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春嵐前線  作者: なゆ
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第四章 五月晴れの空に暗雲一つ

「まさかの展開だな」

「紅葉でもそう思うんだ?」

「そりゃそうだろ」

 ふーん、と返事にもならない返事をすると小梅はゆるりと空を見上げた。

 授業が終了し掃除とショートホームルームも終わった後、小梅は紅葉と共に屋上にいた。昼休みの取り決め通り、桜が図書室へ入ったのを見届けてから屋上へ移動した小梅を待つ形で紅葉は若干暇を持て余し気味だったのだが、その退屈を補って余りある話の展開に緩む顔を抑えられない。他人の面白い話はいつだって大歓迎。その点について、小梅と紅葉は非常に良く似ている。話している小梅の頬も緩みっぱなしだ。傍から見ていれば少々意地の悪い笑顔に見えたに違いない。

「柊木と桜井なんて、可愛らし過ぎておままごとにしか見えねぇ気がする」

「まあ、お試し期間らしいからさ。帰る時とか時々あのちびっ子に声かけてやんなよ」

「おお。可愛い後輩の恋路の応援くらいはしてやるって」

 にんまりと笑う紅葉にへらりと緩い笑みを返して小梅は一つ伸びをした。身長の所為か他の女子生徒より若干短めのスカートが風にふわりとなびく。それを見るともなく眺めながら紅葉も一つ伸びをした。

「紅葉さぁ」

「んー?」

「部活は? もうすぐ時間じゃね?」

「……かったりー」

「駄目団長」

 にやりと笑って小梅が呟く。ほとんど差のない目線の高さで笑うと紅葉は緩やかに一歩踏み出した。が、それも数歩で止まって小梅を振り返る。だらしなく着崩した制服のポケットに突っ込んでいる右手を緩慢な動作で引き抜き、手招くように小梅に向かってはたはたと振って見せた。

「あ? あたしにも来いって?」

「そそ。たまには俺を応援してくれたって良いと思うんだけどー」

「紅葉、マジ駄目じゃん」

 茶化すように笑う二人は何処からどう見ても恋人同士にしか見えない。けれど、近いようでそうではないことを本人達だけは知っていた。幼馴染という関係を崩すには若干勇気が足りないし、この心地良い関係を壊して戻れなくなってしまったらどうすれば良いのかを考えるとどうにも踏み出すきっかけが掴めない。自分だけでなく相手も同じなのだと互いに気付いてはいるものの、それを口に出してしまうには躊躇してしまう。それを誤魔化すように男友達めいた友情を前面に押し出す。

 その関係を、不毛だな、と時々小梅は思う。けれど、自分が持っている紅葉への感情が恋愛感情なのかと問われるとそれには首を傾げてしまうのだから、どうしようもない。二人で笑い合っている今、この瞬間が大事。もしそれが壊れてしまったら耐えられるかどうか危うい。生まれる前から隣に住む幼馴染は時に空気のようになくてはならないものだ。嬉しいことも悲しいことも、辛いことも楽しいことも、どんなことだって二人一緒に乗り越えてきたのだから、今更それが変わることなんて考えられない。

 それって恋愛感情なんだろうか?

 周囲からそれとなく問われるたびに考えてみるが答えが出たことは未だかつて一度もない。この後だって答えが出るのかも怪しい。

「なあ」

「何?」

「前も言ったかもしんねーけど、お前さ、マジでマネージャーやんねー?」

「応援団の? 前も言ったと思うけどパス。キャラじゃねぇだろ」

「んー……それがさあ、今のマネージャーに円満に辞めてもらうにはお前じゃねーと駄目なんだよなぁ」

「何だそれ」

 のんびりと答える紅葉に向かって小梅が首を傾げてみせる。言っている意味がよく解らない、と呟くと紅葉がへらりと緩い笑みを浮かべて小梅とは逆の方向に首を傾げた。

「家庭の事情でマネージャーが転校することになってんだけどさ」

「北海道だっけ?」

「んー、そうそう。でさ、後任誰にしようか、って言ってたら立候補してきたのが例の幼馴染ちゃんなワケ。そいつに任せるくらいなら小梅を引っ張ってこい! ってキレられた。マジギレされた。怖かった。超怖かった。大事なことだから二回言ったけど、もっかい言う。多分俺の人生で一番にマジ怖かった」

 特に怖いとも思っていなさそうな口調でそう告げられ、小梅は可笑しそうに低い笑い声を零した。緩い言動を表に出している紅葉だが、その緩い言動に反して桃香の毒舌ブリザードを前に平然と茶化せるくらいには胆が据わっていることを小梅は知っている。その紅葉が緩い口調とは言え真顔で『怖い』を連呼しているのだから、余程すごい剣幕だったに違いない。小梅の知る応援団の女子マネージャーは穏やかな口調ではんなりと微笑むしっかり者という印象だったのだが、そういう人間が怒る時ほど恐ろしいというのは本当なのかもしれない、と頭の片隅で思う。

 けれど、彼女が小梅をマネージャーに推しているのにはきっと他に理由があるに違いない。そうでなければ紅葉を通じて辛うじて縁がある程度のマネージャーに向いていない人間を推すなんてありえないからだ。腕を組み、ほんの少し俯いて考える。考えてはみても納得できる答えは出てこなかった。たった一つ考え付いた答えが正解だったとしたら、紅葉は口に出して答えてはくれないだろう。生まれた時からの幼馴染としての長い付き合いは言動の予想すら容易く、予想出来てしまうからこその沈黙はどうにも歯痒い。どうしようもなく歯痒いが、ひどく心地良いのも確かだった。

「そこまで言うなら考えてやんねーこともねーけど」

「マジで? 助かる」

「つーか、あたしは絶対向いてないって自分でわかってんだけど、マネージャーさんがそこまで言うってことはもしかしてあたしより向いてねぇの? その幼馴染ちゃん」

 そうとしか考えられない、と真剣な顔で小梅が呟くと紅葉はへらりと緩い笑みを浮かべた。それを横目で見やって小梅は自分の考えが正解だったことを確信する。浮かべた笑みと同じくらいの緩い速度で紅葉が踊り場へ通じる鉄扉の前へと歩き、その後ろを同じ速度で小梅が歩いていく。

 いつもと同じ、いつもの風景。

 それが愛しくもあり、もどかしくもある。紅葉が請うとおり応援団のマネージャーになる、という突然現れた選択肢はこの『いつもの風景』を失うことになるのだろうか。

「なあ」

「んー?」

「やっぱ、あたし、マネージャーやっても良いよ」

 ぽつん、と呟いた言葉を緩い笑みが受け止める。ひらひらと手招いて重たい鉄扉を開くと小梅が来るのを待つようにその場で立ち止まった。開かれたままの鉄扉を潜ると、ぽん、と肩を叩かれる。にぃっと笑った緩い表情はいつもの紅葉と変わりなく、小梅はなんだか泣きたい気持ちで同じように緩く笑い返した。

「んじゃ、マネージャーに報告にでも行きますか」

 茶化すような口調はいつもと変わらない。ポケットに手を突っ込んだ紅葉が階段を下りていく。ほんの少しだけ動き始めた関係が良かったのか悪かったのか小梅には分からない。のんびりとした歩調もいつもと変わらないのに、そこに意味を見出したくてたまらない。少女めいた感傷だとわかっていても、小梅にはどうすることも出来なかった。そして唐突に思い出す。小梅とて年頃の女子であるということを。

 なんだ。そういうことか。

 不意にすとんと落ちてくるように小梅の中に答えが生まれた。らしくない感傷も、理由さえ分かれば落ち着かない気分からは解放される。いつも通りの悪戯っぽい笑みが表情を支配していくのが自分でも分かった。にんまりと笑って先を歩く紅葉を追い抜くと、競争、と一言だけ告げて二段飛ばしで階段を駆け出した。

「ずっりぃ! おい待て小梅!」

「やなこった。負けた方がジュース奢りってことで!」

「お前なぁ……だから待てって! 小梅!」

 二人で軽口を叩きながら階段を駆け下りる。待て、嫌だ、を繰り返して楽しげに笑い声が響く。踊り場で抜かれそうになっては腕を伸ばして妨害し、また笑い合う。まるで幼い子供のような追いかけっこは昇降口まで続いたところで教師に注意されて終わった。教師に間延びした返事を返し、なおも笑い転げながら靴を履きかえてグラウンドの片隅にあるクラブハウスと呼ばれる運動部の部室棟へ向かう。今度は走らずのんびり歩いて。

「あー……なんか緊張してきた」

「大丈夫、小梅なら何処でも普通にやっていける。うん」

 どういう意味だ、と笑いながら紅葉の隣を半歩遅れて歩く。なんとなく、の距離だったが紅葉は訝しむように振り返り緩い笑みと共に首を傾げた。ひらひらと手を振ってにんまり笑う小梅はいつもどおりで、紅葉もまたいつもと同じ緩い表情を浮かべたまま部室の扉を開く。応援団という単語が植え付ける男臭いイメージとは少し違う印象の部室には低い位置で髪を一つに纏めた女子が一人いた。

「お疲れー」

「あ、桃園さん、いらっしゃーい」

「俺には無反応って何それ酷い」

「今日は見学?」

「って、おい! 無視かい!」

 紅葉が声をかけても応援団のマネージャーである彼女が無視するのは、どうやら遅刻のペナルティの意味があるらしい。マネージャーがにこにこと小梅に話しかけながら部室へと案内する間中、無視されていた紅葉が根負けしたように肩を落とした。

「……遅刻してスイマセンデシタ」

 か細い声で紅葉が呟くとようやくマネージャーが紅葉の方に視線を向けた。浮かべた笑顔の温度が体感で五度ばかり下がったのは気の所為ではないだろう。ぱちぱちと瞬きながら小梅がその様子を眺める。はたして自分は彼女のように効果的な方法で紅葉が御せるんだろうか、と頭の片隅で考えてもう一度瞬いた。

 つい、と短く切り揃えられた爪がグラウンドの方を指して冷たい笑顔が紅葉を促す。マネージャーからの言葉はないが何が言いたいのか紅葉も理解していた。同じことを懲りずに繰り返しているのだから理解出来ていないのならマネージャーは今この場にはいないはずだ。だから小梅もロッカーの陰で着替えた紅葉がとぼとぼとグラウンドに歩いていく姿を笑って見ていた。

「桃園さんがいると団長が素直で助かる」

 そう言って笑うマネージャーに小梅は緩く首を傾けて笑い返した。しばらくは体力作りをするだろうから見てもつまらないだろう、と言うマネージャーに少しだけ表情を真面目なものにして向かい合う。桃香と並ぶと親子ほどの身長差になる小梅を見上げるマネージャーはその表情に不思議そうに首を傾けた。

「今日、紅葉と話して決めたんだけど」

 桃香と並ぶと親子ほどの身長差になる小梅を見上げるマネージャーはその表情に不思議そうに首を傾けた。

「あんたの次のマネージャー、やるから」

「本当に?」

「ん。だからちょっと、教えて欲しくて」

 本当なら紅葉から言った方が良いのかもしれないが、自分自身にけじめをつけるためにも小梅は自分で言いたかった。確かに紅葉に頼まれたかもしれないが自分で決めたことに変わりはない。そもそもこの程度のことを紅葉に頼るのは筋違いだと小梅は思っている。紅葉の話を聞いている限り、目の前のマネージャーは無理難題を押し付けるタイプではないはずだ。

「冗談で言ったつもりはないけど本当に桃園さんがマネージャーやってくれるなんて思わなかったな」

「あたしにも若干の心境の変化って奴があったんだよ」

「ふふ。それでも嬉しい。団長もこれで少しは真面目に仕事してくれそうだし」

 嬉しそうに笑うマネージャーに小梅も少し笑い返して、部室の中を案内してもらった。


「本当にマネージャーになっちゃったんだ、小梅」

「だから、明日から紅葉と一緒に合流で良い?」

「構わないわよ。こっちもちょっとおまけ増えたし」

 下校時刻間近の図書室での小梅の発言に桃香は溜息交じりにそう答えた。答えながらちらりと見やったのは桜の隣で穏やかに微笑む椛野の姿。そちらに小梅も視線を流して不思議そうに首を傾げる。

「どうしてああなってんの?」

「こっちが聞きたいわよ、そんなの」

「ふぅん」

 おどおどと挙動不審になりそうな桜を怯えさせないように一定の距離を保ちつつ、他の誰かが桜の傍に近寄らないよう牽制しているとしか思えない行動に小梅はにやりと口許だけで笑った。それを見た桃香もほんの少し面白そうな表情で笑う。

「で、そっちはどういう理由でマネージャーなんかに収まった訳? 今度桜と一緒に聞かせてもらうわよ」

「はいはい。まあ、年貢の納め時が近付いてるのかもしんねぇよなぁ」

「小梅からそんな言葉が出て来るとは思ってもみなかったんだけど。もしかして最近時代劇とか好きだったりするの?」

「いや、最近ってわけじゃねぇけどさぁ、たまに見たくなるじゃん。将軍様のやつとか」

 至極真顔で答えられた桃香は意外そうに目を見張る。小梅と時代劇なんて笑い話だ、などと失礼なことを真顔で呟きながらも桃香の手は一冊の文庫本を指し示した。どうやら時代劇好きな生徒達に人気の小説らしく、そのあらすじを滔々とまくしたてると借りろと言わんばかりに小梅に差し出す。迫力負けした小梅がそれを受け取るとにっこりと笑顔を浮かべ、白紙に近い小梅の貸し出しカードも差し出した。

「もうすぐ司書さんが勝手に決めた時代小説強化週間なのよね。この本の続刊入れてもらうためにも、貸し出し数増加に御協力お願いします」

 一般的な図書室にふさわしい小さな声で話しながら抜け目なく笑う桃香に小梅も苦笑しながら貸出カードに記入を始める。言動を裏切らないダイナミックな文字を小さい枠の中に窮屈そうに書き終えたところで下校時刻五分前のチャイムが鳴る。そこかしこから聞こえても決して騒々しくない物音は図書室独特のものだろう。片付けや貸し出し、返却の終わった生徒達が図書室を出て行くと残っているのは桃香達四人になった。カウンターの奥から司書が顔を覗かせて桃香に話しかけているのをなんとはなしに見やりながら桜は小梅の方へと歩きだした。その後ろを当然の様に椛野が追う。

「小梅ちゃん、今日は遅かったね。紅葉君の所に行ってたの? あれ? 小梅ちゃん、小説とか読むんだ?」

「たまにはな。てか、桃が貸し出し数増加に協力しろっつーから仕方なく、だって。こんな分厚いの一週間で読み終わりきるかっつーの。」

「桃香ちゃんってば……椛野君にも同じようなこと言ってたのよ。私も一冊借りたけど」

「あ、そうだった。桜にも言っとかないと。あたし、諸事情により応援団のマネージャーやることになったから」

 不思議そうに小梅の手の中に納まった文庫本を眺める桜に苦笑し、桃香に告げたことを桜にも告げる。絶対吃驚するんだろう、などと思いながら表情をいつものそれよりも若干真面目なものにした。

「え? 小梅ちゃんがマネージャーするの?」

「どういう意味で言ってんの、それ」

 予想通り目を大きく見開いて驚く桜を見ながら小梅は心底楽しそうに笑った。

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