第7話:聖域
2025.8.23 午後/島の東部・“聖域”
社があった場所の裏手に回ると、小さな洞窟の入り口が見えた。近づくと道は下り坂になっており、出口の光が明るく差し込んでいる。
光の先に波音が聞こえる。
興世に導かれ、真理と桐生は旅路の果てにある最後の“門”を目指す。やがて視界が開け、“聖域”がその姿を表した。
マングローブの森が広がる広大なエリア。“聖域”はその全てを覆うかのような広範囲に渡り眠っていた。黒い影はエメラルドグリーンの水の中で正確な直線を描き、一つの都市がそのまま水没する途中のようにも見える。
「これが、“聖域”……」
誰もが言葉を失う。真理の呟きだけが森に吸い込まれていった。
「……歩くうちに、もう少し沖の“聖域”にも行けるようになる。“聖域”は潮の満ち引きと共に死と再生を繰り返す。これが初音ちゃんが聞いた“ニライカナイは今日も還ってきた”という言葉の意味だ」
興世に導かれ、まだ海水に濡れた遺跡の上を進む。フジツボやサンゴに覆われているが、高度な文明の跡を感じさせる。
「……ここから、中に入れる」
かつては扉があったのであろう。人が丁度すれ違えるぐらいの入り口が波の音を湛えながら待ち受けている。
中に進むと、そこはかつて大きな広間であったのだろう。広大なスペースに、窓からの光が差し込んでいる。海水は少し残っているが、靴が浸るほどではない。
初音が何かに気付き、水の中から持ち上げる。
「……綺麗なグラス……」
琉球ガラスに酷似した淡い色のグラスが、差し込む光に煌めく。
「初音ちゃん、ここにあるものはなるべく触らないようにね。……皆も、何か目を引くものがあっても拾ったり、まして持ち出したりはしないように」
興世に嗜められ、初音は慌ててグラスを元あった場所に戻す。
「……ここに限らず、島にあるものは基本全てニライカナイの神様の物だから……人間が勝手に持ち出してはいけない」
おっとりと、だが譲れない強さを持って興世が誰にともなく呟く。誰もが真剣な表情で頷いた。
進むほどに文明の跡が顕になる。海藻にまみれたテーブルと椅子、散らばった食器の数々。一体いつの時代のものなのか。巡らせる思索を遮るように、広間の奥にある入り口が目の前に現れた。
「ここは何かの儀式を行なっていたような跡がある」
部屋の中は広間から一段下がっており、海水はくるぶしまで上がっていた。小さな部屋で、“儀式に使われていたかも”という推測を裏付けるように部屋の中央には祭壇のようなものが隆起していた。
「この部屋は……」
西園寺が驚きと憧れが混じったような表情でぐるりと見渡す。細い光が差し込み、祭壇のようなものを照らしている。何かに気付き、表面を白衣の袖で擦った。
「古代文字だ……こう書かれている。“天が地となり、地が天となる時”門“が開く。稀他人よ、我が祈りに応えよ”」
西園寺は真理に向き直り、“コトノハノ鏡”を出すように告げた。
「ここが“門”を開く儀式の場所で間違いないだろう。後はどうやって18ヘルツの音を拾うかだが……」
西園寺が何事か思案する。
「……分からん。御堂君、とりあえずその“鏡”を掲げてくれないか?」
「はい、行きます!」
真理が“コトノハノ鏡”を掲げる。全員がじっと見守るが、特段変化は起こらない。
「……ありがとう。さて、どうしたものか……」
再び思案する西園寺に初音がおずおずと話しかけた。
「あの、この場所なんですけど……さっきから、音が変な感じに反響してませんか?」
「音が?」
西園寺の目が光る。
「はい、何て言うか……私、ずっと色んな“音”を聞いてるんで余計にそう思っちゃうのかも知れませんが、普通に響くのとはちょっと違うような……」
西園寺が再び部屋の中を見回す。何かに気付いたように、口の端が上がる。
「……でかした初音さん。そうだ、この部屋は“儀式”のために作られている。そのための仕掛けを取り戻してやればいい」
「……どゆこと?師匠」
「観察眼を養え、馬鹿弟子。部屋のあちこちに小さな孔が空いているだろう?いくつかは塞がってしまっているが、これが“音”に関係しているのは間違いない。全員で孔という孔を綺麗に開放するんだ!雑にするなよ。仕掛けが崩れる。慎重に、かつ完璧に仕上げるんだ!」
西園寺の掛け声でそれぞれが近くの“孔”に取り掛かる。ほぼ完全な形を残しているものからフジツボに覆われているものまで、結構な数があるようだった。
◇◇◇
2時間もすると“孔”は全て元の形を取り戻し、無数の光が部屋に差し込む。西園寺は皆に“シッ!”と合図をし、一旦広間に戻るようゼスチャーで伝えた。
「皆のおかげで、“門”を開く条件が揃った。ありがとう」
頭を下げる。真理たちもつられて頭を下げた。
「おそらく部屋の中で言葉を発すると、御堂君が持っている“コトノハノ鏡”が反応する。その時の言葉が“ええいこんちくしょう”だと締まらないだろう?」
西園寺の言葉に全員が笑った。
「ここは御堂さんにお願いしよう。言葉はそうだな……“ニライカナイの神よ、最後の門を開きたまえ”で行こう」
真理が頷き、口の中でぶつぶつと復唱する。
「比嘉、それにみんな……おそらく私たちはこれから、普通の人が一生かかっても見れないものに遭遇する。二度目以上の幸運な方々も中にはいらっしゃるようだが……」
西園寺の目が真理と桐生、初音を見る。
「これは最後にして最高の“門”。一度しかないこの奇跡を、しっかりと目に焼き付けよう!」
西園寺に促され、全員が小部屋に入った。皆、神妙な面持ちで“その時”を待っている。西園寺が促し、真理が軽く頷いた。祭壇の前で“コトノハノ鏡”を掲げ、胸の奥で静かに息を整え祝詞を口にする。
「ニライカナイの神よ、最後の門を開きたまえ!」
真理の声が拡声器を使ったかのように響く。元の声よりも遥かに低く、骨に響くような低音が混じる。
−来た。
真理の声に重なるように奏でられる重低音。鼓膜ではなく骨が震えるような説明できない圧。祭壇は眩い光を放ち、足元には蓮の花が幾重にも重なったような金色の波紋が広がる。遅れて響く荘厳な鐘の音。誰もが我が目を疑うような美しい時間に、初音はあの時の感動を思い出していた。
“鳴金”の余韻が引き、聖域に静寂が戻ってきた。最初に異変に気付いたのは初音だった。
「……真理さんと桐生さんが、いない!」
言われて全員が祭壇の方を見る。確かにさっきまでいたはずの二人の姿が見えない。戸惑う皆を前に、西園寺はしょうがない奴らだ、というような笑みを浮かべた。
「あいつらの事だ。心配しなくても、面白い冒険に巻き込まれているよ」
その目は遠く、ニライカナイを見据えているようだった。




