右フックをよける最中に
私にとって、彼女がどれほどの存在か、彼女は露程も感じ取っていない。いかなる事情があろうと、君が私に右フックを繰り出してよい都合などないのだ。
恋仲になろうと、そういう類の試みが、何故それほどまでに彼女を困惑させるのかわからない。
美しい彼女の登校する姿をよく見かけた私は、いつの間にか恋に落ち、すれ違うごとに想いは増していった。もともとは隣の家に住み、おそらく同じ年に生まれた彼女とは、幼少期によく遊んだ。子供の戯言ながら「将来結婚する」とお互い想いを伝えあっていた。
私が隣の校区に引っ越したことで、彼女とは離れ離れで過ごしていた。いつの間にか忘れていたが、ステキな女子高の制服姿をみて、ぴんと来たのだ。「あの子だ!」と。
彼女は私に察した様子はなく、おそらく私は忘却の彼方にいるのであろう。
確かに私は不器用だとよく言われる。
例えば、「右を向け」と言われると、私から見た右なのか、相手から見た右なのか分からず、立ち尽くすことがある。
思春期を迎え、その傾向に拍車がかかり、女子生徒との会話などは、ゴジラを素手で殺めるほどの難易度であった。
そういった不器用な私がひり出した作戦は、彼女が落としてもいないハンケチを拾い上げ、「落としましたよ、あれ!君は!」という展開を生み出すことであった。
適切な状況を演出するため、私はデパートに通い、彼女が持っていそうな、彼女が持っていると考えても失礼に当たらないようなハンケチを選定し、いざ、その日になった。
その日、彼女は真向いから颯爽と歩いてきた。いつものように少しシックな黒色の制服に、後ろ一つ結びで歩いてくる。
「よし、きた」
私は小さな声で呟き、youtubeで「メンズ 歩き方」で出てきた動画で練習した、イケメンウォークで近づいて行った。右手のポケットには例のハンケチを忍ばしている。
いざ彼女が目の前に。
だがそこで、戦慄が走る。
(人は自分より前に、物を落とせない!)
私は迅速なサイドステップで、彼女と平行方向に距離をあけ、上手にすれ違った。
目の前でハンケチを落としたところで、危うく女性もののハンケチを所持した男子高校生という認識が生じるのみ、ビハインドとなるところであった。
すれ違った瞬間に回れ右をし、いざ追いかけん。
ところが、振り向きざま私が見たのは、彼女が右フックを繰り出す瞬間であった。コンマ数秒、彼女の眼を見つめたが意図はわからない。
右フックをよける最中に、私は思った。
(めっちゃ可愛い)
長座体前屈のスキルを駆使しながら、見事に避けるが、しかしそこには伏兵が隠れていた。
彼女の右手には学生鞄が握りしめられており、右フックを振りぬいた結果、学生鞄が鎖鎌のように襲ってきた。私の顎に直撃。
「痛あい」
私はうずくまった。
薄れる意識の中わずかに記憶に残った、ハンケチを渡す、というコマンドを、私は忠実に果たそうとした。右ポッケのハンケチ一枚組3600円税抜き価格を握りしめたとき、彼女は言った。
「もっと早く話しかけなさいよ!」
震える手で私は、君にハンケチを渡した。君は言う、
「え、めっちゃ可愛い」