予定調和 第二〇章
6歳児は幼児だろうか? 幼児だろう。
少なくとも、大人になることはない。
6歳の子供が10年分の時間を飛び越えて大人として扱われる、それは…どんな気持ちなのだろう?
ここでポイントとなるのは、枝織自身が解く事を出来ないとは言っていない。実力と言うより、枝織に甘い神ならば枝織が「解いて」と言えば解いてくれるだろう。何も言わなくても枝織が傷つく様な事を局地的に甘い神ならばしないだろうから、枝織が取って来るどころか意識を傾けた時点で解除するどころか手の中に納まると言うより、身に着けている事も無論可能だろう……試していないので不明だが。ただし、心情的にはとてもではないが気にならない。
枝織の言葉に、ぶるりと元魔法士団長は体を震わせた。
とてもではないが、考えていた全ての対策が無駄だと言葉の外側で言われたのを感じたのだろう。
「ちょっと! 早く取ってきてよ!」
「ミカ……」
「アレはミカのなの! だから早くあんた達はミカの為に持ってこなくちゃいけないのよ!」
取ってきてくれると言ったのに、取ってくるどころか吹っ飛ばされた元第一王子と躊躇っている元魔法士団長を見てミカがヒステリーを起こしている。以前ほどのめり込む感情はないし、それでもまだ惹かれてはいるけれど……まるで、熱が冷めたかの様な感じがして。
「あら、そこまで言うのならば自分で行ったらどう? 誰も止めないわよ?
もっとも、身の安全の保証は誰もしてくれないから……自己責任でお願いね?」
「ミカはお姫様だから自分でやらなくていいの!」
その言葉の中には「吹っ飛ばされるなんて嫌」と言う感情が隠さずに見えているのだから……訳が判らない。
だとしても、それでもミカを「可愛い」と思ってしまう者達に同情すらしたくなるのだから……どうしようもない。お手上げ、と言いたくなるのも当然と言うものだろう。
「あんたがお姫様ねえ……」
「嘘じゃないもん、本当に神様が言ったんだもん!」
幼児化しているのか、それとも本性なだけか……そう言えば、見かけはともかく中身は6歳の男の子なのだから子供だ。
「別に嘘だとは言ってないわよ? ただね……それってどういう事かって聞いた?」
「……え?」
きょとんとした顔をしたミカの表情は、確かに元々の作りが良いのか可愛らしい顔立ちをしている。
枝織にとって画面の向こうで人気となり、現実世界でも幾つもの商品展開を見せた幻想偶像の先駆けとなった存在にも似ているし、もしかしたら他にも幾つかの要素が介入しているのかも知れないとは思うが。そんな事は今は関係ないし、どうでも良い事だ。
ただし、外見年齢に対して中身が本から得た知識以外は全くの皆無と言って差し支えない所の残念感が半端無いと枝織は思う。ある意味、偶像としては正しいあり方なのかも知れないとさえ思う。
その、妙に現実味のないアンバランスさ加減に欲情するか。同情するか、嫌悪するかは人それぞれなのだ。
「神は何て言ったのか覚えてる?」
馬鹿にされたとでも思ったのか、鼻を鳴らして見下した視線を向けてくる。
枝織にしてみれば「ああ、ヤンデレ化してるなあ……」程度の印象しかないが、騎士団長とマーシャ、エリンは何か違う生物にでも変容してしまったかの様な目で見ているし、それでも羨望の眼差しを続ける男達には天晴れと言いたくなるほどだ。
「ミカはすっごく可愛くて良い子だから、もっと皆に愛されればいいって。
力を上げるから、困ってる人を助けて欲しいって言われたのよ。ミカはちょっと起きてるだけで熱が出ちゃうから無理だって言ったら、元気な体にしてくれるって言ったの。神様なんだから好きなようにしてあげるって言われたから、ママみたいなお姫様になりたいって言ったの。ミカはお姫様になればいいよって言ってたから、ミカはお姫様なのよ!」
枝織は「ああ、そういえば……」とは言ったが、それ以上は口にしようとしなかった。
何か思う所があるのだろうが、聞いた所で応えてくれる可能性は低いし。何より、聞きたいと思った者も居なかったので割愛される。
「で、それは『何時』の『どこ』でだって言ってた?」
「……み、ミカはお姫様だもん!」
「言っていない訳だ……でも、神は言って居たんだけどね」
元気な体はずっとあげる。でも神の御子としての立場は人々が困ってる間だけだからね?
もし、ずっと神の御子のままだったらお姫様ではいられないのだから。
「と言う事は……彼女が言ってる『お姫様』と言う存在になる為には御子を辞めなければならないと言う事になりませんか?」
「その通りよ、騎士団長。
ミカはお姫様になる為に御子の位と力を返上した……だから、ずうっとお姫様。でも、単なるお姫様であるだけの話。
ミカと言う女の子も、元々の男の子も死んじゃった。神の御子も居ない、ここに居るのは……。
単なるお姫様でしかないの」
「……大変申し訳ございませんが、いかなる事であるか補足をお願いしても宜しいでしょうか?」
「大丈夫よ、エリン。普通は意味なんて判らないわ。
一般的な理論から考えれば、姫とは王女であり。王女とは王家あってのもので、王家とは治める国があり人民があり、その頂点に立つ存在。またはその一族に連なる存在となる。
だけどね、ミカにとってそんな事はどこか。遠い世界のちんぷんかんぷんな想像もつかない「むずかしい話」であって、特別にミカそのものが王家に連なる存在でもなければ治める国があるわけでもない。
大体、自分で国を治めるならば女王となるけれど、ミカにとってあくまでも拘るのは母親がそうであったと言う「お姫様」であって、女王ではない。ついでに言えば、仮に女王となって治める土地や人民があったとしても今のミカに何か出来る事があると思う?」
つらつらと綴られた枝織の言葉に、思う所のある面々はそれぞれの面持ちを持って応えた。
使えていた侍女達は蔑みと哀れみと、幾ばくかの同情を持って。
思いを寄せていた者達は理解出来ない不安定な気持ちと、原因不明の悲しみを持って。
ちなみに、騎士団長は勝手に二人の世界に入り込んでいるし。マーシャは巻き込まれてどこから判断してよいのか判らなくても戸惑ったままで、それを見ているエリンは心底呆れたい衝動に駆られながらも我慢の子をしている己はなんて偉いのかと自画自賛する事で現実を拒絶も容認もしないで黙認している。
「要するに、ミカは自称お姫様になったってだけ。他の土地とか住む所とかは、こっちの世界の人達が用立ててくれたと言うか、これも神の報酬の一部なんでしょうね。
流石に、今まで世界の為に働かせた報酬が丸裸で放り出すって言うのは……可哀想とでも思ったのかしら?」
くすりと枝織は微笑んだが、別にこれは本気で言ったわけではない。
どちらかと言えば、神はそこまで考えたわけではなく枝織が怒らないようにする為に最大限の気を使ってみた結果に過ぎないだろう。
「この後、歴史としてミカが王家を打ち立てても王家に嫁入りしても、そんなのはどうでも良い。出来るのならば挑戦するのも良いわよね、少なくとも私や神殿。事情を知っている関係各位は止めないわ。
この世界における重要な立場の人達、集団、種族にも通達しているから。それでもミカを政治的経済的学術的に研究利用しようなんて存在もいないでしょう、その点に関しては私は(・)許すつもりはないから。
少なくとも、最低限の身の安全は保障くらいはしてあげる。せめてもの情けとも言えるわ。少なくとも、今の時点で襲われて身包み剥がされたり襲われて殺されたりする事はないもの」
もっとも、と枝織は「その後」の事については口にしていない事に気が付いた者はいたのかどうか。
少なくとも、西の領地に辿り着いた後で何が起こるのか。枝織は知っているかも知れないし、知らないかも知れない。
続く
ミカはこの世界に来る前から基本的に態度が変わっていません、なので幼児退行した様に見えた場合はミカではなく相手が変化したからです。
ある意味、彼らが容姿に気狂を起こしたままならば幸福の中で生きられるのかも知れません。本人にとっては、ですが。




