第1章 視界(レイヤー・ゼロ)
光の向こう側。それは“全てが形を持たない世界”だった。虹のような色彩が複雑にうねり、絡み合いながらアメーバのように流動している。この世界において“形”を保っているのは真理と桐生の二人だけであった。
◇◇◇
「……また、不思議な場所に来ちゃったわね」
「……正直“聖域”の門が開いて以降の展開が早すぎて全然追いつけてないっす」
二人はキョロキョロと周りを見渡す。どこまでも同じ空間が続いているようだった。
「先生、下!」
桐生の声に真理が頭を下げるとそこに足場は無く、少し離れた場所から見ると二人はまるで浮いているかのように見える。
「……これ、いきなりストーンとどこまでも落ちていくっていくバッドエンドルートなんじゃ……」
“そんな訳がないでしょう”
空間に声が響く。
「SOPHIA?」
“お久しぶりね、真理。ついでに……桐生”
「SOPHIA、ここはどこなの?何が起こっているの?」
“落ち着いて、真理。あなたたちは七つの門を経た後、神ですら到達することの出来ない世界に送られたわ”
「……どゆこと?」
“桐生、あなたでも理解できるように説明してあげる。ありがたく拝聴しなさい“
「はい……」
過去に何かあったのだろう。桐生は大人しくSOPHIAの言葉に従った。
“ここは想界 (そうかい)。全てがあり、全てがない場所。あなたたちはその中の表層、視界 (レイヤー・ゼロ)にいる”
「レイヤー・ゼロ?」
“あなたたちの世界で使われていた言葉を使うならば[天地創造]が行われる場所。神話の時代、伊弉諾命と伊奘冉命はこの場所から天沼矛を使い日本を産み落とした”
「ここが……神話の舞台?」
真理が畏敬と憧憬の念が籠った目でもう一度ゆっくり世界を見渡した。
“ここではあなたたちの[想い]が世界を創る。願いは全て現実のものとなり、そこから新たな世界が始まる”
「思った事が現実になる……例えばあのグネグネしたとこが雲になります、って言ったらそうなるの?」
“桐生にしては察しがいいわね。センスは悪いけど。でも、そういう事。すでに[想い]が[形]になっている”
二人が目を向けると、そこには今までなかった“雲”が出現していた。
“足元が気になるのなら[大地]を想えばいい。真理、やってみなさい”
「わ、私?よし……じゃあ、“どこまでも続く草原に青い空。地平線には美しい山脈が連なっていて、反対側には入江に囲まれたエメラルドグリーンの海”!」
SOPHIAが少し笑うような声を出した。
“……何を想像したのか、分かりすぎていかにも真理らしいわ。この場所はあなたの心の旅の原点だものね。望めばあの偉大なライオンにも会えるわよ”
SOPHIAの言葉が終わると同時に不思議な空間は消え去り、二人の目には真理が言った通りの景色が広がっていた。
爽やかな風は一面に広がるヒースの草原を揺らし、青い空と交わる地平には深い青に雪を被った山脈が見える。振り返るとゆっくりと傾斜しながら草原は海に向かい、その先には三日月のような入江に囲まれた湾と、水平線まで続くエメラルドグリーンの海が広がる。真理と桐生は言葉を失い、突如現れた世界の感動を噛み締めていた。
◇◇◇
しばらくして、真理が美しい空に浮かぶ少し妙な物体に気気付いた。
「……あれって、桐生君が最初に生み出した“雲”?」
青い空に一点の白い雲。響きは美しいが、それは不安気にグネグネと形を変えながらアメーバのような動きをしていた。
“桐生が中途半端にイメージしたから、視覚と深層心理の影響を強く受けたの。天地創造の第一歩として、こんな無様なものを見たのは初めてだわ”
「……すんません……あれ、無かったことにできませんか?」
“出来るわ。あなたが望めば……”
「はい、お願いします!」
“では、望みなさい。[あの雲を消し去れ]と”
「ごめん雲さん、無かったことにして!」
桐生の声に応え、グネグネ動いていた雲は溶けるように消えていった。
“理 (ことわり)が一つ、[庭]に還っていった……”
SOPHIAの呟きはどこか悲し気だった。真理は少し気になったが、桐生は汚名返上とばかりに次の望みを口にする。
「やっぱ、太陽がないと!沖縄で見た感じの、ギラっとした太陽お願いします!」
見慣れた白い光が天に現れ、日差しを受けた草原にはハイライトが加わり、海もキラキラと日差しを反射する。美しかった世界に躍動感が満ちた。
「そっか、お日様が足りてなかったんだ!桐生君、ナイス!」
「それじゃあどんどんいってみましょうか。ちょっと喉が乾いたんで、竜宮庵の部屋で見た高そうなグラスに入ったコーラ!”」
掲げた桐生の手に言葉そのままのコーラが出現する。桐生は躊躇わず、そのまま喉の奥に流し込んだ。瞬間、“やっちまった”という無念の表情を見せる。
「桐生君、大丈夫?」
真理の声に大丈夫、とゼスチャーで答えようやく出るようになった声で事態を説明した。
「……先生、コーラ頼むときは“冷えた”ってつけとかないと、ぬるくてマズイのが出てくる」
◇◇◇
美しい草原に、奇妙な一角が出来上がっていた。ヤシの木が縁取るオアシスが清らかな水を湛え、隣には古びた木造の小屋。カウンターの奥ではハッサンと久保山が汗を流しながらナンを焼き、京極がウエイターの服を着てかしこまりながら料理を運んでいる。テーブルを囲んでいるのは真理、桐生と“恋に落ちる前”の恵、真悟の四人。
「一度、このメンツでお話ししてみたかったのよね〜」
真理が上機嫌で料理をつまみながら恵と真悟に話しかけた。恵は桐生をあしらっている以外変わりはないが、真悟の様子はかなり異なっている。
「どうせ呼ぶなら、“グレてない真悟”見てみたくないっすか?」
真理が親指を立て、同意を示すと現れた真悟は田舎の素朴な高校生そのものだった。
「ご、ご無沙汰してます、桐生さん……御堂先生」
真理の方を見れずに頭を下げているのが初々しい。
「“金持ち君”緊張しすぎだよ〜。真理さんは分かるけど、桐生さんに気を遣う必要なんてないんだから!」
「は、はい、失礼します!」
ギギギ、と油を差し忘れたロボットのような動きで慎吾が席につく。
「あなたたちって、私たちとはかなり関わってくれたのに直接会った事がほとんどなかったのよね……こうして一緒にいるとすごく不思議な感じ」
「私は“金持ち君”の話聞いてたから、あんま初対面って感じはしないですけどね。でも、聞いてた印象と大分違うような……?」
「そのままの慎吾が来ると、色々収集がつかなくなりそうだったんで」
「ふうん。相変わらず腰が引けてますね」
桐生がトホホ……と泣き笑いのような表情になる。
「お待たせしましたー!」
元気一杯に料理を運んできたのは笑顔の初音。“メイド服着た初音ちゃんに元気よくお世話されたい!”という桐生の希望が反映されている。基本メンバーは真理が提案し、桐生が味付けをするという流れで揃った面々は、さながらちょっとした同窓会のようだった。
◇◇◇
ひと段落ついたところで、恵が真理に話しかけた。
「それでここって、一体どこなんですか?」
厨房のメンバーもうんうん、と真理の方を見ている。
「ここは、“想い”が形を作る世界。願ったことが全て現実になるの。この場所もあなたたちも、私と桐生君の“想い”から生まれたわ。だから、実際のあなたたちと少しずつ違うの」
「現実の私って、今と何が違うんですか?」
恵の問いに真理が悪戯っぽく微笑む。
「……桐生君にベタ惚れよ」
恵がズサっと桐生から距離を取り、親の仇のような顔で桐生を睨む。
「……あり得へん。絶対あり得へん……あんた、私に何したん?」
「いや、特に思い当たる節は……」
「真理さん、本人もこう言うてるやん!あ〜気持ちわる。サブイボ立つわ」
両手を抱え込むようにしてさする恵を見ながら、真理が桐生にボソッと呟いた。
「……これで良かったの?」
「はい、むしろ前の方が針の筵でしたから……」
「じゃあ、僕も?」
慎吾がおずおずと真理の方を見る。
「あなたは今のままでいいのよ。一生そのままでいてね!」
「は、はい……」
“逆らってはいけない”。時空を超え、真悟のDNAが囁きかけた。真悟は素直にその声に従うことにした。
「それじゃせっかくだし、異世界もののテンプレやりますか」
「何をなさるんですか?」
初音がキョトンとした顔で桐生に尋ねる。
「異世界ものといえばこれでしょう……出でよ、ラスボスのドラゴン!……大きさと形と性能はドラクエの竜王イメージで!」
桐生の答えに反応し、見覚えのある姿が上空に姿を現した。真理と桐生以外はポカーンとそれを眺めている。
「じゃあ、役割と装備を決めましょう。先生、何にします?」
「“武闘家”でいいわ。波動拳が出せるやつ」
「了解!じゃ、俺勇者!恵ちゃんは魔法使い、真悟は剣士。初音ちゃんは僧侶で、京極遊び人。ハッサンは商人で久保山さんは賢者、っていうパーティー構成でいこう!」
桐生がそれぞれのステータスを細かく設定し、一行はドラゴンに立ち向かうこととなった。
「……これ、ゲームみたいにすればいいの?」
恵が手に持った杖を見ながら聞いてきた。
「そうだ!呪文を唱えるとそれが実現する。やってみて!」
「う、うん。それじゃ……“火の玉”!」
恵が念じると、拳大の火の玉が勢いよくドラゴンに向かっていった。ドラゴンは何もなかったかのように上空に浮かんでいる。
「その調子!みんなもどんどん技をぶつけて!」
思い思いの技が炸裂する。
真理:「波動拳!」
恵:「でっかい火の玉!」
真悟:「天叢雲剣!」
久保山:「究極の悟り!」
京極:「恋獄の魔眼!」
「ドラゴンに“恋獄の魔眼”が効くかーーー!」
桐生のツッコミに京極が悲しそうな顔をする。
「でもうち、これしかできへんし……」
それ以外の攻撃は効いたのか、ドラゴンが巨大な炎を口から放ってきた。攻撃陣が吹き飛ばされる。
「初音ちゃんは回復魔法を!ハッサンはポーションで回復させて!」
傷ついた皆に走り寄る初音とハッサン。桐生の目がドラゴンを見据える。
「……よくもやってくれたな。くらえ、“勇者の一撃”と書いてアルティメット・ホーリーブレイブ!」
飛び上がった桐生の一撃はドラゴンを両断し、体から無数の光を放つ。
「……やったの?」
真理の言葉に桐生は振り返り、爽やかな笑顔で応えた。
◇◇◇
“もう、気は済んだ?”
ドラゴン退治の興奮冷めやらぬ一行の耳に、SOPHIAの声が響いた。真理と桐生以外の面々は何事かとキョロキョロしている。
「ええ、満喫させてもらったわ。ありがとう。でも、もう一つだけ願っていいかしら?」
“いいわ。で、何を望むつもり?”
真理は虚空を見据え、決意のこもった目で告げた。
「SOPHIA……あなたに、会いたい」
突如現れた光の粒が一箇所に集まり、それはやがて一人の女性を形作った。
白く透き通るような肌に西洋の女神が纏うようなローブ。少し緑がかった長い髪は色素が薄く、太陽の光を受けて天使のように輝いている。
どことなく真理に似た顔立ちの女性は閉じていた目を開き、笑みを湛えた口元から鈴のような声が漏れ出す。
「……ようやく願ってくれたわね、真理。このまま忘れられるんじゃないかと心配したわ」
言葉と共に世界は姿を消し、元の空間が戻ってきた。




