魔女アリシアと秘密警察 (9)
分割しました。
ご不便ご迷惑おかけいたします。2016/10/18
9
勾留室の椅子に腰掛け、話に耳を傾けている間もアリシアの貧乏揺すりは止まらない。
彼女の向かいには床に届かない足をぶらつかせているディンゴが居る。
互いに仏頂面を引っ提げて、落ち着きのない沈黙が室内を支配していた。
[血盟旅団]を追った今回の事件は、その実行犯達の自爆によって終結した。
聖オルゴン広場に召喚されたグールの群れも、保安局の活躍によって殲滅され、被害は最小限に押しとどめる事が出来た。保安局警備部としては、魔族を撃退し市民を救ったという実績を誇ることができるが、六課としての大任である『テロの阻止』が果たせなかったばかりか、その犯人達を捕えて法廷に立たせることが叶わなかった。
不本意な結末にアリシアも苦々しい感覚を共有しているかと思いきや、彼女の不満はそこではない。彼女にとっては犯人が法廷に立とうが立つまいが関係ない。犯人たちが揃って自爆してくれたのなら何の憂いもないのだ。ただ、その死亡確認が出来ないという点が、不満、あるいは憂慮に繋がっている。
遺体は損傷が酷く、個人を判別できる状態には無いというのだ。爆風をまともに受けた後も、船が岸に流れ着くまで犯人たちは焼かれ続けたのだから無理もない話ではある。
「それで納得しろっていうの?」
ぶっきらぼうに吐き出された不満をぶつけられ、ディンゴは迷惑そうに嘆息する。
「俺に言うなよ。ありのままを話したんだ。追跡しきれなかった俺も悪いが、ゴルゴンが使えない一帯に逃げ込まれちまったんだからしょうがないだろ」
「目撃者がクリスだけっていうのも気に入らない。居るでしょ普通ちゃんと探しなさいよ」
「だから俺に言うなよ。元々エキュア街は高級住宅街だし、大使館やら領事館に優先して貸し与えられている一帯なんだ。雑踏から離れている上に、あの時は広場の祭りに人が山ほど集まってた。お前は見てないからわからないだろうが、掃いて捨てるほど居たんだぜ」
「何でわざわざ船まで用意して爆発したのよ。広場で爆発しなさいよ」
「何で俺に言うんだ! 知らねぇよ。元々旅団の連中が仲間を切り捨てる計画だったとか、逃げ切れないと判断したからとか、色々あるだろ。少しは考えろよ」
「それは事後処理屋が辻褄を合わせる為の発想よ」
「……」
「バルドゥは他人の悪意に鈍感な男じゃない。大義の為に命を捨てるような高尚な奴でもない。たかだか麻薬組織の報復の為に死んだりするとは思えない。そもそも[血盟旅団]に居ること自体不可解だわ」
「俺は処刑された男が生き返ってる方が不可解だね」
「何か『裏』が有ると思う」
「……随分と、奴を知ってるんだな」
「それは……」
一歩踏み込んできたディンゴに見据えられ、湧き上がってくる不確かな感情に戸惑い言い淀んでしまう。沈黙が訪れるよりも前に勾留室の扉がノックされ、トトが顔を覗かせてきた。
「アリシア、釈放だぜ。クリスが呼んでる」
六課にあるクリスの個室を訪れると、彼は疲労困憊といった様子で待っていた。
流石にほぼ二日も眠っておらず、徹夜明けに旅団の襲撃を受け、町中を駆け回ったのだ。彼の超人的な体力を持ってしても普段通りとは行かないだろう。座り心地の良さそうな椅子に深く腰掛け、天を仰いでいた。その傍らには同じく疲労で化粧の乗りが悪くなっているレインが控えている。
その点自分は暢気なもので、勾留室で静かに夜を明かしたものだからまだまだ体力的に余裕があった。そうした彼我の明暗に差を感じたのか、クリスは力無く此方を見やって言ってきた。
「君は余裕そうだな」
「どこかの誰かさんから休憩を貰ったからね」
顔を合わせた途端に売り言葉に買い言葉。瞬時に険悪な雰囲気が醸成されつつあったのだが、先に根を上げたのはクリスだった。
「ああ……止めよう、もうクタクタだ。手短に用件だけ伝える。一連の報告書を上げてから、君は自宅で待機だ。事実確認が済み次第連絡が行くだろう」
要するに自宅謹慎処分ということだ。事件は終わり、捜査を進める上でエギルに付随した自分の価値はもう無いと判断された。そこに思う所はない。会話のキャッチボールを無視してこちらの主張を始める。
「バルドゥがこんな形で死ぬとは思えない。死を偽装した可能性を考慮して捜査を続けるべきよ。広場に彼が直接現れたのは、きっとあたし達に自分を印象づける為だわ」
これにはクリスも参ってしまい、苛立ちすら通り越して力が抜けていく。
「君は私の証言を疑っていることに気付いているのか? 奴らは確かに船に乗ったし、その船は爆発炎上した。犯人たちは死んだんだ」
「姿を暗ませる手段ならいくらでも考えられる。あなたは最初から最後まで馬車を視界に捉えていた? もし曲がり角で数秒でも見失っていたら、バルドゥは飛び降りて姿を隠したかも。船に細工がされていたのかもしれないし――」
「話しにならない。それは君の妄想だ。バルドゥ・グスタフが生きているという突拍子もない前提に立つからそんな発想になる。いいかドナルドソン、君も寝ていないかもしれないが私も寝ていない。私はこれから課長に上げる報告書を纏めなければならないし、その後には課長と共に内務省に向う予定だ。もう勘弁してくれ。事件は終ったんだ」
辟易しているクリスに対し、更に食い下がるべく詰め寄ると横やりが入る。目の前にレインが立ち塞がってきたのだ。彼女の眼差しは害虫か何かを見る類のもので、嫌悪感と侮蔑が入り交じっていた。
「妄言を口にしている暇があるなら報告書を出しなさい。無関係な捜査や独断専行で局の足を引っ張っているのはあなたなのよ。自覚ある? 無いの? 薬のやり過ぎで脳みそが溶けちゃったのかしら? 可哀相……でもこれ以上私たちの手を患わせる真似は止してちょうだい。ついでに荷物を纏めておいたらどう? 通知が来てから私物を取りに来るのは惨めでしょ」
「――」
そんな取り付く島の無い調子で捲し立てられると、反撃の猶予も与えられずに部屋からさっさと追い出されてしまった。彼らの一言一言が棘のように突き刺さってくる上、言い返すことも出来ない。その為の担保を自分は持っていないからだ。端から見れば、子供のような言動だったかもしれない。
自分の非を認めながらも、やはり憤懣やるかたない感情は沸き起こるもので、
「ふん、何が妄言よ。何が惨めよ。ちょっと綺麗めで上司に気に入られているからって調子に乗んな。あたしの方が若いし美人だぞ」
腹に溜め込んだ悪感情の捌け口を求めて、負け犬宜しく眼を潤ませ鼻を啜りながら屋上を目指した。すぐにでも気分転換しなければ、今にもあの高慢ちきな分析官に殴りかかってしまいそうだ。ディンゴの気持ちがわかった気がする。
保安局の屋上は腰丈ほどのブロック塀に囲われていた。コンクリートの床からは排気ダクトが張り出し、塔屋に連なる位置には六つの煙突が束になって突き出ている。それ以外は特に何か有るわけでもなく、使わなくなった局の備品が隅に寄せられている程度だ。そこにダクトから吐き出される生活臭が混じり合い、どことなく退廃的な印象だった。
アリシアは先ほど受けた精神的な被害を解消する為に、足下に落ちているさび付いたバケツを蹴飛ばした。親の仇よろしく蹴り回して憂さを晴していると、バケツの底を抜いて足が嵌ってしまった。そのまま盛大すっころび、派手に尻餅をつく。
「いッ――ッッたい!」
涙目になってお尻をさすっていると、自分の惨めさに気力が萎えていくのを感じた。
思い通りにならない事だらけだ。公然と侮辱される悔しさも、それに反論できない歯がゆさも、不満の澱となって募っていく。身から出た錆だというのはわかっていても、過去をあれこれと指摘されて後ろ指指される事が好きな人間なんて居ない。
今に見ていろ――そんな恨み節を心の中で響かせた。
「よう、荒れてるな」
ここ一日でやたらと聞くようになった声がした。視線をくれてやれば、そこに居たのはやはりトトだった。
トト・フーゴ・トロン捜査官。保安局では一番大柄の男で、唯一私服姿という点から印象には残っている。それに、グールとの戦いでは警備部の筋肉マニアにも負けない膂力を見せつけてくれた。ディンゴの話しでは、聖オルゴン広場でグール殲滅の陣頭指揮に当たり、自分が示した方略でグールを片付けていったらしい。革のジャケットの隙間からは、昨日は無かった拳銃のホルスターが見えている。意外と柔軟性もあるようで、外見から窺えるの粗野で野放図な印象とは異なる性格だ。それに茶目っ気もあったりして、人なつっこい笑顔を見せてくる。わかっている事だけでも、クリスとは正反対に位置する保安局のエースだろう。まあ、ハンサムでは無い。
ぼけっとした邪念を振り払い、格好悪い姿を見せてしまった事を取り繕う。何事も無かった用に立ち上がって汚れを払うと、彼を素通りして排気ダクトに腰を降ろし「なんだ」と愛想の欠片もない返事をした。なんだお前か、そんなニュアンスだ。
「なんだとはご挨拶だな」
冷淡な扱いにも気を悪くした様子は無く、トトは鷹揚に笑みを浮かべながら肩を竦める。この機嫌の悪い時にいったい何の用なのか、彼はなおも歩み寄ってきた。少しは察しろという意味合いを込めて、煩わしさを醸しながら尋ねた。
「何か用?」
すると彼は、自分が腰掛けるダクトを指す。
「そこは俺の特等席なの」
そんな事かと小さく嘆息して「早い者勝ちよ」とだけ答えた。
横柄とまでは行かないまでも、ぞんざいな態度にトトは眉を下げて「ふぅむ」と諦めたようである。それから暫く無言の時間が流れていく。曇天の空は遅々とした歩みを続け、遠く聞こえる街の喧噪だけが耳朶を撫でる。ゆったりと怠惰な空気が漂う中、居心地の悪さを察した。
この場合は自分ではなく、傍らの男に当て嵌る。
トトは今、話題を探しているのだろう。若しくは話しの切り出しに苦慮している。それでも居座ろうとするのは、そうしたいと言う気持ちがある事の表れだ。微かな予感に基づくのなら、自分はどんと構えていれば良い。それが女の特権だし、役目だと思う。
「まぁ……あれだ。お前は色々と不満が溜ってるかもしれないが、俺は感謝してるんだ」
そう来たか、とアリシアはトトという巨漢が益々外見とは異なる面白い人間に思えた。
「やり方はどうであれ、お前が動いてくれたお陰で捜査は進展したし、奴らを追い詰める事ができた。逮捕出来なかったのは残念だけどよ。それに、会場に居た民間人の被害を抑える事ができたのは、お前が対処法を教えてくれたからだ。来賓も無事だし、旅団の計画も失敗した。お前は良くやったさ。魔術アドバイザーの面目躍如だな」
そう言えばそんな肩書きだったと与えられた設定を思い出しつつ、彼の心情を斟酌する。
慰めとも取れる彼の言葉を聞きながら別の思惟を感じ取っていた。男と女である以上、それはついて回る心の機微だ。自惚れではないが容姿には自信がある――という自惚れに気付かず、アリシアは振り返った。ほんの出来心で、稚気に興じてみたのだ。
「口説いてるの?」
口元には悪戯を企む子供のような微笑を浮かべ、上目使いで彼を見上げた。するとトトはキツネに摘まれたような顔を晒して慌てて訂正してくる。
「お、俺は、お前が落ち込んでるように見えたから元気づけてやろうとしただけだ!
それに、俺はもっとおしとやかな方が好みでね」
明らかに動揺していたが、トトはそんな風に強がりを見せて口角の端を吊り上げた。
しかしその強がりも長くは続かず「でも」という言葉でアリシアの勘に接続された。
「正直、今は食事に誘いたい気分だ――」
そう言ってトトは顔を逸らすと、タバコを咥えてオイルライターで火をつけた。
軟派な男ではないと思っていたし、実際そうは思えないのでこの誘いは意外だった。
嫌なことばかりで気分転換には丁度良いと、お遊びのつもりでちょっかいを出しただけだったのだが、意図せず大男の純情を引き出してしまったらしい。
まだ知り合って一日とちょっと。一応、同じ屋根の下で夜を共にした仲ではあるが、如何せん早すぎないだろうか。彼自身も照れているのか、自身のらしくない行動に後悔しているのか定かではないが、顔が少し赤みを帯びているように見えた。
本来は堅物であろう彼にここまでさせてしまったか、と罪悪感と優越感に浸る。
それに、でかい図体をしながら可愛い反応をする彼が面白かった。
アリシアはスクッと立ち上がると、猫のように飛びかかり火の点いたタバコを奪った。
「お、おい! なんだいきなりッ」
当惑して非難の声を上げるトトを無視して、屋上の端まで進んだ。脳の血管が萎縮する感覚を味わいながらタバコを一服してみせる。
「あたしみたいな女は、きっと年上の男からしたら辛いと思う。言うこと聞かないし、生活力無いし、社会不適合者だし。それに、お淑やかじゃないしね」
チラリと横目で彼を見てみると、きまり悪い様子で頭を掻いている。その初な少年のような態度を見せられてしまうと、なんとなく悪いことをした気分に陥り、数瞬前には思ってもいなかった事を口走った。
「でも、食事くらいなら誘われてもいいわ」
我ながら安請け合いしてしまった感が拭えず、言ったそばから逡巡していると――。
「マジかよ……? だ、だったら今日、いや今日はさすがに無理だな。週末あたりどうだ? ケットシーがオーナーのホテルで評判の良いレストランがあるみたいなんだ。なんでもセレスの料理なんかも出すらしくて、面白い所らしい」
水得た魚のように快活さを取り戻したトトに思わず苦笑してしまう。
ここまで喜ばれるとこっちまで嬉しくなるが、予想以上にぐいぐいと攻めてくる。
自分を安売りし過ぎたかもしれないが、「まあ良いか」と思わせるだけの親しみやすさがトトにはあった。それに彼ならば、いきなり部屋に連れ込まれる心配も無いだろう。
こうした浮ついた空気に浸るのは嫌いじゃない。自分を受け容れてくれる人がいると言うのは、喜ばしい事だ。だが――それは今じゃない。
アリシアは気を取り直し、釘を刺す。
「確かに今日は無理ね。事件はまだ解決していないもの」
「どういうことだ?」
場の空気が一転したことに気付き、トトの表情も訝しげなものへと変る。
「バルドゥはまだ生きている。暗闇の中で蠢いているわ」
「それはオフィスで聞いた話だが……いや、そうだな。この事件で一番鼻が利いていたのはお前だ。お前がそこまで言うなら、信じる価値が有るのかもしれない」
惚れた腫れたのフィルターを抜きにした観点からの評価は純粋に有り難い。認められれば、それだけ真実への道が開けていくからだ。
「いまこの町は、大きな事件を終えたばかりで弛緩状態にある。バルドゥは明日まで持ち越さないと考えるべきね」
「だとしたら狙いは?」
「これまで捜査の主眼は[血盟旅団]だった。それをバルドゥに移す必要がある」
その時、下界で行き交う人々の流れに滞留を起こす箇所が目についた。保安局の向かいにある建物の小路にポツンと佇む一人の男。格好は異なるが、昨日もあの場に居た男ではないだろうか。帽子を目深に被って壁に背中を預けている。彼の周囲には路上生活者が居座っているが、アレは物乞いをする格好ではない。
鋭い視線を注ぎ、動向を観察していると、視界の中に見慣れた容姿が入り込む。
ヘイリーが帰ってきたのだ。となれば、もうのんびりしては居られない。
アリシアは彼女を出迎えに行く為、吸いかけのタバコをトトに返した。
「食事の件だけど、あなたのおごりね。楽しみにしてるわ」
去り際にそう言い残しウインクのサービス付きだ。自分としては大盤振る舞いだった。
その場に残されたトトは、呆然として揺れるポニーテールが塔屋に消えるのを見送った。
返された吸いかけのタバコに目をやると、吸口に自分の物ではない歯痕が残されている。それに気付いてしまったら、何とも言えない気持ちが芽生えてくる。
あらゆる意味で、手強い女に手を出してしまったようだ。
「――ああ、くそ。食えない女だよ」