二十一話 デイジーの罠
その日、私はマスカレードで一人、佇んでいた。
まるで誰かを待つかのように。
誰のダンスの誘いにも乗らず、かといって壁際に寄って、目立たないようにするでもなく。
目立つ位置にいる私。
周囲も『おや?』という目を向けるが、深く関わってはこない。
ただ、待つ。
「デイジー? 君かな」
来た。
その声に、私はゆっくりと顔を向ける。
「ダミアン、貴方なのね」
ダミアンは顔の半分を仮面で隠しているままだが、驚いた様子に見えた。
「どうしたんだい、こんなところで。ここは邪魔になるよ、デイジー」
「ええ、そうでしょうね」
「……? デイジー、君、何かあった?」
「何かって?」
「いや、それは、わからないけど」
「ふふ、変なダミアン」
ダミアンは私の様子を窺いながら、言葉を選んで話している。
それはきっと、私のことをまだ騙せるのか。そう思っているからなのだろう。
ダミアンについては、あのあと……。
「この前の約束、来てくれなかっただろう?」
「ええ……。あの時はごめんなさい。どうしてか急に体調が悪くなって、眠くなってしまったのよ。使用人に言伝をお願いしたのだけれど、受け取ってくれた?」
「え? 使用人に?」
「ええ、そうよ。我が家の使用人に。どうかした?」
「あー……」
ダミアンは考える。
あの日、彼のもとへ来たのは使用人ではなく、ジャスミンだった。
ジャスミンが本当は使用人であり、嘘を吐いているのか。
それとも、使用人の言伝を代わると申し出て現れたのか。
そんなところだろうか。
「まぁ、デイジーが来られないってことは伝わったよ」
「そう。よかった」
私は仮面越しに微笑みを浮かべる。
変にダミアンを避けたり、逃げたりはしない。
だって、この場所はマスカレード。たとえ仮面をつけていたとしても、多くの人がいる。
「…………」
「…………」
互いにほんの少し、沈黙する。相手の様子を窺うように。
「デイジー、一曲、踊るかい?」
「私と?」
「ああ、こんな場所に立って。君だって踊りたくているんだろう?」
「……そうかもしれないわね」
「なら」
手を差し出してくるダミアン。
でもね。私はその手をジッと見つめて。
「デイジー? 何を……」
おそらく。私が彼に誘われることを、許さない人間がいる。
「あら、もしかしてデイジーお姉様じゃない!?」
「……!?」
大きな、透き通るような声が、マスカレードに響いた。
声を発したのは他の誰でもない。
ジャスミン・ウォーゼル。母親譲りのピンクブロンドの髪の、私の妹。
「……どちら様かしら?」
「ええ? 何言っているのよ、私よ、私、デイジーお姉様!」
仮面をつけたジャスミンが嬉々として近寄ってくる。
「な、君は、まさか、ジャスミン?」
「ダミアン! ふふ、やっぱり会えたわね! 私たちが出会うのって運命なのかしら!」
ジャスミンはダミアンの腕に絡みつく。
「お、おい、ジャスミン!?」
「ふふ、ダミアン。会えて嬉しい!」
ジャスミンは見せつけるような態度だった。
彼女のこの執着心は、なんなのだろう? 姉妹だからなのか。
わざわざ私と仲のいい男性を狙う理由はどこにあるんだろう。
「ふふ、デイジーお姉様。私、彼と仲がいいの」
勝ち誇るように、そう言ってのける。
それは私にどう思ってほしくてそうしているのか。
「はぁ……。貴方はどちら様でしょう? もしかして、誰かと勘違いされているのでは?」
「はぁ? さっきから何を言っているのよ」
「私は貴方に見覚えはございません。面識もありませんよね?」
「なっ……!」
ジャスミンは驚いたような、苛立ったような様子を見せる。
「仮面をつけていますから、きっと勘違いされているのね。貴方はどちら様?」
「ふざけないで、お姉様! こんな仮面なんかでわからなくなるほどじゃないわ!」
「そう言われましても……。私には、仮面をつけた貴方が誰かなんてわかりません」
その私の言葉でジャスミンはカチンと来たのか。
ますます声を大きくし、注目を集める。
「だったら仮面を外せばわかるでしょう!?」
「ここはマスカレードですよ? そんなふうにおっしゃられても困ります。それに」
「何よ!?」
「仮面を外してほしいなら、まず貴方から外すべきではありませんか?」
私は、ジャスミンの言い分を通さない。言うことを聞くのは、まず彼女からだ。
「ねぇ、あの方って」
「ああ、ピンクブロンドだ。もしかして噂の『花の女神』?」
「それって国王陛下のお心を掴んだっていう、あの?」
「でも、仮面越しでも若そうじゃない?」
「そうね。ピンクブロンドだけど、若い。それが単にそう見えるだけなのか」
「……娘の方じゃない? ほら、有名な三姉妹」
元々、このマスカレードの招待状は、私たちの母親、フローラお母様に届いたものだった。
だから、主催者側か、何者かがフローラお母様を求めていたのだろう。
けれど、フローラお母様はマスカレードに現れない。
そんな時に、ピンクブロンドのジャスミンが現れたなら。
きっと注目されるだろうな、と。
そう思っていたけれど。予想以上にジャスミンは注目されていた。
「おい、ジャスミン……」
ダミアンは思わぬ注目が集まり、さらにその中心に立っていることに戸惑う。
きっと、彼としてはすぐにこの場を立ち去りたいだろう。注目されたくないはずだ。
けれど、ジャスミンは私の前で彼の腕を離そうとはしない。
「ふふ、いいわよ。マスカレードなんて、楽しいかと思ったけれど。そうでもないもの。私は仮面なんて必要ない! 見ていなさい、デイジーお姉様!」
自分に注目が集まっていることに気づいたジャスミンは、彼女のしている仮面に手をかける。
そして、あっさりと仮面を取り外した。
「まぁ!」
「マスカレードの会場で仮面を外すのはマナーが……」
「でも、あの容姿。やっぱり噂の花の女神の娘?」
「もし、ここに陛下がいらっしゃったら……」
「陛下じゃなくても、王子たちがいたら、歴史は繰り返すんじゃないか?」
「かつて国王さえ惑わせたピンクブロンドのヒロインの再来だ!」
フローラお母様……。今さらながら、貴方は社交界でどれだけ有名なのですか。
私はデイジーと違って、もう恥ずかしくて仕方ない。
でも、今はそれよりも大事なことがある。
「デイジーお姉様! これでわかったでしょう!?」
「……ジャスミン。貴方ね」
「ようやく認めたわね、デイジーお姉様」
ジャスミンって、空気とか読まないのかな。読まないんだろうな。
「私とダミアン、付き合っているの! ふふ」
「あら。お付き合い? そうなの、ダミアン」
「あ、いや、それは……」
「ダミアン?」
ダミアンは苦い顔をしている。
どう考えても、こんな予定はなかっただろう。
加えて言えば、ダンスを誘った様子からすると、私のこともまだ騙せると思っていたはずだ。
でも、こうなったなら、と。
ダミアンは切り替えたらしい。
「ああ、そうだ。僕はジャスミンと付き合い始めたんだ。悪いね、デイジー」
「ふふふ!」
ジャスミンに乗って、そんな宣言をするダミアン。
私は首を傾げてみせる。
「悪いって、何が?」
「え?」
「は?」
「よくわからないのだけど。おめでとう、お二人とも。……そう言えばいいの?」
大きな反応を示さず、私は淡々とそう返す。
戸惑うダミアン。先程の言動からして、自分が二人の女性を侍らせるほど価値のある男だとでも言いたげだった。
……貴方はそういう人なのね、ダミアン。
「な、な、何よ、お姉様、その反応は!」
「何って、何が? お付き合いし始めたのでしょう? おめでとう以外に何を言うの?」
「そうじゃないわ!」
「ええ……? 何かしら、困った子ね、ジャスミン」
別に私も、前からこんなふうに余裕をもってジャスミンの相手ができたわけではない。
実は、この数日。アイリスと一緒に特訓していたのだ。
特訓相手はアイリスだけじゃあなかった。そこには〝彼〟もいた。
「デイジー!」
そこで新たな登場人物が舞台に上がる。
声を上げて、私の名を呼んだのはアイリスだった。
「待たせたわね、デイジー! ふふ!」
アイリスは、これ見よがしに私に駆け寄り、手を取った。
「ええ、マスカレードでまた会えるの、楽しみにしていたわ」
「ふふ、楽しいわね、デイジー!」
いつの間にか、マスカレードでいつも奏であれている音楽が小さな音になっており、その影響か、余計に私たちに注目が集まる。
「何よ、あんた! 急に出てきて! いったい誰なの? デイジーお姉様の知り合い!?」
「え、何? 誰かしら、お前」
「お前ですって!?」
ジャスミンは苛立っていて、どこか余裕がなかった。
……いつもは私を苦しめて余裕を保っているのかしら。
とんでもない処世術だ。付き合っていられない。
「……マスカレードで身分を振りかざすなんてマナー違反だけど。どうにも貴方は、それだとダメな気がするから名乗るわね」
アイリスは注目を集めながら、あっさりと仮面を外す。
「私はアイリス・マクラーレン。マクラーレン公爵家の次女、アイリスよ。それで? 貴方はウォーゼル男爵家のジャスミン・ウォーゼルかしら? 貴方がたとえ、デイジーの妹だろうと、私の親友であるデイジーを侮辱するのなら容赦しないわよ」
アイリスが名乗ったことで、マスカレードの注目はもう完全に私たちに集中した。
舞台は整ったと言えるだろう。
「は? え? 公爵、令嬢……? なんで、デイジーお姉様と……友達、親友? そんな」
「……!」
公爵令嬢が私の親友を名乗ったことに衝撃を受けるジャスミン。
ダミアンはよくない空気を感じ取ったのか、ジャスミンから離れようとする。
でも、そこはジャスミン。
その状態でもダミアンを離すつもりがなく、ガッチリと掴んでいた。
「ジャ、ジャスミン? 少し手を離してくれないかな……」
「何を言っているの、ダミアン?」
ジャスミンからすれば、ここでダミアンに逃げられるなんて屈辱はないだろう。
だからこそ、彼女は絶対にダミアンを離さない。包囲網は、すでに完成している。
「デイジー!」
そこで満を持して〝彼〟がやってくる。
「ルイス! 来てくれたの!」
私は大げさなくらいに笑顔になって、声を明るくして、彼に振り向く。
そうするとルイスがそこにいて、私に駆け寄ってきてくれた。
「デイジー! ああ、もちろんさ。君とまたマスカレードで踊りたくてね」
「嬉しい! ルイス、会いたかったわ!」
「ああ、俺もだよ、デイジー」
私たちが、互いに見つめ合い、会いたがっていたと演出することで、ジャスミンたちの顔色が青くなったり、赤くなったりする。
ふふ、演出だけれど、私の本心では、本当に嬉しく思っているのは内緒だ。
「な、なん……誰よ、その人! デイジーお姉様!?」
「もう、ジャスミン? 貴方、さっきからなんなの?」
「それはこっちの台詞よ!」
そうかしら。でもいいわ。
「デイジー、いったいどうしたんだい? どうやら注目されているみたいだけど」
「ルイス、あのね。ここにいる二人、女性の方が私の妹のジャスミンなの。その隣にいるダミアンはジャスミンの恋人なのですって!」
「なんだって! そうか、デイジーの妹か。なら、名乗らないとね!」
大げさなリアクションをしながら、ルイスもまた、あっさりと仮面を外した。
彼の素顔を見て、ジャスミンと、周囲の女性陣が息を飲む。
きっとルイスの姿がとても素敵だからだろう。
……少し、嫌な気持ちになった。
「俺はルイス・クレイブ・アルノール。アルノール侯爵家の息子だが、今はクレイブ子爵を父から継いでいる。デイジーの妹君、はじめまして。貴方の姉と……交際させていただいている」
「え、ルイス!?」
交際している、まで〝嘘〟をつく予定はなかったはずだ。
でも、ルイスは私の手を取りながら、私に向けてウインクをしてくる。
任せろ、ということかしら? その方がジャスミンに衝撃を与えられるから?
でも、だからってこんな嘘を。思わずドキリとしてしまい、心臓が高鳴ってしまう。
「交際!? 侯爵令息!? 子爵!? なん、なんなの……公爵令嬢と親友で、侯爵令息と……。デイジーお姉様が? そんな、はず……」
「それはそうと」
ジャスミンのことだ。ルイスの〝価値〟に気づいたら、きっとすぐに切り替えて、ダミアンを捨ててルイスに媚びてくるだろうと。
私たちはそう結論を出した。だから、この時点で畳みかけていく。
「俺は、このマスカレードの警備と、裏で暗躍している組織について捜査する権限を託されている身だ。以前より調べていた、ある犯罪者グループだが……。その拠点をすでに割り出している。そいつらはマスカレードで知り合った女性を人気のない場所に誘い出し、誘拐していた。その犯罪者グループのうちの一人に……そちらの男性が似ているようだが?」
ルイスはそう宣言し、ダミアンを指差す。
「え……?」
ジャスミンだけがそんなふうに間の抜けた声を上げた。




