第1話 『冷酷騎士団長』
目が覚めたとき、まず感じたのは、ふわふわとした柔らかい布の感触だった。
いつものシングルベッドとは明らかに違う寝心地。それに、漂う空気も違う気がする。
あの無機質なマンションの一室じゃない、まるで違う場所にいるような感覚。
「……ここ、どこ?」
目を開けると、目に入ってきたのは豪華な天蓋つきのベッド。
そして広々とした豪奢な部屋。
壁にかかるタペストリーは見たこともない紋章をかたどっていて、アンティーク調の家具が整然と並んでいる。
「まさか、これって夢……?」
思わずつぶやいてみたが、頬をつねっても一向に目が覚めない。
逆にほっぺたがじんわり痛くなるだけだった。
次第に現実なのだと理解していく自分が怖い。
「──お嬢様! お目覚めになられましたか?」
扉が開き、そろいのメイド服を身に着けた年若い女性が慌てた様子で部屋に飛び込んできた。
彼女の髪は銀色で、どこか見慣れない異国の美しさが漂っている。
彼女はベッドの傍まで駆け寄ると、安堵の表情を浮かべて深く頭を下げた。
「お加減はいかがですか? 急に倒れられたので、みなさま心配なさっておられましたよ」
「え、ええと……その、ここはどこ?」
そう私が聞くとメイドの顔がきょとんとした表情になる。
そりゃそうだ、彼女からすれば当たり前の質問なのだろう。だが、私にとってはまさに異世界そのものだった。
「ここは侯爵家の屋敷でございますよ、お嬢様」
「……侯爵家?」
頭がぐるぐるしてきた。
私はただの普通のOL、まして侯爵家のお嬢様なんて柄じゃない。
確か、昨日までは仕事に追われていたはずで……。
「それに……婚約のお話も進んでおりまして、本日、騎士団長様がいらっしゃる予定です」
「騎士団長? 婚約……?」
事態がまったく飲み込めないまま、メイドさんが「では、ご準備させていただきますね」と丁寧に頭を下げて去っていく。
私は頭が混乱して何も言い返せなかった。
それから数時間後、私は大広間のような場所に案内されていた。
豪華なシャンデリアが輝き、絨毯の上には立派なテーブルが置かれている。
そこに座るよう促された私は、ぎこちなく腰を下ろした。
やがて、ドアがゆっくりと開き、部屋に緊張が走る。私は思わず息を呑んだ。
入ってきたのは、長身で鋭い目つきをした一人の男性。黒髪で、整っているが、冷ややかな表情が特徴的だった。
その視線が私に向けられた瞬間、まるで全身が凍りつくような感覚に襲われる。
彼こそが騎士団長・アルノルト──つまり、私の婚約者というわけか。
「……君がリリア・エルステッドか」
低く響く声が部屋に広がる。
私は一瞬怯んだが、どうにか頷く。
彼の視線には、まるで人を寄せつけない冷たさがある。
見つめられているだけで、こちらが凍ってしまうような気がする。
「はい……、ええと、その、そうです」
自分の声が情けなく震えているのが分かる。
冷や汗が背中を伝う中で、アルノルトは無表情のまま、私をじっと見下ろしていた。
「なるほど」
それだけ言うと、アルノルトは何もなかったかのように視線を外し、テーブルの向こう側に座った。
冷淡な態度に、私の胸が少しだけざわつく。
まるでこちらに興味がないとでも言いたげな、その態度……。
「婚約話は聞いているだろう。私と君は近く正式に婚約し、共に王国を支える立場となる」
「……は、はい」
いきなりの人生の方向転換についていけない私に、アルノルトは容赦なく話を進める。
「君が侯爵家の令嬢である以上、この婚約は政治的なものだ。感情に流されず、冷静に振る舞うことを望む」
冷酷に告げるアルノルトの言葉に、胸がぎゅっと締め付けられる。
そんなこと、言われなくてもわかっている。
私がこの世界で侯爵家の令嬢である以上、彼との婚約は「政治的」なもの。
……だけど、こんなに冷たい言葉を投げかけられては、やはり複雑な気持ちになる。
彼、アルノルトは無愛想で冷たい。
けれど、彼を見ているとその態度の裏に何かが隠れている気がしてならない。
もしかして、彼もこの婚約に対して複雑な感情を抱いているのだろうか?
そんなことを考えていると、再び彼の冷たい声が響いた。
「準備は整っている。君には必要なことだけ伝えていくから、それ以外は余計なことをするな」
まるで、感情など持っていないかのような冷淡な態度。
私は思わず言葉に詰まってしまった。
「……わ、わかりました」
仕方なく、そう返事をするほかない。
すると、アルノルトは少しだけ眉をひそめたように見えたが、すぐに無表情に戻った。
「では、これで失礼する」
それだけ言うと、彼は軽く頭を下げて去っていった。
何もわからないまま、突然始まった婚約生活。そして、冷酷な婚約者──アルノルトとの関係。
「私、本当にこの世界でやっていけるの……?」
異世界で侯爵家の娘として生きること。
そして冷酷な騎士団長との婚約生活。新しい世界での試練の始まりに、私はただただ不安に揺れるしかなかった。
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