庄屋の娘
宇都宮城のすぐ近くに塩谷村という村がある。
おはやはこの村の庄屋・藤左衛門の娘であった。
当年十七歳。
可愛らしい顔つきをした娘盛りであった。
「……もう、どうすれば話をきいてもらえるの?」
「そうは言ってもな、娘。当城の普請を担当する大工たちがどこを担当しているかなど、民草においそれと教えることは出来ぬし、それを呼び出すことなどさらに出来ぬ相談よ」
「じゃあ、お金を払えばいいの?」
「悪いな。うちの殿様はそういう不正が大嫌いなんだ。わしだって岡本大八の二の舞にはなりたくない」
「ふんだ、ケチ」
おはやは宇都宮城の門番と押し問答をしていた。
話の内容は簡単だ。
言い交した男と少しの間だけでも話がしたいので城に入れてくれというものだった。それができないなら、呼び出してほしい。
若い娘としてはありがちなあまりものを考えない要求であったが、門番たちからすれば無理難題である。
力尽くで追い出そうとすれば角が立つし、城内の普請の様子は内密ということにされている。
さらに奥の二の丸やお成り御殿を担当する大工たちは、工事の進捗状況からずっと泊まり込みで仕事をさせられて、外出はほとんど禁止されている。
どれをとっても、おはやの言い分など聞くことはできない。
それなのに、この娘はしつこく粘り腰を続けるのだ。
門番たちがあまりのしつこさに辟易していたら、通用門から数人が顔を出した。
一人は城勤めの侍らしい羽織袴姿、少し下がって従う武士と奥勤めらしい恰好の下女がついていた。
思わず礼をとって跪いてしまう。
それはそうだろう。
馬上ではないとはいえ、そこに現われたのは城主のご子息であらせられる本多出羽守正勝であったからだ。
「いい、辞儀などはいらない」
「は、正勝さま」
正勝は鷹揚に言い放った。
彼としてもこれは城の見回り―――巡検でもなく、親しい者たちと城下へ出掛けるだけのものであり、畏まられると逆に迷惑なのだ。
だから、わざわざ馬すら使わず徒歩を選んだのである。
特に今回の外出は妻である圭のためにちょっとした小物を買おうという大名の跡取りらしくないものなので、正勝としてもなるべくお忍びで行きたい。
「……ところで、何をもめていたんだ?」
事情はわからないが、村娘と門番の言い争いなどは滅多にない。
庶民にとって良い殿様を目指す彼としては気になるところである。
「お恥ずかしいところを正勝さまにお見せしました。実は、この娘が城内の大工に会わせろと言ってきかないものでして……」
「なぜ、大工に会いたいのだ?」
「―――許嫁なのでございます」
仮にも御家人の門番と違い、百姓身分でしかないおはやは正勝を見て跪いていた。
一目で殿様のご一族だとわかった以上、気儘に振舞うわけにはいかない。
それが身分社会というものだ。
「許嫁だと?」
「はい。お城の普請のために雇われたのでございますが、もう一月あまり外の方に顔を見せにもこないのです。ですから、わたしの方から会いに来たのでございます」
「ふむ」
正勝は事情を理解した。
大工たちに城普請の間、ほとんど雪隠詰めといっていい閉じ込めを強いているのは、なかなか普請が終わらないためであり、藩側の事情だ。
それ相応の褒美と多額の金を与える予定であるとは言っても、大工たちを外に一歩も出さないというのは行き過ぎである。
能率の問題もある。
すべての大工がそうなのではなく、本丸と二ノ丸、お成り御殿を担当している大工たちだけということもわかっていたが、この娘のように直訴されるのは厄介だ。
「わかった、娘。とりあえず、今日のところはおれの妻の侍女に命じて、おぬしを許嫁に合わせてやろう。ただし、今回だけだ」
「本当でございますか!」
「ああ。それに大工の休暇についてはおぬしに免じて、適当な割り振りをしたのちに、それぞれに与えることを約定しよう。だから、このように城に直接掛け合うような真似は金輪際するなよ」
「ははっ。ありがとうございます、若殿様」
おはやは平伏した。
まさか、若殿様御自らに許しをいただけるとは思っていなかったので、尚更である。
さすがは公平の噂の高い上野介正純さまのご嫡男だ。
庶民にもお優しい。
「お桐」
「はい」
後ろに控えていた妻の侍女に呼びかけると、伊賀の女忍びである桐が返事をした。
若殿が奥さまの小物を買われるというので、その相談役として連れてこられたのである。
正勝の行動は庶民のそれのようであったが、夫が妻を大切にするという姿勢は桐にとってはとても感動的なものであり、喜んでついてきていたのだ。
「この娘を連れて、許嫁の大工とやらに会わせてやれ」
「承知いたしました。では、買い物は……?」
「此度の買い物については、おれと又右衛門だけで行ってくる」
「正勝さまと―――又右衛門殿だけで?」
桐は隣に並んでいる大男を見上げた。
不審の念のこもった眼差しで。
桐は又右衛門に顎をしゃくり、
「この野人のような殿方に、奥さまのものを選ばせるおつもりで?」
「なに、又右衛門はただの相談役にすぎん。決めるのはおれの仕事だ」
「むふふ、お桐がなにを心配しているかは知らんが、拙者は女子の好むものについては一通りの知見をもっておる。長坂坡の戦いにおける張飛のように頼りになること間違いなしだぞ」
それを聞いて桐は、
(その戦いって、せっかく守った橋を考えなしに落として伏兵がいないとバレた間抜けなお話のはず)
すでに例え話が失敗譚であることに関わらず、自信満々の又右衛門と正勝を見て、桐は奥さまへの贈り物がろくなことにならないだろうことを予感した。
だいたい、殿方が選ぶ贈り物というものはすべからくろくなものがないのだ。
自分の仕える正勝の妻・圭の困ったような顔を桐は幻視した。
「……では、桐はこの娘を連れて城に戻りまする。ゆめゆめ、又右衛門殿の推薦したものだけを参考にするのはおやめください。それでは……」
「まあ、見ておれ、この拙者の審美眼を」
「頼りにしているぞ、又右衛門」
そういうと、二人は莫逆の友のように仲好く連れ立って宇都宮城の大橋を渡って行った。
桐はため息を漏らす。
あれは失敗する、と確信して。
「じゃあ、あんた、着いてきて」
まだ跪いたままのおはやを促す。
「……えっと、何か悪いことしたかな」
おはやは桐の顔がなんとなく落胆しているように見えたので、そことなく気を遣った。
「気にしなくていい。それで、あんたの男は何ていう人なの?」
「男というか、許嫁だね」
「どっちでもいい。名と特徴を云って」
「えっと……」
とりつくしまのなさそうな桐に対して、少し気圧されながらもおはやは許嫁のことを口にした。
「名前は与四郎。宇都宮で一番のいーい男なんだあ」
とても幸せそうないっぱいの笑顔を、おはやは浮かべるのであった。
◇◆◇
買い物を終え、城に戻った正勝は父と相談して、城普請に携わる大工たちを幾つかの組に分けて、それぞれに休暇をとらせることにした。
大工たちを長い期間閉じ込めることは、まるで密事があるかのようにとられるおそれがあるかもしれないと思い至ったからでもある。
この措置そのものは大工たちに好評であった。
だが、この措置がのちに恐ろしい陰謀の引き金になるとは鋭敏な正純でさえも考えもしなかったであろう。
なぜなら、休暇をもらい、それぞれの家庭に戻ったはずの大工たちが幾人も不可思議な失踪を遂げたからである。
神隠し。
村人たちはそう噂した。
まだ随分な褒美もいただいていないのに、せっかくのいい仕事にありつけた大工たちがいなくなるなどそれ以外にありえないことだと、人々はわかっていたのである。
それが一人、二人ではなく、ついに十人もの大工たちがこつ然と姿を消したことで、悪い噂は千里を流れ、町奴たちの口から女忍びの桐の耳にまで届いたのである……。




