第9話:断ち切る者
2025.6.9 午後/八重垣神社・社務所
夜半から降り始めた雨は本格的な梅雨の到来を告げていた。濡れた石畳を進む四本の雨傘が社務所の前で止まり、滴を払いながら閉じられる。真理がガラガラと引き戸を開け、後の三人も続く。
「こんにちは……」
遠慮気味な真理の声に、穏やかな響きが答える。
「ようこそ御堂さん、お待ちしておりました」
宮司の鷹村がどうぞ、と招き入れながら後に続く面々に気付く。
「おや、これは懐かしい顔が」
「ご無沙汰してます、鷹村さん」
少しきまり悪そうに鐘巻が答える。
「一路と一緒ということは……真悟かい?」
真悟が無言で頭を下げる。
「あの可愛らしい子が、えらい立派に育ちなさったなあ。ささ、奥へ」
促され奥の間に通される。
「あの頃もこうやって、一路と真悟にいっぱい質問されたもんです。今日は、どういったご用件でしょう?」
懐かしそうな顔を見せながら、鷹村が真理に尋ねる。
「実は、少し“鏡の池”で行いたい実験がありまして」
「ほう、どのようなものでしょう?」
「基本的には池周辺の音や振動を観測します」
「持ってこられた機材がそれですな。今日は人も少ないようですし、参拝に差し支えがないのであれば構わないですよ」
「ご厚意感謝致します。それともう一つ、試したい事がございまして」
「試したいこと?」
「鷹村さんにもご同行いただきたいのですが、宜しいでしょうか?」
「ええと……私、ですか?構いませんが、何か理由がおありでしょうか?」
「おっちゃん、俺から話すよ」
真悟が背負ってきたバッグをテーブルに置き、話し始めた。
◇◇◇
2025.6.8 夜/鐘巻家・リビング
目の前に現れた黒き鉄の剣。しばらく誰も言葉を発することが出来ず、ただ眺めている。沈黙を破ったのは鐘巻だった。
「どう?感動した?」
「……綺麗」
「これが、“天叢雲剣”……」
「……でも親父、おかしくねえか?本物は今熱田神宮に祀られてるんだろ?何でこれが“草薙剣”……“天叢雲剣”って事になるんだ?」
「そりゃ、お前の頭が先入観に縛られてるからさ」
「先入観?」
「八岐大蛇の時は冴えてたのになあ。じゃ、ちょっと考えてみるか。お前が鉄の剣を打た刀工、俺がスサノオだとする。どんな手を使ったか知らないけど、当時最強の武器だった青銅をあっさりと上回る強力な剣が現れた。現代でイメージするなら鉄を斬る“斬鉄剣”が目の前に現れたとしよう」
鐘巻の表情は父親というよりも、同じ冒険を楽しむ少年のように生き生きとしている。
「おう」
「俺、スサノオはそれを見て“こりゃ俺の手に負えねえ。アマテラスの姉ちゃんに献上するわ”ってなる」
「それは知ってる」
「でだ、お前はどう思うよ?これから主君を守ろう、って時に肝心の武器が会った事もない姉ちゃんの所に持ってかれちまう」
「それは……困るな」
「だろ?じゃあどうする?」
「代わりの武器を探すか……もう一度同じものを作る」
「ビンゴ!オリジナルの剣は、間違いなくアマテラスに届けられた。でも出雲にはもう一本、同じ剣が生まれてたんだ」
「つまり、両方“本物”って事?」
桐生が驚きを隠せずに尋ねる。
「そう。一つの剣に二つの名前があるんじゃない。同じ姿を持つ二振りの剣、そいつらが長い歴史の中でごっちゃになったのが神話の真相」
「でも、これが“天叢雲剣”だって事にはならないんじゃねえか?鉄の剣が出土する度に“天叢雲剣だ”って言ってたら、そこら中“天叢雲剣”だらけになるぜ?」
「お前さあ……弥生時代以前の完全な鉄剣は、江戸時代の千両箱からアイフォンが出てくるようなもんなの。だから、これが異常なの」
「そ、そうか」
「んで、見つかった場所。お前と一緒に走り回ってた時、“八人の神様が祀られるならここだ”って言ってた場所があんだろ?」
「龍神峠の祠?」
「そう。ちょうどあの辺で区画開発の事前調査があってな。須恵器の破片が出てきたから、こいつは間違いない、って思ったんだ。さすがに鉄の剣が出るとは思ってなかったが……そっからは毎晩考え込んだよ。こりゃどういう事だろう、って。で、たどり着いたのが“天叢雲剣”ってわけだ。まあ、俺の願望も多分に含まれてるけどな」
目の前の剣を眺めながら、真理の脳裏に八重垣の言葉が浮かぶ。
“剣を捧げよ。それをもって再び天上の民とならん”
鎖を断ち切る“特別な剣”。自分はまさにその時、“草薙剣”をイメージした。そして、同じものが目の前にある。
「八重垣さんの伝承、本当なのかも……」
「伝承?」
鐘巻が興味深そうに尋ねる。
「はい、先日諏訪大社の宮司をされている八重垣さんという方から伺ったのですが、天上を追われた神様が鎖で地に繋がれていて、剣を捧げることでその鎖を断ち切れる、というものです」
「で、八重垣の人間はその末裔だ、って話か?」
真悟が割って入る。
「そう、そうなんだけど……何で知ってるの?」
「知ってるも何も」
真悟が平然とした顔で答える。
「俺がその、末裔だから」
真理と桐生はもちろん、鐘巻も言葉を失った。
◇◇◇
2019.8.21(6年前) 鐘巻家・リビング
自由研究も大詰めを迎え、真悟はリビングの机に向かいながら熱心に鉛筆を走らせていた。
「しんちゃん、本当に精が出るわねえ」
母のみどりがコップのジュースをそっと置く。水滴がテーブルの上に円を作り、窓からの光を反射する。
「だいぶ進んだよ!こないだお父さんと龍神峠まで行ってさ、剣が埋まってるなら絶対ここだよね、って話になったんだ!」
目を輝かせてまくし立てる真悟。学校の社会見学がなければ出会えなかった体験に、みどりの顔も綻ぶ。
「お父さんばっかり活躍してるみたいで、ちょっと悔しいかも。……よし、しんちゃん、お母さんがとっておきのお話をしてあげる!」
「とっておき?」
「そう、これはお母さんのお父さん、荒島のおじいちゃんから教えてもらった話なんだけど……」
話を聞き終わった真悟は、興奮を隠せずにいた。
「それじゃ、僕がその人たちの子孫、ってこと?」
「そう。いつかしんちゃんが剣を捧げて、ご先祖さまを助けてあげる日が来るかもしれないわね」
「すごい!この話、お父さんにも教えてあげていい?」
「ダメよ。これはお母さんとしんちゃんだけの秘密。いつかしんちゃんに子供ができたら、その子には教えてあげてもいいわよ」
「うん、分かった!」
みどりは満足そうに真悟の頭を撫でた。
◇◇◇
2025.6.8 夜/鐘巻家・リビング
「……みどりの旧姓が八重垣、ってのは知ってたけど、まさかそんな繋がりがあったとは、な」
「諏訪の八重垣宮司がおじいちゃん……って事はないか。荒島にいるって話っすよね?」
「ああ、別人だ。諏訪の八重垣、って人の事は知らねえ」
「でも、これで話がグッと核心に近づいたわ。“天叢雲剣”が本物だとして、誰がその剣を捧げるのかっていうのが悩みの種だったの」
「そのためだけに諏訪から来てもらう、ってのも悩ましいですもんね」
「真悟君が血を受け継いでいるのなら、これ以上の適任者はいないわ」
「俺が……適任者?」
「そう、君よ。お願いできるかしら?」
真悟は戸惑ったような顔で鐘巻を見るが、「やってみろ」と言わんばかりの視線を受けて心を決める。
「……よし、やってやるよ!で、どこでやりゃいいんだ?」
「君も良く知っている場所よ」
「俺がよく知ってる場所?龍神峠か?」
真理が首を振る。
「捧げるならば、“天叢雲剣”が本来の役目を果たすべき場所。櫛名田比売を守る、最後の砦」
「……“鏡の池”か!」
「そこでは、ちょっと不思議なことが起こるかもしれない。場合によっては凄い音が響く可能性もあるから、事情を分かってくれている八重垣神社の鷹村宮司にもご同行いただこうと思うの」
「鷹村のおっちゃんか、懐かしいな」
「久しぶりに顔見せてやったら喜ぶぜ」
「じゃあ、親父も来いよ」
「あ?何言ってんだお前。俺が言ってもしゃあねえだろ」
「言ってたじゃねえか。“これは俺とお前の発見だ”って。あの時は置いていかれたけど、俺はテメエを置いて行ったりしねえぞ!」
「一丁前に、偉そうなことを……」
鐘巻が少し涙ぐみながら軽口を叩く。
「では、明日改めて八重垣神社に伺いましょう。真悟君は忘れず“天叢雲剣”を持ってくること!」
「おうよ!」
降り注ぐのは歓喜の涙か、恨みが募る血の涙か。雨は勢いを増し、屋根と地面を打ちつけていた。
◇◇◇
2025.6.9 午後/八重垣神社・社務所
鷹村宮司は以前と同じように、真剣な眼差しで話に聞き入っていた。
「……なるほど、事情は理解しました。御堂さんが仰っているのは、諏訪と熊野で体験された“鳴金”のような事が起こるかもしれない、という事ですね?」
「はい、“鳴金”とまでは行かなくても、鏡の池が“天叢雲剣”に何らかの反応を示す可能性はあります」
「承知しました。ではご一緒しましょう」
降りしきる雨の中、真理と桐生が機材のセッティングを始める。鐘巻と真悟は雨に濡れないよう、防水のカバーをかけるのを手伝ったりした。
「…では、観測を始めます。SOPHIA、起動」
広げた傘で守るように、しゃがんだ真理がSOPHIAを起動する。観測データが転送され、次々とディスプレイに表示される。
「0.5〜30ヘルツ帯に有意なピークは無し。可聴〜高域は雨音が支配的。地震計・振動・気流にも異常なし」
「……どういう意味だ?」
真悟が眉間に皺を寄せながら尋ねる。
「雨の降ってる音がします、ってこと。それじゃ、そろそろやってみようか?」
真理に促され、真悟がバッグから包みを取り出す。中から、黒光りする一本の剣が現れた。
「それを、池に向かって捧げてみて」
「お、おう!」
真悟が剣の柄を握り、鏡の池に向かって“掲げた”。
「おい、そりゃ違うだろ。捧げるってのは……」
鐘巻が言い終わるのを待たず、重い“あれ”が
–来た。
胸骨の奥を軽く叩かれるような感覚、次いで体中に響く振動。スクリーンに映し出されたデータが急速に揺れる。
「来た……“声なき声”。でも、何かが違う……?」
データのマルチウインドウが閉じられ、SOPHIAがメッセージを表示する
[MODULE: RESON]
[STATUS: ACCEPT MESSAGE]
[SIGNAL STATUS: 18Hz: 1/8 COMPLETED]
「メッセージを受け取った……?」
背後から、人のものとは思えない重々しい声が響く。
「鎖ヲ、断チ切ル者ヨ……」
全員が声の主に振り向く。当事者である、鷹村を除いて。
「……おっちゃん?」
呆然とした顔の真悟。鷹村は聞こえなかったかのように続ける。唇は動いていない。しかし、確かのその喉の奥から声が響く。
「一重デハ足リヌ……八重ノ、全テヲ断チ切ラネバナラヌ……」
「残りの七本も必要だ、って事か?」
「……剣ヲ捧ゲ、門ヲ開クノダ。我ラハ再ビ、天上ノ民トナル……」
鷹村から異様な雰囲気が消え、“声なき声”は霧散した。いつの間にか復旧したマルチスクリーンは、何事も無かったかのように雨音だけを示している。
「おや、どうかされましたか?」
鷹村の声にしばし誰も反応できず、池に降り注ぐ雨音だけが静かに響いていた。




