第2話:龍宮庵
2025.7.23 午後/京都・貴船
京都市内を抜け、山道に入ると視界は深い緑に覆われる。盆地特有の暑さが薄れ、運転席の桐生もエアコンの温度を少し下げる。今一行は、貴船の山中にある旅館“竜宮庵”に向かっていた。
「それにしても、よくこんな時期に予約が取れたわね。しかも週末までの連泊で」
「祇園祭の宵山だから、市内の混雑も凄かったですね」
後部座席には真理と恵。
夏の京都は歴史的なイベントが多い。7月1日から31日までは祇園祭。各所に座する山鉾を目当てに、多くの観光客が訪れる。前夜と後夜があり、前日を“宵山”と呼ぶ。祇園祭の中で最も人が多く、盛り上がる夜だ。
そして8月に入ると、大文字焼きで有名な五山の送り火が待っている。
これらのイベントが重なるため、京都の宿は軒並み満室御礼。竜宮庵も例に漏れずどの予約サイトでも満室だったのだが、ダメ元で直接電話をしてみるとすんなり予約する事が出来た。しかも2部屋。
「初めは断られたのよね」
「でも、キャンセル待ちをしてから割とすぐにOKの電話がかかってきましたよね」
桐生が答える。
「ひょっとして、真理さんが有名人だから?」
「ないない」
恵の疑問に軽く手を振り、窓の外を見る。夕方になろうかと言うのにまだ日は高く、山の緑は鮮やかに視界を埋め尽くしていた。
貴船神社の細い参道から脇道に入り、走ること数分。その建物は突然現れた。
“竜宮”と冠するだけあって、白壁と赤い柱に緑の屋根瓦が異世界に迷い込んだかのような錯覚を起こさせる。どことなく宇治の平等院を思わせる造りに、鯉が涼やかに舞う池を備えた石庭が美しい。
停まっている車は高級車が多く、白いハイエースは貴族の中に紛れ込んだ庶民のような心地がする。
ドアマンに誘導され、車を降りた三人は正面玄関からフロントへ通された。装飾の一つ一つが丁寧で、和装束のスタッフも世界観に一役買っている。
客室は全部で20。そのうち一般的な部屋は2万円台で泊まれるが、上を見れば20万を超えてくる。もちろん予約したのは一般客室である。フロントで名前を告げると、
「少々お待ちください」
と言われてしばし待たされる事に。
「ひょっとして、実は予約が取れてなかったとか?」
「別の“御堂さん”と勘違いしてて、今頃大騒ぎ……なんて事も?」
桐生と恵が軽口を叩いていると、奥から一人の若い男性が出てきた。
真っ直ぐ降りた長髪に、中性的な顔立ち。切れ長の目は浮世絵に出てきそうな、いわゆる“美形”である。優雅な物腰でお辞儀をし、微笑みながら真理に話しかけた。
「ようこそお越しやす〜。ウチはこういうもんどす〜」
渡された名刺には
“竜宮庵代表 京極夢路 (きょうごく・ゆめじ)”
と書かれていた。
「社長さんでいらっしゃいますか?」
「いやいや、そんなええもんやおまへん。小っちゃな宿の持ち主や、言うだけで〜」
扇子で口元を押さえながらコロコロと笑う。
「その、代表さんがなぜにわざわざ……?」
「せや、それなんですけどね〜」
眉尻を下げ、申し訳なさそうな顔になる。
「お二部屋、と伺ってたんやけど、こっちの手違いで。一部屋しかご用意できませんね〜ん」
「それはちょっと困る……かな?」
まだ高校生の恵を身内でも無い男性と同じ部屋に寝泊まりさせるのはさすがに厳しい。
「それで、お詫びと言うては何なんやけど、広めのお部屋をご用意させていただきます〜。寝室は鍵かかるようになってるんで、実質お二部屋みたいなもんどす〜」
「それならいいんじゃないですか?私は気にしませんよ」
恵が大した事ではない、と言う感じで言い切る。
「あらあら、しっかりとした娘さんですこと〜」
「そうですかね?むしろ後押ししてるつもりなんですけど」
「恵さん?」
真理が少し驚いた感じで恵の顔を見る。
「ほんま、お元気そうで何よりやわ〜」
「確かに、恵ちゃんはいつも元気だからねえ」
桐生がうんうん、と頷きながら同意を示す。
「桐生さん、これは……はぁ、もういいです。で、どうします?他に選択肢が無いんでしたら泊まっちゃいません?」
「そうね。では、ご厚意に甘えます。ちなみに、どんなお部屋になるんでしょうか?」
「小っちゃな部屋で恥ずかしいんやけど、一応うちで一番広いとこになります〜」
「……竜宮庵さんで一番広いって、まさか?」
「はい、“竜宮の間”どす〜」
三人が同時に固まった。“竜宮の間”といえば超VIP専用の場所で、もはや個室というよりも一軒家に近い。一見さんはおろか、相当な地位にないと予約すら取れないと言われている幻の部屋だ。
「……これ、後でとんでもない金額請求されたりしないかしら?」
「その時はお父ちゃん呼びましょ。輩の相手慣れてますから」
フロントから出てきた京極が、にこやかに微笑みながら手招きしている。三人は意を決して荷物を持ち上げ、京極の後に続いた。
◇◇◇
2025.7.23 午後/竜宮庵・竜宮の間
「これが……“小っちゃな部屋”?」
桐生が唖然とした表情で招かれた空間を眺める。
まず、入り口は“玄関”だった。下駄箱があり、その先には廊下が続いている。板張りの廊下を進むと20畳ほどの広々とした和室。中央にちょこんと置かれているように見える机と座椅子は、一般的な旅館であれば部屋の大部分を占める代物だ。窓からは見事な日本庭園を見る事が出来る。ここにも池があった。
廊下を戻ると、大理石の通路に分岐する。その先にはこれも20畳は下らないリビング。深々としたカーペットの上にはどっしりとしたソファーセットが置かれ、大きな窓からは整えられた竹林が涼しげにゲストを出迎える。
洗面所を挟み、鍵がついた洋室へ。こちらも小ぶりながら高級そうなソファセットが鎮座し、奥のベッドルームは柔らかな間接照明が照らす和モダンな空間。
トイレは3箇所、内風呂は2箇所。下手な家では太刀打ちできない。
「あるところには、あるのねえ……」
真理も言葉を失っているようだ。
「これで小っちゃい、だったら“大きい”はどんな事になるんだろう?」
興奮冷めやらぬ桐生に恵が冷めた感じで返す。
「桐生さん、ええお育ちですなあ」
「へ?違うよ?俺んち、至って普通。親も教師だし」
「そうじゃなくて……今のは京都の人が使う嫌味。“あなたは世間知らずですね”っていう意味。この部屋が小さいわけないじゃないですか?謙遜してるように見せかけたただの自慢ですよ」
「そ、そうなの?」
「神社には京都の方もよく来られるから、今じゃ勝手に脳内変換されるんですよ」
「ひょっとして、さっきのフロントでの会話も?」
真理が先ほどの恵らしからぬ言動の違和感について尋ねた。
「そうです。一つ目の“しっかりした娘さん”は“出しゃばるな小娘”、二つ目の“お元気そうで何より”は“うるさい黙れ”です」
「京都人怖ぇ……」
桐生が肩をすくめる。
「あのスローな語り口調からは想像も出来ないわね……」
「私からしたら、あの京極って人胡散臭い以外の何者でも無いですよ。絶対腹黒ですから」
「まあ、でもこんないいお部屋を用意してくださったんだから。あまり邪険にするのも……ね?」
「まあ、真理さんたちがいいなら私はいいですけど」
「それより、せっかく大きなソファもあるんだし、そこでもう一度、前にここで見た“夢”の話をしてもらってもいい?」
「そうですね……はい、分かりました!じゃあ、お話ししますね!」
◇◇◇
2015.8.1(10年前) 午後/竜宮庵
夏休みに入り、久保山家は京都へ家族旅行に来ていた。ちょっと奮発し、恵が最近ハマっているアニメのモデルになった宿を取ってみたところ、恵は「すごい、本当にお城がある〜!」と感激した様子だった。
食後は貴船を散策し、敷かれた布団で川の字になりながら宿の逸話に花が咲く。
「ここで寝たら、未来に起こることが夢に出てくるらしいで」
「恵は、どんな夢を見んのかな?」
「お姫さまー!だって、お城があんねんで?私絶対お姫さまやろ!」
「竜宮城やから、乙姫様かな?」
「それ、海のお話やろ?ここ山やで!」
「はは、やられたな。これは恵が正しいわ」
「はいはい。ほな、起きたら教えてな」
「うん!」
目を瞑ると、恵はすぐ眠りに落ちた。ふかふかの布団と、両親の優しい気配。
と、急に気配が変わった。目を開けた恵の目に飛び込んできたのは旅館の部屋ではなく、アニメで見たお姫さまのお部屋。
「……嘘やん。ほんまにお姫さまになっとる……」
恵はベッドを飛び出し、部屋の外に出てみた。白壁に赤い柱。緑色の瓦は竜宮庵と似ているが、廊下はどこまでも続いている。見上げると、建物の一番上は見えないほど高く聳えていた。
と、近づいてくる足音。振り返ると、綺麗な着物を着た女の人が立っていた。
「あなたが……そうなの?」
「ええっと、私?私の名前は久保山恵と言います。八歳です」
「久保山……お母様の旧姓は何と仰るの?」
「お母ちゃんは結婚する前、有楽って言うてました」
「有楽……そう、あなたなのね。でも、まだ早い」
「早いって、何が?」
「あなたはこの城の姫君となり、全てを手にするお方……」
「そうなん?ほんまに?」
「これより十の歳月を待ちましょう。あなたが十八となるその時、再びここに招かれるでしょう」
「十年?長いわー。十秒にまからへん?」
「時が、必要なのです。その時にまた、お会いしましょう……」
白い霧がかかったように、すべてが消えていく。
「待って〜!せめて十日〜!」
「何がや」
答えたのは父の野太い声。気付くと、恵は両親に挟まれた布団の上で手を伸ばしていた。
「十日ってあんた、どんな夢見たん?」
「夢?今の夢やったん?」
恵はキョロキョロと辺りを見回す。
「何か、ええ夢見たみたいやな。お父ちゃんらにも教えてくれるか?」
笑っている両親の顔を見て、恵は見た夢の興奮を思い出した。
「うん、聞いて!あのな!」
◇◇◇
2025.7.23 午後/竜宮庵・竜宮の間
「……何度聞いても不思議な話ね」
「今年がちょうどその十年目。だから真理さん達が京都の、しかも竜宮庵に行くって言うから、あの時は心臓止まるかと思いました」
「それが予知夢だとしたら、恵ちゃんはその“お城”の姫君になるんだよね?場所は心当たりがあったりする?」
桐生の問いに恵が頭を振る。
「全然。あんな大きな建物、少なくとも日本には無いと思います。中国や韓国でも、あれだけ大きな建物だったら観光地とかで話題になってると思います」
「もしくは、スケール感が違うだけで“竜宮庵”の女将になるって事かも?」
桐生の軽口に、恵が露骨に嫌そうな顔をする。
「それってあの腹黒の嫁になるって事でしょ?絶対嫌です」
「だよねえ。だったら、俺のほうがまだいいよね?」
恵がフッと鼻で笑い、ドスの効いた声で答えた。
「……煩悩洗い流してから出直してこいや」
桐生の脳裏に“常闇の壁”での悪夢がフラッシュバックする。
「……はい、すみませんでした……」
「まあまあ、恵さんも桐生君をいじめるのはそれぐらいにして。桐生君も、デリカシーのないことはあまり言わないように」
「はーい!」
「……りょーかい、です」
「それじゃ、これからの事だけど。今日はもう遅いので、夕食をいただいてゆっくり休みましょう。部屋割りは和室に桐生君、洋室に私と恵さん。内風呂は桐生君が露天風呂で、私と恵さんは檜風呂。明日は貴船神社に伺うので、各自しっかり睡眠をとること。これでいい?」
「意義なーし!」
「オッケーっす!」
「では、早速夕食をいただきましょう!」
◇◇◇
同時刻。篝火に照らされた男が社に伏していた。
「彼の者が、参りました。全ては、御心のままに……」
風が吹き、篝火が揺れた。何かの意思に応えるように。




