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魔女アリシアと秘密警察  作者: 虹江とんぼ
14/19

魔女アリシアと秘密警察 (13)

分割しました。

ご不便ご迷惑おかけいたします。2016/10/18

13

 アステルス大使館。

 その部屋の一室で、明かりをつけることもなく外を見つめる者が居た。

 オーバン・グレントは椅子に深く腰掛け、暗闇に沈み込むような底なしのため息をつく。

 ロンデニオンの夜はいつも通りで、見える風景も代わり映えしない。その静閑な町並みと同じく彼も静かに闇に溶け込んでいたが、外見とは裏腹に落ち着かない心を静めるべく、目についた街灯の数を意味も無く数えていた。それは寝る前に羊を数える程度には意義がある。余計な事を考えないように、空虚な行為に耽るのだ。

 そうでもしなければ、自分の立場は、自分には荷が重かった。

 外交官として多くのキャリアを積んできたこの人生に於いても、この数日ほど肝を潰しかねない緊張を味わった事は無かった。如何に金を積まれ、特権を与えられ、特待の天下り先を用意されようとも、それらは命あっての物種。祖国に愛はあっても、鉄砲玉になれと言われれば窮して当然だ。自分は外交官であって、兵隊ではない――。

 気を抜けばこの通り、直ぐに悪感情と不安に苛まれてしまう。いっその事頭を打って全てが終るまで気絶していたいとすら思う。

 ドアがノックされると、半ば自動的に「なんだ」と応えた。

 部屋に入ってきたのは秘書だった。

「お疲れでしょう、大使」

 彼女はワインと二つのワイングラス掲げて、その目で如何ですかと尋ねてきていた。事態が既に自分の手から離れてしまった今、ただ手を拱いているだけでは心臓に悪い。せめて酔いに浸り、現実からの責苦を濁すのも悪くないか――。

 グラスに満たされた赤い液体が波打つ。一口それを含めば口内になじむ酸味と迫り上がる芳香が広がった。だが全く楽しめそうにない。

「この仕事が終ったら、私は引退だ」

 誰に言う物でも無かったが、この数年に渡って自分を支えてくれた秘書くらいには所懐を吐露し、聞かせても良いと思えたのだ。彼女も言わば共犯者。このアルビオンに居る限り、運命共同体と言っても過言ではないではない。それを理解出来ているのか、彼女は冗談めかしながら笑った。

「わたしたち、生きて国に帰れますかね」

「表向き心配はない。アルビオンが黒幕に辿り着いた所で、証拠はない。バルドゥは言うまでも無く、他の連中も我が国の人間ではない。アルビオンはやり過ぎた。他国に憎悪の種を振りまいた結果が、あの傭兵どもだ。咎を受けるべきはこの国であり、決して我が国ではない。これは帝国が引受けるべき闘争の代償だ」

 この口が言ったとおり、表向きの処理はどうにでもなる。だがここは神秘主義の総本山。魑魅魍魎が跋扈する異世界だ。この身が祖国へと帰還を果たした時、それが今の自分であるかどうかは、全く自信が持てなかった。


∴ ∴ 

 身体に張り付く湿気とむせ返るような腐敗臭。完全なる暗闇の中、カンテラの明かりだけを頼りに男たちが歩みを進める。珍客の到来に地下世界の住民達は蠢き、時折足下をざわつかせた。この陰気な場所は――ロンデニオンの地下に迷路のように張り巡らされた下水道で、日陰者たちはそれぞれの装備が擦れ合う金属音を響かせながら黙々と歩いていた。

 先頭を行く男が「ここだ」と下水道の中腹で止まると、レンガの壁を撫でた。

 一見するだけでは他の場所との違いを見いだせず、何の変哲もない壁にしか見えない。しかしランタンの明かりに照らし出されることで、その一帯のレンガが浮き出ているのが微かにが見て取れる。その他にも、真下の作業路は違う時代に埋め立てられた痕跡がある。

 一人が地図を確認している間に、他の者たちは手にしたハンマーで壁を打ち始めた。すると壁は脆くも崩れてしまい、造られてから数世紀は経つであろうという古めかしい地下道が現れた。「情報通りだな」誰かの呟きが地下に響き、彼らは崩れた壁によって立ち籠める粉塵を突っ切りながら、隠された通路の突き当たりまで歩みを進めた。

 保安局からもたらされた情報通り、そこには地上への梯子が設けられていた。

 彼らの目的は首相官邸への侵入。そして、アルビオン王国首相アグ・ブレイコットの殺害であった。その為に国際麻薬組織[血盟旅団」を利用して、気が遠くなるほど大がかりな茶番を演じてのけ、アステルス大使館で時が来るのを息を殺して待っていたのだ。

 この場に居る全員が、アルビオンに対する恨みを原動力に世界中から参集した復讐鬼だった。ある者は祖国を滅ぼされ、またある者は内乱によって国を荒廃させられ、そしてある者は現在進行形で侵略を受けている。縁もゆかりもない赤の他人が、アルビオンへの憎悪という一点で結束し、結成された襲撃部隊である。

 部隊のリーダー格的存在である禿頭の大男ジャマル。彼は後方の同志達に振り返った。

「所定の位置に到達した。この上が俺たちの戦場だ。みんなここまで良く辛抱してくれた。思う所はそれぞれ有るだろうが、思いの丈は上の連中にぶつけてやれ。机の上で戦争をした気になっているクソッタレ共に、本当の戦場を味わわせるんだ。この報復の機会を与えてくれた神に、そしてお前たち同志との出会いに感謝を――」

 報復心に突き動かされた者たちから、声無く鬨の声が上がる。彼らの目を見ればそれは自ずとわかることだった。しかし――この場に於いて異質な存在に目が止まる。その男はただ一人戦闘服ではなくトレンチコートに身を包み、こちらの話しに耳を傾けている様子などなく、手にした魔法紙を見つめていた。

「バルドゥ、聞いていたか?」

 その声にバルドゥ・グスタフの胡乱な視線が持ち上がる。

「ああ、聞いてるぜ隊長さん。ご託はいいから始めよう。会場を暖めるのはホストの役目だからな。でなきゃパーティは盛り上がらない」

 良くわからない言い回しだ。計画の前半では重要な立ち回りを演じてのけた有能な男だが、他の者たちとは明らかに異なる。佇まいから風体だけではない。ここに集った傭兵たちとは明らかに一線を画している。先の見えない(うろ)のような存在。

 だがこれに拘泥する意味は無い。何にしてもこの場限りの付き合いだ。彼の言葉の意味を斟酌するよりも、目前の戦場にジャマルは意識を戻した。

 傭兵達が梯子を使って地上へと上がって行くのを待つ合間、一人がバルドゥを相手に軽口をたたき始めた。

「ジャマルの野郎は真面目すぎる。元々軍人だったみたいだけどよ。あんなのに当てられる連中の気も知れないねぇ。せっかく金が貰えるってのに、死んだら意味ないだろう。でも、あんたは死ぬ気は無いんだろう? 俺と一緒だ。事が終ったら奴らの報酬の山分けといこうぜ」

 やに下がった顔つきでどこまでも馴れ馴れしく肩に腕まで回してくるが、バルドゥからの反応は無かった。手にした魔法紙を凝視し続けている。紙面に映るのは武装警官と、それを後ろから引き下がらせようとしているスーツ姿の女だった。

「なんだ? お前の女か?」

「いいや、もっと極上の代物さ。俺の――最高傑作だ」


 彼らは首相官邸を目前に据えた庭先へと侵入を果たした。

 事前に入手した警備部の情報から、官邸を守る警備員の配置はこちらに筒抜けだった。いとも容易く外に配置された警備の死角を縫い進み、障害を背後から次々と無音殺傷によって無力化していく。元々が軍属で、亡国の特殊部隊出身の者も少なくない。こうした多勢に無勢の状況下でも、憶することなく力を発揮していた。

 ここまでの方針は、屋外の警備員すべてを無力化した後、二手に分かれて官邸に乗り込み、逃げ道を塞いだ上でブレイコットを殺害するというものだった。大本の目標を仕留める為の下準備と言った所だが、予想だにしない問題が発生してしまう。

 慎重を期するために官邸の正面を避け、側背面を重点的に掃除してきた彼らだったが、何を思ったのかバルドゥがふらりと官邸正面に躍り出てしまったのだ。

「おい! まてバルドゥ!」

 押し殺した声でその行動を咎めるが、彼は一顧だにしない。ごく自然な足取りで正面玄関まで歩いていくと、呆気なく二人の警備員たちに見咎められて誰何されてしまった。

 計画が台無しだと頭に血を上らせるジャマルだったが、警備員の警戒心はそれほど強いものではない。理由は、バルドゥの服装がロンデニオンにも馴染む物であり、警戒を助長させるような足取りでもなかったからだ。まるで関係者であるような装いが、警備員達の心の隙を突いた。そして何より、この場にテロリストが居るなどとは微塵も思わなかったのだ。

「やあ、お仕事ご苦労さま」

「そこで止まって。身分証ならびに許可証を拝見します」

「身分証も許可証も無いんだ。[王国の庭師]から来た。ブレイコット卿に問い合わせてくれないか? 昼間のテロに関する続報を持ってきたんだ」

 この態度に疑わしげな視線を向けてくるが、テロと聞いて放置するわけにもいかない。

「わかりました。問い合わせてきますが、その前に概要を。規則ですので」

「そうか……そりゃ仕方ない。テロの実行犯バルドゥ・グスタフが生きている。奴の次の標的はブレイコット卿だ。俺が言うんだ、間違い無いさ」

 にやりとした薄笑いを浮かべたバルドゥは、三歩分の距離を一気詰めて警備員の顎を掌底で打ち上げた。瞠目するもう一人の術式杖を払い除け、頭を掴むと官邸の支柱に叩きつける。あっと言う間の出来事に、二人の警備員は何できず昏倒してしまった。

 不意打ちが成功し、正面玄関を確保したバルドゥであったが、何を思ったのか彼はそのまま玄関扉を蹴破って官邸内に入り込んでしまった。その様は潜入や突入と言った類のものではない。両手を大きく広げ、万雷の喝采に応える舞台役者のような『登場』であった。

「さあ、始めるぞぉ!」

 突然玄関扉が蹴破られ、同時に現われた珍奇な客が大声上げる。吹き抜けのエントランスに居た職員や警備員はこれに虚を突かれて固まった。彼らがあまりにも現実離れした状況に折り合いをつけている中、バルドゥは手中の物体を高々と放り投げる。

 宙を舞う球状の金属塊は、その機構を作動させた。

 弾けるように中腹から両端に伸びると、内部に組み込まれたエーテライト鉱石が淡い群青の光を放ちながら床に落ちていく。正式名称は未だ無く『喰霊投弾(バグ)』の仮名で呼ばれる陸軍兵器開発局の試作兵器だ。周囲のマナを吸い取ることで、一時的に魔術を根本から封じてしまう対魔術兵器。当然ながら、試作段階の兵器であるが故にその性質を知る者は無く、雁首を揃えて間抜けな表情を晒す他無かったのである。

「う、動くな!」

 やっとの事で動き出した警備員だったが、彼の突き出す術式杖を鼻で嗤った。

 既にこの場のマナがあらかた吸い尽くされているとも知らずに、滑稽な姿をさらす彼らを前にバルドゥは余裕を見せながら自動拳銃を引き抜いた。

「そんな棒きれで、いったい何が出来るんだい」

――発砲。立て続けに放たれた銃弾が次々と警備に襲いかかる。彼らは何故か機能しない術式杖に混乱しながら血の飛沫を散らしていく。間断なく続けられる一方的な虐殺に職員達の悲鳴が響き渡った。逃げ惑う無抵抗な職員であっても、流し撃ちで一網打尽にしてしまう。慈悲の欠片すらない行為にもバルドゥは薄笑いを絶やさない。嗜虐心の芽生えた少年のように、次々と巣から湧いて出る虫ケラどもを潰していった。

 銃声の残響が霧散すると、エントランスは驚くほど静になった。この悪夢のような状況下でバルドゥは独りの生者として恍惚とした息を漏らす。

 そして結果的にバルドゥの後塵を拝する形となった襲撃部隊が、苦慮の末に続いて来た。

「よくも勝手な真似をしてくれたな。作戦が滅茶苦茶だ!」

 練りに練った計画がご破算となり、激昂したジャマルが短機関銃を突きつけてくる。

 それを一瞥するだけに留め、ねっとりとした視線を吹抜けの階段に滑らせる。

「こういうのは勢いが大事なんだ。もたもたするなよ? ほーら、次が来たぞ」

 途端に飛来する火球。籠った爆音と共に熱波が周囲を燻り、その炎に巻かれた仲間が悲鳴を上げながらのたうち回った。ジャマルは舌打ちをすると直ぐさま応戦を始める。

「こうなったらやるしかない! バグを投げろ! 二手に分かれてブレイコットを追い詰めるんだ!」

 ジャマルの指示で部隊は一階と二階を制圧するべく散開を始めた。嵐のような銃撃と、変幻自在の術式杖による攻撃の応酬が始まり、苛烈な戦闘にバグの異音が混じると忽ち悲鳴が巻き起こる。

 バルドゥは二階に向って歩き出した。官邸内の随所で勃発する狂騒に浸り、今この時を全身で感じ取りながら呟いた。

「そうだ。そうこなくっちゃ。楽しいお仕事のクライマックス。ど派手にいこう」


∴ ∴

 官邸内で何かが起きていた。断続的に続く炸裂音と悲痛な叫び声――。

 ただ事ではないことくらい直ぐにわかる。昼間にあんな事があったばかりだと言うに、これ以上何が起きようというのか。不安と焦りに胸中が染まりつつある今、黙したまま続報を待っている。ほんの数分が途方もなく長く感じた。

 もどかしさからブレイコットは執務机を立ち、落ち着き無く室内を歩き回っては窓から外を覗いた。再び椅子に腰掛けるも、やはり黙って待つ事など出来そうにない。

 右の人差し指にある慣れない儀礼用の指輪に触れる。

 ブレイコット家に代々伝わるもので、約三百年前に先祖が現在のアマルデウス国王より爵位を賜った際に与えられた宝物である。神の遺物だる『創造器』欠片が封入されていると伝えられているが、その実感はまったくと言って良いほど無かった。さざめく心を落ち着かせる程の効果もないこの指輪は、二匹の蛇が絡み合うような形をしている。『ウロボロスの指輪』とも言われるこの宝物を持ち出したのには、明日に予定されていた国王陛下との謁見に深く関わっていた。エルフの代表団と共に、何らかの儀式を執り行なわれる旨を報され、王から直々の書簡に指輪を持参せよとの命が記されていたのだ。

 ところが昼間のテロ事件を受けて、事態がどう転ぶかわからないまま気を揉んで居たところに、この騒動である。

 何という日であろうか――執務室の扉が強く叩かれた

 入ってきたのは官邸の警備を一任されている警備主任のマーカスだった。

「マーカス。なんだ、何が起きているんだ?」

「閣下、現在この官邸は正体不明の武装集団による攻撃を受けています。術式杖が一時的に無力化される障害が発生している。敵の手による物と思われますが、対応が厳しい状況です。今すぐ脱出を」

「わ、わかった……だが、いったい誰だ? 昼間のテロと関係があるのか?」

「それもわかりません。兎に角いまは脱出を優先します。急いでください」

 いつも冷静で物怖じせず、剽悍な男だと認識していた警備主任が焦っていた。こんなに早口で喋る彼を見たのは初めてで、表情も強張り、額には汗を浮かべていた。事態が切迫している事を悟り、ブレイコットは急ぎ席を立つとマーカスのエスコートを受けながら足早に部屋を出た。

 すると先ほどから聞こえていた炸裂音が、銃声という生々しさを伴って耳朶に打付けられてくる。直ぐ近くだ。

「サーリアは?」

「奥様は公邸です。向こうの護衛が騒ぎを聞き付け避難させているでしょう。我々も急ぎましょう」

 ブレイコットはマーカスを含めた首相直属の護衛を伴って裏手の階段へと急いだ。だがそこでも、階下から激しい銃声が響き渡り、階段を駆上がってきた護衛の男が叫ぶ。

「一階は駄目だ!」

「包囲された……突破できないのか?」

「連中、どういう仕掛けなのかマナを無力化出来るみたいだ。碌に近づけない。コイツは使えるが、向こうは機関銃だ」

 そう言いながら護衛が手にする拳銃を目にして、目聡くブレイコットが咎めた。

「その拳銃は? 官給品の武装は術式杖に統一したはずだぞ! 規則を破ったのか?」

 ここで言うことかと、お門違いの叱責に護衛達のため息が漏れ聞こえてくる。

「今は神秘主義に拘っている場合ではありません! これはもしもの時の為に私の指示で持たせていた物です。一先ず戻りましょう。防御を固めて援護を待ちます」

 常日頃『神秘主義のドグマに囚われた狂信者』扱いをされて議会や新聞で叩かれ続けていた為、自分を否定されたような気がして言い返そうとした。だが、憮然としたままブレイコットは誘導に従う。とどのつまり、この危機は自らが招いた物だと思い知ったのだ。

 国際社会で神秘主義の地位を維持し、その宗主国に相応しい姿を世界に示そうと声高に叫び続けた結果が、この有様なのか。自分の信じてきたものはこんなにも脆いのか?

 絶望に囚われかかったその時、窓の外に高速で移動する一対の光を目にする。誘導灯のように立ち並ぶ街灯に導かれ、一台の車が官邸に近づいて来ていた。

「あれは……」

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