9,影の闇は白を飲み込む
そこにあるのに、気付かないうちに消えてしまうもの、そして運命。
植木の陰から出てきた影はアリスを眺め、嗤う。
「いつまでやる気だ? 俺はお前の相手をする時間が惜しいんだがな」
「……あたしがアンタに勝つまで、アンタの時間を使ってあげるわよ!」
影は白いTシャツに緑のパーカーを羽織っていた。肩のあたりで切りそろえられた黒髪がさらりと揺れる。
ただそれだけなのに、死人の顔に宿る微笑は、体が動かなくなるほどの威圧感。蛇に睨まれたような恐怖。
大仰なことは言ってみたものの、今日この時のアリスには勝算がなかった。
これで何度目とも知れぬ挑戦は、すべてアリスから持ちかけていた。
「不死身だとかなぁ? “死ね”というより、“消えろ”と言うしかないじゃないか。面倒臭い」
未だかつて、アリスは彼に勝ったことはない。
影は本当に面倒くさそうな顔をして、左手をアリスのほうへ伸ばした。
「……アリス、やっぱり君にアレは無理だよ」
帽子屋が彼女をなだめるが、彼の努力はむなしく、彼女はずっと、陰の漆黒の瞳を睨んでいた。
数秒の沈黙。
先に切り出したのは、アリスからだった。
「……〈夜よ、我の手に闇を〉」
「〈アリス、その影の闇へ〉」
これまでの闘争は、手加減していただけなのだろう。
影は一瞬でその左手に闇を宿し、アリスの足元に闇の世界を呼び込んだ。
「俺は手加減をするのに疲れたんだよ」
「――――っ!!!」
影の右手が“バイバイ”の形に振られ、アリスは闇に落ちていった。
残るは、シルクハットの帽子屋のみ。
「お前じゃあ、時間を割いてやるほどの価値は無いな」
影が闇を宿した瞳で帽子屋を見定める。
それは実際当たっていて、帽子屋はアリスにさえ勝てなかった過去を持っていた。
「やはり、お前は賢いな。無駄なプライドも持っていない」
「俺はアリスに馬鹿だと何度も言われる。おまえはそれだけ低レベルなだけだ」
言い捨てて、帽子屋はすぅ、と息を吸った。
「〈外へ〉」
公園は、影を残している。
切れかけの電灯がちらついている。
現実から切り離された空間に、影はまだ佇んでいた。
「あの子供は、お前なんかに渡しはしないさ」
まだ、現実に真実を持ち出してはいけない。