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春嵐前線  作者: なゆ
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第一章 嵐は何処より出でて何処へと行かん

 駅に向かう桜と椛野に手を振り、四人は微妙な賑やかさでバス停へと歩いていた。話題は勿論桃香の件についてである。

「まあ、こいつの幼馴染っつーのがかなりきっつい性格でさ」

 幾度か部活中に顔を合わせたことがある、と紅葉がへらりと笑い、柊木が申し訳なさそうに肩を竦めた。その光景を見やって小梅が面白そうに眉を片方持ち上げ、桃香はげんなりと眉間に皺を寄せる。

「悪い奴じゃないんです。ただちょっと思い込みが強くて、あの……すみません」

「別に君に怒ってもしょうがないって言ってるでしょ」

 明らかに八つ当たりだと解っていても言葉に棘が籠るのはどうしようもないことだろう。桃香の溢れ出す怒りをぶつけなければならない相手はこの場にはいない。矛先を失った怒りが多少声に現れてしまったからと言って咎める者もいない。事態は圧倒的に柊木にとって悪い方向にしか進みようがなかった。主に、八つ当たり的な意味において。

「で、その君の幼馴染って何処の誰?」

 場合によっては自分から乗り込んで行って落とし前を付けさせてやる、と声音が告げる。桃香の心の声がこれだけダダ漏れならば柊木の肩もますます申し訳なさそうに落ちる一方である。

「直で対面するとまた暴走すると思うんで、その……」

「暴走なんてさせやしないわよ。その前にこの怒りを叩き付けてやるだけなんだから」

「桃、手ぇ上げんのだけはダメだぞ。上げさせるなら相手からだ」

「解ってるわよ。ていうか、私をなんだと思ってるのよ、小梅」

「黙ってりゃお人形さんみたいに小さくて可愛らしいくせに口も悪けりゃ手も早い喧嘩っ早いビックリ箱みたいな子」

「何それ。修飾語が長過ぎ」

 なんだかんだと小梅が茶々を入れてくるのも場を和ませようとしてのことなのか、それとも意図的に空気を読まずにいるだけのことなのか、今の桃香には判断が付かない。もっとも、判断が付いたところでどうにかする気があるわけでもないのだが。

「あ、あの……」

「諦めろ。ああなった桜井は止められない」

「あ、いえ、それは解ってるんですけど」

 意外な柊木の言葉に紅葉の顔が動きを止めた。それと同時に小梅の顔も表情括約筋を動かすことを忘れる。

「あいつがまた変な方向にキレて先輩が今日みたいなことになったらやっぱり後味悪いっていうか……嫌、っすからね」

「……ちびっ子の癖に桃の見た目に騙されてねぇ」

 ぼそりと低く呟かれた小梅の言葉に他意はない。同学年や三年生の生徒達は桃香の言動をリアルタイムに目にしていた為、苛烈な内面も意外と手が早いことも知っているが未だ触れ合う機会の少ない一年生は桃香の外見に騙されている者がほとんどだ。それを口にすると、騙しているつもりはないし勝手に期待して裏切られているだけだ、と桃香に切り捨てられるだけである。

 だが柊木は、解っている、と答えた。これが何を意味しているのか。紅葉と小梅はにやりと共犯者の笑みを浮かべて視線を合わせた。二人とも明らかに面白がっているのが見え見えで柊木は落ち着かない様子で瞬きの回数を増やすしかない。桃香は自分の怒りの方に集中している為、幼馴染二人組の何かを察した空気や柊木が醸すいたたまれなさ満載の気配になど気付きもしない。

「ちょっと、小梅。それどういう意味よ」

「言葉通りの意味。桃だって解ってんだろ?」

「解ってるけどとりあえずこう言っておくのがお約束かと思って」

「お約束に乗る程度にゃマシって訳ね」

「まあ、そんなとこ」

 学校から徒歩五分の位置にあるバス停には下校時刻を過ぎたばかりということもあって同じ制服の学生達もちらほらと見受けられた。彼らの視線は学校指定のジャージ上下を身に着けた桃香に集中する。どうやったって目立つ桃香や小梅と違い、周囲の視線を集めることに慣れていないであろう柊木が一人、居心地悪そうに肩を竦めた。それに気付いた紅葉が労わるように肩を叩いてやったのだが、どう贔屓目に見ても面白がるような表情が隠せていなかったので柊木は微妙な表情で会釈するだけに留め、心の中だけで感謝したりなどするものかと硬く誓う。

「耐えろ、柊木」

「先輩、よく慣れましたよね。俺、なんか今の時点で無理っすよ。色んな意味で」

「毎日一緒に帰ってりゃ嫌でも慣れる。なんならお前も明日から仲間入りするか?」

「いや、それは桜井先輩に悪いっていうか、あいつ乱入してきそうで怖いっていうか……つーか、今、俺の所為でさらに目立ってるかと思うと超いたたまれないんすけど」

 気の持ちようは仕方がない、と紅葉が笑う。その横では小梅が桃香の不機嫌オーラを受けてにやにやと笑っていた。他人事だと思っている二人はこの状況を心底楽しんでいるとしか思えない。もっとも、柊木と桃香の認識では二人が面白がっている部分が微妙に重なり合っていないのだけれども。ともかく、にやつく二人に苛立たしげな視線を浴びせる桃香は口元までもむっとさせていた。それはそれで周りから見れば非常に微笑ましく可愛らしい光景であったので、視線はさらに集中する。視線を集めるような容姿が仇にしかならないのは如何なものだろう、とほんの少し現実逃避めいた思考が柊木を襲ったが、それもまた小梅の言葉で霧散した。

「あ、柊木ん家ってどの辺?」

「朝日ヶ丘の真ん中辺り、ですかね」

「じゃあ桃と降りるとこ一緒じゃね? 桃ん家も朝日ヶ丘だし」

「……なんで勝手に人の家の住所を暴露するわけ?」

 むっとした表情のまま小梅の肩を何度か叩くと笑いながら謝られる。それはそれで楽しませてしまったようで腹立たしい気がしないでもない。そんな複雑な桃香の思考を知ってかしらずか、柊木がぱちぱちと瞬いて大きく首を振った。

「あ、いや、桜井先輩の家が何処でもちゃんと最後まで送ってくつもりだったんで」

「君には聞いてないの。そもそも危ない道でもなんでもないんだから」

「あいつとばったり会ったりとかしたらマズいんじゃないかなー、と思って。俺が一緒に居たらさすがにそこまで無茶はしない……と思いますし」

 比較的新しい住宅地である朝日ヶ丘は道も広く、人通りも少ないわけではない。夜も街灯が煌々と照らすような場所である。交番もあるし警官の巡回も頻繁に行われている為、さほど危険はない。同じ区域に住んでいるなら柊木とて解っている情報のはずだ。それでも送ると言って聞かないのだから、件の幼馴染は相当に強烈な人物に違いなかった。少なくとも柊木の認識の中では。

「まあまあ、桃。送ってもらえば良いじゃん」

「バスん中では俺らも一緒だし。なあ、小梅?」

「さすがにバスの中で突撃してきたら笑うしかないけどさ」

 そう言いながら既に笑い始めた小梅を一瞥し、桃香は短く溜息を吐いた。そのタイミングで四人が乗るバスが姿を見せ、乗り込む者達が三々五々集まり始める。

「あ、来た来た。ほら、桃、行くぞ」

「一番後ろ空いてっかなぁ」

 四人という人数ではあるものの、別れて座るにはいささか微妙な関係に過ぎるが故の紅葉の呟きだったが、桃香も一番後ろの席が空いていることを切に願っていた。高校の制服やスーツ姿の会社員の中に一人ぽつんと学校指定ジャージが混じるのはどうにも目立って仕方なく、普段は意図的に自分の意識から切り離している視線が無視できそうにないほど突き刺さってくる現状はやはり居心地が悪い。

 桃香にとっては運の良いことに最後尾の座席が空いており、先に降りる桃香と柊木、後で降りる小梅と紅葉が二人ずつ並ぶような形で座ることになった。小梅と柊木の間に陣取った桃香は前の座席に隠れたいとでも言うように身を小さくしていたのだが、車内の視線は基本的に前方を向くようになっている為それも一停留所程度のことだった。小声で小梅と話題にしていたのは電車で帰宅する桜とそれを送ると言っていた椛野のこと。

「桜、大丈夫だと思う?」

「椛野が居るから大丈夫じゃね? あー、でも桜にゃそれが問題なのか」

「今日は柚君が駅まで迎えに来てくれてる気もするけどね」

 柚というのは桜の二つ年下の弟。シスコン気味な彼は別の学校に通う姉の送迎の為に最寄駅や学校までやって来ることも多く、桃香達とも世間話をする程度には面識がある。現在中学三年生である彼の志望校は勿論桜と同じ高校だ。登下校時に嫌がらせをされていたこともある桜を見て、自分が姉を護らなくては、との刷り込みがされてしまった柚は桃香と小梅に対しても最初は警戒心を露わにしていた。桜に良く似た控えめな外見とは対照的に発言にはかなりの確率で棘と毒とが含有されており、その点だけでいくと桃香とは非常に気の合う存在である。

「柚と椛野が遭遇したら修羅場なんだろうなぁ」

「止めて。想像すると楽しそうだから」

「あ、やっぱり? もしかして、明日から暫く正門まで迎えに来るんじゃねぇの?」

 あり得る、と桃香は頷いた。暫く同じ目にあった紅葉も漏れ聞こえた会話に何度か頷いている。柊木だけはきょとんとしていたが、ふと気が付いたように桃香に声をかけた。

「桜井先輩、次っすよ。降りるの」

「あ。本当だ」

 乗客の一人がブザーを鳴らす。制服が入っているバッグと通学鞄を手に慌ただしく降りる準備をしていた桃香は桜と椛野のことを頭から追い出した。また明日、と小梅に手を振りながらタラップを駆け下りる。正直なところを言ってしまえば自宅まで駆け出したい気持ちでいっぱいだが、そんなことをすればますます目立ってしまうこと請け合いだ。普通に歩いていれば良い。都会は良くも悪くも無関心なのだから。

 くしゅん、と小さくくしゃみをしたところで徒然と流れていた思考が止まる。隣から心配そうな声がかかって、ようやくその存在を桃香は思い出した。

「やっぱりタオルドライだけじゃ駄目ね」

 くるりと巻かれた毛先を一房摘み、その冷たさに溜息を一つ。冬だったらどうなっていたか、なんてことを思いながら怒りがふつふつとこみ上げてくるのを桃香は抑えようとはしなかった。寒さが気にならない程度に怒っているくらいが今は良いのかもしれない。

「制服にもアイロンかけなきゃだし、次があったら容赦しないから」

「すいません」

「だから、君に謝られても仕方ないって言ってるでしょ」

 出来ることなら本人を前にして怒鳴りつけてやりたい。正座させた目の前で仁王立ちして説教を数時間ぶちかましたいくらいだ。

「大体、君の幼馴染がどうして私と君の仲を疑うわけ? 接点も何もないのに」

「そりゃ、確かに、接点はない……っすけど」

 人差し指で鼻の頭を何度か掻くと、柊木は桃香からぎくしゃくと視線を逸らした。その仕草に気付いた桃香がきょとんと首を傾げる。訝しむような視線が突き刺さっても柊木の視線は桃香から軽く逸らされたまま。心なし頬が染まっているような気がするのは暮れかけた太陽の所為かもしれない。

「どうかした?」

「いえ、なんでもないっす」

「そう?」

「はい」

 視線を逸らしたまま何度も頷く柊木を見ていると、怒りも何処かへ行ってしまいそうで桃香もまた視線を逸らした。それきり、なんとなく無言のまま桃香の家の前を通り過ぎそうになり、慌てて桃香は足を止めた。考え事をしていても自分の家を通り過ぎるなんてことは今までなかったのだが、今日起こった一連の出来事でどうやら調子が狂ってしまったようだ。

 桃香が歩みを止めて遅れる事数歩、柊木もまた歩みを止めて振り返った。

「えっと、うち、此処だから」

「あ、そうなんすか?」

「そう」

 じゃあね、と手を振り門扉に小さな手を掛ける。

「あ、の」

 思わず、といった調子で呼びかけられた声は最初の一文字がやけに大きく響き、二文字目が夕闇に掠れていく。振り返った柊木の顔は背後から射す街灯の光でよく見えなかった。

「また、明日も送らせてもらって良いですか?」

「……どうして?」

 言葉に詰まったのか俯いた柊木とゆっくりと瞬く桃香との間に流れるしばしの沈黙。きい、と門扉を開ける音でそれを打ち破るとはじかれたように柊木が顔を上げた。何かを言いかけては口を閉じ、を何度も繰り返す。普段ならそれに付き合いもせずさっさと見切りをつける桃香なのだが、今回はどうにも勝手が違った。調子が狂ったままの思考回路は普段と違うところに繋がってしまったらしく、早く言えば良いのに、と頭の片隅が呟く。すう、と一つ息を吸い込むと緩やかに首を傾けた姿勢のまま問いかけた。誰だって居心地の悪い沈黙は好きではないはずだ。

「私のこの有様も、本当は君の所為ってわけじゃないでしょ? 妄想と現実を混同してる馬鹿な子の所為。違ってる?」

 詰まった言葉が喉につかえて答えることも出来ないのか、柊木はふるりと一つ首を振った。まだ目立たない喉仏が大きく上下する。

「どうして君の幼馴染が私にあらぬ誤解を抱いたのかとかは別に聞くつもりは」

「俺が好きだって言ったから」

 ない、と続けようとした桃香の言葉は叩き付けるような勢いの柊木の声にかき消された。

「俺が、桜井先輩を、好き、だって……言ったんです」

 一歩だけ、距離を詰める。

「俺はまだ、一ヶ月しか先輩と同じ高校に通ってないけど、入学式の時からずっと見てました。先輩が見かけどおりの可愛らしいだけの人じゃないことも知ってます。まあ、最初は吃驚したんすけどね」

 はは、と小さく笑って鼻の頭を掻く。もしかしてそれが癖なのかしら、と妙に冷静な思考が桃香の頭の片隅をよぎった。一歩だけ詰められた距離は、それでもまだ遠い。

「でも、どんな桜井先輩もすげーまっすぐで、揺らがない芯が通ってて。それが、なんかこう……格好良いなって。気が強くてキツイことばっか言ってる、みたいなこと言う先輩も居ましたけど、少なくとも俺が知ってる先輩は真面目で努力家で一本芯が通ってて、すげー優しい、です。発言がキツイって言われてるけど、それがホントのことだから耳が痛くなるんであって、先輩の性格が悪いってことの証明にはならない、と俺は思います……ホントはこんなんじゃなくて、もっとちゃんと、先輩に俺のことを知って貰ってから言いたかったんすけど……すいませんでした」

 不安定な抑揚ながらも饒舌に語り終えた後、体育会系らしくきっちり姿勢を正し、深く頭を下げた柊木は逆光の中にあってさえそれと解るような泣き笑いめいた表情を浮かべていた。ふう、と溜息が零れる。

「……よく知りもしない人間とは付き合えない、っていうのは予想の範囲内だったのね」

「はい」

「で、これからどうしたいの?」

 ぽつりと問いかけた言葉は常の桃香らしからぬもの。それでもがばりと上体を起こした柊木の表情は先程よりも大分明るいものに変わる。

「時々で良いんです。先輩が気が向いた時だけでも、全然。紅葉先輩のついででも良いから、俺と話したり、こうやって送らせたりしてください。勿論、先輩が嫌でなければ、ですけど」

「私が、君のことを知るために?」

「はい。先輩が好きなように期間を区切ってくれても良いっす」

「わかったわ。夏休みが始まるまでで良いかしら?」

 特に考えるようなそぶりも見せずに答えた桃香に柊木が目を見開く。もう少し考える時間があるものと思っていたのだ。だがあいにくと桃香は色んな意味で規格外。それに何も考えていないわけでもない。

「一応、君の告白には一学期の終業式の日に返事をするってことで。別に話くらいならいつでも良いし、紅葉君と一緒に来ても誰も咎めたりはしないと思うわよ。桜はともかく小梅は面白がるだろうしね。まあ、毎日って言われたらちょっとアレだけど」

 いっそさばさばとした口調で淀みなく答えると小さな手がゆっくりと動いて門扉を開いた。きい、という軋んだ音と共に門扉の内側へ滑り込むときちんと閉めた上で掛け金を掛ける。かしゃん、と一つ取り残される乾いた音。

「じゃあ、また明日」

「っ! はい! お疲れっした!」

 慌てたような柊木の言葉にくすりと小さく笑みが零れる。

 ひら、と揺れた小さな手とふわふわと忙しなく揺れる濡れた巻き毛が玄関の扉に消えるまで、柊木は立ち尽くしたままそこから動けなかった。まだ少年臭さを残した後輩が自分の笑顔に見惚れた挙句、意識せずに口から飛び出た『また明日』の一言でノックダウンされたという事実を桃香は知るよしもなかったのである。

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