大工の与四郎
若い大工である与四郎が自分の受け持ちの組み立てを黙々とこなしていると、このあたりの普請の元締めを勤める老人に声をかけられた。
「おい、与四郎」
「なんでしょう?」
「てめえ、もうちぃと気ぃ入れて仕事しろや。ちぃと前から仕事が雑になってきているぜ」
「……そうでしょうか?」
「おう。手を抜いている訳じゃねえみてえだが、なんか別のことに気ぃをとられているみてえに手元が乱れてやがる」
与四郎は自分の手元を見た。
器用だとは思っている。
まだ若いにもかかわらず、お城の普請工事、しかも将来的には上様がお泊りになるお成り御殿を任される程度には認められているはずだった。
どんなに心乱されることがあっても、仕事はきちんとこなせると思っていたのだが……。
「すみません……」
「何か、心配事でもあんのか? 俺ていどでいいんなら聞いてやるがよ」
口は悪いが、老人は現場の頭を任されるだけあって親切なところがあった。
老人は与四郎に心配事があって大工の業が乱れているのだろうと判断したから、とりあえず聞いてみたのだ。
彼の人生経験から言えば、誰かに吐き出してしまえばそれだけで解決することなど世には多くあるからだ。
だが与四郎は首を振った。
「特に……ないです」
「……そうかい。てめえが言いたくねえんならそれでいい。だがよお、この現場だって急に人手が足りなくなってきて二進も三進もいかなくなってんだ。てめえが役立たずになると仕事が回らなくならあ。だから、もうちぃと気合い入れな」
「人手が足りない?」
思わず聞いてしまった。
すると、老人は腕を組んで、
「なんだ、てめえ、気づいてなかったのか。そこまで薄ぼんやりしていたのかよ」
「すみません……」
「てめえもよく現場から抜け出しているみてえだから忠告するがよ、こないだから暇をもらって出ていった奴らがそのまんまドロンかましてんのよ」
「ドロン?」
「つまり逃げ出しているってことよ。まったく職人の風上にもおけねえ奴らだぜ。まあ、おぜぜの方はもらってねえみたいだから普請番の役人様方は人手不足で頭抱えているだけですんでいるようだがよ」
「どうしてお給金ももらっていないのにやめるんでしょう? ここの貰いはかなりいいはずじゃないですか」
「知らねえよ。とにかくどいつもこいつも根性が足りやしねえ。しかも、こないだなんか一気に十人、本丸の担当の連中がいなくなりやがった。俺も知っているやつがいるが、まさかそこまで根性なしだったとはよぉ」
老人は胡麻塩頭をぽんぽんと叩く。
かなり腹が立っているようだ。
あまり声をかけたくない機嫌の悪さだった。
だが、こういう時でも空気を読まないものはいる。
後ろから若い女の声がかかった。
「その話、本当?」
振り向くといつのまにか、若殿様の奥さまの世話をしているお城の侍女が風呂敷片手に立ち尽くしていた。
女忍びの桐であった。
いきなり、そんな場に相応しくない相手に話しかけられ、老人は腰が抜けるほど驚いた。
ここまで近寄られたのに、まったく気配を感じなかったからだ。
それは女忍びである桐としては当然のことなのだが、なにぶんただの大工である老人に判ることではない。
「おお、そうだ」
老人の戸惑いをまったく気にせず、桐は聞きたいことを直截に問う。
「何人、逃げ出しているの?」
「うんとな、六人……いや、こないだまとめて十人逃げたから十五、六人ってところか」
「逃げて以来、一人も戻ってきていないの?」
「あ、ああ。そんなことをきいてどうしよってんだ?」
「正勝さまに教えてさしあげるの」
それで老人は得心した。
この侍女は下々が困っているということを、それとなく殿様たちに伝えてくれようとしているのだと。
変わった娘だが、意外と優しい性格の持ち主なのだろうと。
もちろん、桐はそんな殊勝な娘ではないのだが、わざわざ誤解だと触れ回る必要もない。
それから、与四郎を見て、
「与四郎、あなた、まだおはやと逢引きしている?」
「逢引き……というわけでは……」
「今度、おはやと会ったらあまりお城に近寄らないように言っておいて」
「ああ、伝えておく」
与四郎と桐は、以前、許嫁に一目合わせてとおはやが抗議に来た際に知り合っていた。
普請場でも一番若い与四郎なので、話しやすいということもあり、桐は情報収集も兼ねて見かけたら声をかけるようにしていた。
もっとも、与四郎という若者は大工にしては見た目がすこぶるよく、お城の他の侍女たちからも黄色い声で語られる美男であったために、桐でさえそういう目で見られることが多々あった。
おはや曰く、「いーい男」というのは、切れ長の眼、外仕事なのに白い肌、うっすらと紅い唇を持っていたからだ。
ただし、大工としての仕事は一流であったがために、他の男たちの反感を必要以上には買っていなかった。
忠告した老人も同じようなものだった。
「……なんでぇ、てめえ女と逢引してやがんのかよ。お盛んだな」
「そういうわけでは。―――お桐さん、滅多なことを言わないでおくれ」
「別に。どうでもいい。私には関係ない」
そういうと、桐は老人の好奇心に火をつけたまま、さっさと戻ってしまった。
なんとか老人をあしらいつつ、与四郎は内心でため息をついていた。
(いったい、どうすればいいのだろう。どうして、こんなことになってしまったのだろう)
実はその時の彼はすでにのっぴきならない窮地に陥っていたのである……。
◇◆◇
「職人たちが神隠しにあっているだと」
桐が得た情報をもとに、又右衛門が聞き込みをした結果、確かに十六人の大工が行方不明になっていた。
まだ、ほとんど給金が支払われていないこともあり、仕事が辛くて逃げたのだろうともっぱらの評判だ。
その一方で「大工たちは神隠しにあったのでは」という噂もまことしやかに流れていた。
「そのようですな」
驚いた正勝とは裏腹に、報告した又右衛門は悠然としたものだ。
隣に控えていた桐が冷たい目を向ける。
「……ただの怠慢ではないのか?」
「大工どもには請負手当として後金で大金を支払う手筈にはなっておりますので、今逃げ出してもこれまでの日当程度しか稼ぎにならない状況のようでござる。であるから、ここで逃げ出してもなんの益もない。それどころか、暇をもらって以来家に帰っていないものばかりという話です。中にはやや子が産まれたばかりのものもいるとか。まあ、神隠しとでもいうしか納得できる話ではござらんな」
又右衛門自ら、すぐに行ける近隣の村にまで確認に行ったのだから間違いない。
たった数刻のうちにいくつもの裏が取れること自体に、忍びとしての彼の凄味があるのだが、本人は自慢とも思っていないらしいが。
「だが、十人もの大工がいなくなったというのに、本丸普請場からは何の報告受けておらぬぞ」
「正勝さま、あそこの普請番には根来同心がおるということをお忘れなく」
「あっ」
正勝たちはあれ以来、宇都宮城の脅威となりかねない根来の忍術僧の対策に追われていた。
急遽、城へ忍びが入り込めないように忍び返しの仕掛けを施したり、警備の配置を変えたりと忙しい毎日だった。
当然、すでに宇都宮藩の配下として入っていた根来同心たちも厳重に調べたが、なにぶん直参の身分であるため、呼び出して詮議ということはできず、動向を調べるだけで手一杯であった。
それに、忍術僧の出現以来、同心たちの本多家への反抗も鳴りを潜めたということもあり、裏で手を組んでいることが確実でありながら、おいそれとは手が出せない状況になっていたのである。
根来同心たちは命じられたとおりに本丸の普請仕事を黙々とこなしていたので、なんとなく警戒が緩くなっていた。
「……根来衆がわざと報告をあげてこなかったということか」
「で、ござろうな。さすがに十人の神隠しを黙っておくのはお役目怠慢でしょう。わざと報告しないというのであれば、裏があるとみるのが筋」
「しかし、なんのためだ? 神隠しを黙っておくということで、きゃつらに何の得がある?」
又右衛門は剃り残した顎の髭を抜き、
「下手人に心当たりがあるからでしょう。もしくは、自分たちが下手人そのものか……。まあ、間違いなくきゃつらが関わっておることは確かでしょうな」
「だが、又右衛門。大工を攫っても根来衆に任された普請の仕事が遅くなるだけだぞ。さすがに自分たちの仕事を遅滞させてまでするあえてする必要性は感じぬ」
正勝とて多正純の子。
頭の回転においては早すぎるぐらいに早い。
だが、その正勝の頭脳では答えが導き出せなかった。
「……それは官吏考えではそうなるということでござる。だが、いくさ人や忍びの理屈でいうと、答えは出てきますな」
「なんだ、それは?」
「官吏は自分の与えられた仕事が大事。そこで考えが止まります。が、件の根来忍びの目的は大殿の失脚。であるのならば、大工を利用する場合には二つの手段が考えられるでござる」
「一つは、建物に妙な小細工をかまさせるということ」
「……なるほど」
「もう一つは、建築している建物の仕組みを探ること。―――攫った挙句に戻さないということはおそらくこちらでしょうな。拷問にでもかけて聞き出すだけ聞き出したら、そのまま殺して埋めてしまえばいいだけでござる。あの売僧どもならやりかねない」
室内に重い沈黙が落ちた。
城の普請に関わっているとはいえ、関係のない市井の大工が十六人も殺されたという可能性があるのだ。
根来衆たちの対策に当たっていた三人にとっては、慙愧の念にたえない事態であった。
しかも、適度に暇を与えて休養させることにしたのは、正勝たちなのだから。
「だが、これからどうする? 大工たちをまた閉じ込めさせるのか」
「……すでに一度与えてしまった暇を再び奪えば、お家が反感を買うことは疑いありませんな」
「しかし、暇を出した一人一人に護衛をつけるわけにはいかんぞ。いつ、だれが、狙われるのかも断定できんしな」
「そうですな……」
三人は頭を悩ました。
「とにかく二、三日の間は外出を禁ずる沙汰を出しておこう。理由は適当に並べて置く」
「手間をかけ申す」
「……あとで大工たちに暇をやる時期を操作して、なんとかきゃつらを誘き出せるようにしてみよう。又右衛門、始末は頼むぞ」
「承知。拙者が片端から斬り捨ててごらんにみせます」
「頼む。桐も、だ」
「はい」
そうして、正勝は急いで普請場へと向かった。
とりあえず今日の休暇を取り消させ、時間を稼ぐためだった。
彼が直々に出向くしか道はないので、とにかく急がなければならない。
残された二人の忍びは、それぞれ入手した情報を交換し合う。
このような伝達をこまめに行なうことで、二人は人数の足りない部分を補い合っていたのだ。
「……で、その与四郎という大工は何者だ?」
「与四郎はおはやの許嫁。別に怪しくはない」
「ふむ。ならいい」
興味を無くしたらしい又右衛門とは裏腹に、桐の脳裏にはある不安が渦巻いた。
与四郎たちと桐はあれ以来、それなりに親しい付き合いをしていた。
だから、時折、彼ら一組の男女が夜中に逢引きを繰り返していることも知っている。
他の神隠しにあった大工と違い、暇をもらってでていくというわけではないが、城外に頻繁にでていくことは事実なのだ。
もし、その際に与四郎があの忍術僧に狙われたらどうするか。
桐は男としての与四郎にはいかに美男とはいえなんの興味もなかったが、おはやには多少の友情を感じていた。
だから、桐は決めた。
(あとで、もうおはやのために外に出ないように忠告しよう。もし、与四郎に何かあったら、おはやが悲しむ)
冷たい無表情の下に、意外と優しい心を隠し持ってしまっているのが、女忍び・桐のどうしても非常になれない部分でもあった……。