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予定調和 第二六章

喧嘩にもならない喧嘩、と言うものは存在する。

お互いで自分自身の主張をただ言っているだけで、相手の主張は耳に入っているかも知れないけれど己の中で咀嚼する気は全くない。ただ、同じ事だけを繰り返して口にしていると言うだけの関係。間柄?

だから、話はいっこうに進まないしまとまらない。

喧嘩は二人ですると不毛かも知れません。


「そんな事はどうでもいいのよ……つまり、お前のせいなのよね?」


 今の今まで、この状況は彼らにとって津波の様に襲われていた。

 まさに、襲われていた。

 昨日までの現実と常識が、がらがらと音を立てて。または零れ落ちる砂の様に音も無く消えてゆくのが。

 どれだけの力を尽くしても、する(いとま)も無く終わってゆく事を見つめる事しか出来なかった。

 それは、ミカも同じだった。


「お前が居るから、ミカはお姫様じゃいられないんだよね」


 何かが、ぎりっと音を立てた様な気がした。

 それは噛みしめた歯かも知れないし、握りしめた手の中にある服の布地かも知れないし。

 もしかしたら、別の何かかも知れない。


「お前……ねえ?」


 こくりとカップを傾けると、枝織は側に控えていた侍女に手渡した。

 心得たとばかりにカップを受け取った侍女は、それと悟られずに静かに下がる。

 彼女の侍女としての技術も大変高いのだろう所を見ると、いかに侍女達が元御子をどう思っているとしても。やはり、それなりに私的な感情を押し込めてきちんと仕事をこなしていたのだろうと言う気がする。

 これは、エリン経由で聞いた情報なのであながち間違いではないだろう。すべての侍女を敵に回したわけではないだろうが、かと言って全員がミカの味方となるわけではない……流石に、そんな危険な事をさせるわけにはいかないと良い方向へ転換した人もいるのだから、これはこれで思う所が幾つもある。


「それは、誰に向かって言っているセリフなのかな?」


 身分制度から考えると、ミカに対して物申す事が出来る存在はほとんどいない。

 貴族でも何でもないミカは国民ですらないが、御子だった頃には世界の中でも最上位に近い存在となっていた。それでも、今は単なる異界から訪れた存在に過ぎない。

 社会的地位は、何もない。

 西の領地を賜るのはこれからで、そこだけを見れば上位貴族と見る事も出来る。すでに決定事項なのだから貴族への対応としたら、そこいらの人達がミカに声を掛けられないのは正しい。


「何ですって……」


 枝織は、貴族ではない。

 神殿で揺るぐことのない地位を築き、対人的な繋がりも各地に多くあり。なおかつ、この国の王家に多大なる恩を売りつけているので本来ならば下にも置かない扱いをされてもおかしくはない……枝織本人にその気がないからされないだけで、望めばある程度は褒章などを受け取る事も出来るだろう。確証はないが。

 だが、貴族ではない。神殿は国家間の関係を持ち込まないので他国の市民だったとしてもそうだが、異世界人だと当人が口にしている以上は権力者の前にあって頭を垂れなければならない立場だ。

 だが、枝織は誰にも頭を下げない。その必要がないとばかりに。


「お前が居るから、ミカはお姫様じゃいられないって言われてるのよ。どうしてくれるのよ!」

「ミカが今まで好き勝手出来たのは私が色々と裏で手を回していたから……まあ、信じなくても良いけど」

「お前はミカがお姫様でいる為に存在するんだから、そうやってこそこそしていればいいのよ。ミカの為に働いていればいいのよ、なんで出てきたのよ!」


 あら、意外。


 そんな顔をした枝織は、駄々をこねる子供の姿のミカを見ても何とも思わない。

 憐れむ気持ちも、悲しむ気持ちも、同情心も、猜疑心も、好意も悪意もない。


「一応判ってるのかしらね、私が存在しなければミカはこの世界で好き勝手なんて出来なかったの」

「お前はミカの為にいるんだから、ミカの為に働きなさいよ! 勝手な事をしないで!」

「それは違うわ、私はアンタがバカで愚かで考えなしで無鉄砲で無自覚で無意識で無駄で無意味な事をする事で迷惑を(こうむ)る人達のうち大多数の。そんな目に合わせるわけにはいかない人たちの為に、この数十年を呼び寄せられて生きて働いてきたのであって、アンタがバカで愚かで考えなしで無鉄砲で無自覚で無意識で無駄で無意味な事をする事を肯定する為でも支える為でもないわ!」


 言い切った。

 枝織は、はっきりと言いきった。

 しかも二度も、それは6歳の少年だった子供にしては哀れなほど賢い存在に対しては無慈悲なまでに。

 もしくは、あるいは故の慈悲と言うべきかも知れない。

 ミカは誰かに咎められる事も攻撃を受ける事も、(ののし)られる事も素知らぬ顔をして通り過ぎるだけで逸らしてきたのだから。


「な……」

「あと、言っておくけどミカ。アンタの信者になった人達は保護する対象者じゃないから、これは神にとって『この世界から居なくなっても別に代わりが効くから報酬』としてくれるそうよ。良かったわね?

 アンタの、バカで愚かで考えなしで無鉄砲で無自覚で無意識で無駄で無意味な事をしたと言う事実が、こんな形で実ってくれて。これがミカにとっての収穫(おひめさまのたからもの)よ」


 どうやら、枝織は怒っているようだと気が付いた者が居た。

 先ほどまでは、ここまで怒っているようには見えなかった。

 あえて言うのならば、話をしている間に怒りが募ってきたと言う所だろうか?


「なんだかな……私、この世界でも数十年を生きてきたし。そう言う意味では人生経験ってそれなりに多い方だし、肉体的な時間軸の螺子は帰る度に巻き取られて経験値もファイル的に隔離されているから記憶が混合とかするわけじゃないんだけど。と言うか、だからかしら? もっと性格が丸くなってるとばかり思ってたんだけど……なんか、すごくムカツクのよね」


 ちらりと枝織が視線を向けると、心得たとばかりに控えていた侍女が甘いお菓子や砂糖を抜いたお茶などを用意してくれる。

 元来、神殿は清貧を尊ぶとは言っても嗜好品を禁じているわけではない……そうでも無ければ、今頃は両親が神官や神殿勤めだと言う子供たちは一掃されて孤児か貴族がメインで一般人は全てボランティアとなっているだろう。貴族は神の意向を受けた者が神に仕える事で国の維持繁栄を願うと言うのは昔からの慣わしだし、一般人や孤児は俗世を捨てて神に身も心も捧げると言うのが厳しい戒律を課せられた所での決まり事だ。

 しかし、この国ではそうでもない。他所の国と異なり、親から子へと一般人でも神官の血統と言うものは存在するし、それによる癒着などが心配される事も人であるが故に消せぬ事実として存在するが、戒律が厳しい場合はそもそも色事に手を出す事だって出来ないし子供をなす事だって出来ない。


 枝織やミカが居た世界には、十戒と言うものが存在する。

 詳しい事は省くとして、その中には他人を羨んだり妬んだりしてはいけないとか、他人のモノを盗んだり嘘をついたりしてはいけない。休むときには休み、目上の者には敬意を持って接しろと言う所だろうか。


「別にね、私も細かい事を言うつもりはないの。面倒だしね。

 それでも……私は、思うのだけど。

 ミカ、貴方は殺してはならない人を殺した。その事を貴方は決して重いものだとは思わないし、その事に心当たりもないでしょう」


 流石に、ミカが誰かを殺した事で怒りを覚えていると言われれば神官達は目を見張る。

 彼らにとって、ミカは仕えるべき至上の神が遣わした御子。仮に枝織の行った事で心を惹かれる魅力の力が失せたとは言っても完全ではない、今はまだ思っていても気持ちは揺らぐかも知れない。それでも。

 今はまだ、この可愛い人を相手に思いを寄せている。

 だが、彼らは大人だ。

 ミカの魅力に引き寄せられ、操られるかの様に慕った事は事実。けれど、それでも根底にあるのがこの世界における宗教的な神と言う土台があってこその感情であるのならば、一瞬でも正気を取り戻す事は不可能ではない。


「……何を言ってるのよ、バカじゃないの?」

「良い? アンタは殺したのよ、それは事実なの。

 アンタが殺したのは6歳の男の子。実佳君。

 ミカは、実佳君をアンタが殺さなかったら生まれなかった。いわば、アンタの親でありアンタ自身、もう一人のアンタであり、もう存在しない子供。

 ミカ、アンタは自分自身を殺しておきながら平気な顔してへらへらと男を(たぶら)かして全てを誤魔化して目を背けて現実を否定して、でも現実の中を生きているの」



続く


詩織は自身が少しばかり大人気ないなーという自覚があります。

この世界だけでも数十年、下の世界でも十数年生きてきたと言うのに経験が生かせない、人一人も口で説得できないなんてなーと思っています。でも、そんな事を教える気はなし。

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