第十章
俺は三奈美を奴から救い出すと、ほっと溜息をついた。
勘が当たってて良かった。本当に。
俺は息を整えて、周囲の気配に気を配った。
「そこに居るのはわかる。息が上がってるぜ、ロリータ」
俺は振り返り、奴と向き合った。
ずっと探し求めていた。
この時をずっと待っていた。
「橘だな。そんなことはわかってる。こんなことはやめろ」
ギリスーツに包まれた迷彩服を着て、顔を緑と黒のフェイスペイントで塗りたくったそいつは何も言わず、さっと戦闘できる体勢をとる。
美晴を失ってから、何の意味もなく、ただただ訓練を続けた。
誰かを救えるなら、そう思って。でもろくに使えやしなかった。
だってお前との約束があったから、美晴。
ごめんよ、美晴。今はお前の約束を破ってでも守らなきゃいけない約束があるんだ。
本当は怖い。怖くて内股になる。足が小刻みに震える。
でも、大切な人を失うのはもっと怖いから。
ごめん、美晴。俺は行くよ。
奴は鋭い突きを繰り出してきた。俺はそれを手でそらし、よける。
よけながら、俺は奴に言った。
闘っている最中にしゃべるなんて正気の沙汰じゃない。
「お前がもし橘だとしたらだが。帽子、ありがとうな」
もし外したら俺が大きな隙を作ってしまう。
だがやる価値はないわけじゃない。
奴は一瞬はっとしてしまう。致命的な隙だった。
もらった。
俺は大声で吠えながら、突きを相手のみぞおち狙って繰り出した。
「うぉおおおお」
俺の手刀は鋭く奴のみぞおちに食い込んだ。
「がはっ」
苦悶の声をあげ、奴は身体を折り曲げた。
鍛えているのか、奴は痛みで体をそこまで折り曲げなかった。
しかし、俺にはこれで十分だ。
俺は三奈美やみんなの笑顔を失うわけにはいかないんだ。
悪いな。
俺は叫びながら奴の顔に拳を叩き込む。
拳が顔にめり込んで奴は後方へ倒れこんだ。
決まった。そう思った、しかし違った。
気が付いたときには右手にナイフが突き立っていた。
またか。
奴は俺がナイフに気を取られていると思ったのか、少々隙のあるブローを繰り出してきた。
「うぉおおおお」
まるで獣のように咆哮する奴にこたえるように俺も叫び、無事な左手で追撃する。
拳と拳がぶつかり、手に激痛が走る。
負けたのは奴だった。
大きく隙を見せた奴の顔面に俺はナイフが突き立ったままの右手を叩き込んだ。
まるで、あの日答えをだしたように。
奴は勢いよく後方へ倒れこんだ。
息が上がる寸前だった。俺は左手からナイフを抜き取り、放る。
「終わりだ」
俺は冷たく言い放った。
「そうね。全部終わり、でもいいわ」
フェイスペイントが落ちて、橘の顔が晒されていた。
顔は大きく膨らみ、鼻から血が滴っている。
橘はもう一度立ち上がった。
「もう終わりなのね…あたしは大きなおっぱいを手に入れることもできないわけか…まぁそれもいいか…」
橘は懐からナイフを取り出し自分の首に突き付けた。
俺はとっさで間に合わない。
血がどくどく流れ出て迷彩服を紅く彩る。
「もう、やめて。うちに帰ろうよ」
いつからいたのか、はなさんがナイフの刃を掴んでいた。
俺はふと美晴と約束した日の情景とのデジャブを感じる。
橘の手からするりとナイフが抜け落ちる。
「なぜ、こんな事をしたんだ…」
俺は耐え切れず訊いてしまう。
草をかき分ける音が聞こえたかと思うと草薙が二宮を連れてやってきた。
二宮は支えられるように、草薙に手を預けていた。
「あなた達を集めるため、完全な美晴を作り出すため。それだけよ」
月明かりに照らされた橘はぞっとするほど美しい。
「完全な美晴…?」
三奈美が立ち上がり訊いた。
「そう、完全な美晴を作ること。不良を倒すのはプロトコルに過ぎない」
「どういうことだ…」
二宮が叫ぶ。
「そこにいる草薙。彼女は数か月前、自殺に失敗して記憶を失った」
皆の視線が草薙に集まる。
「自分と言うものを完全に失った彼女を見つけた私は、彼女を美晴にしようと考えたの。
でも、私の持つ美晴の情報では全く足りなかった。それだけの情報では彼女は美晴にはならない」
「だから…あたし達に集めて人物像を作らさせたのね…」
橘は無言でうなずく。
月明かりは草薙を照らしていた。
そこに居たのは驚きで顔を歪める一人の少女だった。
「それで…どうしたんですか」
草薙の目の焦点はちらつき、揺れていた。
「情報から必要な情報を選び出し、草薙におぼえさせ、自己暗示させた。これは自分だとね」
「嘘だ…」
草薙の顔は大きくゆがみ、震えていた。
言葉が人を作る。言葉の強制力。そんな言葉が俺の頭をよぎる。
「本当よ。学年トップの成績を持つあなたが、ある日私に尋ねてきた。悩み事があって、死ぬべきか。と」
「それであなたはなんて答えたんだ…」
俺は思わずうろたええてしまう。
「そんなバカなことはやめなさい。そう言った。そしてあなたも約束したわ。でも、あなたはやった」
「なぜ…なぜ私は死のうと…」
「厳しい家庭に疲れた。成績だけの学校生活に疲れた。上っ面だけの人間関係に疲れた。
あなたはそう言っていたわ」
橘はそこで区切り、
「でも生き延びた。だから私はあなたを利用した。最初は、本当の事を教えたらだめだと言う気持ちからだった。でも、私思ったの。ある日突然いなくなってしまった美晴にもう一度会えるかもしれない。このクソッたれた世界に戦いを挑むあの子の正義がもう一度見たいと」
「それで…」
「そうよ。あの事件をわざと起こして、あの文章を書いてあなた達を集めた」
最初から俺たちは手のひらで踊っていた、そういう事か。
「それで…成功したんですか」
「ええ、あなた達と言う美晴の正義を引き継いだ者たちが集まり、美晴も再臨した」
草薙が悪だと言っている…そう言って動く正義の集団を作り上げようとしたのか…
いかれてる。
「なぜ、お前は加わらなかったんだ」
俺はふと訊いた。
「私は一人だから…」
「わたしが居るのになぜ…?」
はなが困惑して聞いた。
「ごめん、はな。はなと私には境界線があった。あなたは私と共に戦わない、それだけははっきりわかっていたの、長い付き合いでね」
「違うんじゃないか?お前ははなさんを安全装置にしていたんだ。自分が暴走しないように、わざと自分の正体を明かし、わざと手当をさせ」
俺にとっての美鈴のように。
俺は橘を睨み付けた。
「そうかもね…でも私はいかれてしまった。キューブの開発者も嫌悪感を催し、ギニーピッグさえ腰を抜かし、ソドムの市もびっくりの狂気の実験に手を出した」
「なんで、なんでそこまでしなきゃならなかったんだ」
「わからない…私は気が付かぬうちにヨーゼフ博士になっていたのかも」
「お前にはここに来る意味がない。お前には何か意図があったんじゃないのか」
「わからない。ただ…思うがままに」
「寂しかったんじゃないか。一人で」
「ええ…でも慣れっこだわ。もういいでしょ。早く私を警察へ連れて行って」
俺たちは疲れて林を出た。
朝日がまぶしく俺たちを照らし出した。
橘は一人交番に向かっていった。
俺はふと言ってしまった。いや、言わなければならなかったのかもしれない。
「なぁ橘。罪を贖ったら俺たちの所に来いよ。歓迎するぜ」
驚いて橘が俺の方を振り返った。
「橘。お前は一人じゃない」
俺はポケットに丸めた帽子を放って橘に渡した。
「帽子、ありがとうよ。でも今のお前にはそれが必要だろ」
橘は小さく俺たちに手を振っただけで、すぐに行ってしまった。
「終わったのね…」
三奈美がほっと息を吐いた。
「いいや。始まったのさ」
俺は強く言い放った。
橘は自首した。こうして迷宮入りするかと思われた事件は解決した。
「結局、お前はなんであんなに美晴を恨んでいたんだ?」
俺たちはまたファミレスに集まり話をしていた。
「えっ?ああ…」
俺の唐突な質問に二宮はびっくりしていた。
「美晴は暴力なんて絶対しなかったんだ。そのかわり喧嘩はめちゃくちゃ弱かったけど。
でも、そんな美晴が俺は羨ましくて、憧れていた。それを知らずに美晴を名乗るからさ」
二宮が笑って言った。
「喧嘩がめちゃくちゃ弱い…?」
俺は戸惑って、二宮の顔を覗き込んだ。
「お前の会った美晴ってどんな格好だったんだ」
「マスクをしてたよ」
二宮は真剣な顔だったが、俺は思わず吹き出してしまった。
「お前…そりゃ」
後日、橘の裁判が行われることになった。
まだ結果はわからない。
俺たちは学校の帰りに集合した。
「お前、ちゃんと礼を言うんだぞ」
俺が念を入れると
「ああ…うん…」
恥かしそうに二宮が頭を掻いた。
「あたしたち、見張ってるから。ちゃんと言いなさいよ。男でしょガツンと行きなさい」
「お、おう」
俺たちは高野の家に向かう二宮を見送った。
高野の家は小さな一軒家だった。
二宮がインターフォンを押した。
「あ…あの。優さんお願いします」
今の二宮は全然さわやかじゃなかった。野暮ったくて笑える。
「な…なに?」
高野が出てきた。この時は眼鏡をかけていなかった。
「あ…あのさ…俺、子供のころいじめっ子退治してたんだけど、そのときに美晴ってやつが協力してくれたんだけど、それってお前だったのか?」
「あ…ああ、うんそだよ」
二人は一気に顔を赤くした。
「いい雰囲気だし行きましょうか」
にこにこしながら三奈美が言った。
「ああ、そうしよう」
俺たちはにこにこしながら高野の家を後にした。
はなさんはやっぱり元気がなかった。
「ではこれにて」
はなさんはとぼとぼ帰って行った。
しかしすぐに振り返って、
「この傷は私の罪。私も罪を背負ってるんです」
そう言って手を俺たちに向けた。
「お願いします。あの子が戻ってくるまで、解散しないで欲しいんです。いいですか?」
「変に丁寧にしなくていいわよ。それに、そんなの決まってるじゃない」
三奈美が微笑んだ。
「ありがとう。みんな」
帰っていくはなさんの背中は少しだけ嬉しそうだった。
「私、これからどうすればいいんでしょう」
草薙が呟いて泣き出した。
三奈美や橘がそうだったように、草薙もまたただの女の子でしかないのだ。
「みんなで一緒に考えていけばいいだろ」
俺の答えに草薙は泣きながら笑顔で答えた。
「ええ。ありがとうございます…」
草薙が去り、とうとう俺と三奈美だけになった。
「ねぇあたし達、美晴が居なくなったから「同志」じゃないのよね」
「そうなるな」
「じゃああたしたちこれから、なんていうか…なんていう関係なの?」
頬を赤く染めて、三奈美が俺を見た。
「ええと…友達かな?」
俺はそっけなく答えた。
本当は三奈美が気絶してた時俺がなんて言ったか思い出すだけで顔から火が出そうだった。
「ば、ばっかじゃないの。あんたなんかただの知り合いよ!」
紅くなってむすっとして三奈美が帰って行った。
これでとりあえず一件落着と思ったのだが、そのあと家に帰った俺は美鈴に散々絞られた。
見てるか、美晴。今もお前の正義の気持ちはみんなの中できちんと生きてるんだ。
お前はまだ死んでない。
お前はまだ終わっちゃいない。
お前は、まだ終わらない。ずっと続いていくんだ。
ありがとう美晴。
この作品は私がある日、ふと「俺の教室にハルヒはいない」という小説を見たとき、こんな話なんだろうな、と思った物に肉を付けた物です。
登場人物もハルヒのキャラクターからの影響が大きいです。
どうでもいいですが、本当は草薙ではなく、高野が5人目のメンバーでしたが変更になりました。高野さんごめんね。




