第3話:松江
2025.6.6 夕方/松江市内
白いハイエースが夕暮れの国道をひた走っていた。「江東」ナンバーは山陰の地にあって異質なようで、行く先々で興味本位の視線を感じる。海の向こうから吹き込む湿った風が、知らぬ間に過ぎゆく街の匂いを洗い流していった。
交差点に差し掛かった時、派手な音を立てながら目の前を通り過ぎるバイクの一団。派手なカラーリングが施され、ロケットカウルが誇らしげに張り出す姿は懐かしき昭和の暴走族。スカジャンの背に踊るのは荒ぶる雷神か。
「……まだ、あんなのいるんっすね」
「ぬーすんーだばーいくではっ○りーだすー♪……思春期に時代は関係ないんじゃない?」
「いや、さすがにダサいっしょ。今時流行んないっすよ」
「スピードの向こう側〜!とか言わないの?」
「いつの時代の話っすか?ちなみに俺は天羽君推し」
「だよね〜?あの伝説のライブは鳥肌ものよね〜」
「悪魔の鉄槌と書いて、ルシファーズハンマー!」
ヲタクな会話を繰り広げながら、ハイエースは目的のホテルへ到着した。今回はこの場所を拠点に、明日からの調査に臨む。
「松江って名物何でしたっけ?」
「“出雲そば”か“あご焼き”じゃない?」
「んじゃ、その辺いける店探しましょうか」
「エスコートよろしくっ!」
桐生が笑いながらスマホで店を検索する。雰囲気の良い店を見つけ、落ち着いた二人はひとまず乾杯した。
「長距離運転ありがとー!」
「どういたしまして〜!」
キン、とグラスが鳴り黄金色のビールが喉の奥に流し込まれる。
「んじゃ、明日からの予定をおさらいしとこうか。まずは八重垣神社。明日は1日ここに滞在して、明後日は出雲大社からの古代出雲史博物館」
「例の銅剣っすね」
「どうしても実物を見ておきたくて。改装工事中なんだけど、特別許可を頂けたのは幸運だったわ。持つべきものはコネのある所長よね〜」
「所長ってパッと見ちっさいおっさんなんだけど、侮れないっす」
「正解よ。変わり者だけど、頭の中身は下手なAIより優秀だし。発掘当時の調査員さんにまで渡りを付けてくれるなんて、気の利かせ方が粋じゃない?」
「発見は1984年の話っすよね。今から40年以上前。その時30代でも、もう70過ぎてるんっすね」
「ボランティアでちょくちょくガイドも務めてらした方なんですって。4月の休館以降やる事がなかったから、二つ返事で引き受けてくれたって」
「話長そう説に一票」
真理が大爆笑する。宴はまだまだ続きそうだ。
街灯が頼りなく照らす田舎道。一台のバイクが轟音をあげ、木魂を残しながら彼方に消えていった。
◇◇◇
2025.6.7 午前/八重垣神社
湿った霧が朝の神域を包んでいる。鳥の声も、葉ずれの音もまるで誰かに遠ざけられたかのように静まっている。歴史を刻んだ木造の鳥居をくぐると、小ぶりな随神門を経て境内が開けた。
「……朝だから、って訳じゃないけど、やっぱり鳥居の奥は空気が違うわね」
「身が引き締まる、ってこういう事っすね」
「おみくじ引いてく?」
「前もありましたね、このくだり」
どちらともなく笑いながら、本殿に参拝する。社務所の扉を開け名前を告げると、80近くになるだろうか。小柄で目には柔和な光を湛えた老人が出迎えてくれた。
「宮司の鷹村です。お待ちしておりました」
「御堂と申します」
「桐生です」
「さ、こちらにお越しください」
奥に案内される。懐かしい木と、畳の香り。
「私どもの神社を研究されているとか。やはり素戔嗚尊と八岐大蛇ですか?」
「はい、今神話にまつわる符号について色々調べておりまして。実はこちらに伺うまでに2件ほど、不思議な出来事に遭遇したのですが、お話しさせてもらってよろしいでしょうか?」
「ええ、構いませんよ。伺います」
真理はこれまでの経緯をかいつまんで説明した。諏訪と熊野で遭遇した“鳴金”の現象、SOPHIAに示された第三の場所がここ、八重垣神社であること。鷹村は終始真剣な眼差しを崩さず、真理の話に聞き入っているようだった。
「なるほど。不思議な体験をされていますね」
「怪しいな、とか思われないんすか?」
桐生の問いに鷹村が答える。
「夢で素戔嗚尊の神託を受けた、とか八岐大蛇の正体はどれそれだった、と仰って来られる方はおられます。しかし、私の務めはそれらを否定することではありません。それぞれの心の内に神は宿り、言の葉にすることで私たちは神に触れているのです。誰かがその名を口にする限り、神は生き続けます」
この人はずっと、こうやって神と対話してきたのだろう。揺るぎない思いは外見だけでは推し量れない。ずっしりとした人生の年輪を感じさせる。
「失礼なことを申し上げました。陳謝いたします」
真理に釣られるように、頭を下げる桐生。
「いえ、構いませんよ。信じられない話を聞かされれば、まずは疑ってかかる。これまでのご経験から、多くの人はそのように振る舞われるものだと思うのもまた、自然な心の声です」
「ご配慮感謝致します。……先だってご依頼させていただいたのですが、素戔嗚尊と八岐大蛇に関する文献などを拝見させていただけますか?」
「お見せできるものとそうでないものがあるのですが、気掛かりな事があればできる限りお答えしますよ」
「ありがとうございます。あと、奥の院にある“鏡の池”も拝見させてもらってよろしいでしょうか?」
「どうぞどうぞ。せっかくなので縁結びの占いも試してみてください。やり方は隣の建物におります巫女にお尋ねいただければ、ご案内させていただきます」
「承知しました。ではまず“鏡の池”を拝見させていただき、またこちらにお伺いする、という事で良いでしょうか?」
「宜しいですよ。私ももう一度、文献をまとめておきます」
鷹村に礼を告げ、二人は“鏡の池”に向かった。
◇◇◇
2025.6.7 午前/八重垣神社・鏡の池
奥の院・鏡の池。八重垣神社の境内を抜け、緩やかな砂利道を過ぎた先に小さな池が姿を見せる。垣根で囲まれた池の淵は手前の1箇所が口を開けており、しめ縄をまとう竹が結界のように左右の柱を繋いでいる。
「……これが“鏡の池”……」
思ったより小ぶりなその姿に、真理が嘆息する。
「これって、“八重垣のうちの一つ”なんすかね」
池を囲む垣根を神話に結びつける桐生。
「ここに入るまで、小さな門を潜ったでしょ?あれもその一つと考えると、少なくとも2重の垣根を超えてきたことになるわね」
「それがあと六つ。かぐや姫も真っ青の厳重警備っすね」
「多重門。実際に体験してみると、鐘巻君の言ってた“蛇は一匹なのに八つの垣根はおかしい”という主張にも頷けるところはあるわね」
「蛇が一匹ずつバラけていった、という事じゃなければ」
話しているうちに、別の観光客がやって来た。若い男女。女性が縁結びの紙を真剣に浮かべている。
「……やってみようか?」
「そうっすね。せっかくだし」
ゆらゆらと水面に舞う紙を見ながら、真理は別の事を考えていた。ここで、次の“鳴金”を聞くのはいつになるのだろう。
◇◇◇
2025.6.7 午前/八重垣神社・社務所
戻った二人を待ち受けていたのは、予想外に大量の資料だった。古文書もさることながら、分厚い郷土史がこれでもか、と存在を主張している。
「全部が全部素戔嗚と八岐大蛇というわけではないので、その部分だけ抜粋して読んでいただければ。古文書はオリジナルを見てもらっても良いのですが、多くは既に現代語訳されているので、そちらをご覧いただければ良いと思います」
鷹村の厚意に感謝しながら、まずは手前の本から読み進める。平成の頃、各地で“町おこし”の一環として郷土史を編纂する事業が流行った。この本の執筆者も相当な熱量だったのだろう。細かな文字と写真、イラストがびっしりとページを埋め尽くしている。
「……いつも思うけど、この時代に作られた郷土史って、研究資料としては最高なのよね……」
「読み物としては辛いとこもありますけど、情報量は他の追随を許さない、って感じっすね」
黙々と文献を読み進め、昼食を挟みある時は鷹村に教えを乞い、ある時は並べた資料の前で頭を抱えながらも、日が暮れる頃にはあらかたの資料を読破した。
「お目当てのものは見つかりそうですか?」
「……正直今のところ決定打は無いんですが……でも、とても参考になりました。ありがとうございます!」
「そうですか。まあ、今日のところは残念でしたが、またいつでもお越しください」
鷹村と社務所の方にお礼をして、二人は八重垣神社を後にする。
「空振りでしたね〜」
「まあ、想定のうちよ。明日もあるし、切り替えていこう!」
山の向こう、日本海に沈みゆく夕陽はどこまでも赤く、空はトワイライトゾーンに向かって幻想的なグラデーションを生み出そうとしている。その光の中に、眠りから醒めようとする“何か”の気配が忍び込んでいた。




