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根来七忍

「貴様らはなにをやっているのだ!」

 自分の前にずらりと並んだ墨染めの衣をまとった、総髪の僧形に怒鳴り散らしたのは、四十絡みの初老の武士であった。

 ただし、腹がでて十分に肥えているうえ、背が低いので、なんとも迫力には欠けている。

 本人としては必死に叱責しているつもりなのだが、されている方からすると恐ろしさなどまったく感じられない。

 武士の名は堀伊賀守利重ほりいがのかみとししげ

 かつては八千石の所領を有していたが、それをとりあげられ、今では古河の奥平家にお預けになっている男である。

 その預けられた先で堀伊賀守に与えられた屋敷の庭で、今、彼は七人の僧形の男たちの前に立っていた。

 男たちは片膝を立てて、いかにも従っていますという態をとってはいるものの、その全身から立ち上る雰囲気は明らかに憮然としてふて腐れていますという態度がありありとでていた。

 叱責されていることに対して申し訳ないなどとは欠片も思っていないのだ。

 それが明白に感じ取れるからこそ、堀伊賀守はさらに火に油を注がれたように真っ赤になっているのだが、男たちは気にも留めない。

 むしろ、積極的に口答えをし始めた。

「何を、と申されましても……」

「拙僧たちは江戸にて土井さまに与えられた使命を果たそうとしているだけでして……」

「それを伊賀守さまがならぬとおっしゃられておられるだけでありましてな……」

「なんとも応えようがないといった具合ですかな」

 口々に獣的な薄ら笑いを浮かべながら、まったくもって自分たちが悪いとは思っていなさそうな不平を言う。

 僧形の男たちは七人いた。

 姿だけを見れば、まぎれもなく法師だ。

 だが、どれもこれも御仏に仕える僧侶とは思えぬ下卑た笑みを携えている。

 それだけではない。

 全員が清廉さのない赤く濁った瞳を持ち、獣の中でも最低の人食いのような獰猛な空気を漂わせているのだ。

 この男たちのことを、まとっている僧服以外で坊主と呼ぶものはおそらくいまい。

 腰に佩いている直刃の刀がなくとも誰もがそう思うだろう。

「口答えをするな!」

 堀伊賀守がさらに声を荒立てても、法師たちの薄ら笑いは消え失せることはない。

 それどころかさらに酷くなった。

 自分たちよりも立場が上の武士を完全に舐めきっているのだ。

「そうは申されても、堀伊賀守さま。お忘れかもしれませぬが、拙僧らはそもそもあなたさまの配下ではござらぬ」

「その通りじゃ。わざわざ紀州の根来寺より呼び出されて、江戸で密命を帯びてここに派遣されたのであって、もとの主は老中土井大炊頭さまである。伊賀守さまはそもそも拙僧らの監督と手助けを依頼されただけであって、我らに命を下す立場ではござらぬ」

「であるから、今回のことについて伊賀守さまにとやかく言われる筋合いはないはずでございますが……」

 法師たちはなおもふてぶてしい態度で言い放つ。

 要するに、「あんたの命令なんか聞く気はない」といいたいだけなのだ。

 わかってはいるが、もともと八千石の殿様であった堀伊賀守にとってはこの態度は心底気に障った。

 この法師たちの公的な立場は同心である。

 徳川家直参の足軽の総称であり、御家人身分でしかない。

 それがもともと直参旗本である彼をここまで蔑ろにしていい道理はない。

 だが、堀伊賀守がいくら腹を立ててもこの法師どもを手打ちにすることはできない。

 そもそも老中土井大炊頭から使命を受けてこの地に派遣された者どもということもあったが、現実問題として、堀伊賀守程度の腕前ではどんな手を使っても殺すことはできない相手だからである。

 ゆえに彼は切り口を変えることにした。

 伊賀守は粘着質な性格で執念深い自分の性格を最大限に発揮することにしたのである。

「―――ふん、偉そうな口を叩きおって。それで、その根来寺ご自慢の万夫不当の忍術僧の一人が、みじめに腕を切られて這う這うの体で逃げ延びたことについてどう申し開きをするつもりなのだ」

 そのことを言われると、法師どもはさすがに口を閉ざした。

 なかでも一人、端に座り、片手を衣の袂に隠している法師がぐぐぐと歯を食いしばった。

 彼のことについてあてこすられたからである。

「ええ、一黙坊いちもくぼう上野介こうずけのすけの護衛の忍びに腕一本くれてやったおぬしなら、きちんと答えられるであろう。さて、どうだ?」

 今まで受けた嘲りをさらに何倍にして返そうと、堀伊賀守は残酷に訊ねた。

 彼は知っていた。

 一黙坊という男が、つい昨日、片手を喪って帰ってきたことを。

 それは堀伊賀守の指示を聞かずに一黙坊が先走った結果であることも。

「……わしの指示を聞かず、宇都宮まで上野介を狙撃しに行き見事にしくじって帰ってきたものがいるというのに、まだ粋がることができるのか、おい根来の坊主ども」

 なぶるような物言いだった。

 蔑んでいた武士に逆に侮られる屈辱が今度は法師たちを焼いた。

 だが効果的な反論はできない。

 開陳されている話は事実に他ならないのだから。

「そもそも土井さまからの任務は、本多上野介を失脚させるための材料を拾ってこいというだけのものであるのに、功にはやって狙撃に走るという短絡さがわしにはわからんよ。紀州の田舎者にとっては当然の発想なのかもしれんがな。それとも、そんなにも根来寺の再建が欲しいのか、ううん?」

「……伊賀守さま」

「それで得たもの―――いや失ったのは毛深い腕一本か。思った以上に、高くついた買い物だのお」

 男たちは言葉もない。

 確かに、確かに、その通りだからだ。

「貴様らが相手にしているのは、戦国を生き延びた恐るべき策略家本多正純なのだということを忘れおって。なんでも力任せの田舎の忍びでは相手にならんわ」

「ぐぐぐぐ」

 法師たちを貶めるために、憎んでも飽き足らない相手を持ち上げることも伊賀守には苦でもなかった。

 彼は基本的に陰湿な男なのだ。

「……よいな、多少の時間はかかってもいい。すでに今更であるからな。いいか、貴様らの仕事はあの上野介をぐうの音もでぬほどに追い詰めるための材料を集めることだ。そのために土井さまは貴様ら根来同心をあの宇都宮城に送り込んだのだぞ。わかったら、さっさと上野介を失脚させい」

 それだけを言うと、堀伊賀守は自分の与えられた屋敷に戻っていった。

 七人の僧形を残して。

 だが、次の瞬間には僧形の男たちは天へか地へか、いずこかへと姿を消していた。

 まるで初めから何もいなかったかのように。

 ほんのかすかな血と硝煙の臭いを残して。


 ……彼ら七人は、紀州藩の中にある根来寺から来た、一言でいえば僧兵あがりである。

 日本中の大寺大社に巣食っていた乱暴者ぞろいの中でも、あの第六天魔王織田信長でさえてこずらせたという意味で、根来寺の僧兵は有名である。

 その強さの秘訣は、まず近辺の土豪を統率し、整然とした内部組織を作り上げることで武士の軍団と同等の力を持っていたことにある。

 次に、天文年間に種子島に伝来した鉄砲に目を付け、製法・射法の技術を自家薬籠中の物にしたことにある。

 近代兵器を操る獰猛で組織だった僧兵たちは戦国の世でひと暴れしたのだ。

 そして、最後にいつからか根来寺の僧兵たちの中には、忍術に秀でたものたちが影から僧兵たちを支えるようになっていたのである。

 ただの忍びとは異なり、伊賀や甲賀のものたちさえも瞠目するような奇怪な術さえも操る忍びの群れが根来衆の裏で暗躍し、戦国武将たちを翻弄し続けたのである。

 天正十三年に豊臣秀吉の軍勢に屈するまで、根来衆はその威を誇り続けた。

 そして、滅亡後は徳川家康によって召し抱えられ、僧兵たちは「根来同心」として江戸城諸門の警備、忍術に長けたものは忍びとしてそれぞれ任についたという。

 根来同心はもとが僧兵なので髷を結わず、髪をぼうぼうに伸ばした総髪という異形をしていたが、それだけはどちらも変わらなかった。

 そして、堀伊賀守と密談していたのは根来の本山から送られた精鋭の忍術僧たちであり、この任務を見事達成した暁には秀吉に焼かれた根来寺を紀伊の領主徳川頼宣に頼んで再建してもらうという約束を、老中土井大炊頭から頂戴していたのである。

 つまりは宗派の悲願を叶えるために、七人の忍術僧ははるか宇都宮までやってきたというわけなのだ。

 もちろん忍術とそれに付随した武力には自信満々の法師たちであった。

 ゆえにこの任務もたやすくなしとげることができると過信していた。


 だが、だからこそ、この新城下町普請にわく宇都宮において、自分たちがとある剣士と血風渦巻く死闘を繰り広げることになるとは、彼らとて想像もしていなかったのである……。



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