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春嵐前線  作者: なゆ
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第三章 嵐の後の静けさ

「で、どうだったの? 副会長との下校デートは」

 登校してすぐ、桃香が桜に問いかけた。勿論、周囲には聞こえないようにごくごく小声でさりげなく自然に、である。桃香的には軽い冗談なのだが、こんな話題には全力で食いついてくるのが年齢を問わず女子というものの性で、もし食らいつかれた場合の損失は桃香よりも桜の方が大きいことくらいは解っているからだ。

「で、でで、デートとかそんなんじゃないって桃香ちゃんだって知ってる癖に!」

 慌てる桜も桃香につられたように小さな声で答える。日頃はおっとりとして感情の起伏が目立たない桜にしてはひどい焦りように桃香は不思議そうに首を傾げた。

「副会長って紳士っぽい雰囲気だから私達勝手に安心してたんだけどまずかった? なんか変なことされたりとか嫌なこと言われたりとかしたの?」

「そうじゃなくて、あの……柚が……椛野君と仲良くなったみたいで」

「柚君が?」

 こくりと頷いた桜の表情はどうもそれだけでは済みそうにない。何故だろう、と首を傾げていた桃香は、よし、と一つ頷いて小さく笑った。花が綻ぶような可憐な微笑みの裏には年頃の女子らしい恋愛めいた方向への好奇心のアンテナが無数に隠されている。しかし、事情を知らない周囲からは全く気付かれることはなかったし、桃香自身それを気付かせるつもりは微塵もなかった。

「じゃ、昼休みに話聞かせて。私も桜達に言っておいた方が良いかもしれないことがあるし、今日は小梅も入れて三人だけで御飯食べよっか?」

「う、うん。何処にしよう?」

「小梅を待ってたら中庭のベンチは埋まっちゃうと思うし、屋上も多そうなんだよね」

「えっと、非常階段は……チャイムが聞こえないんだよね? 部室も駄目だし……」

「となると……第二校舎の屋上とか? 給水塔がある所為で半分は日陰だからまだちょっと寒いし、夏ならともかく今はまだ大丈夫でしょ。色んな意味で」

 第二校舎というのは特別教室だけの棟のことを指している。生徒手帳に記載されている見取り図によると正式名称は『学生校舎特別教室棟』というのだが、生徒間では第二校舎という呼称の方が通りが良い。そもそも正式名称で呼ぶ人間など教師の中にもほとんどおらず、かろうじて保護者向けの案内やプリントに印刷される文字列の中に残っている程度の名称である。

 その第二校舎の屋上は日当たりの良い場所とそうでない場所がくっきりとわかれていることと一般教室から若干離れた位置にあるため、昼休みに訪れる人数は意外と少ない。放課後になれば訪れる人間も増えてくるのだが、それでも多いとは言えない程度だ。少女達の内緒話や友達同士のサプライズ等の打ち合わせによく利用されている所為か、女子のテリトリーという暗黙の了解があり男子が訪れることは呼び出されない限り無きに等しい。

 そこで決まりね、と桃香が言うと桜もほっとしたような表情でこくりと頷いた。男性恐怖症にも似た強迫観念を持つ桜は、親友同然の認識ではあるものの男子である紅葉がいるよりは桃香と小梅だけの方が言葉の滑りも幾らか良くなる。それも狙った場所選択だった。

「もうすぐ始まっちゃうし、小梅には次の休み時間に言いに行けば良いわよね」

「あ、小梅ちゃんのクラス、次は体育だったと思う」

「じゃあメールでいっか。場所が場所だから、わざわざ言わなくても紅葉君がそう簡単に近付くとは思えないし」

 また一つ、桜が頷いたところで朝のホームルームの時間を告げるチャイムが鳴り響いた。


「で、桃。あの意味不明なメールは一体何事なわけ?」

 昼休み、第二校舎の屋上で落ち合った小梅は開口一番、澄ました顔の桃香に怪訝そうな眼差しを向けた。そんな二人の様子を見つめながら桜は緩く首を傾ける。

「だから、メールに書いたとおりだってば」

 悪びれもせずに告げる可愛らしい横顔に小梅は一つ溜息を吐いて携帯のフリップを開いて画面を突き付けた。絵文字も顔文字もなく、ただ単語がいくつか羅列されただけの簡素かつ可愛げのないメール画面が白く光る。

「昼休み、第二校舎屋上、男子禁制。こんだけしか書いてねぇのに、何を理解しろっつーの。日本語崩壊してね?」

 実のところ桃香のメールは概ねこのようなものである。可愛らしい外見からは想像もつかないこのメールの文面は家族とごく親しい友人達数人にしか公開されないのだが、今時の女子高生らしくせめて絵文字の一つも使え、と毎回のように小梅から溜息を吐かれる原因にもなっている。

「失礼ね、何処が崩壊してるのよ」

「いや、全体的に」

「でもそれで小梅には通じたんだから良いじゃない」

「そういう問題じゃねぇだろ……まあ、もう良いけどさ」

 ともすれば日本語が不自由なのではと訝しまれるような文面も慣れた自分が相手だから通じたのだ、と言外に告げても目の前の可愛らしい顔は素知らぬ顔で悪びれもしない。むしろ心外だ、とでも言いたげに頬を膨らませそうですらある。眼前の少女の性格を熟知しているがゆえに二度告げることはせず、早々に諦めた長身は居心地の良さそうな場所を物色するように視線を巡らせ目を留めた場所へと歩き出した。

 給水塔の影から少し離れた日向、じんわりと太陽の温もりを帯びたコンクリートの床に小梅が胡坐をかいて座り込む。ともすれば短めのスカートからすらりとした太腿はおろか下着まで見えそうになるような体勢も女子三人でいるという安心感からなのか咎める声はない。周りの少女達と比べてやや長め、服装規定通りの丈のスカートから脚がはみ出さない様に気を使いながら小梅の右側に桜が座る。その辺りは全く気にしていない座り方の桃香は二人の間が正面に来る位置へ腰を下ろした。

 購買部で買ったと思しき惣菜パンを齧りながら小梅が桃香に促すような視線を送る。視線を受けた桃香は特に気にした素振りもなくランチバッグを開いているところだった。

「で、結局何なんだよ? 自分だけじゃなくて俺にも解るように説明しろ」

 母親手製のロールサンドを頬張った桃香が話し始めるまでには数十秒の間を要したが、小梅にしては珍しく気長に話が始まるのを待っていた。なぜなら話の一端を担っているであろう桜も小さなおにぎりを頬張っていたからだ。

「昨日、桜と副会長一緒に帰ったじゃない? その時なんかあったみたいなのよね」

「は? 桃も知らないわけ? つーか、何、副会長が桜に告白でもしたわけ? それとも実は桜が副会長のことを好きで、告白してみたら玉砕したとかそんなの?」

「小梅ちゃん!」

「その発想はなかったわ。やるじゃない、小梅」

「そ、そんなんじゃないの! そうじゃなくて、あの」

 二人から意味深な視線で凝視され、食べかけのおにぎりを取り落しそうになるほど狼狽えながら桜はほんのりと頬を染めた。きっと二人にしてみれば些細なことに自分一人が翻弄されているようで気恥ずかしいような気がする所為だ、と桜は無意識にじわりと熱を帯びた頬に触れながら思う。

「昨日は駅まで柚が迎えに来てくれて……椛野君も一緒の電車に乗ったんだけど、色々話してる間に柚と椛野君が仲良くなったみたいで」

 ぽつりぽつりと桜が困ったような表情で昨日の出来事を話すと、小梅と桃香は不思議そうに顔を見合わせた。二人の反応に、やはりこんなことで困るのは自分だけなんだろう、と桜がぼんやりと結論付けてひっそりと落ち込みかけた時、小梅が首を傾げながら呟いた。

「あのさ。それだと、副会長って桜の降りる駅知ってたことにならねーか?」

「え?」

「それ、私も思った。あと、副会長の言ってた視線の人が本当にいると仮定しての話だけど、もしうちの学校の人間ならヤバいんじゃないの? 桜、一緒にいるとこ見られたんだし」

「あ、あの」

「そうだよなぁ……しばらくは一人で行動しない方が良いんじゃねーの?」

 二人が真顔で頷くのを見ながら桜はしばらく動きが止まってしまった。いきなり思いもよらぬ方向へ話が進んでしまったことに思考が追い付かない。不安と動揺で食べかけのおにぎりを握る手に無意識に力がこもった。

「話してて誰かに聞かれたりするとなんかヤバそうなネタだし、紅葉には俺からメール入れとく。桃、今週当番?」

「うん。居心地悪いかもしれないけど、図書室で待ってて。で、桜」

 今までは空気のような扱いで話の行方がさっぱりわからなかったところに急に話の矛先を向けられ、桜がぱちりと一つ瞬く。桃香の表情は真剣そのもので、桜はほんの少し気圧されたような気持ちになった。

「帰り、絶対一人にならないのよ? 柚君と一緒になるまではできるだけ私か小梅の目の届く範囲に居てちょうだい」

 同じように真剣な表情を向ける小梅と桃香の気迫に気圧された桜は理由がよく解ってはいなかったものの、こくりと頷いて見せた。そもそも一人での帰路はあまり好きではないし、待つのもさほど苦ではない性質だ。理由はわからないが一人にならない方が良いと親友達が言うのならそうに違いない。と、やや混乱した思考回路が考えることを放棄する。

「……ったく、紳士な顔してこれが狙いだったら策士にも程があるよな」

「偶然だったのかもしれないけど、本気で洒落にならないし。ただの洒落で済ませて欲しい、とか思っちゃうあたり私達も柚君並みに過保護なのかも知れないけど」

「あの柚君を手懐けてるあたり偶然に乗じて狙ったってとこじゃね? なんとなくチャンスは逃さないタイプっぽいし」

「その線が濃厚よね。あの完璧な紳士面に騙されたわ、ホント腹立つ。腹いせに柚君にメールでも送って警戒してもらおうかしら」

「手懐けられてる柚坊やにメールしても無意味だろ。あたしらで警戒するしかねぇって」

「あー……やっぱり?」

 親友達が交わし合う台詞の真意を汲み取れない桜は二度三度瞬いて、食べることに意識を集中した。手の中のおにぎりは食べかけのまま握り潰されそうになっていたし、添えられているおかずも大して変わり映えのしない内容ではあるのだが、昨日の一連の出来事は桜にとってはなんでもない日常の愛しさを思わせるには十分だった。

 桃香と小梅も同じようにしばらく食べることに集中する。時計に表示された時刻にはまだ余裕があるものの、教室までの移動距離とこれから開始されるであろう桃香の話のことを考えれば十分な余裕とは言い難い。一番食べるのが早い小梅が御馳走様と手を合わせ、ブリックパックのカフェオレをストローで喉に流し込む。桃香も最後のロールサンドのラップをくるりと剥ぎ取って口許へと運んでいく。食べる速度が若干他人より遅めな桜も必死に箸を動かし七割ほどを食べ終えた時、ロールサンドを飲み込み終わった桃香が膝の上のゴミを片付けながら口を開いた。

「私、昨日の柊木君に告白されちゃった」

 さらりと告げられた所為で小梅は一瞬聞き流しそうになった。しかし、最後のおにぎりを齧った桜の目がみるみる大きくなっていく様を視界に収め、どうやら聞き間違いではないのだと判断する。

「……やけにあっさり言うじゃん?」

「別に付き合ってるわけでもないし」

「ふ、振ったの?」

 ふーん、と生返事を返した小梅の隣でごくりと齧った分だけおにぎりを飲み込んだ桜が身を乗り出すようにして桃香に問いかける。その手の中ではおにぎりが今にも握り潰されそうな勢いで握り締められようとしていた。

「振ったっていうか、柊木君がどんな人かも知らないのに答えられないからってことで、お試し期間じゃないけどちょっとお話したり皆で一緒に帰ったりしましょうってことになったの。お互いにどんな人間か知る為には一緒にいる時間が必要でしょ?」

 だいぶ詳細を省いた説明の後、桃香は緩く首を傾けながらにこりと笑った。

「だから、時々紅葉君にくっついて来るかもしれないの。小梅はほっといても大丈夫そうだけど桜はちょっと不安になるかなって思って」

「桃香にしては気が利くじゃん。つーか、いきなり人間増えたらあたしだってちったぁ迷うって、多分」

「小梅なら絶対大丈夫だと思うけど。一応期限を切ってるのよね。長過ぎても短過ぎても駄目だし、とりあえず一学期が終わるまで、って」

 衝撃から箸も動きも止まってしまった桜の肩を小梅が軽く叩き、慌てたように桜の口が動き始める。握り潰される寸前でおにぎりは救助されたものの、その形はかなり悲惨なものになっていた。

「それでね、柊木君の幼馴染ちゃん? ついでだからその傍迷惑な子を誘き出しちゃおうかなって思ってるの」

「自分を囮に使うとか……何処まで可愛くねぇ性格してんの、お前」

 心底呆れたような口調の小梅にさらりと流すように桃香が答える。二人を見つめながら桜は今にも止まってしまいそうなぎこちない動作で残り少ない昼食を箸で口元まで運んでいく。

「ちゃんと柊木君のことも考えてるわよ、失礼ね。幼馴染ちゃんはあくまでも、おまけ、なの。柊木君の返事を考えるついでに引っ張り出せたら一石二鳥でしょ?」

 にやにやと人の悪そうな笑みを浮かべて小梅が桃香の肩を小突く。桃香の爆弾発言に桜の動きが再び止まってしまったが桃香自身はけろりとした顔で首を傾げるのだから性質が悪い。もう一度小梅に肩を叩かれて桜の食事もようやく終わりが見えてきた頃、小梅の携帯が小さく震えて着信を知らせた。

「メール?」

「ん。あー、紅葉から。何処に消えてんだ、ってさ」

「ふーん……仲の良いことで。桜が食べ終わったら戻りましょ」

 残り少ない弁当はもうすぐ食べ終わると自分で解っているし、今度は桜も慌てることなく桃香の言葉に頷くことができた。

 小梅と桃香が他愛もない話をしている間に桜も食べ終わり、ゴミを片付けた後三人揃って立ち上がった時、再び小梅の携帯が震えた。ぱたん、と音を立てて携帯を開き、小梅が話を始める。どうやら相手は紅葉のようで、悪かった、としきりに告げる小梅は何処か嬉しそうでもあった。この様子を傍から見ているだけだと小梅の方が片想いしているように見える気がしないでもないが、実際のところ小梅と紅葉は両想いなのではないかと桃香は思っている。幼馴染の延長を装いながら付き合っているのではないかと疑っていた時期もあるが、それはないということもしばらく友人関係を続けている間に理解した。桜ほどではないが小梅も環境の変化をあまり好まないタイプの性格なので、その所為もあるかもしれない。

 あとでメールを送るから、と告げて小梅が通話を終えると遠くから予鈴の鳴る音が聞こえてきた。慌てて駆け出した三人の背で古く重い扉が軋んだ音を立てて閉まり、屋上でのささやかな女子会は時間に追われる形で終了したのであった。

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