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桐の戦い

「ぐぬぬぬ、あのときの女忍びか……」

 多髪坊は、桐の美貌に見覚えがあった。

 堀伊賀守利重の屋敷に連れ込んだ女忍びだった。

 あのとき、四人が亀姫に従ったおかげで一人残った一黙坊を失うことになった苦い記憶が甦る。

 翌日になっても、亀姫の屋形にやってこない仲間を心配して戻った彼らが見たものは、無残に殺害された一黙坊の死骸と、離れの小屋の壁に血で記された、

『あと四人』

 の文字であった。

 捕らえておいた女忍びも大工も、人質にした小娘さえも姿がなく、何者かによって連れ去られたのは明らかであった。

 何者か?

 そんなものは一人しかいないに決まっている!

 彼らの仲間を二人まで斬り殺した荒木又右衛門という伊賀ものの仕業だ。

 血の復讐を誓った彼らは、すぐにでも報復に動きたいのを我慢して時間をかけて本多正純失脚の準備を整え、ようやくそれが叶おうとしていた。

 その矢先に、右足首を奪われたのである。

 たかが女に。

 多髪坊の怒りは頂点に達しようとしていた。

「ふざけるなよ、女!」

 銛の付いた改造種子島の銃口を向けるが、盾となる仕寄りのせいで桐にまで届きそうにない。

 しかも、同じ屋根の上で距離が近いため、「軍荼利撃ち」による銛の操作はできない。

「軍荼利撃ち」は発射した銛についている縄で微妙な操作をする必要があるため、あまりに近いと効果が生じないのだ。

 かなり至近距離からでも狙える黒歯坊の「降三世撃ち」と比べると、威力で勝る分、緻密さでは劣るのである。

 片足の自由を奪われ、忍術射撃を封じられた多髪坊は簡単に窮地に陥った。

 一方の桐は、陰から正勝を護衛していたときに、たまたま外から「軍荼利撃ち」によって阿含坊を殺害した多髪坊の手管をみていたことから、およその弱点を見抜いていた。

 確かに根来七忍の忍術射撃は魔技であるが、鉄砲という強力ではあるが射線で限定され、弾込めが必要な武器にこだわりすぎていて応用が利かない。

 一度見てしまえば、対策を練るのは容易である。

 特に桐は又右衛門とともに鉄砲について調べつくしていたので、その長所も短所もわかりきっていた。

 だからこそ、急いで竹製の仕寄りを屋根の上に持ち込んだのだ。

「うるさい」

 桐は手にした女の髪を結って作られた糸を引いた。

 まだその先端は多髪坊の足に結びついていたので、ちぎれかけた傷に尋常ではない痛みが走る。

「ぐぎゃあああ!」

 さすがの忍術僧も、傷口をさらに抉られれば悲鳴を発せざるを得ない。

「藩士、お成り御殿の上にいるあの法師をひっとらえろ! 根来同心の姿を偽った、他藩の諜者である!」

 庭に正勝の声が響き渡る。

 その声に釣られるようにわらわらと宇都宮藩の武士たちが顔を出す。

 手に手に、刀や槍を抱えていた。

 このままいけば、すぐにお成り御殿の周囲は包囲されるであろう。

 多髪坊は痛みを堪えるためもあり、歯ぎしりをした。

 阿含坊の口を封じたらすぐにでも逃げるべきであった。

 欲をかいたせいで絶体絶命の危機に追い詰められてしまったのだ。

「観念しろ」

 冷静に桐が宣告する。

 だが、しかし、多髪坊はそんなに簡単に諦めるほど潔い男ではなかった。

 正勝たちのいる本丸の庭ではなく、お成り御殿備え付けの庭へと命がけで飛び降りた。

 着地を考えた跳躍ではなく、身体を大の字に広げ、まるでムササビのように。

 その際に宙で糸を短刀で切るという離れ業を演じながら。

 逃げ出そうとすることは予想していたが、そこまで大胆な跳び方をするとは思っていなかった桐は一瞬だけ遅れる。

 糸を引いたが、すぐに手ごたえが無くなる。

 斬られた、と確信する前にそのまま桐もあとを追った。

 あまりに大胆な落下を披露したせいで、多髪坊は肩から地面に激突し、左肩の骨が砕けてしまったが、それでもあのまま屋根の上に留まるよりはいい。

 びっこをひきつつ起き上がると、お成り御殿の中に入り込む。

 まだ、建具職人が入っていないせいか、畳も半分ほどしか埋まっておらず、まだまだ完成からは遠い状態で足の踏み場もなかった。

 しかし、多髪坊はけんけんしながらも御殿の中を突っ切る。

 反対側を抜け、なんとか逃げ出そうと決意したのだ。

 だが、呼子の音が聞こえ、彼の逃走経路が塞がれたことを知る。

 では、どうするか。

 窮地に追い込まれた多髪坊の頭脳がこの場をしのぎ切るアイデアをひりだした。

 抜け道だ。

 かつて大工の与四郎から聞き出した、御座の間にあるという二ノ丸に繋がる抜け道。

 将軍に何かがあった場合に、城主である本多正純がすぐにでも駆けつけられるようにと用意した抜け道ならば、迫りくる宇都宮藩士たちを出し抜けるかもしれない。

 入口の場所はかすかに記憶している。

 そこに辿り着けば、脱出も夢ではない。

 多髪坊は不自由な身体を動かして、お成り御殿の中を走る。

 足首が取れかけているというのに器用に移動するのは、さすがは忍びの面目躍如といったところだろう。

 彼を追う宇都宮藩の藩士たちがあまりの速さに引き離されて、見失ってしまったほどだ。

 だが、人数をかけて一部屋ごとに探索していけば必ず追い詰められると信じているのか、無理に追ってはこない。

 抜け道のことをしらないのならば僥倖。

 多髪坊はほくそ笑んだ。

 そして、御座の間の外れ、広い床の間に辿り着くと、ばっと腰を下ろし、どこかにあるどんでん返しを必死に探し始めた。

 御座の間は他よりも早くすでに畳が敷かれていたが床の間はまだ何も手が付けられていない状態だった。

 この手のものは然程わかりにくい隠され方はしていないのが普通だ。

 どこかに把手などがあるはず。

 目を皿のようにして探し続けると、わずかに隙間らしいものがあるのを見つけ出した。

 その隙間をなぞり、先を辿ると、指一本をかけられる程度のくぼみがあった。

「あったぞ、これじゃ」

 多髪坊が太い指をひっかけて、どんでん返しとなっているだろう戸を開けようとした時、その背中に手裏剣が飛来した。

 手にした鉄砲を振ることで一息で跳ね返しはしたものの、多髪坊は舌打ちをせざるえない思いだった。

 そこには先ほどの女忍びが刀を構えて立っていたからだ。

「逃がさない」

 桐が呟く。

 この期に及んでも無表情な少女であった。

「邪魔をするなあ!」

 多髪坊が銛付き種子島を向けた。

 この距離でも遮蔽物がなければあてられる。

 あと一発しかないが、これで始末をつければなんということもない。

 そういえば大工の時もこの女に邪魔をされたということを思い出した。

 荒木又右衛門も邪魔ではあったが、この女も忘れがちではあったが、根来七忍にとっては不倶戴天の仇敵なのだということを自覚する。

 ここで殺してしまえ。

「死ねぇ!」

 桐にはすでに銛を防ぐ術はない。

 仕寄りは置いてきてしまったのだから。

 だが、桐は冷静に膝をつくと、パンと床を叩いた。

 いや、それは床ではない。

 畳だった。

 桐が叩いた畳はまるで生き物のように跳ね上がり、一畳の盾となり、桐の全身を覆い隠す。

 続いて彼女はその隣、さらに隣を、パンパンと叩き続ける。

 それらも同様に跳ね上がり、畳の盾は敷かれているぶんだけ増えていく。

 畳が返されることで土埃も当然に舞い上がり、御座の間はもうもうとして、視界が完全に遮られてしまった。

「なんだと!」

 畳返しとは予想もしていなかった多髪坊は桐を見失う。

 確実に落ち着きを失い狼狽した彼は、鉄砲の照準を合わせることさえもできなくなっていた。

 鉄砲に関しては天下一の根来衆としてはあってはならぬことであった。

 視界の端に動くものを捉えた。

 なんとか咄嗟に銃口を向けたが、それは動いたものはこちらに唸りをあげて飛んでくる畳の縁であった。

 勢いのついた畳に銃身をそらされ、思わず引いた引き金が銛を発射する。

 跳ね上げられた銃身の先には天井しかなく、銛の先端は天井板に突き刺さった。

「しまった!」

 自分の最後の頼りを喪い、多髪坊は叫ぶ。

 あと残っているのは護身用の短刀だけ。

 このままではやられる。

 多髪坊は愛銃をかなぐり捨てた。

 もうなりふり構ってはいられない。

 抜け道から逃げ出すのだ。

 なんとしてでも。

 這いずり回りさっきの突起に指をかけて、もう一度力を込めて開ける。

「なっ!」

 暗い抜け道の奥で何かが輝き、同時に突き出された刀の先が多髪坊の喉を貫いた。

 絶命の寸前、多髪坊は抜け穴に潜み、彼を待ち構えていた本多出羽守正勝の鋭い顔を見た。

 まさか、このひ弱な若殿にやられるとは……。

 驚愕以上の感情を抱く間もなく、そのまま多髪坊は絶命した。

「正勝さま!」

 近づいてきた桐が多髪坊の死骸に警戒しつつ(完全に死んだことを確かめなければ安心しないのが忍びの性質なのだ)、正勝に無事を訊ねる。

「大丈夫だ。おまえの言うとおりに先回りをしておいてよかった。間一髪で逃げられるところだったからな」

 桐に言われてわざわざ二ノ丸まで回り、抜け道を塞ごうとした結果、七忍のうちの一人を成敗するという大金星をあげた正勝は安堵の吐息を漏らす。

 逃がす訳にはいかないが、逃げられても仕方のない敵でもあったからなおさらだ。

「正勝さま、お手柄です」

「なに、たいしたことではないよ。―――だが、桐、そんなことよりも急がねばならない」

「何ですか?」

「父上をお止めしなければ。こやつらの狙いは父上に根来同心を処分させることなのだ。そのことで、幕閣に口出しをさせる口実を作るつもりなのだ」

 桐はその言葉を聞いて青ざめた。

 そして、すぐに正勝を促し、お成り御殿から出る。

 急がなければならない。

 桐は心細くなった自分を叱咤した。

 こんなときに又右衛門殿がいてくれたら等と、そんなことを思っている暇はないのだから。








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