宇都宮は天下の小江戸
元和二年に戦国の世を制し天下を手に入れた徳川家康が亡くなり、日光山に家康の廟が建設されることになった。
その際に奉行となったのが本多正純であったという縁もあり、彼が宇都宮の城主になることが決まった。
もともとの城主は蒲生家昌であったのだが、彼の没後に跡を継いだ忠昌が十二歳という若さであったために古河に移らされ、代わりに正純が城主となった格好である。
日光に家康が祀られたことで宇都宮は将軍が日光社参をおこなうための宿泊施設となり、地域における商業発展のための重要な役どころを担うことになったということもあり、その経営はわずか十二歳の忠昌には荷が重すぎると判断されたのであろう。
その時の宇都宮の城主にはただ領地を経営するだけでなく、宇都宮という町と各地に伸びる諸街道の大幅な整備が要求されていたことが原因と考えられている。
本多正純は、父である正信が関ヶ原の合戦後に、家康が本拠として定めた大江戸の町割りを関東総奉行として行ったときのやり方をつぶさに見ていたこともあり、江戸とは比較にならないとはいえ、城下町を作り上げるということに情熱を燃やしていた。
入府するとすぐに城下の町人町を下町、上町に町割りし、整然と短期間のうちに整備した。
また、それまでは存在しなかった市街地を西側に構築する。
さらに、日光街道をバイパスにして同じ城の西側に設け、現在の川田入口から材木町を通って清住町につなぐこともした。
これによって、江戸から直接日光へ行ける街道ができたのである。
宇都宮城下全体の町割り、道路のつけかえなどの付近の整備事業は、楡木街道から佐野道路口としてつながる重要なものと位置づけられていた。
それが済むと、今度はある意味では念願でもある宇都宮城の大増築を断行した。
これまでの城郭からさらに外堀三の丸を構築し、宇都宮城をこれまでの二倍に拡張したのである。
正純は天守閣をもつ名城を築き上げ、父の築いた大江戸には及ばずとも、小江戸と呼ぶにふさわしい町を作り上げるという野心を持っていたのだ。
中央の政から解き放たれた彼は精力的に宇都宮という小さな江戸をまたたくまに完成させていく。
なんと城主となってからわずか三年で、現在の宇都宮の基礎といえる町並みを作り上げたのだ。
そこまでの仕事をなした正純の凄まじい実務能力は手放しで称賛されるべきであろう。
短期間に必要かつ十分な機能を持った新しい城と城下町をつくりあげ、そのためには利用できるものはなんでも利用し、変えるべきは変え、残すべきものは残すという柔軟な政策は齢五十をこしてもなお正純が有能であったことをうかがわせる。
こうして年号が明治に代わる数か月前に、戊辰戦争によって消え去るまで、正純の作り上げた宇都宮は長らくこの地域の中心となっていくのであった。
……元和七年の初夏において、ほぼ城以外のすべての整備は終わっていたのである。
その宇都宮の町を二人の法師が歩いていた。
城下の町は近くの村からやってきたものたちで満ち溢れ、ほんの数年前と比べても比較にならない活気に満ちていた。
道行く人も数多いから、本来ならばその法師二人組もとりたてて目立つことはなかったはずであるが、彼らが背中にかついだ大きな皮袋の異様さが人目をひいていた。
墨染めの衣と袈裟頭巾も薄汚れていて、とても僧職とは思えないということもある。
二人は堀伊賀守に叱責されたばかりの根来の法師たちであった。
名を黒歯坊と藍婆坊という。
それぞれ法華経に登場する十羅刹女―――十柱の女性の鬼神から名をとった根来寺の秘蔵の忍術僧である。
彼らは忍術を駆使する忍びであるが、彼らの同胞である根来同心たちが鉄砲方としてすでに宇都宮の町に配属されていることから、あまり目立たないという事情もあった。
ただし、彼らを見る人々の眼は厳しい。
まるで厄介者を眺めるような冷たさだった。
「なんじゃ、この町の者共。拙僧らを蛇蝎のように眺めおって。気に障るぞ。もしや、拙僧たちが忍びとしてここに送られてきたことを知っておるのか」
「そんな馬鹿なことはあるまい。おれたちはここに初めて来たのだ。おそらく、先行している阿含坊どもが勝手気ままにふるまっておるのだろう。徳川に召し抱えられたといっても、結局はやつらも根来の僧兵よ。借りてきた猫のようにはいかぬだろうさ」
「なるほど。それならわかる」
「……そうじゃ、藍婆坊。いいことを思いついたぞ」
「なんだ、黒歯坊」
「今、名を挙げた阿含坊に上野介を失脚させるための材料を提供させるとしよう。なんといってもおれたちより二年も早くここに来ているのだ。わざわざ、おれたちが胡乱な個所を見つけ出すよりもきっと早く済むにちがいないぞ」
「なるほど、知恵がよく回るな、黒歯坊は」
二人の法師は互いの顔を見て、にやりと笑った。
新しく不慣れな町での探索行をしなければならないとややだれていたところであったから、なおさらだ。
この楽のできそうな思い付きに食らいついた。
「堀どのの言う、上野介を失脚させる材料を見つけろなどという面倒事には、最初から気乗りはしなかったのだ」
「そうだ。拙僧たちは根来の忍術僧なのだ。いくさこそが本懐だというのに、あの小物に従わねばならぬというのが甚だ気分が悪いわ」
「まったくだ。……では、この地にいる阿含坊のところに向かうとするか」
「そうじゃな」
会話を終えると、二人の法師は歩き出した。
忍びの移動速度ならば、すぐにでも城下町の一角にある根来同心の住処まで赴くことができたが、さすがに昼の真っただ中では人目につくかもしれない。
余人の振りをするのはいささか面倒ではあったが、一黙坊の狙撃が失敗した昨日は今日だ。
目立つことは極力避けた方がいい。
獰猛な癖に小狡く頭が働く二人の法師は物見遊山の旅の僧侶のように町を練り歩き始めた。
彼らを遠くから見つめる視線に気づくこともなく。
◇◆◇
宇都宮城の西の外れ、新しい武家屋敷地区の一区画に、およそ百人の根来同心たちの町があった。
町といっても、いくつかの長屋があるだけで、今でいう団地のようなものである。
本多家の人手不足の解消策として幕府から派遣された根来同心たちは、ほとんどが男所帯ではあったが、わずかに妻子を連れてきているものもおり、そのために正純が用意した仮宿であった。
ゆえに他の家臣団との待遇の差が感じられるということも、根来同心たちが正純に反発していた原因の一つである。
ただし、それはあくまで表向きのことだ。
根来同心たちの本当の目的は、伊賀守のもとにいる七人の忍術僧とは異なり、本多正純を監視するために幕府から派遣された間諜であった。
家臣の中の獅子身中の虫として。
心の底から忠義を尽くす気は毛頭なかったのである。
そのせいもあってか、根来同心たちは城内を勝手気ままにのさばり、城主の正純でさえも「成り上がりのにわか大名」と蔑むようになっていたのだ。
正純は根来同心が江戸城においては鉄砲方として警備役についていることから、本丸の城の狭間(城の櫓、塀などに設けた矢や鉄砲を打ち出す窓)の工事を監督させたのだが、これに対しても反発した。
「我らは公儀からお預けになっているのであり、本多家の私用に使うことはできないはずだ」と抗議したのである。
それに対して正純は「城の狭間を作るのは軍役であり、本多家の私用ではない。ゆえに根来同心が引き受けても差し支えない。また本丸の工事は将軍家をお迎えするためのものである。ゆえに問題ではない」として聞き入れなかった。
根来同心が本多家の家臣として配属されている以上、正純の言い分が正しいのだが、正否はすでに関係がなくなっていた。
ただ単に両者の関係が険悪になっただけである。
こういったこともあってか、根来同心たちの中には昼から酒を飲んで仕事を放棄する者たちが多く出始め、明るいうちから町で騒ぎを起こすようになり、城下町の整備をしていた正勝を悩ますようになっていた。
……阿含坊という根来同心も同様であった。
根来同心の中でも中心人物であり、首魁であると目されているというのに登城もせずに昼から酒をあおり、したたかに酔っていた。
熟柿くさい息を吐きながら、町中をおぼつかない足取りで練り歩く。
たまに町人に嫌な顔をされると、
「貴様ら、根来衆に対してそのような目つきをして許されると思っておるのかぁっ」
と喚き散らす。
まさしく厄介者であった。
そんな阿含坊を見つけたのは黒歯坊であった。
「おい、阿含坊」
不躾に名前で呼び止められ、阿含坊は振り返った。
そこに懐かしい同胞を見つけ、顔をほころばす。
「おお、おぬしら!」
酔っぱらった頭に浮かぶ幻覚かとも思ったが、近寄って肩を叩いてみると、確かに実体があった。
間違いなく本物だ。
幽霊でもない。
「久しぶりだなあ、どうした、こんな陰気な町にまで。いつ、宇都宮に来たのだ」
実際はかなりの活気に溢れているのだが、城主との諍いが絶えない根来同心からすれば、そう見えるのだろう。
赤ら顔で近寄ってきた同胞に苦い笑みで、
「おれたちは根来の忍びだぞ。それだけで察せるであろう」
「―――お、おう。藍婆坊」
眼前の同胞たちが、自分とは違い、根来寺の間諜も務める忍びであることを思い出し、周囲をキョロキョロと見渡す。
誰にも聞かれてはいないか確認したのだ。
そんな阿含坊を咎めもせずに、
「気にしなくていい。宇都宮藩士に聞かれたとしてもたいした問題ではない」
「悪いな」
「それよりも阿含坊、うぬに聞きたいことがある」
そういうと藍婆坊は用件を切り出した。
本多家に忍びの彼らが探れるようなネタがあるかどうかということをだ。
阿含坊も最初は戸惑ったが、自分たちが正純の監視に来た身分であることを思い出し、身内の忍びが似たような任務を帯びていることを瞬時に理解すると、阿含坊は頭をひねって考え込んだ。
酒で澱んでいても、その程度の頭は働く。
すぐに、一つ二つ思いついた。
「蓮池堀にマキビシが撒かれた。おそらく、忍び除けだろう」
「いつだ?」
「昨日だな」
「それは拙僧らへの対策であろうな」
「十中八九。……だが、それは構わん。たかだかマキビシに邪魔されるおれたちではない。他にはないか、阿含坊」
もう一度首をひねる。
それから、ぽんと手を叩く。
「あったわ」
「なんだ」
「三の丸の蔵に荷物が運び込まれた。漆喰固めのやたら頑丈な蔵だ」
「……ほお」
「酒を飲んだ人足どもの話によると、細長い木箱を大量に運びこんだらしい。それを聞いてわしらはピンときた。鉄砲だと、な」
「鉄砲だと?」
「おおよ。わしらは根来同心、天下の鉄砲方よ。鉄砲の扱いに関しては、なにものにも負けぬわ。そのわしらの勘が働いたのだ」
阿含坊はその時に働いた人足の数をだいたい把握していたらしく、その数から割り出された木箱の数はおよそ三百以上だと予想していた。
三百挺の鉄砲。
戦国でもない今の時代には多すぎる武器の数だ。
二人の忍術僧はそこに目を付けた。
「よし、その―――武器蔵を探ってみるか。行くぞ藍婆坊」
「待て、黒歯坊。拙僧は堀に撒かれたというマキビシを調べてみる。拙僧たちにとっては無意味とはいっても、どれだけの範囲、どれほどの量が撒かれたかは知っておきたい。今後の探りの障害になるやも知れぬからな」
「一理あるな。それはおぬしの意見に従うとするか。では、阿含坊、おれたちは行く。この話は他言無用で頼むぞ」
「……わかった」
そう言い放つと、二人の法師は鷹揚に阿含坊のもとを去っていった。
額に触るとわずかに汗をかいている。
この汗は黒歯坊たちとの接触によって生じたものだろう。
いかに同じ寺出身の同胞とはいえ、ただの鉄砲方の同心と忍びでは存在に違いがある。
まして、あの七人は……。
阿含坊は酔いが醒めてしまったように感じた。
黒歯坊たち七人のもつ鉄砲の魔人とも呼べる技のさえを思い出したからだ。
「あの忍術射撃をまともに使えば、上野介とて容易く仕留められるだろうに。さて、奴らにしては胡乱なことをしておるな」
と、柄にもなく気を使った感慨を漏らした。