攻勢にて転じていた。

 そして、舞い散る書類が僅かの間だが、視線を遮った。その瞬間にアリシアは既にポケットから取り出していた〈簡易術式陣〉を紛れ込ませる。

 そしてバルドゥの足下に滑り込んでしがみついた。犬猫のように襟を掴まれて引きはがされそうになるが、上着を脱いでそこから脱出。位置を入れ替え、振り向き様の裏拳を躱した。お返しとばかりに平手で彼の眼を撫でて目つぶしを行なうと、鳩尾に肘を叩き込んでからがっちりと組み付いた。

 全身全霊の力を込めて、アリシアは気合いを吐き出しながらヒップスローでバルドゥを投げ飛ばす。書類で散らかった床へと強かに身体を打ち付けた彼は、微かな呻き声を漏らすも笑みを浮かべて余裕を見せてきた。だが今度はこちらが嗤う番だった。

「終わりよ」

「な、に――」

 一歩前に踏み出したバルドゥは、書類に紛れた〈簡易術式陣〉を踏みしめてその場に拘束される。身動き一つ出来ない状況を作り出し、初めてバルドゥの顔を憎たらしい薄笑いから驚愕へと変貌させることが出来た。

「ブランカ……」

「命乞いなら聞かないわ。あんたを蜂の巣にして橋から吊してやる」

「あぁ……俺を殺したいなら、この数秒が――俺とお前の差だな」

 邪悪な微笑みを見せるバルドゥの右手から禍々しい極光の迸った。マナが可視化され黒い奔流がうねり、僅かばかりの質量が創出される。流れに押し負けたアリシアは思わず後退ってしまった。

「なん、なんなのッ――」

 腕で眼を潰されないように庇いながら、光源と黒の奔流の発起点を探る。それはバルドゥが右手の人差し指に嵌めた螺旋状の指輪から発せられていた。異変はそれだけに留まらない。室内に散乱した書類が次々と燃焼し、〈簡易術式陣〉までもが塵芥と化してしまう。室内に敷かれた絨毯まで延焼を起し、首相執務室は炎に包まれようとしていた。

 光と奔流が収ると、火の粉が舞い散る中、バルドゥが一気に距離を詰めてきていた。気づいた時には既に遅く、彼の拳が顔面に叩き込まれて木っ端の如く吹き飛び、床を転がるはめになる。

 這いつくばって鼻血が滴り落ちるのを見る。全身ズタボロだ。それでもこの男にだけは殺されたくない。震える脚を執念で立たせ、再び対峙する。

 視線を上げればバルドゥはタバコを咥えてマッチで火をつけていた。炎が室内に広がろうかと言うときに逃げる素振りすらみせない。この男にとっては他人の命は勿論、自分の命すら大した値打ちも無いのだろう。

「よく頑張るじゃないか。俺の目に狂いはなかったな。やっぱりお前は俺と同じだ」

 この期に及んでまだお喋りに興じる余裕を見せてくる。ハティによって粉砕された窓から吹き込む風にタバコの紫煙が巻かれ鼻腔を掠める。この臭いは嫌いだ。

「あたしはあんたとは違う!」

「強情な奴だ。ならお前はどうやってここまで来た? どうやって俺を追ってきたんだ? 事件の発端からこの場に至るまで良く思い出してみろ。その場に居なくたって良ぉくわかる。俺がお前に教えたのは『諜報技術』なんかじゃあないからだ。お前に教えてきたのは俺の基本(・・・・)だ。俺の思想(・・・・)だ。お前の中には俺が居る。お前は俺だよ、ブランカ(・・・・)

 つい先ほどまで室内を焼く炎よりも狂おしいほどに熱かった身体が途端に凍りついた。

 見たくない、直視したくない物が彼の言葉によって強引に示されていく。掘り返されて行く。頭に甦る自分の行いの数々――『こうするようにと教わり、そうするようになった』。

 アリシアは自身の内側に、このおぞましい男が居ることを自覚し、恐怖した。

 これまで考えてこなかった、腫れ物のように近づくことを拒み、遠ざけてきた事実。自分の中に居るもう一人の自分。ブランカ――この名を与えられた時、そこにアリシアは自分の中に残っていただろうか。アリシアはとっくの昔に、ただの形骸と化して居たのではないのか。だとしたら、空っぽの器に注がれたのは――。

「――ブランカ。俺と来い。今回の仕掛け人は大方、『庭師』の連中だろ? 奴らに使われ続けるのか? それは悲惨な人生さ。俺と来ればもっと生を謳歌できる。お前を、国家という檻から解放してやれる」

 意識が遠くなっていく。全てが彼岸の出来事のように、遠退いていく。

 元よりアリシアは国の都合で作られ、使われることで存在を許されてきた。

 バルドゥの言葉が響き、自分は如何に空虚な存在であるのかを気付かされ、自分が持っていた物なの何一つ無いのだと知らしめられ、伽藍とした自分に汚濁が広がる感覚を覚える。この身体とそこに宿る意思が進む未来が見えない。自分が見えない――。

 発砲音。

 ここではない何処か。苛烈に火を吹き続ける機関銃が、その存在を誇示しようとがなり立てていた。それは階下から聞こえてくる戦いの音。誰かが戦っている。懸命に自分を立てようとして、勇気を振り絞った彼女のやせ我慢が雄叫びを上げている。

 ――ヘイリー。

 そうだ、ヘイリーだ。彼女はまだ闘っている。自分を信じてくれている。クリスが手に掛けたディンゴも、自分を信じてくれた数少ない友人だった。トトはこんな自分に好意を向け、保安局と対峙することまでしてくれた。

 自分は一人じゃなかった。その事を気付かせてくれる。

 |自分は他者に依って立つ事が出来る(・・・・・・・・・・・・・)。

 誰を利用するでも無く、騙すわけでもなく、取り入ったわけでもない。彼らは仲間だ。

「あたしはあたしだ。あんたにはならない」

 バルドゥは肺に深く吸い込んだ紫煙をゆっくりと、長く吐き出す。その目が狂気から醒め、鋭く研ぎ澄まされていく。

「そいつは――残念」

 奇しくも二人の足下には、相手の拳銃がホールドオープン状態のまま落ちていた。偶然か必然か、そんなことは一考にすら値しない。相容れない事がわかった時点で、片思いも霧散した。ここは彼岸と此岸を繋ぐ中州だ。生者の行進に再び加わる事が出来るのはただ一人。ここだけは、二人の意思が同じ答えで同意する。

 これは決闘だ。

 お互いに拳銃を拾い上げると、それぞれの弾倉を排出。

 ジリリと燃えるタバコを左手で弄び、バルドゥは謳った。砕け散った窓から吹きすさぶ風に言葉を乗せて――。

「人生は放り投げるもんだ」

 指から弾かれたタバコが紫煙をかき回しながら宙を舞い、床に落ちて火を撒いた。

 同時に拳銃を相手に向って投げ渡す。宙を行く拳銃がやけに遅く感じた。

 こんな事をして何になるのか。この意思を裏切れば、自分が助かる。共に裏切れば、まだ継戦から好機を掴むことが出来たかもしれない。だと言うのに、なぜ自分は馬鹿馬鹿しい殺し合いに身を投じているのか。バルドゥを否定しながら、結局は彼と同列であることを認めているのではないか。殺意だけでは説明が付かない。戦いに興じて、命を弄ぶことを由としているのではないか――。

 銃を手にした瞬間、研ぎ澄まされた集中力を総動員し、残る力を全て瞬発力に託す。

 懐のホルスターから最後の弾倉を引き抜かれ、神業に等しい高速の再装填(クイツクリロード)を行なった。

 結局の所『わからない』というのが答えだ。自分がこの男ではないという事は明確であっても、空っぽの自分には行き着く先を想定する術がない。

 だから欲しいんだ――自分で選んだ未来が。

 閃光が瞬く――。眼前の敵に指向した無垢なる殺意が我が身を省みぬ全力射撃へと誘う。

 放たれる銃弾。吹き荒れる発砲炎。幾度となく銃爪(トリガー)を引き絞り、撃鉄を打ち、敵を討つ。

 決闘の行方は僅か数秒で片が付いた。

 弾倉を収めたホルスターの位置が幸いして、僅かに機先を制することが出来たアリシアはバルドゥの胸部に弾丸を殺到させた。そのお陰でバルドゥの照準がぶれて致命傷を貰わずに済んだのだ。それでも、彼女の大腿部、下腹部、右胸と、放置すれば何れ死に至ることには変わりなかった。だがこの金糸で繋がれた命に彼女は感謝する。

 宿敵への別れを告げることが出来たのだから。

 胸元を真っ赤に染め、よろめきながら窓枠に寄りかかったバルドゥ。その虚な顔を見据え、眉間に照準を合わせた。


《この言葉と共に消えてなくなれ(アブラカタブラ)》


 ぐらりとバルドゥはもたれ掛った窓枠から外へと落ちていく。

 全てが終る――まさにその最後の一瞬だった。

 眉間を撃ち抜かれたバルドゥは、もう窓から落ちて肉体がローム河で散るのを残すばかり。その筈だったのに、この狂人は最後の最後でせせら笑った。

 視界から消える直前に放たれた一発の銃弾がアリシアを撃つ。

 右目から侵入した弾丸は、彼女の眼球を破裂させ、直撃による鉛の形状の変化を伴い、破壊的なダメージを増幅し、機動を変じながら右脳を破砕。右側頭部から血飛沫を纏って貫通した。


∴ ∴

 茫然自失でアリシアは床に崩れ落ちていた。

 目の前に赤い膜が張られてしまったのかのように世界が血に濡れている。

 アリシアはもう何も考える事が出来なかった。ただ、身体が赤い筋を作りながら這っている。表情も変えられない。口も閉じられない。使命を忘れていない身体だけが、血を流し、命を消耗しながら動いていた。

 茫漠の中に一人ぽつんと立って、その様を眺めている自分が居る。

 アリシアの身体は、既に冷たくなっているブレイコットの元へと辿り着いていた。自分でも何をしているのかわっていない血に塗れた顔のまま、ポケットの中からポーションのアンプルを取り出した。それはトトがアリシアの為に用意した物であったのだが、今の彼女には良くわからない。

 ただやらなければならない事を身体がやっていた。ブレイコットに穿たれた傷口にポーションを注ぎ込み、そこまでやって、とうとう身体も限界が訪れた。

 仰向けに倒れ込み、天井を眺める。それはもう眺めているのではなく、残った網膜に映っているだけった。映った物を、認識する頭も既に無いからだ。

 風船のように命が抜けていく感覚が心地よかった。

 ぼんやりとしたイメージが広がった。

 それは子供の頃にみた何か。

 どこか楽しげで、なにか安楽とした日々。

 童心に思い描いた冒険譚が、理想の遙か彼方で光り輝いていた。


 そんな夢を再び見るために、アリシア・ドナルドソンは目を瞑った――。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ