魔女アリシアと秘密警察 (14)
分割しました。
ご不便ご迷惑おかけいたします。2016/10/18
14
車は古式ゆかしくも洗練された石畳の路面を走り抜けていく。震動にサスペンションが軋み、地面を蹴るタイヤから小気味よい音が車内に伝わってくる。
昼間は有象無象がひしめき合う道路も、この夜の時間帯では馬車や人の通りもなかった。長く伸びる道を独り占めし、この町で常態化している渋滞に悩まされることなく、アステルス製の高級車ボルドーはその性能を遺憾なく発揮する事が出来た。
「あと五分ほどで到着します」
「わかった」
道路状況を鑑みた上で、ヘイリーが端的に伝えてくる。徐々に官邸が近づいているのがわかる、というのは当たり前の話し。だが、それ以外にもアリシアは感覚で闘争の臭いを嗅ぎ取っていた。有るはずもない血と硝煙が既に鼻腔を擽り始めている。現場との距離が縮まるにつれて、封じ込めたはずの過去が次々と鎌首を擡げていく。
その内心で渦巻く怨嗟とも付かない感情を知ってか知らずか、ヘイリーは尋ねてきた。
「前々から気になっていたんですが、バルドゥ・グスタフに関して詳しいのはどうしてなんです?」
アリシアは逡巡しながらも、今更隠したところで事態が好転する事も無いと思い直す。
それに、ヘイリーという良き友人、良き仲間であれば、きっと受け容れてくれるだろうという予感もあった。
「昔、陸軍と[王国の庭師]が共同で諜報員育成学校を作っていたことがあったわ。あたしはそこで一三歳の頃から実戦に出るまで訓練を受けていたの。そこの教官の一人に、バルドゥは居た。あらゆる諜報技能から戦闘訓練まで、彼に手ずから叩き込まれたわ」
「なるほど。先生だったんですねぇ」
「ええ……バルドゥは優秀だった。けど、人間性に難があったわ。凶暴な人だったし、皆一度は彼に殴られた事もあって怖がってた。その内、暴力がエスカレートして訓練生を殴り殺したこともあった。その責任を取って彼は辞めさせられたけど、あたしは諜報活動の下位工作任務で彼の指揮下に入った。彼の元でずっと経験を積んできたの。エギルを亡命させた時も、彼の指揮下だった」
「ルーシャでの工作員大量粛正の時も?」
「いいえ。もうその頃の病院に叩き込まれてた。入れ違いだったみたいだけど、不幸中の幸いね。ああでも、思い当たる限りバルドゥの報復心が刺激される事柄と言ったら、ルーシャでの出来事しか思い当たらない」
「それは聞きましたけど、どうしてブレイコット首相を?」
「バルドゥの発案で行なわれた『国論誘導』。彼が一万人の工作員を使い、親アルビオン政権樹立の為に世論工作を仕掛けていた当時、丁度ルーシェの隣国にアルビオンは軍を派遣してた。治安維持の名目で、反政府軍と戦っていたわ。そして時悪くして、ルーシェに工作が露見した。政権を維持したいルーシェはその状況を利用して、全諜報員の情報開示を迫った。さもないと隣国で戦っている反政府軍に協力し、アルビオン軍をすり潰すぞってね。遠い国だし、全面戦争を避けたかったアルビオンはそれに屈して、全ての情報を開示した。その結果が大量粛正。バルドゥは祖国に売られたの。そして当時の首相というのが、今もその椅子に座り続けているアグ・ブレイコット卿」
確かに繋がった。動機としては十分だと、ヘイリーも頷いていた。だが――。
「でもそれって、発端は工作活動の発案と発覚です。逆恨みじゃないですか?」
「そんな奴だから、テロリストになったんじゃないの……知らないけど。もう着くわね」
思い出話はもう止めだ。感傷的にすらなれない役立たずの記憶なんていらない。
現実世界に回帰し、前方に浮かび上がる首相官邸を見据えた。アリシアの中でカチリと何かが切り替わる。ほの暗い闇のそこから手を伸ばす得体の知れない靄に、自ら手を伸ばしていた。
∴ ∴
「手前で止めますね」
そう言ってヘイリーは速度を弛めて車を路肩に寄せ始める。
首相官邸は外観からではあまり変化は見られなかった。だが、視線の先ある街灯の下、守衛小屋の物陰から地面に横たわる足に気付いて叫んだ。
「もう始まってる! 門を突っ切って! このまま官邸に乗り込むわ!」
「ここ、このまま!? いいんですね? わっかりましたァ!」
もしかして待っていたのでは? と思う程快活な返事をするヘイリーは、鼻息も荒く、やる気に満ち溢れて上気する。ぺろり唇を舐めて、緩んだ速度が再び加速を始める。
座席に押しつけられて重力加速度の増加を感じながら、全速力で突き進んだ。
鉄柵が敷かれた門を突破ると、残骸を巻き込みハンドルが取られそうになる。それをヘイリーは歯を食いしばって押さえつけ、更にアクセルを踏み込んだ。前方には官邸の玄関口にある階段状の真っ白なアプローチ。そこにぶつかるつもりでエンジンを唸らせた。上下に大きく揺さぶられ、ヘイリーの悲鳴が車内に響く。もう彼女は前すら見ていなかったが、直に大きな衝撃と共に視界はがらりと変った。
「ブレーキ!」
アリシアの叫び声に反応下ヘイリーは、目を瞑ったままブレーキペダルを目一杯踏み込んだ。車は官邸の玄関扉を突破り、エントランスで横滑りしながら停止した。
頭の中では鐘が打ち鳴らされていたが、一先ず目的地には到着していた。まだ呻き声を上げて動けないヘイリーを残し、銃を抜きながら車外へ出る。クリアリングを欠かさず、全方面を警戒していくが、有るのは物言わぬ死体ばかりだった。
「なんだってこんな――良いようにやられてッ!」
なんて不甲斐のない。被害者の殆どが非武装の文官であるのだからやむを得ないとわかっていても、それでも世界最強の軍事力を誇る国家の顔役たちなのかと憤りを覚える。自分の半生を捧げた連中がこうも脆くては、実にやり切れない気分にさせられる。
銃声は官邸のそこかしこから聞こえてくる。反響する炸裂音に、一階も二階もわからないが、恐らく全て掌握されつつある事は理解出来た。
「あいたたた……」
遅ればせながら車から降りてきたヘイリーは、頭を打ったのか赤くなった額を摩りながら車に身を寄せていた。
さてどう動くか。上か、下か。ヘイリーも居るが、彼女の扱いを考慮し忘れていた。見たところ丸腰で、ここで応援が来るまで待機させるべきだろうか――そう迷いが生じている間に、エントランス正面から二階に繋がる吹き抜けの階段に動きあった。
「警察だ! もう来やがったぞ!」
戦闘服姿の男が階段の仕切から上半身を出し、その手には短機関銃があった。
直後、彼ら銃口が火を噴いた。連続して放たれる銃弾に周囲が穿たれていき、追い立てられるように車の陰に滑り込む。もたつくヘイリーを引き込んでやり過ごしていると、発砲が散発的になったことに気づく。あの男は時間稼ぎをするつもりだ。そうはいかない。
「ハティ!」
主の求めに応じ、帰還を果たした彼女の巨大な従僕は、音も無く影の中から立ち現れた。階段の男がそれにぎょっとした瞬間にも、ハティは床を駆け抜けて猛然と男に襲い掛かった。
「うわ、ああっ! アアアッ――」
突然現れた怪物を前に、戦闘員の男は恐慌状態のまま引き金を絞り込んだ。だが、銃弾を身体に受けても、血飛沫を撒き散らしながら突進してくる巨獣が相手ではそれも豆鉄砲に等しい。彼はハティの鼻でクン、と宙に浮かせられた。何も出来なくなったところへ巨狼の凶悪な顎が解放され、男に噛み付くと同時に首をぐりんと振るわせる。たったそれだけの所作で、男の上半身はエントランスの窓ガラスを破り外へと吹き飛んだのだ。
「ひぃっ!」
トラウマ物の光景に、隣で隠れるヘイリーの悲鳴が聞こえてくるが、[イグラド]のアジトで見せた彼女の所業と比べれば大差は無いだろう。
依然として銃声が響き続けている。まだ官邸で戦っている者が居るのだ。敵の数は分からずとも、奴らに少しでも迷いを生じさせることが出来れば、そこから活路を見いだす者も居るかもしれない。助勢の狼煙を上げなくては。そして敵に知らしめなければならない――アルビオンの魔術師が戦場に駆けつけた。敵の首を刈り取る大鎌が振るわれるのだ。恐れ戦け!
「咆えろッ! ハティィイイ――ッ!」
すくっと階上に前脚を掛けた漆黒の巨狼は、その巨体をうねらせる。かぶりを振り上げ、天を衝かんとするように、巨大な顎から大咆哮を解き放つ。
《■■■■■■■■■■■――――――》
音響兵器もかくやとばかりの耳を劈く巨声が轟く。銃声であろうが何であろうが全てを飲み込む咆撃は、ロンデニオンに木霊して、官邸のみならず、周囲の建物や街灯のガラスを全て粉砕した。
今の一撃が利いたらしく、官邸が一瞬静まり返る。図らずとも巻き添えを食らったヘイリーが耳を押さえながら蹲っていた。恐らく耳鳴りに苦しんでいるのだ。
「ヘイリー、大丈夫?」
「だい、じょぶです……何とか」
その時、吹き抜けの二階フロアから空のように澄んだ群青の輝きが降ってきた。
その光は魔術師にとって猛毒に等しい物だった。人の誕生から死して土に還るまで、常に傍に寄り添い、世界を満たすもの。それがマナ。永遠に不滅のものと教わり、その通りに感じる身体の一部と言っても過言ではない神秘――それが脆くも崩れ去る衝撃は、身体の偏重として魔術師の適正があるアリシアを苦しめた。
まるで身体にストローでも刺されて血を抜き取られたような怖気に吐き気すら感じた。
視線を上げれば、頼もしい相棒にして従順なる僕であるハティが、編み物のように解けながら霧散して行く。いったい何が起きたのか混乱しながら原因を探った。
そして数瞬前に投下された群青の光に目が止まる。
「そいつの仕業か!」
アリシアは立ち上がり、忌まわしい光を放つ金属に銃口を向けた。だが、すぐにそれを阻止しようと飛来する銃弾に左肩を穿たれて仕損じてしまった。痛みに歯を食いしばり、射線をの特定に躍起になった。いったいどこから撃たれた?
その疑問は考える余地など与えずに、自ら名乗りを上げた。
「ハァ――ああぁぁ、ハハハハ。やっと……やっと来たなァ、ブランカ」
身の毛もよだつその声。実に三年、いや四年近く聞くことの無かった忌まわしい男の声。忘却の彼方へと投棄した筈の秘匿名が、あの男に命じられて行った所業の数々を思い出させ、総身を熱くさせる。一気に頭に血が昇り、顔を確かめるまでも無く、必殺の標的であることを悟る。
アリシアは肩の痛みも忘れて車から身体を晒し、二階に居る敵に発砲を敢行した。
仕切の先に身体を引っ込めながらも、銃だけを出して反撃が帰ってくる。
「いいぞぉ、懐かしい殺気だなブランカ。今は保安局員じゃなかったのか? 逮捕はしなくて良いのかなぁ?」
「クソッ、耳障りなんだ」
いつに無く苛立ちを見せるアリシアに、ヘイリーは大丈夫かと声を掛けるが、今の彼女を支配しているのは嫌悪と怒りだ。猛獣のような形相で、ひたすら相手に食らいつこうとしている狂犬のようだった。
「どいつもこいつもツマラナイ奴で退屈してたんだ。万時が順調で過ぎてやり甲斐を無くしかけてた。そんな時にどうだ? 保安局にどうしてか鼻の利く奴が居た」
「黙れ!」
アリシアは飛び出した。位置を変え、支柱に走りこみながら二階の男を狙う。
「調べてみればどうだい? ブランカ、お前だった。どうりで俺の考えを読めるわけさ。それにお前は昔から優秀だった。殺せと言えば殺し、騙せと言えば騙した。何でも言うとおりにする可愛い奴だったよ」
「バルドゥッ!」
それ以上聞きたくない。悪魔の声はもうウンザリだ。焦れて飛うび出せば、こちらを見下ろしている男をはっきりと目に捉えた。顔に禍々しい傷痕を残す記憶の中の亡霊。
彼は――バルドゥ・グスタフは手を差し伸べて宣う。
「俺と来い、ブランカ。アルビオンには勿体ない。お前の使い方を、俺が教えてやる」
言うまでも無く返答には鉛弾をくれてやるが、バルドゥは殊更楽しげに哄笑を響かせる。
二階フロアに隠れては、鬼ごっこに興じる少年のように、しかし狂気に変質した|ゲーム(殺し合い)を愉しんでいた。こちらの弾は一向に当たらないのに、喜びすさんで飛び跳ねかねない狂人の弾丸は的確に攻めてくる。大腿部を掠った銃弾にバランスを崩せば、すぐさま胸への殺意が襲い掛かり飛び退かされる。エントランスの支柱を背に弾倉を交換して反撃。
「地獄に帰れクソ野郎!」
「あはははああははははははあぁぁぁあ……――」
支柱から身体を覗かせた直後に、正確無比の射撃が襲い掛かる。頬を掠めた銃弾は、そのままアリシアの左耳を食い千切った。一瞬頭を撃たれたと錯覚し、その拍子に彼女は腰が砕けたように膝をついてしまう。
「アリシアさん!」
ヘイリーが安否を気遣って駆け寄ってくるが、それを見た瞬間にアリシアは彼女を押し倒した。直後、ヘイリーの居た場所に銃弾が穿たれる。すぐに立ち上がると、はわはわと怯える彼女を連れて場所を移動した。
気づけば自分は血塗れだった。肩と脚の出血に加え、左耳は大きく欠損し、金色の髪が赤く染め上げられていく。ものの数分でこんな有様にまで貶められ、歯がゆさに奥歯を噛み締めた。
「お前は俺と同じだ! こういう世界でしか生きられなァい! 邪魔する奴らは悉く殺し、世界が血の沼に沈むまで走り続けるんだ。そういう人種だからこそ、お前を相棒に選んだ。俺と同じ、虚の底で血を啜るしか能が無いのさ」
「お前と一緒にするな!」
再び激しい銃火を交え出す。位置が悪いと階段を目指したいアリシアだが、それを分っているバルドゥが銃撃でその意図を挫く。しかも彼はアリシアを誘っていながら、殺意丸出しの銃撃を加えてくるのだから彼女の感情は激しく揺さぶられていく。口を衝いて出る言葉の一つ一つが彼女を煽りたて、その都度死が迫る。
そこへ、二階でもう一人の男が駆け込んでくるのが見えた。禿頭の大男だ。
「バルドゥ! いつまで梃子摺っているつもりだ。もうバグが無くなるぞ!」
通路から現れたのは、ブレイコットが立て篭もる首相執務室を攻め立てて居たジャマルである。彼はバルドゥが誰かと撃ち合いをしていることに気づくと、加勢のつもりで階下のアリシアたちに短機関銃で撃ち降ろし始めた。だが、それを傍から見ていたバルドゥは途端に熱が冷めていき、目を眇めながら口を歪ませる。
楽しい時間を取り上げられて、心底興冷めした狂人が唯一みせる怒りだった。
ジャマルの背後にやおら歩み寄ると、身動きが取れないように拘束してしまう。
「な――ッ、何のつもりだァ!? バルドゥ!」
その憤怒の問いには答えず、軽薄な笑みを浮かべながら彼を盾に発砲を始めた。
身動きがとれずにバルドゥに罵詈雑言を浴びせていたジャマルであるが、それを見逃すほどアリシアは甘くも無ければ下手糞でもない。ジャマルが盾にされて数秒で、彼は眉間を撃ちぬかれて崩れ落ちた。
「いいぞお! いいなァ! 合格点をくれてやるぞブランカ!」
仲間が殺されたのにあの態度――それ以前に、彼は誰のことも仲間などと思っていないのだろう。あの兵隊たちに対する同情すら湧いてしまう。そんな風にしか出来ないから、祖国にすら切り捨てられるんだ。
あの男は自身が自称するように『虚』そのものだ。暗闇の中を這いずり回り、泥に塗れながら血を啜る悪鬼。生者を絡めとっては、暗闇に引き摺り込むことが生甲斐の化け物。暗闇から生まれ落ち、底なしの汚濁を世界に押し広げようとする混沌の権化だ。
あの男ほど純粋な邪悪を、自分は見たことが無い。
アリシアは銃を降ろして、そこに立つ『虚』に話しかけた。
「バルドゥ、あんたの思い通りにはさせない」
その有り様が気に入ったのか、バルドゥはにたりと嗤い、仕切から身を乗り出す。
「なら競争だ! 俺を止めてみろブランカ! 市民の安全を守るお巡りさんになったんだろう? 悪い悪い犯罪者を逮捕してみなァ!」
狂った眼を全開にして彼は吼えると、そのままは走り去って行く。今度こそブレイコット首相を殺害しに行ったのだろう。滅茶苦茶な思考回路に付き合わすことを強要してくる傍迷惑なイカレポンチのクソ野郎だ。しかし何であれ、アレの目的を阻むことはこちらの本懐。あの男を今度こそ地獄に叩き落し、過去を清算を果す――。
「ヘイリー、あたしはバルドゥを追う。あなたは……」
慌てふためき銃撃戦で逃げ惑っていた筈のヘイリーに振り向けば、彼女は体を蹌踉めかせながら支柱に手をついて佇んでいる。彼女の様子がおかしく、よくよく視ていけば、少しはだけた真っ白なシャツには夥しい血が滲み出ており、腹部を真っ赤に染めていた。
「撃たれたの、ヘイリー……待って、すぐポーションを――」
そう言って動揺しながらポーションのアンプルを取り出そうとするが、彼女はそれを制してきた。
「ダメです。わたし達の目的はテロリストの目的を挫くことにあります。ブレイコット首相はまだ生きているようですが、危険な状態です。もしも手遅れであったとしても、ポーションがあれば希望はあります。それは、わたしに使うものではありません」
毅然と振舞う彼女は、ふらつく足で車のトランクを開けて縦長のケースを取り出すと、その中から機関銃をへっぴり腰で持ち上げた。
「出来るかわからないですけど……ロンデニオン市警の皆さんが突入しやすいようにこの場を確保します。まだ、生きている人が居るかもしれませんし、敵をこちらにひきつけられれば御の字です。わたし、こんなだけど、誰かを助けてあげられるかもしれません。捜査官になって、初めてです。こんなに、頑張ろうと思ったこと」
ヘイリーは額に汗を浮かばせ、揺れる瞳には不安や恐怖といった、人を萎縮させてしまう不の感情が綯交ぜになった迷いが見て取れる。多少仕事がこなせるようになったからと言って、一日二日で超人のように立ち回れたりしない。それはヘイリー自身もわっている。だからこその迷いだ。しかし、それを推しても尚決断してみせる心情。それは勇気だ。
二人は互いに視線を交錯させた。
「ヘイリー、あなたと仕事が出来てよかった」
「そんな……寂しいこと言わないでくださいよ。これからも一緒です」
たった二日に過ぎない付き合いだ。それなのにどうしてこうも気心が知れた仲のように語らえるのだろう。窮地に知り合った恋人達は長くは続かない、というジンクスがある。だが友達ならどうだろう。正直なところ、自分にしても彼女にしても、これより先を想像できない。だが願わくば、この未来に新たなジンクスの検証を試みたいと――そう思った。
複数の足音が近づいていた。先の銃撃戦を聞きつけて来たのだろう。官邸の向かって右、北方の戸口から声が聞こえる。ヘイリーは意を決して叫ぶ。
「行って下さい! ここはわたしが受け持ちます!」
恐れも不安も乗り越えて、また一つ階段を登ろうとする彼女の意思に応えて頷く。
ヘイリーを一人残し、バルドゥの後を追うために階段を駆け上がった。直後に銃声が聞こえてきて、エントランスは忽ち硝煙弾雨の鉄火場へと舞い戻る。