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松林の死闘

 荒木又右衛門の巨躯をなんとか収めきれていた松の木の表面が煙を巻き散らして吹き飛ぶ。

 続けざまに六発。

 残った五人の忍術僧らの一斉射撃を受けたのだ。

 少しでも身体が外にずれていたら、間違いなく弾丸の餌食になっていたであろう。

 身体をできるかぎり縮めながら、又右衛門はごちる。

「しくじった。……桐のやつなど見捨てておけばよかったわ」

 又右衛門はたいして後悔もしていないのに、わざわざ口に出してみた。

 そもそも彼が根来の忍術僧の只中に斬りこんだのは、大工の与四郎が鉄砲によって撃たれる寸前に飛び出した桐を助けるためであった。

 深夜、長屋を抜け出した与四郎のあとをつけていた二人は、本来ならば大工に何があったとしても救いに行く必要はない。

 むしろ、与四郎を犠牲にして忍術僧たちの企みを暴くつもりであった。

 それなのに、忍びとしては情に厚すぎる桐が、我慢しきれずに飛び出してしまったのだ。

 先ほど、速疾鬼坊そくしつきぼうに向けて手裏剣を投擲したのは忍び装束に着替えた桐だったのである。

 その桐が敵に捕捉され、あの恐ろしい忍術射撃の犠牲者になろうとした時、松の樹上に隠れていた又右衛門はやむを得ず飛び降りたのである。

 ただし、彼もただの考えなしではない。

 与四郎を撃とうとする寸前、何もない空間からいきなり鉄砲をとりだした根来忍び・速疾鬼坊の魔技を見て、これは早めに仕留めないと厄介なことになるという思いがあったのも事実である。

 初見の速疾鬼坊の『愛染撃ち』の抜き撃ちの速さは、彼の知る限りどの居合いの流派、どの剣客よりも速い、まさに目にも止まらぬものであった。

 もし仮に正面から対峙してしまった場合、彼の剣技が閃くよりも早くあの忍術僧の銃弾は又右衛門の命を奪うことは間違いない。

 他の忍術僧たちの魔技と比較しても、あの抜き撃ちは剣士である彼との相性が悪すぎる。

 誰よりも真っ先にきゃつき仕留めなければならないと決意したのも一瞬であった。

 そのため、六人の注意が桐に向いた瞬間、又右衛門は頭上から鳥のように急降下して、目的の速疾鬼坊を一撃のもとに斬り捨てたのである。

 速疾鬼坊が発砲によって弾を込めている余裕がなかったということもまた幸運であった。

 こうしてはるかに不利な鉄砲と剣の戦いにおいて、またも又右衛門は勝利したのだが、そのあとがいけない。

 残った五人の集中砲火を浴びる結果となってしまった。

 可能ならば、もう一人二人、どさくさ紛れに斬り殺しておきたいところだったが、二丁の馬上筒を持った忍術僧に片方の銃口を突き付けられ、それを払ってもさらに逆の銃口で狙われるという奇怪な動きによって邪魔をされ、浅手を負わせる程度に終わってしまった。

 思えばあの二丁の馬上筒をくるくると回転させ変幻自在に狙いをつけてくる戦い方も、忍術僧の魔技の一つに違いない。

 自分から飛び込んだ囲みからなんとか逃げ出せたが、そのあとはもう完全に追い詰められてしまった。

 六丁の銃に狙われては、いかに優れた剣士と言えども絶体絶命の窮地だ。

 しかも、相手は銃を使わせればただの武士など比べ物にならないやつらである。

 さすがの又右衛門もどうすればいいのか途方に暮れていた。

 唯一の救いは、この鉄砲の音を聞いて見廻りの藩士たちがやってくるであろうことだが、それでは根来僧と自分たちの暗闘が多くの藩士に知られてしまう。

 まだ決着もついていないことを考えるとできるのならば避けたい。

 又右衛門は松の木の裏からおいそれとでることができなくなっていた。

 一方の根来僧たちも混乱していた。

 又右衛門の襲撃に対して思わず鉄砲をぶっ放してしまったのはいいが、消音もせずにいたことによって、夜の闇に発砲音が響きまくってしまったからである。

 彼らの忍術射撃はまさに魔技といっていい業ではあるが、やはり隠密稼業にはやや向いていない。

 これは根来の忍びのなりたちが、隠密や間諜というたぐいのためでなく、いくさの場での暗殺のために組織されたものであることに端を発する。

 その点で彼らに本多上野介失脚のための秘事をつかめという命令をした土井利勝に不明があるのだが、正純の息がかかっている伊賀と甲賀以外に幕閣が使える忍びの組織というのが根来しかない以上、仕方のないところであった。

 江戸初期においてまだ実戦の可能な忍びの組織は、あとは北条家に仕えた風魔ぐらいしかない。

 だが、主家を滅ぼした豊臣とその同盟であった徳川に彼らが雇われるはずもない以上、根来僧が選ばれるのも当然であった。

 とはいっても、彼らの得意とする忍術射撃の音が他の鉄砲のものと変わらないのは事実。

 もう少しすれば大勢の藩士たちが大挙してやってくるだろう。

 よって、忍術僧たちも又右衛門とは違う意味で窮地に陥ったのである。

「くそ、荒木め!」

 又右衛門によって右腕を失った一黙坊が歯ぎしりをした。

 口から泡を吹かんばかりに怒り狂っている。

 もっとも、他の四人とて似たようなものだ。

 目の前で仲間の速疾鬼坊そくしつきぼうを討ち取られたのである。仲間意識の強い

 彼らにとって屈辱以外のなにものでもない。

無厭足坊むえんぞくぼう、回り込め。挟み撃ちにしてやるぞ」

「おうよ、藍婆坊らんばぼう

「俺も行くぞ、右腕のかたき討ちだ」

 無厭足坊、藍婆坊、一黙坊の三人が鉄砲を片手に、又右衛門の隠れる松に近づく。

 飛び道具を警戒してやや慎重に。

 それでもそのまま数で押し込めると確信はしていたが。

「拙僧たちはこの大工を始末するとしよう」

「ああ、そうだな。早くしないと宇都宮藩のものどもがやってくるからな」

 残った多髪坊たはつぼう毘藍婆坊びらんばぼうはいまだに腰を抜かしている与四郎に近づいた。

 ふと思いついたように、与四郎に鉄砲をつきつけながら叫ぶ。

「さっきの忍びよ。貴様、この大工の命を助けたな? もし、こやつの命を助けたれば、また顔を出すがいい。今度こそ一緒に殺してくれる」

「……出てくるわけがないぞ」

「いいや、あの忍びは忍びにあるまじきお人よしよ。十中七八、釣られてでてくるに違いない」

 だが、多髪坊の予想は外れ、忍びは出てくる様子もない。

 少し拍子抜けしながら賭けを外したかと与四郎を改めて殺するために引き金を絞ったとき、またも上空から白刃が閃いた。

 黒い忍び装束が直刀をもって襲い掛かってきたのだ。

 しかし、今度は根来僧たちも油断はしていない。

 左右に散ることで、その襲撃をやり過ごす。

 さらに同時に二丁の種子島が忍びの頭につきつけられた。

 忍びはそのまま地面に腰を下ろし、腕だけを軸にくるりと回ると、多髪坊の足目掛けて回し蹴りを放つ。

 あまりに素早い動きに思わず軸足を刈られ、忍術僧はどうと倒れた。

 そのそっ首を斬ろうと忍びが手を伸ばした時、今度こそ後頭部に鉄砲の銃口が当たる。

 根来の七忍とて暗愚ではない。

 何度も同じ手にやられることはないのだ。

「動くな、本多の忍び」

 多髪坊が背中をしこたま打ったせいで咳をしながら立ち上がり、自分を蹴り倒した忍びの顔面を殴りつけた。

 怒りで我を忘れていた。

 しかし、その顔つきが変わる。

「どうした、多髪坊」

 殴られて意識を失ったらしくピクリともしない忍びに、それでも油断なく鉄砲を押し当てながら聞く。

「こいつ……女じゃわい」

「なんだと?」

 鉄砲の先で忍びの胸のあたりを突くと、言われた通りに女の証の弾力がある。

「ほほお」

 女忍び―――桐である―――であることを知った二人の法師の顔に色欲が浮かび上がる。

 女とみれば犯さずにはいられない見境のない、ケダモノのような邪悪さがこの根来僧たちにはあった。

 その欲望が気絶した桐の無防備な肢体に注がれる。

「よし、この忍び、堀さまの屋敷まで連れて行こう」

「ククク、それはいい考えだ。……ついでにこの大工も」

「そうだな、どのみち殺すのだから、情報を聞き出すだけ聞き出すとするか」

 ガキンと種子島の台尻を頭にむけて手加減なく叩き込まれて、与四郎も音もなく気を失った。

 男女の虜囚を担ぎ上げると、二人の忍術僧たちは迫る宇都宮藩士たちの気配から悠然と逃げ出すのであった……。


 ◇◆◇


 松の木の陰に隠れていた又右衛門に、まず最初に仕掛けたのは藍婆坊らんばぼうであった。

 彼の忍術射撃『大威徳撃ち』は二丁の馬上筒をまるで手の延長のように操り、鉄砲で接近戦をするという奇妙な業である。

 懐に入り込まれればおしまいという鉄砲撃ちにとっての弱点を克服しているという点で、藍婆坊は剣士・又右衛門にとっても厄介な敵であった。

「ぬう、さっきの奴か!」

 速疾鬼坊を仕留めたときに、剣を振るうのを邪魔されたばかりの相手である。

 そもそも鉄砲とて槍と同様に長物に含まれる。

 長物はその間合いの長さから、懐に入られればそれだけで不利というのは兵法の鉄則だ。

 その鉄則をことごとく覆してくるのであるから、この藍婆坊とやりあうのははっきりいえば危険であった。

 又右衛門は無形の位を捨て、刀を肩に背負うようにひきつけ、突きの体勢をとる。

 藍婆坊の素早い体捌きに対応するために、胴体を狙うつもりなのだった。

 だが、その狙いは読まれていた。

 なんと藍婆坊は又右衛門めがけて頭から跳んだのである。

 崖の上から海面に飛び込むように、馬上筒の筒先を向けて飛んできた忍術僧をかがんで避ける。

 馬上筒の射線上には当然いられないからだ。

 着地した藍婆坊は一度でんぐり返しをすると、すぐさま片足立ちで起き上がり、二丁の馬上筒を構える。

 咄嗟に筒先を払いのけたが、馬上筒は小さな孤を描くと、再び銃口を又右衛門に向けなおす。

 何度躱して受けても、藍婆坊は必ず照準を合わせてくるのだ。

(これはまずい!)

 弾込めができないから、必殺の機会でなければ引き金は引かないはずだが、このまま銃口を突き付けられ続ければ最後には撃たれて殺される。

 間違いない。

 逆に又右衛門は思った通りに刀を振れないというジレンマに襲われていた。

 突出した野生の勘があるからこそ、なんとか身をよじって躱してはいるが、それもいつまでもつかわからない。

 そして、その間に他の忍術僧が彼に襲い掛かる。

「死ねい、荒木!」

「くっ!」

 横合いから一黙坊が馬上筒を突き付け、そして引き金を引いた。

 片腕の彼にはもう通常の種子島は扱えないのだからそれしか手はない。

 耳をつんざく銃声に顔をしかめながら、間一髪で避けた又右衛門は前蹴りを放って、一黙坊を突き飛ばす。

 その瞬間を見逃す藍婆坊ではない。

 今度こそ、二丁が絶対の機会をもって又右衛門の胴体に触れ、いわゆる接射がなされた。

 バアアン、完全に同時に銃声が響く。

 腹を撃たれた又右衛門はそのまま後方に派手に吹き飛んだ。

 だが、目を丸くしたのは忍術僧たちだ。

 鉄砲の専門家である彼らは、弾丸の威力というものをよく承知していた。

 人体を貫いた弾丸は、その威力でもって内臓や筋肉を破壊することはあっても、命中した人体を吹き飛ばすほどの力はもっていない。

 撃ちぬかれた人体は多少よろめくことはあったとしても、今の又右衛門のように吹き飛んだりはしないのだ。

 つまり、あの吹き飛び方は跳躍―――又右衛門自らが後ろに跳んだことを意味する。

 であるのならば、まだ即死してはいない。

 それだけのことを理解する前に、藍婆坊は自分の肩に激痛が走ったことを悟る。

 見ると刃物が刺さっていた。

 吹き飛んだ時に又右衛門が拝み打った手裏剣であった。

「小癪な!」

 胴体から弾丸が命中したことを示す黒煙を発しているというのに、又右衛門はまだ死んでいないのだ。

 いったい、どうやって?

「まだ死んでいないぞ!」

 この一瞬の攻防に参加していない無厭足坊が叫ぶ。

 彼の鉄砲は銃口が広がっている特殊なもので、散弾を発射して大勢の人間を同時に仕留めるための武器であり、藍婆坊たちが接近戦を始めてしまえばなにもすることができない。

 代わりに腰の刀を抜いていたが、踏み込むまでのことはできなかった。

「わかっておる!」

 一黙坊も藍婆坊も射撃を終えてしまったので、鉄砲の中には弾丸がない。

 追撃をするのならば、無厭足坊同様に刀を握るしかないのだが、ながらく鉄砲に頼っていたことからすぐに武器を替えて戦うということができなかった。

 まともに戦えば、そこいらの武士よりは遥かに強いというのに、鉄砲と忍術射撃に頼り切っていた心の弱さがでてしまったのだ。

 逆に又右衛門にとっては好機であった。

 敵の切り札である鉄砲はもう使えない。

 弾込めができる余裕などはないからだ。

 だから今しかない。

 荒木又右衛門は走り出した。

 忍術僧たちから距離をとるために。

 この場を切り抜け、逃げ出すために。

 まさに脱兎のごとく。

 相手の鉄砲に弾丸がこめられていないと信じたらこその決断であった。

 もし、残っていたらそこでお陀仏という場面において、命がけの思い切りであった。

 この凄まじいまでの思い切りの良さが忍びの最大の長所であり、又右衛門が超一流の使い手であることの証拠であった。

「きゃつ、逃げるぞ!」

「追え、逃がしてなるものか!」

 すかさず追撃しようとした忍術僧たちであったが、その足がすぐに止まる。

 彼らの耳に見廻りの藩士たちを掻き集める呼子の音が聞こえてきたからである。

 しかも、すぐ傍にまで近づいてきている。

 舌うちをすると、三人の忍術僧はこの場から去ることにした。

 せっかく追い詰めた仲間の仇をとることができないという無念の炎に焼かれながら。

「覚えておるがいい、荒木ぃ!」

 あまりに悔しくて地団駄を踏む忍術僧たちであった……。




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