悪しき噂
与四郎の葬儀は慎ましやかに行われたが、参列したものたちはほんの一握りだった。
なぜなら、彼の故郷である塩谷村ではなく宇都宮城の外れにある大工たちの宿泊小屋で行われたからだった。
葬儀を取り仕切ったのは、宇都宮藩に指名された寺の僧侶であり、与四郎の親戚でさえなかった。
どうしてそのようなことになったかというと、与四郎が首を吊った場所が原因だったのである。
そこは、城の奥にある座敷牢のような部屋であった。
もちろん彼は罪人ではない。
だが、与四郎の精神は許嫁の無残な死によって荒廃し、ほとんど口も利けないほどに病み果ててしまっていた。
又右衛門と桐からの報告を受けた正勝が、ほぼ寝たきりとなった与四郎を藩の力でもって療養させることにしたのである。
そのための部屋であったが、夜な夜な許嫁のおはやを探そうと外に出たがる与四郎を止めるために、見張りが用意されていたことから、一種の軟禁状態であったともいえた。
その部屋で死んだということで、与四郎の親族たちは彼のことを牢屋に囚われた罪人扱いしてしまい、遺体の引き受けを拒否されたのである。
三か月前、おはやの無残な遺体が庄屋である父・藤左衛門のところに届けられたときに、様々な悪い噂が流れたこともあり、与四郎の死はそれに結び付けられ、村の者たちに忌避されてしまったのである。
……葬儀に参列した大工仲間たちは、その帰りに小さな飲み屋に入り、お猪口一杯を亡き同僚に傾けた。
それぞれの顔には納得できていないという不信感が宿っていた。
「……寂しい葬式だったな」
「あいつ、あんな死に方するやつじゃなかったよなあ」
「てめえで死ぬなんてよ。……馬鹿なやつさ」
口々に弔いと悲しみを口にする。
口は悪くとも根は善良なものたちなのだった。
「だけどよ、どうしてお城の奥であいつ死んだんだ?」
「……療養させてもらっていたらしい」
「なんでだよ? あいつ、ただの大工だろ。おれたちと同じ。それがどうして城の奥で病気療養なんてさせてもらえんだ?」
「知らねえ。だが、悪い噂はあるぜ」
「なんだよ、それ」
「お城の普請に秘密があるのを見ちまったせいで、とっ捕まったって話だ。そんで今回も自害じゃなくて、実は藩の役人に殺されたって言われている」
「まさか」
大工たちは顔を見合わせた。
彼らの知っている限り、宇都宮城の工事にはなんの不審な点もない。
実際に普請に携わっている彼らの目を盗んでそんなことができる余裕はどこにもない。
だから、そもそもそんな話が出ること自体不思議なのだ。
「秘密ってなんだ? おれたちは知らんぞ」
「お成り御殿の御座所。あそこが釣天井になっていて、下にいる人間をぶち殺せるようになっている。ということだ」
「はぁ?」
当然、誰もそんな話は信じない。
御座所の天井は折り上げ格天井になっていて、そんな仕組みはどう頑張っても仕掛けられる隙間はない。
酷い与太話だ。
「釣天井って……。誰を殺すんだよ。馬鹿らしい」
「お成り御殿に仕掛ける以上、上さまだろうな」
「将軍様を? おいおい、勘弁してくれよ。うちの殿様がどうしてそんな真似をしなくちゃならねえんだ」
「そうだぞ。本多正純さまは幕府のご老中。徳川の将軍様を弑逆する理由なんて、どこにもねえ」
大工たちは突拍子もないことだと、否定した。
彼らの感覚でいうと当然のことだ。
だが、それをさらに否定するものがいた。
「いや、そうでもないぞ」
いつのまにか現われたのか、無紋の袖なし、裾の半ばまでしかない葛袴の着物の坊主頭―――根来同心が立っていた。
評判のわるい破落戸同然の同心の出現に大工たちは怯えた。
そのぐらい、城内では彼らの評判は地に落ちているのである。
「なんじゃ、その態度は」
「……ね、根来のお坊さま。いったい、おれたちに何のようでしょう」
「用というわけではないがの。貴様らにいいことを説法してやろうと思おただけよ」
「説法?」
「そうよ。―――この宇都宮城の主・本多上野介の悪行についてだ。そら、そこをちぃと詰めろ。おれが座れんだろう」
よっこらっしょと大工たちを押しのけて同じ卓につくと、根来の同心は持参した酒を飲みながら、滔々と語りだした。
「大阪御陣のときのことよ。難攻不落と折り紙付きのあの大城がどうしてあっけなく落ちたのか、貴様らは知っておるか?」
「……いいえ」
「あれはすべて本多上野介とその父親である佐渡守正信の仕業なのだ」
―――根来同心は語る。
本多親子はまず大阪城内に蓄えられていた莫大な軍用金を吐き出させる目的で、「亡き太閤殿下のため」と称して、寺社の再建・修復を豊臣秀頼に進言した。
秀頼というよりも、その後ろにいる母の淀君をそそのかすためであったのだが。
特に洛中方広寺の境内に大仏と大仏殿を建立させ、竣工直後に部下の忍びに命じて火を点けさせ、堂宇を跡形なく焼失させ、もう一度造り直させた。
それだけではなく落慶供養という段階になって、今度は新鋳の梵鐘に鋳こまれた銘に言いがかりをつける。
つまり、そこに鋳こまれた「国家安康」「君臣豊楽」とあるのが、「家康公の名前を分断して呪いとなし、豊臣を君と仰いで楽しむという意味なのではないか」と指摘したのである。
誰もが酷いいいがかりであると感じた。
そのため豊臣方では片桐且元を申し開きのために家康のいる駿府に向かわせたが、これは天海僧正と―――本多正純と対面しただけで終わったことから、筋立てをしたのも本多親子であろう。
また、冬の陣の直後に約定を破って大阪城の堀の「外側だけ」でなく「内側まで」埋め立てさせた際も、現場の総指揮は本多正純であった。
露骨なまでの約定破り。
そんなことを平然とするのが、本多家なのである。
まだある。
和議の際に、「淀君を人質として送る」という難題を吹っ掛け、その話し合いにきた使者二人に差をつけて報告を混乱させて大阪側を混乱させるという卑怯な振る舞いも、本多家のやったことである。
その他にも功績のある福島正則を居城の修理の際に陥れて改易させるなど、あまりに悪辣な真似をし続けている。
だから、この宇都宮でいかに善政を敷こうともおれたちは上野介を信じないし、忠義を尽くせない。
そう、根来同心は熱弁を語った。
最初は嫌々であった大工たちも、最後にはその熱弁にひきつけられる形になり、本多正純への不信を抱くに至るほどになっていった。
その様子を見て、
(ククク、愚かなものどもというのはたやすいのお。これらはすべて家康公の発案以外にありえまいに。表に立った本多はその意に沿っただけに過ぎないということなど考えもしないようだな)
内心ほくそ笑む、根来同心の真意など知らずに自分たちの殿様を疑い始める大工たちであった。
そして、その後、彼らはその不信を与四郎の死に結び付け、与四郎は本多家の家士によって殺されたという妄想をあたかも事実のごとく広めはじめるのである……。
◇◆◇
……本多正勝は困り果てていた。
与四郎の死をきっかけとして、領内に広まりだした噂の始末についてである。
それは又右衛門が与四郎の生まれた塩谷村へと出かけた際に聞き出してきたものであったが、内容が驚くべきものであったからだ。
「大工たちを誅殺したのが、宇都宮藩ということになっておるとは……」
「そのようです」
「どうして、そのような根も葉もないうわさが広がったんだ?」
頭を抱えた正勝に対して、又右衛門は少し思案しつつ、
「……例の自害した大工の与四郎の許嫁が、父親のもとに書置きを残していたようでござる。与四郎のもとに行くと。そのときに根来の売僧どもに攫われたことから、どうもお城の中であのような死に方をしたものと言われているそうでござる」
「だが、あの娘の死と大工たちの死がなぜ重なるのだ?」
正勝はおはやと一度だけ面識がある。
あんな死に方をするべき娘ではなかったとも思っていた。
だから、根来衆に対する嫌悪感も人一倍強い。
「きっかけは与四郎の死でしょうな。城の奥であやつが死んだことで、すべての秘密が城にあるような捉え方をされてしまった。まるで、本多家がなにやら怪しげな密事をしているかのように」
「……事実無根にもほどがあるぞ」
「民というものはそういう噂を好むということでしょう。ただ、その噂をばらまいている連中がいるというのは見逃せませんが」
「どういうことだ?」
又右衛門は懐手をした。
「大工やら百姓やらに、積極的に此度の噂をばらまいているものどもがおるようで」
「なんだと? 誰だ?」
「本多のお家に災いを振りかけようとするものは、今のところ、拙者どもには心当たりは一つでござる」
「―――根来か?」
「さようで。きゃつら、あの生臭坊主どもがいろいろと風説を流布しておるようでござる」
「例の忍術僧。ついに動き出したか……」
「いえ、拙者の調べたところ、忍術僧だけではなく、同心組も積極的に関わっておるようですな」
又右衛門は忍びである。
よって、根来の忍術僧がどのような意図をもって今回の騒ぎを仕掛けたのか、おおよその見当はついていた。
(本多家と領民との離間策であるか。だが、城の普請が終わろうというこの時期に仕掛けるのには少々迂遠な気がする。他に何か目的があるのか?)
又右衛門にはまだ気がかりな点があった。
敵の陣中に、亀姫が加わったということである。
亀姫は彼の主君であった本多政朝との関係が深いうえ、二代将軍の姉なのである。
この陰謀が、本多家対土井利勝をはじめとする幕閣の一部との権力争いという構図ならば、よくあることとして理解できる。
だが、そこに亀姫が加わると対立軸が変化し、本多家―――というよりも本多正純を包囲する形が出来上がりかねないのだ。
土井利勝一党だけでなく、亀姫―秀忠の繋がり、正純以外の本多家までが、根来衆を手先として正純の失脚を狙っている可能性がある。
そうなると、自分が派遣された意味がわからなくなる。
政朝は本多の勢力を守るために、忍びに狙われた宇都宮藩に彼を送り出したはずなのだ。
政朝の母である熊姫と仲のいい亀姫の住んでいた宇都宮というつながりもあって。
それなのに、実際は違うのか?
又右衛門は政について無知ではなかったが、すべてを見通せるほど明敏というわけでもない。
この本多家に仕掛けられた陰謀の全容が見えぬことに不安すら覚えていた。
「……忍術僧はともかく、同心組の方はしばらく謹慎させるか。最近、普請が終わったのは自分たちの手柄だなどとほざきまくっているようで、乱暴狼藉がたえんと報告もきていることだしな」
「抑え切れるものでござるか?」
「首魁を何名か捕らえさせる。それで大人しくなるだろう。―――だが、又右衛門、忍術僧どもは違うぞ。きゃつらは同心どもと違い、おれたちでは手が出せん」
「お任せを。穴から這い出て、動き回るようになったのならば、こちらの望むところ。あと、四匹、ことごとく成敗して見せましょうぞ」
又右衛門は外しておいた直刀を握りしめ、力強く断言した。
「―――そういえば話は変わるが、父上がおぬしに話があるそうだ。あとで暇を見つけて面会させてもらえ」
「大殿が?」
同じ屋敷にいても、あまり顔を合わせることのない両者であったことから、それは少々珍しい話であった。
「……わかりもうした」
深々と礼をしてから、又右衛門は立ち上がった。
(はて、大殿がおれに何の用だろうか?)




