予定調和 第四章
沢山の事が起きて、沢山の人が関わって。
沢山の喜びと、沢山の悲しみと、沢山の憎しみがあって。
そうして、何も残らなかった。
しかも、その中心には周囲に吹き荒れるどんな出来事も素知らぬ顔として映っていた。否、映る事も無かった。
故に、始まるのだ。
ツケの支払いをする時が。
騎士団長が日参する名目は「他国からの御子様の護衛」と言うもので、実際に諸国からミカの身柄引き渡しを申し出る国は後を絶たない。流石に表立って誘拐騒ぎは起きていないが、表立っていないだけで裏では幾らでも起きているのは言うまでもなく。騎士団長の存在が抑止力の一つになっているのは確かで、だからと言って日参する必要は無いと言うのが周囲の意見だ。
「上意でございます」
常からは考えられない様子で現れたマーシャ……この中にはマーシャの事をちらりとでも知らない人が居なかったからこそ起きた。そんな、ある意味で気が抜けた瞬間を狙ったかのように放たれたのはエリンと呼ばれた女性の一言だ。
「本来は我が主であらせられる王太子殿下が、女王陛下の意思によりこの場にあるべき事ではありますが……殿下曰く『こんな馬鹿に関わってられる程暇なわけないだろうが、愚か者。この台詞は一言一句違える事なく奴等に突きつけてやれ』と言うお言葉を持って替えさせていただきます」
この王太子殿下付き筆頭女官のエリンと言う人物は……良くも悪くもまっすぐだ。まっすぐすぎる嫌いがあると言っても良い。王太子第三王女に心酔していると言っても良い関係で、もし生真面目に王女が「自殺しろ」と言ったら本気でやりかねない。ただし、エリンはただ心酔しているのではなく応答する意思もある為に人形と言うわけではないのは一部で有名な話だ。
「ど……どう言う事かな?」
頬の筋肉がひくひくとなってしまっているのを自覚しつつ、王子はエリンを通して姉であり妹でもある王太子第三王女へと憎しみの念を向け……ようとして、エリンの視線の前に自重した。
ちなみに、つい先日……立太子をする前は兄と妹と認識されていた現在。第三王女が王太子殿下として台頭した今では姉と弟と言う位置付けにされている。
己を差し置いて王太子となった双子の姉に対して思う所はあるが、エリンの主人への敬愛は……色々な意味で恐ろしいのを第一王子は知っている。
「まず、私から申し上げます……殿下、閣下。
私、マーシャは婚約を解消して城からの辞去させていただきます」
一投目の爆弾が、落ちた瞬間だった。
「な……なんだとぅっ?」
「私は閣下をお守り……する義務はありませんが、上司が道を逸れたと言うのに戻す事も出来ませんでした。
これは、私の不徳の致すところ……よって法務省より責任をとって辞去させていただきます」
今の今まで座っていた法務省の大臣が、椅子を倒さんばかりに立ち上がった為にテーブルが揺れてミカが「きゃっ!」と叫んだりしたが周囲の者達は驚くばかりでミカに視線さえ向けない。
それだけ、マーシャが仕事や国に向けるいっそ尊敬が裏返った蔑みといわれる程の評価を受ける認識なのだ。マーシャが仕事に向ける情熱と言うものは。
通常は結婚が決まった時点で仕事を辞めて家庭に入り、二度と仕事に出る事などないと言うのが公言されていなくても常識とされていたくらいで。それでもきっと、マーシャは結婚して子供を生んだとしてもすぐに城に戻って仕事をしているに違いないと噂されるほどの人物なのである。
男性にとって女性の扱いが道具のソレと同じだと言われて幾星霜……その中でも、まさしくマーシャの落とした爆弾は青天の霹靂と言っても過言ではない。
もし、大臣の一人の彼が正気を即座に取り戻したら「マーシャ、お前も他の女と所詮は同じかっ!」と理不尽な怒りを投げつけたかも知れない……そんな事をした日には、どうなるか判ったものではないが。
「この件に関しては責任を問う事はないと王太子殿下、女王陛下、国王陛下からもお言葉を賜りましたが……本人の強い要望により先ほど承認を得ました。
よって、マーシャ殿はすでに法務省の所属でもなければ法務省の大臣付き文官でもございません。と同時に女王陛下と王太子殿下の庇護下に入りますが、本人に更なる強い意志があれば女王陛下の名の下に此度の侘びとして領地を下賜する事も辞さないと言うお言葉も賜っております。
その為、これより皆様へ下される沙汰に関してはマーシャ殿の懇願もあり『慈悲を持って』行われるのであると先に申し渡します」
「待て、どうして女王陛下が……!」
「嘆かわしい……マーシャ殿を調べていた貴方ならば存じておられるかと思っていましが、マーシャ殿は元来は女王陛下の親族、今は遠く離れたとは言っても元来は王族に連なる家系なのですよ」
エリンの「やれやれ、この子供は……」と言った仕草は普通の事だが、それでも腹が立たないといえば嘘になる。
しかし、大臣の一人はそこまで知り得ていたわけではないし調べる事を止められた事実を前に驚けばよいのかむかつけば良いのか悩む羽目になってみた。
「まず、御子様」
「なあに? お話は終わった? エリンもお茶はいかが?
もう……エリンったら何か難しい話始めちゃうんだもの、つまんない!
ミカ、最近やっとお茶の入れ方を教わったのよ。早く普通にお菓子とか作れる生活になりたいんだけど……お姫様がお茶なんて入れちゃ駄目なんて言われちゃうんだもの、難しいわよね」
うふふ、と笑いながらも状況を把握していない風情のミカ。
マーシャは、色々あった顔をしているがミカに向ける視線は……ない。
「先に申し上げて置きますが、御子様に割り当てられた年額予算のうち8割が使われております。残額は2割でございますので、これからの予算につきましては気をつけてお使い下さい」
「待て、ミカには国から十分な補償が出ている筈だぞ」
「左様でございます……ですので、国家予算の十年分を御子様の経費として認められた陛下方は御子様にお渡ししております。とは申しましても、何分にも国家予算の十年分でごさいますので、現物として西の領地を御子様に下賜……と言いますと角が立ちますね。献上? されるとの事です。
西の領地は農作物などは乏しいですが、鉱物資源は豊富に埋蔵されておりますので御子様の満足いただけるだけの宝石が算出される事でしょう」
「しかし……」
王子と法務省の大臣と魔法士団長を含めた面々は、頭の中で計算する。
確かに、純粋な数字で考えた場合国家予算十年分に相当する金額を定期的に産み出す事が出来るだろう……西の領地は農作物には乏しいけれど御子としての能力を持ったミカならば実りある大地に変える事も可能だ。
「つきましては、領主の就任の儀を行い。本日より2日の猶予を持って西の領地へと、移動していただきます。
実際にはお手続きの関係もありますので、3日はかかる事になる。
との、お言葉です」
「……え?」
今の今まで「ザ・他人事」としてろくに話も聞いていなかったミカは、いきなり振られた話にぽかんとした。
「どう言う事っ?」
「お話の通りでございます。就任の儀はこの後ですぐ行いますので、まずは禊をしていただき……」
「そう言う事をいってるんじゃないの! それってミカがお城から出るって事じゃないのっ?」
内心「あれ、この女話聞いてたんだ」などとエリンが思っていたりするが平然とした顔で「左様でございます」と応える。
「ミカ、お城にずっといたいの! だってミカはお姫様だもの。お姫様はお城に居ないといけないの、王子様の側にいないといけないの!
……ねえ、王子様。ミカ、ずっとここに居てもいいよね! ずっとここに居たいって言ったら、いいよって言ってくれたじゃない!」
「そ、それは……」
流石の王子も返答に躊躇うのは、これが「上意」だからだ。
つまり、すでに決定が下されたと言う事で王太子第三王女が言ってるだけならばともかく……それでも決定であれば覆す事など出来る筈もないが、両王が議会に話をつけていると言う事実があるからである。
こうなれば、たかだか一介の王子が一人で叫んだとして聞き入れて貰える確立は皆無だ。
続く
傍若無人に過ごすというのは、日本人に限らず難しいだろう。
出来るとも出来ないともあるし、ない。
程度と言うものが絡んでくる以上、可愛い我がままと、それ以上に区別される事もある。
でも、その境目がどこになるかは難しい。
してあげたい、と思うのは奉仕であり。
してあげてる、と言うのも奉仕であり。
摩り替わる瞬間は、常に舌なめずりして待っている。




