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飢渇

作者: 神崎玄

「富は海の水に似ている。それを飲めば飲むほどのどが渇いてくる。――アルトゥル・ショーペンハウエル」

 バーの日めくりに書いてある箴言を読み上げつつ、俺は隣りにいる常連の今西君にたずねた。

「世界中の探検に駆け回っている君なら、こういう経験もあるんじゃないか」

 今西君は首を横に振った。

「いや、さすがに海の水を飲むはめになったことはないよ。そもそも、僕の専門は内陸部だ。海とは縁遠いよ」

 今西君は民族学者で、一年の半分は海外に出張している。残りの半分は国内の大学で講師をしている。趣味が仕事になったようなうらやましい男だ。

「君はどうだ。酒を飲めば飲むほど喉が渇くんじゃないのか」

「いや、それはないな。アルコールには限界がある。どんな酒好きでも、『さあ飲め、どんどん飲め』とすすめられ続けたらしまいには怒り出すだろう。美食や美女にしたってそうだ。あまりにたくさん供給されたら、最後には出家したくなるというものさ」

「ああ。そうなったのががお釈迦さんってわけか」

 教養のある友人と飲むのはこれだから楽しい。

「ただ、財産に感してはショーペンハウエルが言うとおりだと思うね。釈尊のたまわく『エベレストの山ほどの金塊を持っていてもさらに欲しくなるのが富だ』と」

「ふむふむ。だが、今ひとつ、どんなに得ても満足できない物がある」

「何だろうな。刺激か、知識か」

「正解はな…… アイスクリームだ」


 今西の話を要約するとこうだ。

 熱帯のとある国から帰国した夏のある日。

 今西は日本の夏のあまりの酷暑に耐えられなくなってコンビニに入ってアイスを食べた。

 素晴らしい経験だった。

 それが始まりだったそうだ。

 締め切って蒸し暑くなった自宅の窓を開け放つ。それでも、入ってくるのは夏の日射しに暖められた熱風ばかりだ。

 そこで、憩いを求めて近くのスーパーに出かけた。

 当面の食料とともに、少し大きめのアイスモナカを買った。

 ちょくちょくかじりながら、冷凍庫に戻す。

 しかし、それも一日ともたなかった。

 アイスを食べたい、という渇望が際限なくわき上がってきた。

 翌日は、少し離れたところにある業務用スーパーに出かけた。

 ファミリーパックのアイスを一つ買う。チョコとバニラだ。

 これはしばらく持った。

 しかし、二リットル入りのアイスも一週間もすると尽きた。

 次は別の種類のアイスを買った。

 それも尽きる。

 というのは、三食食べた後に猛烈にアイスが食べたくなるからだ。

 アイスへの渇望を散らそうと、あえてホットコーヒーやカップスープを飲んでみたりもした。

 しかし、効果は長続きしなかった。

 味覚への、というよりはむしろ舌の上面(じょうめん)や硬口蓋への刺激がほしくてたまらなくなるのだ。


「そりゃ、()()()とるなあ。『感情的過食』ってやつだな」

「なんだそりゃ」

「原因はストレスや退屈だ。あるいは異食症の一種かもしれない」

「というと、氷をガジガジやるあれか。さすがに氷はかじらないぞ」

「あるいは、糖尿病かな。あれは口が渇くから、ついひんやりした刺激を求めてしまう」

「うわぁ、それは避けたいなあ」

 マスターが注文をうながす。

「ああ。アフォガードを頼む。ストロベリーで」

 アフォガードとはバニラアイスに熱いエスプレッソをかけたイタリアのデザートだ。バーではリキュールをかけたアフォガードをカクテルの一種として出すところもすくなくない。

「ここでもアイスかーい!」

「仕方ないだろ。アイスに呼ばれたんだ」

 今西は、まじめな顔で応えた。


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