第4話:第二夜
2025.7.25 明け方/竜宮庵・竜宮の間
夢を見ていた。
ここは……砂漠?
灼熱の太陽が降り注ぎ、蜃気楼がゆらめいている。唯一の水場であるオアシスには椰子のような木が一本。寄り添うように建っている小屋の椅子で桐生は目覚めた。カウンターに突っ伏して眠っていたようだ。
顔を上げると、カウンター越しにこちらを見つめる眼差し。
特徴的な帽子に浅黒い肌、立派な髭を蓄えたこの人物を桐生は知っていた。
「……久しぶりだな、ハッサン」
目の前の男が無言で笑みを返す。
「今日こそ決着をつけてやる……いつでも来い!」
ハッサンの腕が素早く動き、桐生の目の前に衝撃波が走る。
ゆらゆらと揺れる煙に続き、全身にピリッとした衝撃。
「これは、インドカレー……ふっ、そう来たか」
桐生はニヒルな笑みを浮かべ、目にも止まらぬ速さでナンを引きちぎる。ハッサンの表情は変わらない。
「じゃあ……行くぜ!」
言うが早いか、桐生は猛烈な勢いでカレーをかき込み始めた。本格的なスパイスで仕上げられたルーは喉を焼きながらも、舌に喜びを伝える。汗をかきながら、一心不乱に最後の一口を流し込む。
「ふっ、どうだ。さすがの貴様もこれでは……」
ハッサンの表情は変わらない。が、その右手には新たな皿が姿を現していた。
「グリーンカレー……だと?」
愕然とする桐生。いつの間にかインドカレーは姿を消し、グリーンカレーがカウンターに鎮座していた。
「面白い……とことん付き合ってやる!」
食べては出し、出しては食べられる壮絶な戦い。両者の間には、奇妙な友情が芽生え始めていた。
◇◇◇
「……って夢を見たんですよ」
二日目の朝。朝食を囲みながら桐生が至極真面目な顔で今朝見た夢の報告をしている。真理と恵はどう反応していいのか、微妙な表情を浮かべていた。
「そ、そう。ちなみにその砂漠はどこなんでしょうね。目印みたいなものはあった?」
真理が必死にフォローする。
「いや、椰子の木と小屋以外何もなかったっす」
「その、ハッサンって人に見覚えは?」
恵もこれが予知夢であった場合の可能性を考え、ヒントに繋がりそうな話題を振る。
「全然。俺外人に知り合いいないんで、すげー不思議な気分」
「場所も人も分からない……と言う事は、ヒントはもしかしてカレーだったり?」
「そう思って検索してみたんだけど、“京都 インドカレー”だと果てしなく候補が出てくる」
「それ、予知夢じゃなくてただの夢だったんじゃないですか?」
恵が降参、と言う顔で漬物に箸を伸ばす。
「あ、この柴漬け美味しい!」
「まあ、どこかのタイミングで何かが起こって正夢になるかもしれないし、心には留めておきましょう」
「そうっすね。生々しい夢でしたけど、ちょっと無いかなあ、って自分でも思います」
桐生も気にした様子もなく味噌汁を啜る。
彼らはこの時まだ知らなかった。この夢が、形を変えて実現する事を。
◇◇◇
2025.7.25 午前/京都国立博物館
夏の京都市内は、想像を超える暑さだった。
気温だけなら他の都市と変わらないのかも知れない。しかし、盆地特有の湿気を含んだ独特な暑さは容赦なく気力を奪っていく。
「噂には聞いてたけど、これは凄いわね……」
真理が強烈な日差しに目を細めながら呟く。強烈な照り返しもあり、蒸し焼きにされている気分だ。
「日焼け止め塗ってますけど、ちょっと不安かも」
キャップを被った恵も眩しそうに目を顰める。桐生はサングラスをかけており、首筋の汗をハンカチで拭っている。
「駐車場からちょっとしか歩いてないのに……この暑さは、堪えますね」
レンガで舗装された敷地の真ん中には涼しげな噴水が踊っているが、体感する暑さには抗いきれていないようだ。左右にある建物のうち、近代的なフォルムの平成知新館に入る。冷気が体を覆い、三人は人心地ついた。
「あ〜涼しい!やっぱクーラーって、最高の発明品ですよね!」
恵が帽子を脱ぎ、パタパタと煽ぐ。真理は案内板から目的地を確認して二人に告げた。
「一度お話を伺えるかどうか聞いてくるから、二人はそこで待ってて」
頷いた二人はベンチに座り、冷気に体を預ける。
「それにしても暑い……東京もなかなかだけど、暑さの種類が違うね」
「熊野は山の中ですから、こんなに暑くなることは無いですね」
「学校も山の中だっけ?」
「場所的には海側なんですけど、少し小高いところにあるので。高等部から更に山に入ると大学部がある、って感じです」
「春からいよいよ大学生だね」
「今のところ順調だとは思いますけど。お父ちゃんにもお母ちゃんにも“油断するな”って言われてるんで、それなりに緊張はしてます」
「恵ちゃんだったら問題ないよ」
「ありがとうございます!あ!真理さん帰ってきた!」
視線の先にはこちらへ向かってくる真理の姿があった。
「早かったですね。どうでした?」
「さすがに今日の今日は難しいって。要件を送ってもらったら、改めてメールで連絡をします、って事になったわ」
「まあ、それでも一歩前進っすね」
真理の答えに桐生が笑いながら返す。真理も表情を緩めた。
「せっかくなんで、見学していきましょうか?」
「いいんですか?やった!」
歴史に興味がある恵にとっては思わぬサプライズになったようだ。真理に導かれ、一行はチケットブースに足を運んだ。
◇◇◇
「……良かった。見れて、本当に良かった。真理さん、ありがとうございます!」
恵が興奮冷めやらぬ様子で真理に感謝を伝えている。
「喜んでもらえて良かったわ。私も随分楽しめたし。桐生君は……あれ?桐生君?」
真理がキョロキョロと辺りを見渡す。桐生は少し手前で立ち止まり、誰かを見つめている。視線の先にいるのは……特徴的な帽子を被り、浅黒い肌に立派な髭を蓄えた男性。向こうも桐生を見ているようだ。
桐生がサングラスを外し、男性に近づく。男性も桐生に近づいてきた。ほぼ同時に、お互いの口から言葉が漏れる。
「ハッサン……」
「シャシン、オネガイデキマスカ?」
手渡されるスマートフォン。どうやら、連れの女性と一緒に写真を撮って欲しいようだ。
「ふっ、そう言うことか……じゃあ、いくぜ!」
ハッサン達をフレームに収め、桐生がシャッターを切る。どうだ、と言わんばかりの桐生からスマホを受け取ったハッサンが驚いた顔をする。いたく気に入ったようだ。
「礼には及ばない……ってもう1枚?いいだろう、受けてやる」
ポーズを変え、もう1枚。ハッサンが連れの女性と何やら興奮しながら写真を確認している。満足げな桐生。と、ハッサンが人差し指を立てている。もう1枚、と言うことだろうか。桐生がニヒルに笑いながらスマートフォンを受け取る。ハッサンが指し示すその先にいたのは、連れの女性ではなく
「……美少女、だと?」
西洋と東洋が交わる地に降り立った奇跡。神の造形とみまごうほどの美しい少女がそこに立っていた。
「面白い……とことん付き合ってやる!」
シャッターを切るたびに歓声が上がり、「次はここ、次はここ」とハッサンもノリノリで桐生にリクエストを出す。
真理と恵は冷めた目でそれを眺めながら、ボソリと呟いた。
「……カフェでお茶しようか」
「……そうですね」
桐生には一瞥もくれず、二人はカフェにスタスタ歩いて行った。撮影を続ける桐生とハッサン。二人の間にはいつしか奇妙な友情が芽生えているようだった。
◇◇◇
2025.7.25 夕方/竜宮庵・竜宮の間
ソファの上で、桐生は項垂れながら正座していた。正面には腕組みをしてこちらを睨んでいる鬼が二匹、もとい美女二人。
「で、そのまま3時間。いつの間にか外出てるし。電話にも出えへんし。何考えてんの?」
“素”モードの恵。普段が普段だけに、これは怖い。
「何杯コーヒー飲んだ思う?飲みすぎて夜ご飯も食べられへんわ。それに暑っつい中歩き回らされて。汗で気持ち悪いし、メイクは崩れるし。ほんま最悪やな!」
「まあまあ恵さん」
真理が宥めるように声をかける。桐生はやっと地獄から解放される、と気を緩めかけた。
「桐生君のこれはもう病気だから。高千穂でも初音さんっていう女子大生のお尻を追っかけ回してたし」
甘かった。桐生の頭が更に下がる。
「人が寝込んでる時に、ほったらかして二人仲良くランチにも行ってたしね」
「何それ?最低。あんた、人としての心はないんか?」
追い出したのあんただろ、という言葉を飲み込む。
……今はそんな正論が通じる状況じゃない。
「マジで、いっぺん修行したら?知り合いのおっちゃん紹介したろか?」
頼む、誰か助けて……桐生の願いが通じたのか、玄関のチャイムがなり中居が夕食の準備ができたと知らせてきた。
「じ、じゃあ準備の間、風呂でも入ってこようかな〜」
返事も聞かず逃げ出す桐生。恵が「待てや!」と言っているが聞こえないフリでその場を猛ダッシュで去る。
「……逃げよった」
「まだまだ言い足りない事はあるけど、とりあえず私たちも汗を流しましょうか?」
「そうですね。ついでに頭も冷やします」
夕食の膳が運ばれてくる時間を利用して、それぞれ浴室に向かって歩き出した。
◇◇◇
入浴は荒んだ心を癒し、美食は心の隙間を幸せで埋める。
桐生は“高級旅館”と言う人類の叡智に感謝しながら、夕食と幸せを噛み締めていた。お腹が膨れる頃には二人の機嫌も直り、今日の出来事を冷静に振り返る余裕も出ていた。
「ちょっと形は違ったけど、結局桐生君の夢も本当になった、って事なのよね」
「改めて思い返してみると、セリフとかほぼそのまんまですもんね」
真理と恵に喋らせ、桐生は最大限気配を消すことに集中している。
「昨日が真理さん、今日が桐生さん。って事は……明日は私の番?」
恵がやや上気した顔で目を輝かせている。
「十年前に見たって言う建物がどこかは分からないけど、今日の桐生君みたいに全く別の何かとして現れる可能性は高いわね。どこかの国の王子様に見初められるとか?」
「え〜っ、そんな、どうしよう?いくら私が可愛いからって!」
恵もまんざらではないようだ。
「明日は予定をフリーにしておいて、もし恵さんが夢を見たならその内容に沿って動く。見なかった場合は、改めて“浦島伝説”を見直すようにしましょうか?」
異論もなく、夕食後に桐生と別れた二人はしばし寝室前の洋間でおしゃべりし、揃ってベッドに入った。
「明日、何が起こるんだろう……起きたら、まずは真理さんに報告しますね!」
「ふふ、楽しみにしてるわ。恵さんがどんなお姫様になるのか」
柔らかな照明を落とし、眠りにつく。
不思議な宿で、また一つ不思議な夜が更けていく。やがて二人の寝息だけが、静かなハーモニーを奏でていた。




