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無厭坊殺し

 一行からこっそりと抜け出した根来の忍術僧は、ごく自然に宇都宮の城内を進んでいく。

 明日には将軍家が宿泊するということから警戒も普段よりも厳重な中を、見慣れない顔であるにもかかわらず、勝手知ったる我が家のように歩む。

 すれ違う人々は一切怪しむそぶりすらみせなかった。

 それは忍びの術の力である。

 歩き方、視線の向け方、表情の選び方、すべてをその地域で生まれ育ったもののように自然な形に作り上げることで、まるで元々の出身であり、いつもいるもののように錯覚させる技術。

 あとをつけていた又右衛門が感嘆の吐息を漏らすほどに、徹底した術のさえだった。

 高度に洗練された、忍びとしての韜晦の術の中でも究極と言っていい隠形であった。

 あれならば例え江戸城の中に潜り込んだとしても、やすやすと中枢にまでたどり着けるだろう。

 法師姿の時はいかにも野生のけだものじみた男たちであったというのに、見た目さえとりつくろえば超一流の忍びの術者の顔を見せるというところが意外だった。

 あまりにも完璧なる振る舞いに、又右衛門はかつてない慎重な尾行をせざるをえなかった。

 これまでの戦いは、ある意味では剣士対鉄砲使いという形ばかりが先に立つ印象であったが、今回は忍びと忍びの術比べの様相を呈してきたからである。

 忍術僧―――無厭坊むえんぼうであったが―――は、ほぼまっすぐに根来同心たちの住む一画に向かい、彼らの住む長屋に踏み込んでいった。

 数か月前に、正純による仕置きがあった場所である。

 もっとも、あの時の惨状はどこにも残ってはいなかった。

 方角から予想していたとはいえ、無厭足坊が簡単に根来同心たちと接触したということが又右衛門には不思議であった。

 本丸の普請が終わってから、首魁四名を斬首されたことに抗議するかのように、長屋から出てこようとしない根来同心たちはほとんど自主的な謹慎状態にあった。

 つまり、今回の将軍家の日光参詣のための何の仕事も与えられていないのだ。

 又右衛門と桐以外にも、藩士たちによる監視を常時受けているということもあり、忍術僧たちもおいそれと近づくことはできなかったはずだ。

 何かをするためには、準備不足ともいえる。

 では、無厭坊はなんのために再び同胞と接触しようとしているのか。

 又右衛門は天井裏から忍び込み、様子を覗き見たい欲求に駆られたがあえて我慢した。

 真っ昼間、しかも明日は大事な日であることから通行人も多い。

 人目につきすぎる。

 それに、無厭坊が見張りや盗み聞きを警戒していないはずがない。

 臍を噛む思いで堪えた。

 しばらくすると、何事もなかったかのように無厭坊が姿を現した。

 長屋の裏側にある細道を抜けて、どこへともなく歩いていく。

 さすがに行き先はわからない。

 例の宗矩の一行に合流するつもりではないようだ。

 しばらく尾行すると、ほとんど人気のない資材置き場に辿り着いた。

 何をするつもりなのか、と訝しんでいると、

「でてこい、荒木!」

 無厭坊は振り向き吠えた。

 手には漏斗のように膨らんだ変形の種子島銃を構えている。

 すでに火種はつけられていた。

「貴様がいることは先刻お見通しよ」

「……さすがであるな、根来の売僧」

 物陰に隠れながら、又右衛門は答える。

 根来の忍術射撃相手に隠れるというのはあまり得策でないことはわかっている。

 だが、又右衛門はまだ無厭坊の使う忍術射撃がどのようなものであるか知らない。

 もう一人の生き残りの藍婆坊らんばぼうの「大威徳撃ち」については見知っていたが、こちらはまだわかっていない。

 警戒するのも当然と言えた。

 最初に始末した黒歯坊の「降三世撃ち」のような曲芸でなければ大丈夫だとたかをくくってもいた。

「拙僧が動けば、貴様は必ずついてくると思っていたわ」

「……ほお、おれも目をかけられたものだな」

「貴様には同胞を五人も殺められた。その借りは返さねばならん」

 正確には多髪坊を斃したのは桐と正勝であったのだが、そのあたりの事情を忍術僧たちは突き止められなかったのだろう。

 すでに宇都宮藩の藩士たちは、彼らの暗躍を知って警戒を強めていたからだ。

「それで、おれと戦おうというのか? お得意の忍術射撃で?」

「確かにそうしたいのはやまやまなのだがな。今の拙僧がしなければならぬ仕事は違う」

「……なんだと?」

 無厭坊は勝ち誇ったように口角を吊り上げた。

 いや、実際のところ、彼は勝利を確信していたのだ。

「拙僧が動けば貴様がついてくる。この城において、もっとも厄介な荒木又右衛門がな。

 ―――拙僧の役割はその厄介者を釣りだすことにあったのよ」

 又右衛門の明敏な頭脳が何かに叩かれたような衝撃を受けた。

 彼を釣りだす? 何のために?

 だが、すぐに答えは出ない。

 ここまでの無厭坊の動きが計算された策略の一端であったというのならば、わずかな全容を解明できるはずはない。

「なんのことだ、売僧?」

「聞こえてこぬか、人の声が。いや、正確にいうのならばそれに引かれて集まる住人どもの動きが」

「なんだと……」

 耳を澄ましてみると、さきほどまで又右衛門たちがいた方角―――根来同心たちの長屋があったあたりが何やら騒がしい。

 誰かが、いや、大勢の人間たち大声で何かを叫んでいるようだった。

 忍びの人並み外れた聴力でも聞き取れないが、わずかに人の気配がそこに集中し始めているようでもある。

「くくく、あれはな、拙僧たちの同胞である根来衆が連れ立って辻立ちをはじめた証よ」

「辻立ちだと?」

「そうだ。説法の内容は、上野介の謀反の証しよ。……今頃は、城内すべてのものどもにふれまわる勢いで熱く説いておるだろうさ」

 又右衛門はぎゅっと刀の柄を握った。

 そんなものを放置しておいては、正純への領民たちへの不信が天井知らずに膨れ上がる。

 根来衆は腐っても直参の御家人。

 ただの無法者とは違うのだ。

 すぐにでもとめなければならない。

 慌てて物陰からでようとしたところへ、無厭足の漏斗状の銃口をもった種子島が向けられる。

「隠形が破れておるぞ、荒木。……いま、焦ったな。焦りが忍びの術を崩したようだな。荒木又右衛門、敗れたりだ」

「ぬかせ」

 上野介の危機に思わず言われた通りに焦ってしまったのは失敗だったが、罵ったとしても、居場所を突き止められた以上、すぐには動けない。

 完全に巣に閉じ込められた穴熊だ。

 どうするべきかと思案しても、焦りからか妙案は何も出てこない。

 そのとき、

「貴様、そこでなにをしている!」

「鉄砲をもっておるぞ」

「しかも、火種をつけている! 貴様、本殿の台所以外では火気厳禁のお達しを破り、しかも鉄砲を構えてなにをしているのだ!」

 二人の会話を聞きつけたのか、三人の宇都宮藩士がやってきた。

 見回りをしていたからか、手には槍を握っている。

 又右衛門にも見覚えのあるものたちであった。

 さすがに鉄砲をもったものを見逃すはずがない。

「なんじゃ、邪魔をするな」

「怪しいやつめ!」

 無厭坊の関心がそちらに向く。

 しかし、銃口は又右衛門に向いたままだ。

「おまえたち、下がれ! その坊主は危険だ!」

 又右衛門が叫ぶと、一人が隠れていた彼を見つけた。

「おや、荒木殿。そんなところでなにを!」

「そんなことはどうでもいい! その売僧に近づくな! 撃ってくるぞ!」

「まさか!」

 又右衛門は警告した。

 普通ならば真っ昼間にこんな城の中で銃を撃つ馬鹿はいない。

 だが、根来の忍びは普通ではない。

 しかも、騒ぎを起こしたい側の人間だ。

 そして、又右衛門の想像は的中する。

「邪魔をするな、下郎め!」

 無厭坊は躊躇なく引き金を引いた。

 喇叭口から弾丸が飛び出す。

 一発だけではなく、放射状に広がる多人数を殺傷するための弾丸の雨が。

 銃声が一つしたと同時に、三人の藩士が吹き飛んだ。

 何段にも構えられた鉄砲の列がある訳でもないのに。

 無厭坊の鉄砲は、普通なら一発しかこめられない弾丸を何発も同時に撃つことで一度に数人を狙い打ちすることができる。

 彼の腕をもってすれば、たった一度の射撃で五人までを殺せることは証明されている。

 又右衛門は初めて無厭坊の忍術射撃を目撃したのだ。

 同時に抜刀し、走り出す。

 弾込めの瞬間を襲うことこそ、忍術射撃への最大の対抗策だということは骨身に沁みていたからだ。

 忍びならではの体術を用い、一足飛びに懐に潜り込む。

 だが、無厭坊とて一流のつわものである。

 愛用の銃はもう使えないとわかったら、腰に佩いた刀で迎え撃つことにした。

 火花散らす二本の刀。

 もっとも斬撃の強さにおいて、突進してきたことで加速力のついた大男の又右衛門の方に分がある。

 忍術僧は後方に吹き飛び、転びこそはしなかったがたたらを踏む。

 隙を見逃す又右衛門ではない。

 すかさず刀を地摺りで跳ね上げた。

 土井家の武士の格好をしているせいで馴れない袴をはいていた無厭坊は太ももを切り裂かれる。

「ぐっっ!」

 痛みを堪えてマキビシを放った。

 又右衛門は刀を引いて撃ち落とす。

 おかげで追撃が遅れる。

 その一瞬をついて、今度は無厭坊が仕掛けた。

 傷ついた足を軸にしたため、切断面から血が吹き上がるが気にしない。

 この本多の忍びだけは殺さねば仲間が成仏できぬと、彼は命を賭けていたのだ。

 突き出された刀の切っ先が胴体に伸びる。

 人を確実に殺したければ刃物で刺すのが一番だ。

 元禄時代の松の廊下で浅野内匠頭が刃傷沙汰を起こしたときに、「士道不覚悟」と言われたのは脇差をもって斬りつけたからである。本当に吉良上野介を殺したかったのならば刺すべきだったのに、それをしなかったことが武士にあるまじき振る舞いと言われたのだった。

 無厭坊は速度という面もあり、確実に仕留めるために刺突を選んだのだ。

 だが、刃の間合いにおいて剣士に勝るものはいない。

 又右衛門は柄を握りしめたまま、肘を落とした。

 肘がぶつかったことで直刀の峰がわずかにずれる。

 おかげで切っ先は又右衛門が着こんでいた鎖襦袢に引っかかり、傷一つつけられなかった。

 又右衛門が逆に突き飛ばす。

 無厭坊はまたも姿勢を崩した。

 長年、鉄砲で戦ってきたせいか接近戦は不得手なのだ。

 しかも、七人の仲間との共同作業が基本であったためか、虎の子の鉄砲を使い切ってしまうと途端に脆くなる。

 そして、そのような戦いばかりをしてきたツケを支払う時が来た。

 怒涛のごとく振り下ろされた一刀が袈裟懸けに無厭坊を叩き切ったのだ。

 食らった瞬間に致命傷とわかるほどに深く、刃は肉を裂き、内臓を撒き散らす。

「さすがは荒木」

 無厭坊はかかと笑った。

 自分の命が尽きたことを悟って開き直ったのだ。

 しかし、それだけでは終わらなかった。

 無厭坊は吐いた。

 自分たちが勝利したことを。

「だが、拙僧たちの勝ちだ。上野介はもう終わりだからな」

 それは負け惜しみではなく、無厭坊の心底からの言葉だった。

 今頃、打ち合わせをした通りに根来同心たちは連れ立って上野介への糾弾を行いながら、土井利勝の家臣団に合流しているはずだ。

 陪臣とはいえ家臣に公然と裏切られ、しかも政敵の土井陣営に逃げ込まれたとあっては本多正純の名声は地に落ちるだろう。

 そのうえで根来同心の成敗を罪として告発させるのだ。

 それで本多正純は終わる。

 だからこそ、無厭坊は自らが囮となって又右衛門を引きつけたのである。

「まだだ。貴様らの好きにさせてなるものか」

 吐き捨てるように呟くと、又右衛門は走り出した。

 根来同心を一人残らず斬り捨てようと決意して。

 そうすればすべてが片付くのではないかと期待して。

 又右衛門の頭にはもう正純を救うことしかなかった。

 飛燕のように宇都宮城の中を彼は走った。

 人ごみがあった。

 あの向こうに、正純を糾弾し、讒言を続ける連中がいるはずだ。

 刀の柄を鷲掴みにする。

 鷲掴みは力の入らない握りなので、まっとうな剣士ならしないのだが、もう気にはならなかった。

 なんとしてでも一人残らず叩き切る。

 何人も連なる町民たちの上を飛び越えようと膝をたわめた時、横合いから声が掛かった。

「荒木」

 聞き覚えのある声であった。

 柳生の正木坂道場でごく短期間だが教えをこい、江戸の道場でも何度も掛けてもらった声だった。

 慌てて振り向くと、そこに兄弟子たちを従えた師匠が立っていた。

「宗矩さま……」

 師に対する礼を尽くそうと膝をついた。

 だが、心は逸っている。

 一刻も早く根来衆を成敗せねばならないと。

「……どこに行く気だ、荒木よ。おまえの師であるわしに挨拶もせぬで」

「申し訳ありませぬ。しかし……拙者は……」

「わかっておる。おまえがしようとしていることは。だが、ならぬ」

 はっと顔を上げた。

 厳しい目つきで自分を見つめる師を又右衛門は凝視した。

「あのものたちは、我が柳生が土井さまのところへ連れていく手筈になっておる。おまえが手をだすことはまかりならん」

「まさか……宗矩さまが……」

「そうだ。これは我らがお上より承った命よ。おまえも柳生に連なるものであるのならば、わしのために尽くせ」

 又右衛門は絶望しそうになった。

 薄々勘付いてはいた。

 わかりかけてもいた。

 自分が手ごまであるということを。

 しかし、認めたくはなかった。

 本多正純という敬愛する潔癖で誇り高い人物を守りたかったからだ。

「今……あやつらを斬らなければ……」

「斬ってどうなる? よく考えよ。例えおまえが乱心したことにして、根来衆を消したとしても宇都宮城での不始末は結局のところ、正純殿の行きつくことになる。むしろ、詮議すらされずに罪に問われることになるだろう。だから、おまえがしようとしていることは無駄でしかない」

「……しかし……このままでは……」

「正純殿はどのみち終わる。あの生臭どもの所業などただの嚆矢にすぎん」

「……どういう意味でしょうか?」

 一切の疑問に応えぬまま、柳生宗矩は弟子に命じた。

「荒木、斬ってはならぬ。これは師匠であるわしからの命だ。これを破ればおまえと一族郎党は破門だ」

 又右衛門は沈黙した。

 彼の生家どころか、養家でさえ、奈良の柳生の庄で生きている。

 そこの領主である宗矩に彼が逆らえば、一族郎党が露頭に迷うことになる。

 そんなことはできない。

 例え、正純を守るためとはいえ、家族や多くの親類を巻き込むことはできないのだ。

「……承り……ました」

 額までこすりつけんばかりに又右衛門は平伏した。 

 離れたところで、

「上野介正純に叛意あり! 天下の大罪人、ここにあり!」

 と、怒鳴り散らす大音声から耳を塞ぎながら……。




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