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第4話 『彼の過去』

 夜の静寂が広がる中、私は眠れずに部屋を出て、王宮の庭へと足を運んだ。


 日中の賑やかさとは違い、夜の庭はしんと静まり返っていて、涼やかな風が肌を撫でる。

 月明かりが照らす石畳を歩きながら、なんとなく気持ちが落ち着くのを感じた。


 ここに来てからの日々は目まぐるしかった。


 侯爵家の令嬢としての振る舞いや、突然決まった婚約者・アルノルトとの生活。

 すべてがまだ慣れないことばかりで、私はこの新しい生活に不安と期待が入り混じる毎日を過ごしている。


 しばらくまだ歩くのになれない庭を散策していると、ふと、月明かりの下にひとつの影が見えた。

 あれは……アルノルト?


 私は驚きながらもその場に立ち止まり、様子を窺った。

 彼はひとり、庭の片隅で空を見上げていた。


 その横顔はどこか物悲しげで、いつもの冷たくて鋭い表情とは違う。まるで何かに思い悩んでいるようにも見える。


「……あいつら、今頃どうしているだろうな」


 アルノルトがぽつりと呟く声が聞こえた。その言葉に、私は思わず息を呑んだ。


 いつも厳しい態度の彼が、こんな風に独り言を漏らすなんて……。

 彼の冷淡な態度の裏には、もしかすると誰にも見せない弱さが隠れているのかもしれない。


「無駄なことを、考えるな。今はただ、前に進むだけだ」


 自分に言い聞かせるように呟く彼の声は低く、静かで、どこか寂しげだった。


 彼が「前に進む」と言うその言葉には、何か過去の出来事から逃れるような響きが感じられた。もしかして……アルノルトには、言えない過去や心の傷があるのだろうか?


 私はいてもたっても居られなくなって、彼に近づき声をかけた。 


「アルノルト様……」


 私の声に彼が驚いたように振り返る。その目には一瞬動揺が走り、次いですぐにいつもの冷たい表情に戻った。


「……こんな時間に、何をしている?」


「すみません、眠れなくて。外の空気を吸いたくて庭に出てきただけなんです」


 アルノルトは少しだけ眉をひそめると、再び夜空を見上げた。その横顔は、やはり寂しげで、私の胸に小さな痛みを残す。


「……すみません、私が邪魔をしてしまったんですね」


「別に、お前のせいではない。ここで何をしていようと、勝手だろう」


 ぶっきらぼうに返されるが、いつもよりも言葉に冷たさが少ない気がした。


 彼の隣に立ちながら、私は何気なく同じ夜空を見上げてみる。満月がぽっかりと浮かび、星が瞬いている。


 しばらくの沈黙の後、私はそっと口を開いた。


「アルノルト様……さっき、誰かのことを気にしていましたよね?」


 彼は一瞬、私を睨むような視線を向けたが、すぐにそれをそらし、少しだけため息をついた。


「聞いていたのか?」


「す、すみません……」


「別に構わない」


 その言葉の後、彼は短く黙り込んだ。

 やがて、ゆっくりと口を開き、どこか遠くを見つめるように話し始める。


「……昔の話だ。俺は、かつて多くの者たちと共に戦場に立っていた。守りたいもののために、剣を振るった」


 低い声で語られる言葉に、私はただ黙って耳を傾けた。

 普段は冷酷無比と噂される彼が、自分の過去について語るなんて想像もしなかった。


「……だが、全てを守れるわけではない。多くの仲間たちが、俺の目の前で命を落としていった」


 その瞳には、深い哀しみが宿っている。彼が抱える痛みが、私にも伝わってくるような気がした。


「それでも、俺は今も剣を持ち続けている。それが、俺の……罪滅ぼしだ」


「罪滅ぼし……」


 アルノルトの言葉に、私は驚きを隠せなかった。

 彼が剣を握る理由が、単なる職務や義務ではなく、心の中に抱えた重い罪悪感からくるものだということを初めて知った。


 普段の冷たく見える彼の態度も、もしかするとその罪悪感ゆえのものなのかもしれない。


 彼は口元を引き締めると、私に視線を向けた。

 その瞳には、微かな痛みが残っている。


「……こんな話は、忘れろ」


「……いえ、忘れません」


 私は、思わずそう答えていた。

 彼の言葉が胸に響き、彼の心に少しでも寄り添いたいという気持ちが芽生えていたからだ。


「あなたが今、どれだけ苦しんでいるのかはわかりません。でも……アルノルト様が抱えているその想いを、私は知れてよかった」


 私の言葉に、アルノルトは一瞬目を見開いた。その反応に、私も少し照れくさくなって、そっと目をそらす。


「……何を勝手なことを言っているんだ」


「ごめんなさい。ただ、私はアルノルト様の……婚約者ですから。少しでもお力になれれば、と思って」


 その言葉を聞くと、アルノルトはゆっくりと顔をそらし、ほんの少しだけ口元が緩むのが見えた。


「……余計なことを気にするな」


 彼は、そう言いながらもいつもより少しだけ柔らかい表情を見せ、静かに庭を歩き始めた。


 私は、彼の背中を見送りながら、彼のことをもう少し知りたいという気持ちを抱きしめた。


 

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