第1話:那智の伝説
2025.5.16 午後/熊野への道中
神々の残滓が、まだ風の粒に混じっていた頃。
日向を発った若き征服者は、熊野の海でその“しるし”を見た。夜でも色を失わない白い一筋は荘厳な音を立て降り注ぐ星の柱。
“八咫烏に導かれて大和へ”
青年は後に“神武天皇”として即位する。万世一系の天皇によって治められる国、日本の始まりである。
◇◇◇
「諸説あるけど、美しい物語よね」
諏訪を出て熊野に向かうハイエースの中で、缶コーヒーを飲みながら真理が那智の滝について桐生にレクチャーをしていた。
「国産み神話とはまた別の、天皇家の系譜を綴った話っすよね」
「厳密に歴史考証をしちゃうと辻褄が合わなくなるところも出てくるんだけど、まあそれは置いといて。その後も那智の滝は様々な物語や伝承に登場するの。いずれも神の世界と強く繋がっていて、信仰の対象にもなっているわ」
「修験道の聖地でしたっけ?」
「そう。で、今に伝わる歴史遺産が熊野古道と言うわけ」
ハイエースは山中の曲がりくねった道を駆け抜ける。進むにつれ新緑はその濃さを増し、植生も様を変えていく。
真理と桐生が向かっているのは熊野那智神社。諏訪大社の八重垣が旧知の仲ということもあり、那智の宮司から当地の伝承に詳しいという人物を紹介してもらう事になった。
「若いけどしっかりしてる、って話なんだけど、どんな女性かしら」
「可愛い巫女さん」
「んな上手い話があるか!八重垣さんからみて若い、って事だから30代ぐらいの真面目な事務員さんとかじゃない?」
「だよねえ。豪運君、仕事してくんないかなー」
「今からじゃさすがに間に合わないでしょ」
「いや、信じるものは救われる。豪運君、贅沢は言いません。可愛くてスタイルと性格が良くてアニメボイスな妹キャラの巫女さんを遣わせてください」
「ダレカタスケテー。厨二病を拗らせたヲタクがいるー」
一羽のカラスがその俯瞰に白い車体を捉え、音もなく羽ばたいた。
◇◇◇
熊野那智神社で二人を出迎えたのは八重垣とは対照的に立派な体格、剃り上げた頭部が眩しい宮司だった。見た目はいかついが笑うと人の良さが滲み出る。
後ろに控えているのは歳のころ30半ば、一まとめにした髪に太いフレームのメガネ。存在そのものが実直さを伝える物静かな女性。
「田辺です。八重垣から聞いたんやけど、那智の滝を調査したいんやね」
「御堂と申します。こちらは桐生。急なお話で恐縮ですが、よろしくお願いします」
「斉藤と申します。こちらこそよろしくお願い致します」
折り目正しく頭を下げたのは田辺の後ろに控えていた女性。所作が美しい。
「斉藤さんには伝承の件でお力添えをいただけると伺っています。よろしくお願いします」
「え?ちゃうで。ワシは今日別件あるさかい、斉藤さんは代わりに窓口してもらうねん」
「それじゃ、伝承に詳しい方というのは?」
「すみませーん、遅れちゃいましたー!」
足袋を履いているはずなのに盛大な音を立てながら入ってきたのは白装束に赤い袴の若い巫女。
「有楽 (うら)さん、いつも言うてるけど廊下は走らない。ほな、挨拶して。こちらは東京から来はった御堂さんと桐生さん」
「有楽恵 (うら・めぐみ)です!よろしくお願いします!」
元気一杯の大きな瞳が二人に向けられる。圧倒されて声も出ない真理の傍で桐生が呟いた。
「……豪運君、グッジョブ」
◇◇◇
2025.5.16 午後/熊野・社務所
「ほな斉藤さん、後は任せたで。有楽さんはお行儀よくしいや」
「承知しました」
「かしこまりっ!」
しょうがないなあ、と言う感じに苦笑いをしながら田辺が席を外す。
「改めましてよろしくお願いします。お二人の調査には私共が同行させていただきます。ご自由にやっていただきたいところではあるのですが、禁足地や自然保護の観点からお断りをさせていただく事もありますのでご了承ください」
「もちろんです。調査は主に音の測定になります。機材設置の場所については現地で希望を伝えますので、お気づきの点がありましたらご遠慮なく仰ってください」
事務的な会話を交わす斉藤と真理に、有楽が「私は?私は?」と言う期待のこもった視線を送る。子犬が尻尾を振り回しながら飼い主を見つめるそれに近い。
「恵ちゃんは昔からの神話好きで、小さい頃からこの辺を走り回ってたんです。小学生の時にまとめた自由研究の内容が大きな賞をいただいて、そこから研究の道をまっしぐら。気づいたら大人顔負けの博士みたいになってしまって」
有楽が満面の笑みを浮かべる。
「なので、那智に限らず熊野一帯の伝承については頼っていただいて良いと思います。恵ちゃん、お願いできる?」
「はい、頑張ります!加代さん、もっかい自己紹介からしたらいい?うん!有楽恵、天神館付属高校3年です。こちらで見習い巫女をやりながら主に修験道と神話の研究をやってます!」
「高校生?」
「はい、現役JKってやつです!」
桐生が何かに感謝の祈りを捧げるのを無視して真理が問いかける。
「有楽さん、私たちは神話や伝承の中でも“音”と“光”に関するものを探しています。心当たりはありますか?」
「恵でいいですよ。えっと、“音”とか“光”に関係するものですね。代表的なものだと役行者が夜に光りながら空を飛び回っていたと言うのがあります。その他にも有名な陰陽道の道士が唱える呪術の声が熊野三山に響いたという伝承とか」
「那智の滝に関する伝承は?」
「那智の滝だと高天原と現世を結ぶ道であるとか神武天皇の東征における兆しのモチーフ、修験道における“一の滝”といったところがメジャーですね」
「門が開く、みたいな伝承はない?」
一瞬、加代と恵の表情が固まる。ちらっと目を合わせ、恵が続ける。
「伝承と呼ぶにはあまりにもお粗末というか、怪しさ満点のお話ならあるんですけど……」
「気にしないから、聞かせてもらえる?」
恵は一瞬目を閉じ、息をひとつついてから話し始めた。
「時は鎌倉の頃。ある修験者が苛烈な修行に明け暮れていた。四十八の滝行を経るに至り、天の声を聞く。曰く、“天が地となり、地が天となる時門は開く”」
真理と桐生が驚いた顔で目を合わせる。
「開いた門は高天原に至る“道”を一の滝に現し、その先に“究極の悟り”が開けると考えた修験者は“門”の鍵を探す。
“鍵”は物質的な鍵ではなく、天地を覆すほど強力な霊力の発現であると確信した修験者は“常闇の壁”と呼ばれる修行窟に篭り、勾玉に霊力を込め続けた。
気の遠くなるような歳月を経て、勾玉に力が満ちる。溢れる霊力は山を震わせ、獣は息を潜めた。
一の滝に立った修験者は勾玉を掲げ、天に問う。
“我、悟りを得たり。さらなる高み、高天原を目指す者なり。かの門、いざ開かんや?”
滝は鳴動し、大地が息を呑む。
しかし、“それ以上”は訪れなかった。修験者は失意の中勾玉を“常闇の壁”に封じ、今もどこかで悲願を継ぐものを待ち続けている」
語り終えた恵が沈黙を否定と捉えたのか、元のトーンに戻す。
「ね、怪しさ満点でしょ?でもまあ、こういった眉唾な情報も伝えられてはいるわけで」
「恵さん」
「はい?」
「今度は、私たちの話を聞いてもらえる?」
ざわめく木々の奥でまた一つ、何かが深く息をした。
第2章始まりました。明日も23:50更新予定です!




