第1話:京都へ
古風な建物の、磨き上げられた板張りの廊下を早足で歩いている。なぜ急いでいるのか。それは、“あれ”があるから。
突き当たりの手前で、左を向く。重々しい木の扉。これを開けると、後には戻れない。真理は意を決してドアノブに手をかける。鍵は……かかっていない!
心臓が早鐘を打つ。ゆっくりと、扉を押す。不意に背後から声が聞こえた。
「……おイタは、そこまでにしときましょか」
気配も感じさせず、いつの間にか背後に立っていた人物。顔を恐怖に引き攣らせながら振り返ったその先で真理を見据える顔は……
「先生!」
ビクッとして目を開ける。隣の運転席で桐生が心配そうに真理を見ていた。
「先生、大丈夫っすか?結構うなされてましたよ」
桐生がもう一度声をかけてきた。真理の頭の中から先ほどの光景が急速に失われていく。えっと、確か……廊下の夢?
うっすらと浮かんだ額の汗を拭う頃には、夢の記憶はさっぱりと消えていた。ここは九州から戻るハイエースの中。早朝に大阪を出発し、今は海老江を超えたあたりだ。
「ごめん、爆睡してた」
「まあ、色々ありましたからね」
そう、色々あり過ぎてまだ頭が完全に整理できていない。変な夢を見るのも、そのストレスの一環なのだろう。流れる景色を見ながら、真理は昨日の事を思い出していた。
◇◇◇
2025.7.11 夕方/別府・フェリー乗り場
初音を送り届けた真理たちは、その足でそのままフェリー乗り場のある別府港に向かった。乗船にはまだ早いのか、数台のトラックが待合レーンに小さな列を作っているだけだ。
誘導員に促され、一般車両レーンの先頭に車を停める。
「……じゃあ、SOPHIAのログを見てみましょうか」
真理がノートパソコンを開き、SOPHIAを起動する。見覚えの無いデータは、アマテラスが行った作業の痕跡なのだろうか。複雑すぎて真理にも何の事かよく分からない。最新のログにゲートと、次の場所に関する記載が見つかった。
[MODULE: RESON]
[STATUS: GOLDEN FREQUENCY DETECTED]
[SIGNAL: 18Hz: GOD’s FEAST COMPLETED]
[GATE STATUS: 4/7 ACTIVE]
「無事四つめの門が開いたみたいね。“神の宴”が見れなかったのは残念だけど……」
[MODULE: GATE-LINK]
[LOCATION: KYOTO]
[GATE STATUS: 5/7 INITIALIZING]
[35.120645: 135.765813]
[MESSAGE: Dreams are real]
「次は京都……で、“夢は現実”?以前にも同じメッセージがあったわね」
過去のログを探す。
「あった。諏訪で初日の夜、桐生君と夢について話してた時ね」
「どんな話でしたっけ?」
「AIも夢を見るのか、みたいな話だったわ」
「そう言えばそんな事言ってましたね」
「最近SOPHIAの言う事って抽象的すぎて、イマイチよく分かんないのよね〜」
「前はもっとハッキリ言ってましたよね」
真理が右耳のイヤホンに触れながら寂しそうに語る。
「……あれっきり、SOPHIAは何も語りかけてくれない。いつか前みたいに喋ってくれる事を期待してるんだけど……」
「そのうち何事もなかったみたいに帰ってきますよ」
「そうね。それより今は目の前のことに集中しましょう。場所、分かった?」
「出ました。京都市北部……貴船神社の近くですね」
「貴船?鞍馬天狗とかかしら?」
「確かに貴船神社と鞍馬寺の中間点ぐらいなんすけど、ちょっと今までと毛色が違いますね」
「史跡とかじゃない、って事?」
「お高そうな旅館です。山の中なのになぜか名前は“竜宮庵”。口コミでは平均評価4.8、宿の評判もさることながら“不思議な夢”に関する投稿が多いっす」
「不思議な夢?」
「多くのお客さんたちが“予知夢”を見たって書いてます。それが結構当たる、って言うのがまた評判になってるみたいっす」
「“Dreams are real”、まんまの場所って訳ね」
「今回は“夢の中で鏡をかざす”みたいになるんすかね?」
「どうだろう。“コトノハノ鏡”が聞いてるのは“声なき声”、それも18ヘルツの低音という現実的な条件が揃ってるから、さすがにそれは無いんじゃない?」
「そっか。いい線行ったと思ったんだけどなあ」
「この場所に関する情報の中に、何か神話に関するものがあるかも知れない。東京に戻ったら、腰を据えて取り組みましょう」
「りょ。お、そろそろ乗船っすかね」
誘導員がQRコードの提示を求めてきた。いつしか駐車場はトラックと車で埋め尽くされ、空には星が瞬き始めていた。
◇◇◇
2025.7.13 午前/東京・研究所
初夏の風が爽やかに有明を吹き抜ける。夏の到来を思わせる日差しは強く、日曜を過ごす人々は夏の装いでそれぞれの目的地へ弾むような足取りで向かっていた。
真理と桐生は対照的に、疲労と寝不足から研究室のソファで力尽きたようにへたり込んでいる。昨日の夕方東京に着き、明日はゆっくり寝ようと思っていたところ。
真理のスケジュールに1件のアポが入っていた事に気付いたのだ。
「……迂闊だったわ。私がいない間にも、世界は回っていたのよね……」
「アマテラス様、結構いい仕事してましたからねえ……」
アマテラスが真理に憑依している間、真理に成り替わりメールや電話の対応は神自らソツなくこなしていた。それに助けられた点は大きいのだが、アポイントの詳細まではまだ把握できていなかった。スケジュール帳には
“7/13(日)10:00 研究所 有楽恵氏”
と書かれている。
「……恵ちゃん、何しに東京まで?」
「……インターンの下見と打ち合わせ、ってメールには書いてあるわ」
続く文面に、真理が少し顔をしかめる。
「……今取り掛かってる案件は金曜日には片付くから日曜日に会いましょう、って。」
「……アマテラス様、全部分かってやがったんですね……」
「……所詮、人の身。神様には敵わないわ……」
来訪のチャイムが鳴った。
「……行きますか」
「……行きましょう」
二体のゾンビがチャイムに起こされたように、のそっと立ち上がる。その足取りも、ホラー映画に出てくるゾンビのように重かった。
◇◇◇
「こんにちはー!ご無沙汰してますっ!」
開口一番、恵の元気な若さが炸裂する。魂が浄化され、穏やかな人間に戻る真理と桐生。先ほどまでの疲労感は消え失せ、心なしか血色も良くなったようだ。
「恵さん、お久しぶり!遠いところわざわざありがとう!」
「恵ちゃん、久しぶり!私服可愛いね!」
つられてテンションが上がっているのだろう。先ほどまでの「……」は影を潜め、「!」が踊っている。
「お二人もお元気そうで何よりです。これ、お土産です!」
差し出された菓子折りを受け取り、礼を述べると恵の後ろにいた人物が口を開く。
「お二人さん、先度ぶりやな」
「久保山さん!お久しぶりです!」
「さすがに恵一人で、って言うのは心配やったんで。ワシも久しぶりに東京来たかったし、丁度良かってん」
「立ち話も何ですし、どうぞ中へお越しください」
恵と久保山を招き入れ、四人は研究室のソファに落ち着く。
「ここが真理さんの研究室、かあ」
恵が興味いっぱいの顔で室内を見渡す。
「あまり広くは無いんだけどね。研究はそこのデスクでやってるわ。窓際の席が私で、右前の席が桐生君。恵さんにはその向かいのデスクを使ってもらう予定よ」
「う〜、楽しみっ!ちょっと座ってみてもいいですか?」
「いいわよ。せっかくだから私と桐生君も座ってみましょうか」
三人がそれぞれの席に着座する。恵は興奮した様子で、目の前の桐生と右側の真理を交互に見返している。
「何か、賢い研究員さんになったみたいやなあ」
恵の後ろに立つ久保山が感慨深げに言う。
「せやな、近い将来そないなるで」
恵もまんざらではなさそうだ。
「それで真理さん」
恵が真理に視線を戻して尋ねる。
「なあに?」
「熊野を出てから金曜日まで、どんなことがあったんですか?メールでは“今度会った時に話すわ”とだけ書かれてたんで、もう楽しみで楽しみで!」
キラキラした目が眩しい。どうやらインターンの話は後回しにせざるを得ないようだ。
「分かったわ。教えてあげる。あの後、私たちは出雲に向かって……」
◇◇◇
「……という訳なの。ここまでに四つの“門”が開いたわ。で、次に示されたのが京都。川床で有名な貴船にある、“竜宮庵”と言う旅館。でも、まだ何の情報も揃ってないわ」
「そっか、“金持ち君”に会えたんだ。で、八岐大蛇の謎を解き!反す刀で天岩戸を開く!真理さんたち、もう神話の世界の人じゃ無いですか?」
「そうかもね。いずれ神様に会える日が来るかも知れないわ」
真理が悪戯っぽく笑う。アマテラスの件はうまく誤魔化したので、恵は彼らが本当に“神様”に会った事は知らない。
「で、話を本題に戻して。インターンの事なんだけど、」
「真理さん」
「うん?」
「……京都って、いつから行く予定なんですか?」
「さっきも言ったけど、まだ何の情報も無いのよね。それがいつになるのか、正直見当も付かないわ」
「“竜宮庵”なら私、行ったことがありますよ」
「そうなの?」
恵は久保山を振り返りながら続ける。
「まだ小さかった頃、親子三人で泊まった事があります。確か“夢”で有名なとこですよね?」
「恵ちゃん、ひょっとしてその時“予知夢”を見たとか?」
「さあ、どうでしょう。一緒に連れて行ってもらえる、って事ならお教えしないこともないんですけどねー」
真理と桐生がアイコンタクトで会話する。
(これ、どう思う?)
(ガチでしょ。久保山さんも当たり前の顔して聞いてる)
「それに、“金持ち君”は出雲だけじゃなくて、高千穂でもご一緒したんですよね?」
何かの地雷を踏んでしまったようだ。
「“金持ち君”は二回、私は一回……不公平じゃないかなー」
恵はニコニコしている。
「ええっと、恵さん?」
恵はニコニコしている。
「あれはその、私たちが呼んだと言うより……」
恵はニコニコしている。
(これ、どういう状況?)
(RPGとかでよくあるやつです。“正解の選択肢”以外は同じテキストが延々表示される、あれです)
真理は小さくため息をつき、白旗を上げた。
「……分かったわ。恵さん、一緒に京都へ行きましょう」
「かしこまりっ!」
かくして、恵の京都行きが決まった。




