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予定調和 第十二章

第二弾、行きます。

 未だ、マーシャの顔は涙で濡れたままだ。流れる涙は流石に少しは拭いたが万全と言うわけではなく、瞼も脹れて目も赤くなり、しゃっくりさえしているけれど口調はしっかりとしている。目は揺るぐ事なく見つめてくる。


「……そうですね、申し訳ございません。

 どうやら、私は貴女の矜持(きょうじ)(ないがし)ろにする所であったようです。

 では、お言葉に甘えましてこの場で……」


 一人座っていた騎士団長は、すっと立ち上がりマーシャの目の前に膝を着く。


「マーシャ殿」


 有能ではあるが小柄なマーシャは、膝を突いた騎士団長の視線から僅かに見上げると言う程度のもの。

 いかに騎士団長が良い体格をしているとは言っても、比較した場合のマーシャの体格は子供と言っても良いのではないかと思わされる。これで有能、いかなる状況に置いても冷静な判断を下す高貴なる存在としても有名なのだから、確かにマニアにはたまらないだろう。本人は知らないが。

 ……一時、法務省の大臣に幼女愛好疑惑が城内に飛び交ったのは、良い昔話と言う事にしておこう。


「私は、かつて幼少の頃をスラムですごし家族も両親も幼い頃の記憶すら定かではない、どこの者とも知れず、ただ運が良かっただけで生き残ったに過ぎない。礼儀も(わきま)えぬ不心得者よ、と後ろ指をさされる鼻つまみ者で無骨にして口下手。上手い言葉の一つも、口にする事が出来る者でございます」


 この時点で、もし元王子や元魔法士団長等の騎士団長を幼い頃からよく知っている面々がまともな神経だったならば「何をいけしゃあしゃあと言っている事やら」と言ったかも知れない。

 言っている言葉自体に間違いはないし、嘘ではない。

 騎士団長は幼い頃の記憶を持たず……本人曰く、まるで街中で誰かに襲われたかの様な血まみれの酷い格好をしていた所を養母と言うか養老女に拾われたと言って居たので過去を持たない事も家族が不明なのも間違いではないだろう。

 ただし、騎士団長は幼い頃から犯罪の温床と呼ばれていたスラム街で子供たちの自警団を組織し、トップリーダーとして長い間を君臨していた。統率力、発言力、実行力は本人の失われた記憶なのか元から備わっている生まれつきのものかはさて置き、決して運だけで生き残ったわけではない。

 騎士団長に負けた者達……騎士団長を真似して組織したグループの者達は過去何度も返り討ちになり、今では立派にチンピラの反面教師として町の安全確保に役立っていたりする。ガラは悪いが、下町の名物と言っても良いだろう。

 また、騎士団長を拾った老女と言うのも不思議なもので、様々な知識や生きるコツを与えたらしい。元は名のある名家の生まれだったらしいとしか情報が残されていないのだから、怪しい事この上ない。


「婚約を解消されたばかりの貴方に、この様な事を言うのが酷であると言うのは……承知しているつもりです。

 ですが、どうか……その傷が癒えぬと言うのに言い寄る愚かな私に、婚儀を前提としたお付き合いをお願いしたい」


 世界から音が消えた。

 マーシャにしてみたら、そんな感じだろうか?


 今の今まで、色々な事があった……七転八倒の二転三転など可愛いものと言う人生だ。振り返ってみると山有り谷有りと言うには角度と高低差が激しすぎてシリーズ物の読み物となってしまってもおかしくはない、と評価を受けるだろう。物語にしては少し派手ではないだろうかと言われるかも知れない、もしくは地味だと言われるだろうが、当の本人のマーシャにしてみれば他の人にとっては読み物だとしても己の人生だ。お腹一杯だと主張さえしたくなる。

 最後だけを取ってみても、夢にまで見て就職した先は「人類の限界を超えている」と言われている現代社会ならばブラック企業が可愛く見えてしまう程度の仕事量。しかも色々と背景があったマーシャはやっかみとか八つ当たりとか陰口とかが本人が目立たない為に表面上にあがりはしないが、気にかけて貰っている王族には全て知られていると言う事実。

 上司は有能だった筈なのに、あれやこれやのおかげで気が付けば腑抜けと言うか不能状態。

 婚約者は元から使えるとは思っていなかったあたりが冷酷な判断だが、客観的に見たら真面目に波乱万丈な人生を送ってきた年頃の娘の為に、本当に毒にも薬にもならない相手を宛がってくれた時点で感謝するべきなのだろうが、だとしても上司ほど使えない状態になっているわけでもなく、さりとて仮に婚儀を挙げたとして、これから先まともな夫婦生活を営めるだろうか? お飾りの妻どころか名前すら色あせる存在となる事も必至。政略結婚である事は確かだが、マーシャにしてみれば個人的に切り捨てても死ぬほど痛いわけではないので我慢も出来ると言うもの……別の方面からの風当たりはきついだろうが、そんなものは予測の範囲。勤めも辞去すれば王城内では暫く噂もされるだろうが、訪れる事がなければ話は過ぎ行くだけで終わるだろうから問題はない。

 胸に刻まれた痛みは、当分は消えないだろうが……その痛みが「何に対しての痛み」なのか。


「何たる混沌(カオス)……!」


 そんな矢先に、婚約者と同じ環境……ミカの信者に居ると思われた人物がプロポーズしてくるなどと誰が想像できただろうか。

 思わず、枝織の発言に心底考えるのも判断するのも放棄したくなったが……ここで放棄するとろくな目に合わない様な気がしてぐっと堪える。心はとっくにばきぼきと折れまくっていて修復は不可能な所だが、それでも。


「とは言いましても……すでに書類上では私の妻となっているマーシャ殿にお断りする権利も無ければ離縁するつもりもないのですが……」


 何故、そこで頬を赤らめる!

 マーシャを筆頭に、ほぼ全員が頭を抱えたくなったのはこの後の言葉に続く。


「あ、そう言えば神殿からは婚姻の許可出てたね。結構前に」


 核爆弾並の威力を持った台詞は、枝織から出された。

 もっとも、この世界に核爆弾と言う概念はないので誰も理解出来ないだろうが。


「まあ、騎士団長に決めて結婚させたのは私だけど……一応、騎士団長本人の意向は確かめたのよ?

 申し訳ないとは思ったけど、マーシャは色々と背景が面倒だったからマーシャ本人の意志を尊重するわけにはいかなかったんだけど……私から言うべきことでもないと思ったし、黙っていたのはごめんなさい」

「え……」


 マーシャの知っている枝織……シリーと言う存在は、確かに茶目っ気のある人物だ。

 朗らかな中に鋭利な刃物を隠している様な感じ、されど私利私欲に走るタイプではないだろうと言うのがマーシャの判断だった。

 だが、勝手に人の婚姻を決定させると言うのは……。


「と言うより……どうして今の今まで黙ってたのですか、騎士団長?

 早く貴方が動いて下されば、こうしてマーシャが泣いたりする事も無かったかも知れないのに。

 貴方がこれほど愚図でドジで鈍間(のろま)なか……とと、そんな愚鈍な存在だとは計算外です。貴方を指名した私の立場が無くなってしまったと思いはらはらさせていただきましたよ」


 本人的には意識していなかったが、言葉の響きに(なじ)るものが含まれているのは致し方が無いだろう。


「第一級神官殿、貴方から仰っていただく……と言う事に関しては、そうですね。私生活の事ですから神殿の許可は必要でも関与は無用。そして、この様な事を自身の口から申し出る事もないなどと言う事になれば私は両陛下や王太子第三王女殿下からどの様な目に合わされるか……ですが、私とマーシャ殿が既に神殿に認められた婚儀を挙げていると知れば更に頑張ろうとしたことでしょう……それこそ、彼らの罪を被ってしまっていたかも知れない」

「それはそうだけど……」



続く


年内は魔女の条件5を完結で終了予定です。

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