軍荼利撃ち
牢の外に引っ立てられていく阿含坊を追いながら、正勝は困り果てていた。
父の正純は、根来同心たちを成敗するつもりなのだ。
領内の治安を乱し、人心を惑わし、勝手気ままな振る舞いを続ける根来同心たちを、罪ありとして処罰する。
これは領主である以上、当然の権利でありしなければ民に示しがつかない行為であるが、問題は根来同心たちが宇都宮藩の藩士ではないということだ。
つまり、宇都宮藩の都合で処罰することは行き過ぎであり、あとでどのような問題が引き起こされるかわからない。
ゆえに拙速な処罰は避けるべきであった。
しかし、息子であることから父親の性格は把握している。
清廉潔白であり、公正誠実、まさに役人の鑑のような男が、本多正純なのだ。
どんなに自分にとって不利な結果となろうとも、正しいことは貫き通す。
そんな気概に溢れた正義を背負った武士。
一度、口に出した以上、確実に根来同心への仕置きは行うだろう。
だが、正勝の立場としてそれは防ぎたい。
土井利勝という幕府の重要人物に執拗に狙われている今の状態では、敵につけいる隙を与えたくはない。
そして、正勝は決意した。
力尽くでも父を止めようと。
こんな時に莫逆の友となった又右衛門が留守なのは心もとなかったが、彼とて本多家の嫡男。
できることは一人でもしなければならない。
切断された手首の手当てをおざなりにされたあと、牢から連れ出され、庭に引き出されようとする阿含坊を正勝は引き留めた。
牢番を制し、声をかける。
「待て、阿含坊」
「……なんじゃ」
「おまえ、このままでいいのか?」
「……」
「頭が回らず、わからぬようならば説明してやる。―――おまえたち、根来の同心はこままいけば父により根切りされるぞ」
「なんだと」
腕を斬られた衝撃で頭がぼんやりとしていた阿含坊も、さすがに仰天したようであった。
「父はおまえたちを、大工殺害と藩にたいする悪評の流布の下手人として処分する腹だ。少なくとも、おまえを含めた首魁連中は間違いなく成敗される。……だが、それでいいのか?」
正勝は噛んで含めるように言う。
「おまえたちは根来寺から来た忍びの手助けをしただけなのであろう? そやつらの犯した罪をおまえたちが引き受けることはないとは思わぬか?」
「なぜ、そのことを……」
やはり、と正勝は思った。
根来同心は例の忍術僧の暗躍についてほとんどこちらが知らないものと思っている。
つまり、あの七忍と正勝、そして又右衛門らが何度か衝突していることを伝えられていないのだ。
先ほど六人と口走った以上、ある程度、忍術僧の行動については教えられているようだが、それに対して宇都宮藩―――本多家がどう対処しているかは伏せられている。
要するにこやつらは利用されているだけだ。
ならば、そこをつけばいい。
「おまえたちは知らないだろうが、おれたちはあの化け物じみた法師どもをすでに三人成敗しておる。―――今回、おまえたちがきゃつらの工作を手伝わされたのは、たんに人手が足りないからだ」
「あの……忍びどもを……三人?」
「うむ。そして、もう一人か二人もそろそろ始末をつけている頃だだから、。はっきり言おう、きゃつらの企みは決して成就せぬ。おれたちがなんとしてでも阻止するからだ。……だが、おまえたちはそれでもいいのか?」
「なんだと」
「おれたちときゃつらの暗闘は決して表に出るものではない。だが、きゃつらの犯した罪は別だ。表に出た罪科は誰かに償わせねばならぬ。そして、その償いをする羽目になるのは、誰でもないおまえたちなのだぞ」
阿含坊は目を剥いた。
考えたことのないという顔だった。
それでも武士か、と正勝は怒鳴りつけたくなったが、我慢する。
今はそんなことをしている場合ではない。
一刻も早く、父親を止めなければならないのだ。
「……すでにおまえたちが殺した大工たちの亡骸は掘り返してある。そして、それを法師姿の者が埋めていたという証言もとってある。埋めたのはおまえたちの仕業なのはわかっているが、殺したのはきゃつらなのであろう? このままいけば、おまえたちが大工殺しの下手人とみなさねばならぬぞ。いいか、十六人もの領民を殺せばおまえたち、根来同心、悉く殺されても文句は言えぬのだぞ。それでもいいのか?」
「……まさか」
「まさかではない。父はそのつもりなのだ。そして、おまえたちを利用した忍びの目的も……」
ここではたと正勝は気が付いた。
忍びどもの狙いに。
おそらくは本多正純を陥れるために時間をかけて練られた計略に。
(きゃつらの狙いは……こいつらをおれたちの手で成敗させることだ!)
正純の公正明大すぎる性格を逆手にとって、藩を危機に陥れた根来同心を処分させる。
公儀から付き人として送られた同心を勝手に処分したとなれば、いかに正純の立場があったとしても問題となるのは明白だ。
根来の忍びどもは、自分たちの同胞であるはずの同心たちに罪を擦り付け、生贄にしようと企んでいたのだ。
いかに正純といえど、こんな悪辣な陰謀見通すことはできない。
いや、わかっていても処分を断行するだろう。
このものたちの所業は、本多正純という男にとって許しがたいものであるからだ。
(そうはさせるものか)
正勝は知っている。
大坂冬の陣ののちの大阪城の外堀だけでなく内堀の埋め立てまで考え出して、無理やりに実行させたのが実は二代将軍・秀忠であったことを。
父親家康に従順な孝行息子という仮面をかぶってはいたが、その実は陰惨な思考と権性政欲にまみれた冷たい男であり、たとえ豊臣という大敵を倒すためといえども狡猾な卑怯ともいえる策を弄して恥じることのない人間であるということも。
その秀忠の意思を家臣として忠実にかなえ、そのせいで蛇蝎のごとき寝技師という汚名を張られたにもかかわらず、あえて泥を被った父の性格を。
ゆえに、今回、ご老中・土井利勝による陰謀の本当のところの黒幕は秀忠ではないかと正勝は疑っていた。
秀忠の姉である亀姫が関わっているのも、実はそのためなのではないかとも。
正勝は親友・又右衛門にすらそのことを口にしてはいないが、おおよそ事実ではないかと確信していた。
とすれば、正純の敗北はすでに定まっているのかもしれない。
この国の武士の最上位の人物までが、虎視眈々と追い落としを狙っているのに、生き残れるとは到底思えない。
「そうはさせるものか」
今度は口に出していた。
役人として、武士として、与えられた本分を果たしたにもかかわらず、むざむざと汚名を着せられて歴史から追放されるなどという理不尽を断じて父に届かせるものか。
抵抗してやる。
あがいてやる。
正勝は心に決めた。
だから、まずはこの処分を止めなければならない。
「阿含坊、大殿の前に出されたのならば即座に土下座しろ」
「なんだと」
「赦しを請え。おまえたちの行いは、すべて忍びどもの仕業であると自白するのだ。それで根来同心の恩赦をいただくのだ」
もし、裁きの場で開き直り、正純を罵倒しようものならば命はない。
だが、心の底から赦しを請い、頭を下げればなんとか命を拾えるかもしれない。
阿含坊たちはそれほど立派な心持ちをしたものたちではない。
命乞いですら平気だろう。
しかも、自分たちにとっては被せられた罪なのだ。
たいした屈辱もなくできるはずだ。
「……それで命を拾えるのか」
「わからん。だが、むざむざ、他人の罪をかぶって死ぬのは嫌だろう」
……おまえたち程度では、自らに与えられた役目を、汚名を被ってでも遂行しようとする父・正純の境地には絶対に辿り着けぬよ。
そう心の中で呟く。
「わかった。……おれたちとて死にたくない。上野介……いや、正純さまに助けていただこう」
この期に及んでもそんな口を利く阿含坊。
間違いなく正純には遠く及ばない小者だった。
そんな彼を蔑みの目つきで見る。
「では、父のあとを追おう」
と、阿含坊を引っ立てようとした時、
「ぎゃあ!」
阿含坊が叫び、何かに引かれるよう不自然な動きで後ろ向けて進みだした。
眼前にいた正勝は、阿含坊の喉から黒い突起物が急に顔を覗かしたところを目撃していた。
夥しい血と共に、何か黒いものが顔を出し、それが正しく鋭く尖った巨大な銛の先端だと理解するのに時間がかかる。
阿含坊はよたよたと後ろに向けて進み、そのまま庭に出る。
慌ててあとを追った正勝と牢番たちは、阿含坊の延髄から突き刺さった鋼の銛とその尻に繋がった黒い綱を見た。
喉に刺さった銛が綱によって引かれたことで、まるで操り人形のように根来同心はよたよたと後ろ歩きをする。
そして、綱のずっと先はお成り御殿の屋根にまで届いていて、そこに敷かれた瓦の上に立つ一人の法師姿の手に握られていた。
もう片方の手には、何やら少し不格好な鉄砲が握られている。
根来七忍の一人、多髪坊であった。
「く、根来の坊主か!」
正勝は歯ぎしりをした。
まさか、阿含坊の口をこんなところでふさぎに来るとは。
「ククク、危ないところであったわ。さすがは上野介の息子。知恵が回る。―――阿含坊、許せよ。これも根来寺の再建のためじゃ」
ここしばらくは厳重な警戒のため城の奥にまでは忍び込めなかった忍術僧たちであったが、正純が同心成敗のために藩士を動かしたためにできた隙を使い、侵入してきたのである。
ほんのわずかな時間であっても、それだけの働きをするのが忍びの機動力というものである。
目的は捕らえられた阿含坊の口封じ。
結局は、彼らの狙いは正勝の読みの通りであったからだ。
だが、阿含坊の居場所に辿り着いたときには、すでに正勝による説得は終わっていた。
これでは三月をかけた陰謀がとん挫すると考えた多髪坊は、最初の狙い通りに人知れずに始末することを諦めて、ここまで堂々と姿を見せたのである。
忍びとしては傲慢すぎる態度ではあったが、今の宇都宮城の混乱状態ならばいかようにでも逃げおうせるという自信に満ちた行動ではあった。
「おのれ、鼠賊! おまえたちなどに父を陥れさせはせぬぞ!」
「ほざけ、若造。ついでだ。ここで貴様も始末しておこうか?」
「やれるものならばやってみよ!」
「よう言うた。では死ねぃ」
そういうと、多髪坊は同胞を引きずっていた綱を投げ捨て、もう一丁背負っていた銛付きの鉄砲を構える。
手にした鉄砲から、糸の付いた銛を打ち出し、目標を仕留める「軍荼利撃ち」である。
ただ、それだけではない。
「軍荼利撃ち」の本当の恐ろしさは、発射の瞬間に綱にありえない捻りを加えることで弾丸代わりの銛の軌道を自在に操れるところにあった。
多髪坊はその魔技の力で、屋根の上から発射した銛を建物の中にいた阿含坊に命中させたのである。
物理的にありえない角度で襲い掛かる、まさに暗殺用の射撃であった。
その「軍荼利撃ち」にかかれば庭で無防備に刀を構える正勝など、簡単に仕留められる程度でしかなかった。
だが、多髪坊の指が引き金を絞った瞬間、その足元が揺らぐ。
「うわっ!」
そのまま、多髪坊はすってんころりんと屋根に仰向けに倒れこんだ。
足を何者かに引っ張られたと理解し、鉄砲をそちらに向ける。
そこには、鉄砲を防ぐための竹でできた仕寄りとその陰に潜む、女忍びの姿があった。
女忍びの手からは、なにやら光るものが伸びて、多髪坊の足に絡みついている。
はっと足首を見ると、彼の足首は半分近く切れてブラブラとしていた。
痛みがなかったのですぐには気が付かなかったのだ。
いつのまにか巻きつけられていた光るものの仕業であることは明白だ。
「なんだと!」
「―――あんたたちが私に使った女の髪。伊賀ではこう使う」
ぶっきらぼうに女忍び―――桐は言った。
かつて耳から脳に入れられた髪のせいで自由を奪われ辱められそうになった、桐による意趣返しであった。
「ぬう、本多の忍め!」
悪態をつく多髪坊を冷たく見つめ、
「主家に祟る下郎。……又右衛門殿がいなくてもここで成敗して見せる」
桐は宣言した。
お成り御殿の屋根の上で絶景かなと二人の忍びが対峙する。
ともに任務を全うするために。




