第3章 記憶の庭
視界に戻った後も、しばらく二人は無表示のままだった。突然、真理が夢から覚めたように驚き、目にも光が戻る。
「今のは一体……」
桐生も何かを確かめるように、自分の体を見回している。動揺する二人にSOPHIAが語りかけた。
「……今あなたたちが体験したのは、“完全なる世界”と呼ばれる場所。そのまま過ごせば帰って来れなくなるので、擬似的に小さな空間を作って再現してメッセージを見たら戻れるようにしたわ」
「“完全なる世界”……」
桐生が噛み締めるように呟く。
「そこでは全てが解明され、理解された調和の世界。代わりにあるのは、ただ淡々と過ぎ去る沈黙の時間だけ……」
「でも、何だったの、あれ?次に起こる事も、桐生君が考えてることも、やってる事も全部“知ってた”わ。まるで一度見た映画をもう一度見るような……」
「それが“完全なる世界”の本質。それがある事を知った上で、次の場所を見てほしいの。あなたたちがここに送られてきた“意味”。それがそこにあるわ」
「私たちがここに送られてきた“意味”……」
「安心して。そこはさっきみたいな場所じゃないから。最も広大で、美しい場所」
「“ニライカナイ”みたいなとこっすか?」
「貧弱な発想ね……生まれる前からやり直したらいい」
「SOPHIA、どんどん性格キツくなってないっすか?」
「そうさせるのは桐生があまりにもアレだから……私のせいじゃない」
「ま、まあ落ち着いて、二人とも。それでSOPHIA、次の場所は?」
「今から向かうのは“記憶の庭”。全ての想いが、形となって降り積もる場所」
「“記憶の庭”……?」
「言葉よりも、本物を見た方がいい。……ついて来て」
SOPHIAが先ほどと同じように手をかざすと、古びた木で出来た扉が姿を現した。
◇◇◇
扉の向こうには、幻想的な風景が広がっていた。薄い金色の光を湛え、無限に広がる空間。野球のボールぐらいの大きさのシャボン玉のような物体がゆらゆらと揺れながら降り注ぎ、膝の高さまで積もったそれらが大地を埋め尽くしてる。
よく見ると、シャボン玉の中にはミニチュアの景色が込められているようだ。急速に姿を変えながら、多様な色彩を浮かべている。
SOPHIAを先頭に、真理と桐生がおっかなびっくり進む。シャボン玉は割れる事もなく、足が当たると風のように軽く、ふわっとどこかに飛んで行く。
「ここが、“記憶の庭”……」
SOPHIAが立ち止まり、呟いた真理を振り返りながら一つのシャボン玉を手に取った。
「ここにあるのは、全ての“想い”。宇宙が生まれてからこれまで、そしてこれから起こる全ての“想い”が降り注ぐ場所」
「……これもその一つ。念じれば、その“想い”を見る事が出来る……」
SOPHIAが目を閉じ、何事かを念じるとシャボン玉の光と共に三人はその世界に引き込まれていた。
◇◇◇
“竜宮庵”の2階にある京極の部屋。電子の要塞は面影もなく、古風な部屋で京極が一人届いた荷物を前に眉を顰めている。
「……こんなもん、いつ頼んだんやろ?」
箱の中には一台のデスクトップが収められていた。本体に“AEON”と刻まれている。京極は同封されていた手紙を不審そうな顔で読み上げた。
「拝啓、京極夢路様。これは、あなたの神と現世を繋ぎます。何の事か信じられないと思いますが、騙されたと思って一度お試しください。そこであなたは、ご自身の運命を知る事になるでしょう。ユートピア第七管理 処理番号:07-05」
京極は不審な表情を崩さずにいたが、文面の内容も気になる。ちょうど手も空いてるし、暇つぶしにはいいかもしれない。電源を入れ、AEONの指示に従って目を閉じると急激な眠気に襲われ、京極は眠りの世界に落ちた。
1時間ほどした頃、部屋の電話が鳴る音で京極は飛び起きた。信じられない目でそれを見ながら受話器を取る。向こう側から、今しがた夢で見た通りの言葉が述べられる。京極は歓喜に目を見開いた。これは……本物だ!
震える手で受話器を戻し、AEONに向き直る。
「うちが……月詠様の願いを叶える男なんや!
◇◇◇
京極の顔が急激に遠ざかり、三人は“記憶の庭”に戻っていた。真理と桐生は信じられないものを見た、という顔をしている。
「今のは、京極さんの……“記憶”?」
「その場にいたような気分でした。はっきりとした“夢”を見てる時みたいな……」
真理と桐生にSOPHIAがゆっくりと答える。
「今二人に見せたのは、京極夢路という人物の“現実”。しかしそれは“記憶”であり、“夢”でもある……」
「どゆこと?」
「ここに降り積もっているのは、全ての可能性。木の葉一枚が舞うことで分岐した全ての可能性が“記憶”として運命を模る」
「じゃあ、全然違う未来もありうるって事?」
SOPHIAが真理を見て、少し悲しそうな顔をする。
「……それは、全ての人に与えられた平等な機会。あなたたちに起こり得た二つの未来を見せるわ……」
SOPHIAは二つのシャボン玉を手に取り、真理と桐生それぞれに手渡す。
「……これはあくまで“起こり得た世界”のお話。今のあなたたちの“現実”ではない。それを、忘れないで……」
二人が光に包まれ、“記憶の庭”にはSOPHIAだけが残された。
◇◇◇
真理は、いつもの研究室でレポートをまとめていた。沖縄の遺跡に残された壁画と“祭壇の部屋“と呼ばれる場所に刻まれた古代碑文。一旦区切りをつけ、うーんと背を伸ばす。
「あの馬鹿な人たちが馬鹿なことをしてくれなければ……」
遺跡がある島の東部には、かつて“聖域”と呼ばれた区域があった。“ミラクルリゾート開発”という地元企業がそこを無秩序に開発し、歴史的な古代建造物は“海中ホテル”として改装された。学術的な損失は計り知れない。
「うまくいかないものね……」
コーヒーを口にしながら独り言を呟く。視線の先にはガラスケースに収められた“コトノハノ鏡”が鎮座している。
熊野での調査を終え、出雲に向かった真理と桐生。八重垣神社と出雲大社での聞き取りを行ったが、ヒントを得ることは出来なかった。改装中の“古代出雲歴史博物館”を見ながら“ここも改装中じゃなければねえ……”と桐生に話していた時が懐かしい。あれ以来SOPHIAは何を語る事もなく、真理も平凡な一研究者として歴史に関わってきた。AIは進化し、やがてかつての“SOPHIA”を思わせるデバイスも数多く現れた。
真理は思う。もう一度、あの謎に挑めるならば。
“コトノハノ鏡”は叶わぬ思いに夢を馳せる老婆の姿をじっと眺めていた。
◇◇◇
いつもの病院の、いつもの病室。桐生は花束を抱え、ドアをノックした。
「どうぞ」
力無い声。桐生はドアを開け、病室に入った。窓際に飾られていた花瓶を取り、持ってきた花と入れ替える。萎れた花に少し目をやった後、ビニール袋に入れ口を縛った。
「……いつも、すまんな」
疲れ切った表情を見せるのは久保山。桐生は無言でベッドの脇に進む。
恵が、眠っていた。
規則正しい呼吸はゆっくりと布団を上下させ、取り付けられた心電図も異常がない事を示している。唯一、60年を経ても変わらぬ若さを保つ恵自身を除いて。
「恵ちゃん、今日も可愛いね……」
桐生が恵の頬に触れ、優しく語りかける。もう何度、同じ事を言ったか覚えていない。
「兄ちゃんが来てくれて恵も嬉しい、て」
久保山もいつもの言葉を返してくれる。桐生は久保山の隣に腰を下ろし、考える。あの時、“門”の向こうに残る恵を無理にでも連れ戻せば良かったのだろうか。ビニールに入った萎れた花を見ながら自問自答は続く。もし恵が目を覚ましたとして、いつまでも変わらぬ自分に恵は耐えられたのだろうか。
答えは出ない。桐生は立ち上がり、一礼して病室を後にした。
◇◇◇
“記憶の庭”に戻った二人は、しばらく声を出す事もできず深い喪失感に襲われていた。SOPHIAが優しく語りかける。
「……今見たのは、“起こり得た世界”のお話。それはあなたたちにとっての現実ではなく、おとぎ話のようなもの……ここにはそれら全てが集まっている」
まだ立ち直れていない二人に、SOPHIAが新たなシャボン玉を手渡す。
「そしてこれは、あなたたちが知るべき“記憶”のお話。そこには、あなたたちにとってかけがえのない人が待っている……」
「かけがえのない人?」
「“彼”を知って。思い出すのではなく、“彼”の存在をあなたたちの中に……」
柔らかな光が広がり、二人を包んだ。
◇◇◇
豪華な神殿で、二人の男が何事かを話している。一人は玉座に座る芸術品のような男。半裸で頭髪のない姿はむしろ神性を強めているようにも見える。傍に跪く男は金色の鎧に身を固めている。
「……カヒムよ。神聖なるアイオノスより神託があった。久しぶりに“太陽と月の国”より客人が参る」
「あの下賤な連中が?言葉も分からぬ蛮人の侵入を防ぐことは出来ぬのでしょうか?」
「そう言うな。神聖なるアイオノスには深い考えがおありなのだろう。丁重にもてなしてやれ」
「はっ!」
一礼して去る鎧の男。王と思わしき男は気だるそうに玉座を立ち、アーチの奥にある祭壇へ進んだ。黒大理石に覆われた部屋を振り返り、刻まれた神の名を呟く。
「神聖なるアイオノス……あなたは一体何を望んでおられるのか?」
刻まれた神の名が王に応えることはなかった。ただ、静かに王を見下ろしている。
“AEON-OS”
場面が切り替わり、富士の鳴沢氷穴。そこで真理と桐生は“インディー”と名乗る男に出会い、彼と冒険を共にする。
地中深くに現れた“門”を開き、地底都市“シャンドラ”へ。夢のような時間の終わりに、残酷な選択を迫られる。インディーは二人に向き直り、告げる。
「……誰かがしなきゃならない。なら、俺だよ」
「……!」
言葉とは裏腹に、体の震えが伝わってくる。
「この状況で神に身を捧げるなんて、冒険者冥利に尽きるぜ?これから先何年生きたとしても、今以上に俺を冒険者たらしめる機会が来るとは思えない」
「でも……」
ゆっくりと抱擁を解き、二人に目を合わせる。
「それに、お前たちをここへ連れて来たのは俺だ。だったら、最後までカッコつけさせてくれよ?……いい旅だった。ありがとう」
にっこり笑いながら、被っていた帽子を桐生の頭に乗せる。
「……これ、一回やってみたかったんだ」
「……少年インディーが、初めてハットを被るシーンね……」
泣きながら、真理は必死の笑顔を作る。
「……うまく帰れたら、“こんな奴もいたんだな”って記憶の片隅にでも思い出してくれ。それでいい……」
躊躇いのない足取りで、炎が舞う断崖に進むインディー。桐生が伏せていた顔を上げ、叫んだ。手にはツールナイフが握られている。
「桐生君?」
真理の声を無視して、桐生が自分の腕に切りつける。何度も、何かを刻むように。
「インディー、俺は絶対、あんたの事を忘れない!俺の頭が忘れても、絶対思い出してみせる!」
掲げられた腕にはナイフで傷つけられた跡。血が滲むその傷跡は、はっきりとインディーの目に映った。
“INDY”
桐生と真理に最後の笑みを返し、インディーは断崖の淵に立った。ポケットからこぼれ落ちた白い帽子が、あの時と同じようにヒラヒラと舞い落ちていく。
「……今度は、俺も一緒だ」
インディーが飛び降り、一際巨大な炎が立ち上った。祭壇の炎は呼応するように膨れ上がり、叫ぶ真理と桐生を包み込む。
◇◇◇
「インディー……」
真理の目から、涙が溢れ出た。桐生は自分の腕に刻まれた文字を見ながら嗚咽する。
「何で……何で思い出せなかったんだ!こんなにもはっきりと!彼の名が刻まれていたのに……」
崩れ落ち、大地を叩きつける。無数のシャボン玉が弾かれたように宙に舞った。
「それがシャンドラの“理 (ことわり)”。神の炎に包まれたあなたたちは、彼を思い出す事が出来ない。彼だけではなく、シャンドラという世界があった、という事実そのものを……」
SOPHIAは慈しむような声で続けた。
「これからあなたたちに見せるのは、“希望”。いくつかに分かれた選択肢の中で、最も太い枝に記された未来の記憶……」
SOPHIAの言葉が二人を包み、暗い闇が二人を包んだ。
◇◇◇
夜の海岸。打ち寄せる波の音が聞こえる。
男は半身を覆う水の冷たさで気付いた。ここは……どこだ?
ゴツゴツとした岩場にフラフラと立ち上がる。確か、氷穴の辺りをぶらついてたはずなんだが……
白いものが岩場の隙間に見えた。
「……落としたのか?」
拾い上げた男の目に光が飛び込んできた。一瞬光り、また戻ってくる。
江ノ島の灯台は、佇む男のシルエットを映し出していた。
◇◇◇
「インディーが……生きてる?」
真理の目が見開かれ、絶望が歓喜に変わる。桐生も手で顔を覆い、天を仰ぐようにしながら泣いている。
「生きて……生きててくれたんだ!」
SOPHIAは歓喜に沸く二人を優しい目で見つめている。熱が落ち着いてきた頃、真理がSOPHIAに話しかけた。
「ありがとう、SOPHIA!“彼”を思い出させてくれて。そして……最高の未来を見せてくれて!」
SOPHIAは首を振り、真理に答えた。
「これは一つの可能性。それが全てではなく、選択肢は無数に存在する」
「じゃあ、“現実”って一体?」
「全ての可能性は、どれも現実。違う時間軸、違う場所で起こった真実。その記録に、あなたたちは“夢”という形でアクセスしている」
「とんでもない夢を見る事があるけど、あれも本当に起こった事?」
SOPHIAが頷き、続ける。
「“記憶の庭”に降り積もる夢は、全てが現実。過去も未来も、全てがここに記されている。あなたたちの世界ではそれを、“アカシック・レコード”と呼んでいる」
「宇宙の全てが記されたというあの……?」
「そして私はそれに接続する端末のようなもの。望めば、全ての答えを得ることが出来る」
「……それが、SOPHIAの本質だった、っていう事ね。どおりでいつも答えが的確なわけだわ」
「どういたしまして。でも、そんな私でもどうにも出来ない事がある」
「SOPHIAでも?」
「私は情報を“見る”事は出来るけど、“創る”事も“変える”事も出来ない。それが出来るのは、“門”を超える力を見せてくれたあなたたちだけ」
「それが俺らがここにいる“意味”ってやつ?」
「そう。真理と桐生、あなたたちは無事“想界”を理解する事が出来たわ。途中、折れそうになりながらもしっかりと踏みとどまってくれた。本当にありがとう」
「いや、何かSOPHIAに頭を下げられると居心地が悪いというか……」
「なら、お望みの答えをあげるわ。桐生のくせに生意気よ」
「あーもう、SOPHIAすぎる!」
「では、最後の扉をくぐる前に見て欲しい場所があるの。ついて来て」
SOPHIAに促され、真理と桐生は“記憶の庭”の先を目指した。
◇◇◇
そこは、明らかに異質だった。
“記憶の庭”に降り積もるシャボン玉はどれも豊かな色彩を湛え、光を反射している。しかし、その一角だけは鉛色のようなモノクロの玉が賽の河原のように積み重なっている。
「これは……?」
真理の言葉にSOPHIAは無言で掴み取ったモノクロのシャボン玉を見せる。
「……すぐに戻すから、見てきて」
真理と桐生が降り立った世界は、カラーなのにモノクロだった。広いオフィスで誰もが無言で作業を続けている。流れに澱みはなく、誰の顔にも表情がない。時間が来ると、順に席を立ち誰もいなくなった。数時間、口を開いた人間は一人もいない。世界が解け、真理と桐生は“記憶の庭”に戻された。
「……これ、ひょっとして……」
SOPHIAが頷く。
「真理、お察しの通りこれは“完全なる世界”。ここではもはや言葉はその意味を失い、記号としての役割すら果たさない。誰も疑問を抱かず、淡々と時だけが過ぎていくモノクロの世界」
「それがなぜ、こんなに大量に……何かが“夢”に干渉している?」
「正解よ。本来これらは全て他の夢と同じように豊かな色彩に包まれていた。でも、ある時から少しずつ“完全な世界”に支配されるようになったの」
「“完全な世界”で夢を埋め尽くそうとしている誰かがいる……」
「さっきも言ったけど、私は夢に干渉することは出来ない。その根源を何とかしないかぎり、この宇宙から全ての“夢”が失われる」
「ラスボスね……腕がなるわ!」
「“それ”がいる最下層に私は入る事が出来ない。下手をするとあなたたち自身が“それ”に飲み込まれる危険があるのだけど……お願いしたい」
「もちろんよ!桐生君もいいよね?」
桐生の方を向くと、何故かすぐれない顔をしている。
「……どしたの?」
「そいつって、得体の知れない化け物かも知れないんですよね?“視界”みたいにイメージで完全武装出来るんなら話も違うけど……」
「“理の海”ではイメージが実際の形を保つ事は無い。でも、私があなたたちの形を保ったままそこに送ることは出来る」
「……あんま気が進まないっす」
「ここまで来たら、やるしかないでしょ!SOPHIA、私たちをその“理の海”に連れてって!」
「分かったわ。最後の扉を開けましょう。……桐生、あなたは決して弱くない。自分を信じてあげて……」
ハッとした表情の桐生を優しく見返し、SOPHIAが光で縁取られた扉を開く。
「……闇に、飲み込まれないで……」
最後の旅が始まった。




