19,切れないナイフで人を切り刻むそれは快楽
WALTZの店内、相変わらずピアノの音がスピーカーから流れ出る。
外の惨劇に感情が麻痺してしまったのか、私はそれを見つめている。ただそれだけだ。
「美子、本当に大丈夫?」
心配そうな顔をして、藤野蓮は私に問いかける。そういう彼のほうが、青白い顔をしているように思うのは、肌の色が抜けるように白いせいなのか。
そして、外には怒声が飛び交っていた。
先ほど出て行った、藤道瑠璃という少女に声をかける警官、それを面倒そうに見上げる彼女。そして、血溜りに立っているのは焼けた人間。
焼けた人影を取り囲む防護壁に、大人の警官は身を隠し、焦げた人間を恐れている。
「――――! ――――ろっ! 早く!」
窓のせいで上手く聞き取れはしないが、ここから早く逃げろと歩く人々に言っているようだ。そしてそれを叫んでいた警官はこの店の中にいる人の存在に気づき、驚愕の表情を浮かべた。
「君達! 早く逃げなさい!」
蓮がそういわれたのに気づき、ふと一歩、私を連れて前に進んだ。
――――風が切られた。
私のいた場所の空気が二つに切られた。というのはもちろん目で見てわかるものではなかったが、私の背後の空気が揺らいだことに変わりはなかった。
「……何? 殺したいの、死にたいの、どっち?」
恐ろしいほどの殺気を放って蓮は言った。私の後ろにいた、殺意を持った者がたじろいだ気がする。
ふい、と殺気が消えれば、蓮は普通の高校生だ。
「何か用ですか、藤道瑞貴先輩」
振り返ると、奥のほうから出てきたであろう姿をした男がいた。バイトだろうか。そして、蓮が先輩と呼んだ。
彼は短めに切られた髪を掻き上げた。
「あれ、今、瑠璃来てなかった?」
先ほどの少女を知っている、瑞貴という男。
苗字が同じなので兄妹だろうか。
そう考えているうちに、蓮は私の手をつかんで一歩下がらせる。
「藤道さん、お願いした仕事は全部終わったの?」
「……早いわぁ」
WALTZの店内が、一瞬オフィスでのいがみ合いのような雰囲気に包まれた。おそらく唯一の男性店員は、何かしら忌み嫌われているようだ。
「……まったく、オーナーがいるときは猫かぶってるくせにね」
あきれたように瑞貴が言うと、店員たちは顔を歪めた。
瑞貴はクス、と笑い、右手に握っていたペーパーナイフに視線を落とす。
「……美子、出ようか。ここで勝つのは先輩のほうだから」
私にだけ聞こえるような声で蓮が言った。そして、店内を去る。
去り際に、「その顔、歪んでるから作り変えてあげましょうか」という男の声がしたのを、蓮は気にするそぶりもなく進む。
「君達、大丈夫だったか?」
先程の警官が訊いてきた。隣で蓮は猫をかぶって「大丈夫でした。ありがとうございます」と、爽やかな笑顔で言っている。
私と一緒にいるときは、ピエロのような笑いしかしないのに。