第8話:第三夜 -恵の夢-
2025.7.26 夜明け前/竜宮庵・竜宮の間
夢を見ていた。
隣から真理の気配が去り、周りの様子が変化したことが分かる。深い海の底に潜るような静寂。恵はちょっと我慢して、目を開けるのを遅らせた。
疑いもなく、自分は“あの夢”に戻ってきている。この感動を、もう少しだけ味わっていたかった。よし、もう大丈夫。心を落ち着け、そっと眼を開く。十年前と同じ、“お姫様のベッド”の天蓋が見えた。
恵は喜びを抑えきれず、枕で口元を抑えながら両足をバタバタさせる。右へ転がり、左へ転がり。存分に喜びを満喫した後、十年前と同じように部屋の外に出てみた。
懐かしい、どこまでも続く廊下。建物の一番上は見えないほど高く聳えており、天に届いているように見える。
足音がして、振り返ると綺麗な着物を着た女の人が立っていた。
「……十の歳月を越え、よくぞお戻りになられました……」
深々と頭を下げる。
「いや、そんな、気を遣わないでください!私も戻って来れて、とっても嬉しいです!」
恵がはち切れんばかりの笑顔で答える。
「お約束通り、あなたはこの城……この国の姫君となり、全てを手にされます」
来た!キタキタ来たーーーーーっ!お姫様ルート確定!これ、やっぱり真理さんの言ってた「某国の王子様に見初められる」パターン?今、京都ってどこの国の人が来てたっけ?
恵の妄想が加速していくのを知ってか知らずか、女性は頭を下げたままで言葉を続けた。
「……姫君の到着を祝う宴が準備出来ております。お召しかえになって、広間へ起こしください」
どこから現れたのか、数人の女性がずらっと並び恵の着替えをおし頂いている。
「かしこまりっ!」
恵は部屋に戻り、なされるがままに五色の着物に袖を通した。やがて最初に現れた女性を先頭に、静々と恵の小さな大名行列が建物の中を進んでいく。中は思ったよりも明るく、高い天井からは柔らかな光が差し込んでいる。
調度品には海をモチーフにしたものが多いようで、巨大な生花のように咲いているピンクの珊瑚が一際眼を引いた。
やがて大きな扉の前で立ち止まり、女性が左右に分かれて扉を開く。そこには、見た事も無いような美しい光景が広がっていた。
磨き上げられた白い大理石の床に、壁は淡く輝く金色の石垣のよう。天井からは龍や雲を模した照明が艶やかに垂れ下がり、大きく開いた窓に見えるのは巨大水槽。水族館も真っ青の色とりどりの魚が舞い、ゆらゆらと揺れる光に照らされている。
並べられたテーブルは艶やかに光る漆塗りで、細工は極上の美術品を思わせる。その上に並ぶのは食べきれないほどの海の幸。何十人、いや何百人だろうか。着飾った人々の中を通り、上座に案内される。そこに座っていたのは、これまで見た中でも一番美しい女性だった。気品というか、オーラが違う。
恵はその女性の隣に招かれ、ドキドキしながら着座した。隣の女性が立ち上がり、会場の全員が合わせたように一斉に立ち上がる。恵も慌てて立ち上がった。
「……皆、よう集まって下さいました。そして其方、よくぞ戻って参られました。私はこの日をずっと、待っておりました」
感慨深げに語る女性。恵を見る目は深く優しい。
「此度、私に代わる新たな乙姫の誕生を、共に祝いましょう……乾杯!」
「「「乾杯!」」」
声が上がり、宴席が始まった。恵は先ほどの言葉が気になり、隣の女性に話しかける。
「ええっと、乙姫って仰いました?という事は、ここは竜宮城ですか?」
「ええ。ここは竜宮城。そして私は、乙姫。現世では亀姫とも書くようですね」
「それ、こないだ聞きました!浦、嶋子さんでしたっけ?あの人って、本当にここに来られたんですか?」
乙姫の顔が一瞬曇る。が、何事もなかったかのように涼やかな笑みを取り戻した。
「昔、その方は確かにここに来られました。とは言っても三日間しかご一緒できなかったのですが……美しい思い出です」
「そうなんですね!あ、それから何回か別の方も来られました?」
乙姫は今度こそ眉根を寄せ、少し辛そうな表情を見せた。
「そのお話は、またいずれ……この席には相応しくありませんわ」
「そうですね、すいません、ちょっと舞いあがっちゃって!」
「良いのですよ。それよりも、今宵の主役はあなた。遠慮せず、沢山召し上がって下さいね」
「はい!いただきます!」
どうせ夢の中の話だ。恵は後のことを気にせず、思うがままに食べることに専念した。
◇◇◇
2025.7.27 竜宮城・宴会の間
恵の到着を祝う宴は尚も続いていた。着飾った女性がずらっと並び、雅な音楽に合わせて舞い踊る。時折入る歌声は高く澄んでおり、恵は今までこんなにも美しい声は聞いた事が無いと思った。
入れ替わり立ち替わり、眼を楽しませる催しが続く。恵はふと気になり、乙姫に話しかけた。
「乙姫様、ここって女の人ばっかりで男の方はいないんですか?」
「そうですね。竜宮は訳あって男子禁制の国。ここには女性しかおりません」
「女子校か……あれ?私は戻ったら何のお姫様になるんだろ?」
恵が考えを巡らせていると、一人の女性が慌てて宴会場に飛び込んできた。
「お、乙姫様、男です!男が竜宮に侵入しました!」
楽曲が止まり、騒然とする会場。
「皆、鎮まりなさい!」
その一声で、波が凪ぐようにざわめきが静まった。
「…男は何人で来たのですか?」
「二人です!そして、もう一人は女性です!」
「不埒な……竜宮が千年に渡り守ってきた禁忌を、易々と侵させてはなりません!衛兵は、決して賊をこの広間に近づけぬように!」
薙刀を持った女性たちが一礼し、何処かへ駆けていく。
「申し訳ございません、このような時に……」
頭を下げる乙姫に恵の方が慌てる。
「い、いえこちらこそこんな時に来てしまって……でも、竜宮城ってそんな簡単に来れるものなんですか?」
「今は“門”が閉まっているので入る事など出来ぬはずなのですが……結界が破られたやも知れません。しばし中座しますが、お気になさらずお寛ぎ下さい」
静々と去る乙姫を見送りながら、恵は目の前の皿から一切れ摘んで呟いた。
「こんなとこに忍び込むなんて、どこの考え無しかしら?」
恵はよもやそれが自分の顔見知りであるとはつゆ程も思っていなかった。




