第五十三話 燃ゆる古都、揺れ動く影 その十二
更新です。Twitterで「東上春之」と検索していただければ出てくるので是非フォローしてください。「星降ル夜ノアリアドネ」という作品も書いているので是非読んでみてください。
隣で座る晴信は息子の子供らしい表情に笑みをこぼした。そんな二人の様子を見て蓮ヶ谷は微笑み、彼女の後ろに控える使用人、庵斎千景は主の心からの笑みに胸を撫でおろした。
ここ最近の蓮ヶ谷はあまり感情を表に出そうとしなかった。十年以上の付き合いだからこそ分かる主の異変に庵斎はどうしたらよいのかと頭を悩ませていたが、晴人の言葉でその様子が戻り、一安心していた。
ここ一週間で一番と言ってよいほどに柔らかい表情をする主に安堵した庵斎はノックされた扉を開き、新しいティーワゴンをメイド服に着替えた使用人から受け取った。
ワゴンに紅茶だけでなく、蓮ヶ谷が持ってこさせた資料が乗っており、庵斎は机の横にワゴンを止め、飲み物より先に資料を主に手渡した。
「資料をお持ちしました。こちらを」
「ありがとう。地図を広げて」
「かしこまりました」
主の命に従い、庵斎は丸められた地図を机に広げた。その地図はネットで手に入る物よりも京都の地形情報がこと細かく描かれており、流石の晴信も舌を巻くほどだった。
次に庵斎は箱を主に渡した。蓮ヶ谷は広げられた地図に人形の駒と鬼の形をした駒を配置していく。人形の駒は京都の街中、それも中京区の中央付近に集中しており、反対に鬼の駒は街を取り囲むようにまばらに配置された。
「これが先日までの京都の状況になります。晴信様には報告いたしましたが、一条家はこちらと同じように屋敷を中心に陣を組んでおり、妖は街を囲うように広く分布していました。ですが、晴人様が京都に来られてから妖達は京都の四方に分かれる形で陣形を変えました。反対に、一条家は一切動きを見せなくなりました。これは推測ですが恐らく、敵方は全ての準備を終えていると思われます」
そう告げる蓮ヶ谷の言葉は重々しく、けれど晴人には彼女の言葉が開戦の合図のように聞こえた。
一条家が準備の全てを完了しているということはいつでも、どこでも戦いが起こる可能性があるということ。それはもう話し合いをするなんて段階はとうの昔に過ぎ去ってしまっているということでもあった。
晴人はソファに背を預け、小さく息をこぼした。
思っていた以上に状況は切迫していた。一条家は既に弓を引き、銃を構え、その切っ先をこちらに向けている。それに比べ、こちらはまだ方針を固めていない。
「晴人様、こちらの資料をご覧ください」
蓮ヶ谷は持ってこさせた大きめの封筒を晴人に手渡した。
受け取った晴人は裏側の紐を解き、資料を取り出すと一枚目に「一条家監視報告書」と書かれていた。
「その資料には三年前からの一条家の動向について書かれています。補佐家衆には「鞴」という諜報を専門にした部隊があります。三年ほど前、鞴から京都九家とその傘下の家の陰陽師が契約する妖に変化が見られると報告が入りました。調査の過程でその出所が一条家であることが分かり、それ以来「監視」に切り替え、鞴に探らせていました。晴人様は妖にもカテゴリーが存在することをご存知ですか?」
「いや、知らないかも」
「妖のカテゴリーはその脅威度によって五級から一級まで七段階に分けられます。晴人様は朱雀様はどのカテゴリーに属されると思われますか?」
「その分類だったら一級じゃないの?」
「朱雀様は更にその上の特級に分類されます。特級に認定された妖はこれまでに十五体、朱雀様を含めた晴明様のお造りになられた式神は皆様特級に分類されています。実は敵方にもその内の一体が属しているという情報が入っています」
蓮ヶ谷の言おうとしている妖というのはまさか。思い当たる節しかない晴人は手元の資料に目を移したが、話を聞きながらめくっていた資料は「推定される敵勢力について」という言葉が中心に書かれたページで止まっていた。
この次に書かれているであろうことと蓮ヶ谷が口にしようとしていることは恐らく同じ妖についてだ。話の流れから晴人には見なくとも、聞かなくとも、何を目にし、何を耳にするのか想像がついてしまった。
「その妖とは京都南東に根城を構え、遥か千年以上前からこの国で活動し、様々な伝承にもその存在を記された大妖。急美の狐、玉藻前でございます。鞴が宇治の奥山まで行き、玉藻前の呪力が薄れていることを確認しておりますので確実に四方のどこかにいるものとお考えください。正直に申し上げて我々では特級妖に太刀打ちすることはできません。晴人様をお守りする一助になれず、大変申し訳ございません」
彼らは晴人が玉藻前にその身を狙われていることを知っている。晴人が陰陽の力に目覚めた日、朱雀は倉宮の者に晴信に現状を伝える手紙を渡し、その数日後、手紙を受け取った晴信は鞴に玉藻前の監視を強化させるため、信頼している蓮ヶ谷にだけ東京の状況を話した。
この場に同席している使用人が庵斎だけで、他の使用人達が部屋から五メートルは離れているのもそう言った理由だ。
晴人を守ることができないというのも玉藻前との間に存在する力の差を覆すことができないが故のものだ。永い時を過ごしてきた妖に一世紀も生きない人間が勝ることなど本来、有り得ないことなのだ。
だからこそ、陰陽家は術式を磨き、戦い方を磨き、血筋を磨き、妖と渡り合う陰陽師を育ててきた。
「こっちは任せてください。できるだけ頑張るので」
「特級については倉宮家でどうにかするさ。ひとまず補佐家衆からはこのくらいか?」
「いえ、あともう一点ございます。晴人様が青霊堂で襲撃される約三週間前、京都でも鷹衛家傘下「境護連」に所属する鵜高家の長男、鵜高知也氏が妖に襲われる事件が起きました。この件の続きなのですが、襲撃した妖が温羅だと判明しました。朱雀様が陰陽符に回収してくださいました呪力の残滓から特定しました。その温羅ですが、晴人様との戦闘後から完全に消息を絶っており、主の元に戻ったと思われます。誰の式神かは判明していませんので敵方と戦闘になった際には十分お気を付けください」
もう少し話を聞くとどうやら東京を出る辺りまでで倉宮の者は温羅を回収したフードの男を追跡できなくなり、そこ以降は補佐家衆が引き継いだが、京都で来るのを待っても確認できなかったため、そう結論付けたそうだ。
晴人はいくつか質問をしたが、蓮ヶ谷はどの質問にもその根拠となる資料とそれに付随する情報をこと細かに提示し、晴人の疑問に全て答えた。
三十分近くその知恵を借り、晴人は一条家への対応をどうするか、その具体策を決めきった。白熱したとまでは言わないが、実に有意義な会話であった。
お開きにはよい時間となり、晴人と晴信は席を立ち、晴人は資料を返そうとしたが、蓮ヶ谷は手でその言葉を制した。
「その資料はお持ちください。必ず晴人様のお役に立つ物だと思います」
蓮ヶ谷の言葉に晴人は少し考え、ありがたく借りていくことにした。
「分かりました。問題が片付いたら返しにきます」
「かしこまりました。その時はまた別のお菓子をご用意してお待ちしております」
屋敷の主に見送られて貴賓室を出た二人。屋敷の雰囲気によく合うメイド服に身を包んだ使用人に案内され、玄関ホールまで到着すると屋敷中の使用人が二人を出迎え、彼らを背に案内してくれていた使用人が二人の方を向いた。
「あの場でも我らが主が申し上げましたが、我々倉宮補佐家衆一同は倉宮家の臣としてこれからも粉骨砕身の思いでお仕えさせていただくことを改めて宣言させていただきます。何卒よろしくお願い申し上げます」
彼女が頭を下げるのに合わせて全員が同時に頭を下げた。本日二度目の光景だが、慣れる気のしない晴人であった。
「もちろん。よろしく頼む」
「皆さん、よろしくお願いします」
「改めまして倉宮補佐家衆代表蓮ヶ谷佳乃が従者筆頭、庵斎千景と申します」
庵斎千景。甘栗色の結んだ髪を左肩から流し、その艶やかな声はよく耳に残り、うっすら垂れた目元は憂いよりも妖艶さを感じさせる。彫刻のように白い肌と長い手脚。クラシカルなメイド服でさえ、彼女を彩る要素になっていた。
よく見れば彼女が来ている服だけが他のメイド服とは各部の装飾が異なり、屋敷での立場を表す差異も彼女を特別だと言っていた。
「晴人様、どうか健やかに人生をお歩みください。我らはその助けとなるためにここにいます。こちら上からこの屋敷、我が主、そして私、庵斎の電話番号です。何かお困りの際はおかけになってください。すぐに助けに参りますので」
「ありがとうございます。困った時は頼らせてもらいますね」
「はい。では門までご案内いたします」
そうして晴人と晴信は補佐家衆の屋敷を後にした。屋敷から出ると太陽が落ち始めており、青かった空に橙が溶け、いつもと同じ空なのに今日は妙に不気味に見えた。
門をくぐると既に車が停まっており、晴信が近づくと後部座席のドアが開いた。晴信は運転手に「ありがとう」と声をかけて車に乗り込んだ。
「庵斎さん」
晴人は足を止め、後ろを振り返った。蓮ヶ谷から封筒を受け取って、この屋敷に来て、蓮ヶ谷と言葉を交わして、認めてもらえて、他の分家にも共有されていない情報を獲得して、不透明だった敵の全体像を掴めて。
出来過ぎた話だ。話が上手く行き過ぎている。確かに選択はした。疑うのではなく、信じることを決めた。
それでも物事が順序よく進み過ぎている気がしてならない。初めから全てが何か大きな流れの中のようで頭の片隅にある違和感がこべりついて剥がれない。どこが「始め」なのか想像もつかないが、自分が決められたレールの上を走っているような感覚が止まらない。
「はい。何でしょうか?」
「この戦いで倉宮家側が負けるとしたら、何によってだと思いますか?」
だから、考えた。この流れは倉宮家に勝ちと負け、どちらを望んでいるのか。
「我が主はこの戦い、一切容赦する気はありません。晴人様にお渡しした資料には一条家とその傘下の陰陽師のあらゆる情報が記してあります。情報戦では絶対に負けないと確信しています。なので仮にその情報戦で後塵を拝するようなことがあれば倉宮家の名に泥を塗ってしまうと思われます。先ほどは申し上げませんでしたが、京都を囲む妖には玉藻前以外にもう数体気を付けるべき妖がいます。詳細はその資料の中に書いてありますので車内でご確認ください」
「分かりました。ありがとうございます。蓮ヶ谷さんにも改めてありがとうございましたとお伝えください。失礼します」
庵斎に礼を言い、晴人は車に乗った。発進した車のサイドミラーを見ると庵斎が頭を下げており、少し申し訳ない気持ちになった。
蓮ヶ谷から貰った封筒を胸に抱え、家に着いたのはそれから十分もしないうちだった。
まず晴人は京都での最初の仲間を手に入れました。けれど、時間は待ってくれない。もうとっくの昔に導火線に火はついている。この京都を巻き込む大きな爆弾の。
キャラ名:庵斎千景、鞴、鵜高知也




