夕暮れの殺戮
「おい、あれだ、速疾鬼坊」
「おっと見過ごしてしまうところだったわい。拙僧としたことが」
「別によい。おれたちは紀州から共に出てきた桃園の誓いの仲間たちよ。誰かが皆のために骨を惜しまなければすべてが片付くというものだ」
「ふん、無厭坊。貴様の気づかいは拙僧には甚だ響くわい。あまり口にするでないぞ」
「かっかっか。照れることか、速疾鬼坊」
二人の法師は林の中を疾走しながら諧謔を叩いていたが、その眼は確実に目標を捕らえていた。
彼らが狙い定めていたものは、少し先の林道を歩く十人の職人風の男たちだった。
それぞれが動きやすい法被のような服装をして、箱に入った大荷物を抱えていた。
仕事帰りの大工たちである。
十人は宇都宮城の普請に携わっているものたちで、いつもは普請場で寝泊まりをしていたのだが、久しぶりに休みをもらって家に帰るところであった。
家族があるものは家族のもとへ、独り者は久しぶりに夜鷹でも買おうかと話をしながらのんびりと道を歩いている。
その前に頭上の木の枝から身軽に飛び降りてきたものたちがいた。
総髪の法師たちであった。
背中に何やら長い革袋を抱えている。
大柄で岩のような体格のものと、小柄でやぶにらみのように目つきの悪いもの、それぞれどちらも胡散臭い獣のような臭いを漂わせていた。
根来の忍術僧・速疾鬼坊と無厭坊であった。
「待てや、貴様ら」
「少々話がある」
いきなり現われた二人に、大工たちは仰天した。
まるで天から降ってきたとしか思えないのだからそれも当然だ。
この時代、空からくる異形は天狗と相場が決まっているので、大工たちは二人の法師を天狗の一種だと早合点してしまうほどである。
「て、天狗じゃあ」
「お……お助けぇ」
脱兎のごとく逃げ出そうとする大工たちに、無厭坊―――小柄な方が怒鳴った。
「待てというておる。逃げ出したりしたら、その場で鉄砲で撃ち殺すぞ」
そう喚くと、背中から根来の忍術僧の切り札である種子島を取り出し、大工たちに突き付けた。
鉄砲などというものは見たことのない田舎の大工たちである。
途端に足が止まる。
見たことがなくても、鉄砲がどういうものなのかは知っているのだから逃げ出したところで撃たれて終わりだとわかっているのだ。
大工たちはなすすべもなく立ち尽くしていた。
こうなってしまっては天狗のごとき法師に付き合うしかあるまい。
なに、見た目は物騒だがお坊様じゃ、酷いことはしないだろう。
すでに鉄砲をつきつけられるという狼藉をされているというのに、大工たちはまだ暢気なものであった。
「よい。では、貴様らに尋ねる。貴様らは宇都宮城の普請に雇われた大工どもか?」
「へい、その通りでさ」
確かにその通りなのではいとしか言いようがない。
「十人全員か」
「へい」
「……やはりな。で、どの普請場を任されておった。二の丸か、それともお成り御殿か、それとも本丸か」
「法師さま、どうしてそのようなことをお聞きになさるので?」
不審を感じて十人の中で最も年上で、棟梁役もこなしている初老の大工が問い返した。
少なくともべらべらと述べていい内容ではないからだ。
「いいから、答えろ。どこの普請場にいた!」
いきなり怒鳴り散らされて、怖気づいた若い大工が言う。
後ろの仲間たちの様子をちらちらと窺いながら、
「お、お成り御殿でさあ……。おいらたちは大殿様のお言いつけに従って仕事をしているんで、もしおいらたちになにかあったら……大殿様が……」
「そうか、ククク。やったぞ、無厭坊。ちょうど探していた連中だ」
「しばらく外ればかりであったからな。ようやく本命か。待ち遠しかったぞ」
「ククク、そうだな」
何やら顔を突き合わせて物騒な笑いを浮かべる法師二人。
あまりの恐ろしさにさっき答えた若い大工は振り向きざまに走り出した。
小動物的勘というべきものが働いたのだろう。
このままここに留まることは死を意味すると予感したのだ。
そして、その予感は的中した。
ズドンと雷のような大音が響き渡り、大柄な法師―――速疾鬼坊のもつ鉄砲が火を噴いたのだ。
背中を撃ちぬかれて若い大工は即死した。
咄嗟の行動だというのに、凄まじい速度の抜き撃ちであった。
大工たちには瞬きしたと同時に速疾鬼坊の手に鉄砲が湧き出たように見えたのである。
無厭坊と異なり背中に抱えた状態であったのにも関わらず、まるで幻を見せつけられたようであった。
「逃げていいと誰が申したか、若造が」
「相変わらず速いな、速疾鬼坊」
「ふむ、忍術射撃を使うまでのことではなかったか……」
「おぬしの忍術射撃『愛染撃ち』は誰の眼にもとまらない無拍子の技だからな。たかだか大工に使うのは畜生に小判を与えるようなものよ。しかし、まだ何も聞き出しておらぬのに殺してしまってよいのか」
「ククク、まあ良いではないか。ひい、ふう、みい……。まだ九人もおる。お成り御殿について聞き出すためには十分だろう」
若い大工が射殺されたことの原因が、何やら自分たちの携わる工事によるものだと思い立った残りの大工たちは顔を見合わせた。
もちろん恐怖もあるが、それよりも命乞いをするべきだとうなずき合った。
「ほ、法師さま! 申し訳ありませぬ!」
前の数人が地面に膝をついて土下座をした。
いきなりの土下座にさすがの忍術僧たちも気をとられた。
「どうした、なにを謝る?」
「申し訳ありませぬ!」
「だから、なんだ? はっきりと言え」
大工たちは殺された若者の遺体を見やり、やや視線を背けつつ、
「そやつの言ったことは嘘なのでございます!」
二人の法師は眉をひそめた。
「どういうことだ?」
「その……そいつが言ったことは真っ赤な嘘でして。……お成り御殿を担当しているということにしておけば大殿さまの威を借りて法師さま方からお目こぼししてもらえると、そいつが勝手に言っただけなのです!」
「なんだと?」
「おれたちゃ、実際はお成り御殿なんぞを担当させてもらえる腕のある大工じゃあございません! ですから、なにとぞ、なにとぞお許しを!」
這いつくばって必死に土下座する大工たちに無厭坊が聞く。
「では、貴様らはどこの担当なのだ?」
「ほ、本丸です。法師さまのお仲間の根来衆の方々ともご一緒させてもらっておりやす!」
「でですから、なにとぞ、命ばかりはお助けを!」
速疾鬼坊はわずかに考えた後、土下座する棟梁格の頭を思いっきり踏みつけた。
潰れた蛙のような声をあげた大工には一瞥も向けず、
「拙僧は騙されるのを好まぬ」
と言い放つと、自分で踏みつけた大工の頭を、手にした鉄砲で吹き飛ばした。
脳漿を撒き散らした大工はそのまま絶命した。
ピクピクと意思のない死体だけが動いてはいたが。
「ひ、ひい!」
目の前で二人の仲間が殺された大工たちは一斉に立ち上がり、逃げ出した。
腰を抜かしたものもいたが、それは二人だけで残りの六人は今度こそわき目も振らずに逃げ出した。
若い大工の死にざまを見てはいたが、鉄砲は弾の装填に時間がかかるものであり、大工二人を殺した法師の鉄砲にはもう弾がないものと考えての行動だった。
事実、大工たちが土下座している間に次弾の弾込めは終えていたが、逃げ出すものたちを背後から撃ち殺すまでの余裕は速疾鬼坊にはなかった。
そこでもう一人の無厭坊が自分の鉄砲を向ける。
彼の鉄砲は通常のものと違い、銃の先端である銃口の部分がまるで漏斗のように丸く広がっていた。
この当時の日本にはまだ存在しなかったが、今でいうトランペットのような趣きがあった。
だが、本来は弾に勢いをもたせるために調整される銃身がそんな形になっていたら、当然のこととして弾丸はあらぬ方向に飛ぶはずである。
しかし、火縄をつけて無厭坊が引き金を引くと、逃げ出していたはずの大工のうち、もっとも近くにいた三人が背中から吹き飛んだ。
三人の背中には夥しい焼け焦げた傷ができている。
それが銃創であるとわかったものは仲間の速疾鬼坊のみ。
無厭坊の奇怪な形状の種子島鉄砲は、なんとたったの一弾きで三人の大工を同時に屠ったのである。
一方で仲間がなにやら不思議な術で殺されたとも知らず、残りの三人はただ全速で走り続けた。
その一人が突然頭から血を吹きだして崩れ落ちた。
大工が倒れてから、少し遅れて鉄砲の音が聞こえてくる。
耳を澄ました無厭坊がにやりと笑う。
「ククク、毘藍婆坊め。えらく遠くから撃ってきおったの」
「やつの『不動撃ち』は種子島の届く範囲さえもこえて敵を射抜く忍術射撃だ。まさにおそるべき男よ……」
「だが、やつだけではないぞ」
「そのようだな」
二人の法師が大工たちを追う気配も見せなかったのは、理由があった。
一つはさきほどの異常なほどの遠くから大工を見事に狙撃して見せた毘藍婆坊の存在、そして……
「ぐええええ!」
逃げた大工の一人がいきなり宙に飛び上った。
いや、違う。
喉に突き刺さった鋭い銛のようなものと、その尻についたひどく細い黒い糸状のものによって宙に吊り下げられたのである。
大の大人を吊り下げることができるとは思えぬほどの細い糸を手繰った先にいるのは、またも根来の法師であった。
名は多髪坊。
手にした鉄砲から、糸の付いた銛を打ち出し、目標を仕留める「軍荼利撃ち」の術者であった。
「ふん、おれたちの分がないではないか……」
「みな、手が早いのう」
最後に遅れて登場した片腕の法師と、両手に馬上筒を携えた法師が憎々しげに言う。
その眼は腰を抜かした大工二人に注がれていた。
二丁の馬上筒をもった法師―――藍婆坊はにたりと笑うとその二つの銃口を大工たちに突き付けた。
そして、嘲笑しながら引き金を引いた。
射撃音はたった一つ。
まったくもって同時であった。
刹那の狂いもない。
二丁の馬上筒をまるで自分の手のように操り、拳法のごとく戦う武技を極めたのがこの藍婆坊であり、彼の得意とする忍術射撃『大威徳撃ち』である。
「血の気が多すぎじゃ。まったく、こやつらの死骸の片づけはどうする気だ」
「そんなものは阿含坊たちに任せればよい。拙僧たちがするべき些事ではないわ」
「……まあ、それもそうか。あやつらがなかなか上野介を攻略できないからおれたちが呼ばれたのだからな。そのぐらいはしてもらおうか。いつものように」
十人もの命を容易く奪ったにもかかわらず、忍術僧たちは良心の呵責も何も覚えていないようであった。
すでに万人を導く仏法の徒としての心根は欠片も残っていないのであろう。
これが、戦国の世を震撼させた根来の忍術僧の真の姿とはいえ、余人ならば吐き気を催す邪悪であった。
そして、彼らの振るう忍術射撃の恐るべきことよ。
いかにすでに忍術僧の一人・黒歯坊を倒したとは言え、果たして本多家を守る荒木又右衛門の孤剣はこの魔僧たちに抗しきれるのであろうか。
雌伏の時はすでに終わった。
もうすぐ両者の激突の時が、この宇都宮の地において訪れようとしているのであった……。




