第3話:冒険者
2000.5.3(25年前) 午前/富士・鳴沢氷穴
ゴールデンウイークを利用して、遠藤家は富士の氷穴を訪れていた。5歳になる順はおっかなびっくり、前を進む母親の裾を掴みながら進んでいく。
「順君、歩きにくいよ」
「だってお母さん、ここ、滑るんだよ……」
Tシャツに半ズボン、スニーカーの順の頭には買ってもらったばかりの白いハット。ワンポイントの熊が可愛らしく、順は一目で気に入った。帽子の裏側には無くさないように、母親が“えんどう じゅん”とマジックで書いてくれている。
狭い洞窟を抜けると、眼下に人が集まっている場所があった。
「お父さん、あれ何?」
順が相変わらず母親にしがみつきながら尋ねる。
「あれは、“地獄の竪穴”って言うんだ。落ちたら戻って来れないって言われてるこわーい場所だ」
「……僕、怖いから行きたくない」
「大丈夫よ。お母さんもいるから。ちょっと見てみましょ?」
母親に促され、渋々穴の横へ。覗き込むと、暗闇はどこまでも続いているようだった。
「僕、もういい……」
と、後ろを通り過ぎる観光客の一人が順にぶつかった。
「……!」
必死で堪えるが、その拍子に帽子が脱げ、吸い込まれるように闇に消えていった。
「……帽子!」
母親が膝をつき、順を守るように抱き抱える。父親はぶつかった観光客に大声で怒鳴り散らしていた。しかし、順の意識は帽子にしかなかった。すごく大事にしてたのに……旅行が終わっても、しばらく順の心は晴れなかった。
◇◇◇
5年後の夏休み。海水浴で訪れた湘南の海辺には、笑顔ではしゃぐ順の姿があった。同級生と自転車を漕いで、ちょっとした冒険の様相だ。
ひとしきり泳いだ後、同級生の一人が江ノ島を指して言う。
「江ノ島にさ、洞窟あるの知ってる?俺、こないだ兄ちゃんに連れてってもらったんだ!」
「そうなの?行きたい!」
「じゃ、潮が満ちる前にサクッと行こうぜ!」
全員が賛同し、自転車を漕いで江ノ島へ。洞窟の奥からは、ひんやりとした風が吹いているようだった。
「これ、富士山まで繋がってるらしいぜ」
同級生が自慢げに語る。
「マジで?このまま進んだら富士山に行っちゃうの?」
「らしいぜ。まあ、大人はデタラメだって言うけどな」
「じゃあ、このまま進んで、俺たちでそれがホントだって証明してやろうぜ!」
興奮して進む少年たち。ふと、白いものが順の視界に入った。
「……あれ、何だろ?」
気になって白いものに近づく。
「順ちゃん、気つけろよ!」
「大丈夫!」
岩を越え、白いものに辿り着く。手に取った順がそのまま固まった。
「順ちゃん、どうした?大丈夫か?」
仲間たちの声が聞こえる。だが、順の頭には届いていなかった。あるはずのない物が、そこにあった。色褪せて、ボロボロになった小さなハット。熊のワンポイントは擦り切れ、泣いているようにも見える。帽子の裏側には、薄れながらもはっきりと読める文字が刻まれていた。
“えんどう じゅん”
5年ぶりに再会したその帽子を、順はそっと抱きしめた。
◇◇◇
2025.8.8 午前/富士・インディーのキャンピングカー
「これが……」
神聖な宝物を取り扱うように、真理が帽子を受け取る。桐生も帽子から目を離せず、だが理性は理解を拒もうとしているようだ。インディーがカップのコーヒーに口をつけ、ゆったりと切り出す。
「まあ、普通は信じられない話だよ。俺だって、その帽子がなければ考えることすら無かったと思う。でも、出会ってしまった。これは、俺に科された冒険なんだ」
真理が口を開く。
「あなたの冒険?」
「そうだ。富士の洞窟は必ず江ノ島に繋がっている。俺の生涯は、その謎を解き明かすためだけにある」
「それで、警備員さんに怒られてるのは何故っすか?」
「いや、一人じゃ心細いんでたまに仲間になってくれそうな人に声をかけるんだけど、世間じゃ“不審者”に分類されるらしくてな……その、回数こなすうちに何度かお世話に……」
真理が苦笑する。現代の冒険者はなかなかにシビアな問題を抱えているらしい。
「私たちに声をかけたのは?」
「“洞窟にロマンをかける冒険者”って声が聞こえたからさ。ひょっとしたら俺の話を聞いてくれるかもしれない、って思ったんだ。こんな話、誰も信じてくれなくてな。……いつか、こんな奴もいたんだと思い出してくれたらそれでいい。コーヒーを飲んだら、帰ってもらって構わないよ」
少し寂しげに微笑むインディー。真理と桐生が目を合わせ、頷いた。真理は帽子をそっと膝に置き、息を吸った。
「実は私たち、とある事情でこの場所にいる“冒険者”を探してまして……インディー、私たちの話を聞いてくれる?」
インディーが薄い顔で肩をすくめ、おどけた表情をした。
◇◇◇
「……なるほど、結構な場数を踏んできたんだな……」
インディーが顎髭を撫でながら、鋭い目つきで思案を巡らせている。
「あなたがその“冒険者”なら、何か“門”や“鳴金”に関する知識をお持ちではないかと……」
真理の言葉を制し、インディーが囁くように告げる。
「この話は、誰にもした事がない。突拍子もない上に、そもそも聞くための準備ができてる人間に出会ったことが無いからだ」
その目は空中の一点を見つめ、何かに集中している。
「だけど、お前たちになら話してもいいと思った。……ただ、先に言っとく。これはお前たちが今まで関わってきた、日本の神だけに関わる話じゃない」
「どゆこと?」
桐生が眉を顰める。インディーは重い言葉で答えた。
「……これは世界の、あらゆる場所で語り継がれる伝承だ。核心は一つ。彼らは全て、“地底の大いなる国”について述べている。日本では“黄泉の国”と呼ばれているが……その入り口は至る所にあり、その一つが富士であり、江ノ島であるという結論に至った」
「……地底の国?」
真理が呟く。
「そこは誰でも入れるわけじゃない。試練を乗り越えたものだけが祝福の鐘と共に招き入れられる理想郷だ、と言われている。そして俺は、その入り口と思わしき場所を知っている」
車内に張り詰めた空気が満ち、外を歩く観光客の声だけが妙に明るく響く。
「一緒に来てくれるなら、案内しよう」
沈黙を破る、インディーの決意がこもった声。間違いない、彼が“冒険者”だ。
「その、地底の国の名は何と言うのですか?」
真理の質問にインディーが噛み締めるように答えた。
「……地下深く、神話の時代から続く偉大なる都市。その名を“シャンドラ”と呼ぶ」
地中の奥深くで、何かが応えるような鼓動を感じた。




