第四十九話 燃ゆる古都、揺れ動く影 その八
更新です。Twitterで「東上春之」と検索していただければ出てくるので是非フォローしてください。「星降ル夜ノアリアドネ」という作品も書いているので是非読んでみてください。
返事をし、ドアを軽く開けると羽月が立っていた。神妙な面持ちでもなかったが、何か考えているような表情をしていた羽月に「どうしたの?」などという気にはなれず、特に言葉も発さず、晴人はドアを大きく開けた。
「ありがと」
それだけ口にして羽月は部屋に入ってきた。晴人がドアを閉め、振り返ると床に敷いてあるクッションに腰を下ろし、どういうわけか膝を抱えていた。
晴人は何か悩みがあるのか聞こうとして、止めた。なんとなくそういう雰囲気ではないと思ったから。羽月がこうも分かりやすく何かありますという様子なのだ。ひとまず向かい側に座ろうと横を通ると制服の袖を掴まれた。
足を止め、羽月の方に目を向けると頬を膨らませてこちらを見ていた。晴人はやっぱりと眉尻を下げ、袖を掴んだ羽月の手を握り返し、繋いだ手の分だけ間を空けて隣に腰を下ろした。
すると、羽月は正面を向いたまま繋いだ手を動かし、晴人の少し開いた指の隙間に自分の指をそわせ、こうしろと言わんばかりにぎゅっと指を絡ませてきた。
驚いた晴人が再び目を向けると今度はそっぽを向き、更に手に力を込めた。意図を察した晴人が同じように握り返すと羽月はやっと分かったかと握る力を緩め、抱えた膝の上に額を乗せて顔を伏せた。
言葉を交わさなくても繋いだ手から、絡めた指から、羽月の言いたいことが伝わってくる。
羽月の熱がありのままに流れてくる。羽月と手を繋ぐのはこれが初めてじゃない。抱き締めたことだってある。
だというのに、心臓はいつまで経ってもこの熱に耐えてくれない。
触れた手から伝わる熱が鼓動を早めて、絡めた指から伝わる柔らかさが羽月が女の子だと痛いほど教えてくる。
守ると約束した。守り通すと誓いを立てた。何があろうと。何が起ころうと。それ以上ではいけない。それ以下では意味がない。
それなのにどうしてこんなにも、この心は揺れ動いてしまうんだ。
こんな歪な関係は早く解かないといけないのに。家の事情に巻き込んで、家族にまで迷惑をかけて。あるべきでない負い目を感じさせ、彼女の日常を倒壊させた。今こうして彼女の隣に座っていることすらも本来あるべきではないはずだ。
それが分かっていてこの熱が心地良いと思ってしまうのはどれだけ罪深いことなのだろうか。
(分かってる。壁を作ったのは俺の方だ。だからこの心臓の鼓動も早く収めなきゃいけないのに)
止まってくれない。張り裂けそうなくらいに脈打つ心臓はどれだけ冷静になりたくても頭を熱で沸かしてくる。それでもこの手を離すという選択肢は頭に浮かばなかった。
自分で壁を作って、自分で距離を置いて、自分で自分に都合の良い言い訳を並べたにもかかわらず、心は言葉なんかよりも正直で。情けない自分に晴人はため息をついた。
言葉と行動が矛盾していることは分かっている。
倉宮の屋敷に来るのだって自分一人でも問題はなかった。一条家とのいざこざも奏に軽く話して羽月を保護してもらうこともできたかもしれない。七条家は一条家ほどではないが京都の中では歴史と力のある家だ。
それに一条家と同じ京都九家なのだから羽月を守るという意味でもそちらに預ける方が羽月のためになったかもしれない。
だが晴人は、羽月との「縁」を切ることを選ばなかった。羽月と「他人」になることを選ばなかった。
それは何故?
それは何のために?
そんなもの決まっている。
そんなこと言葉にしなくても分かっている。
だから、この関係は早く止めなければいけない。早く他人にならなければいけない。そうでなければ自分に嘘を吐き続けることになるから。
(それにしても)
手の繋ぎ方を変えてから何をするでもなく、羽月は顔を伏せている。時折、ぴくっと指は動くが、彼女が顔を上げることはない。
なんとなく話し出すタイミングを図っているのだろう。そう思うと晴人の表情は柔らかくなった。
(急ぐようなことでもないし、大人しく待つか)
時刻は午後二時を過ぎたくらい。天気は雲一つない快晴で風はなく、街には春から夏に移ろうとする草木の香りが舞っている。
そんな穏やかな日常の裏にこんな未知の世界が広がっているなんて、数週間前までは考えもしなかった。当たり前のように過ごしていたこの十五年の日々は式神達と家の者達に守られてきたものだった。
ほんの数週間で人生は一変した。本来あるべき道に戻ったという方が正しいのだが。
見える世界の色も、形も、その在り方もあの瞬間から全てが変わった。今こうして陰陽師を陰陽師たらしめるまじないの力「呪力」を感じられるようになって、陰陽塾で陰陽術を学んで、妖と対峙し、今度は同じ人間と矛を交えることになる。
選択を誤れば今隣にいる彼女と別の側で戦うことになっていた。その点で言えば羽月をこちら側に引き込んだことは間違いではなかったと思う。
羽月と関わったことで一条家とことを構えることになったのか、元から倉宮家と戦う機会を窺っていた一条家が口実のために羽月を使ったのか。
どちらにせよあのまま何もしなければ羽月の人生は彼女の望まぬ方向へ進んでしまっただろう。それを免罪符にするつもりはないが、後悔はしていない。
約束の通りに巻き込んだ責任は必ず果たす。その上で出来得る限り羽月の人生を守る。それが今のやるべきことであり、陰陽師倉宮晴人としての最初の目標だ。
(そのために何からするべきか。その辺も羽月と話したかったんだけど、まだ無理そうかな)
重力に従って羽月の表情を覆い隠す金の髪。声をかけたらその髪に隠れた碧色の瞳を見せてくれるだろうか。
もう少し握る手に力を込めたら俯いたその顔を上げてくれるだろうか。
なんて、どうせしもしないのにそんなことを考えてしまうくらい、羽月に「期待」している。期待して彼女に選択を委ねている。
羽月が何を選んでくれるのか、晴人は勝手に期待していた。
だから、今日もまた羽月に期待する。羽月の仕草に、言葉に期待する。もしかしたらと理想を夢想し、羽月の答えを待っている。
晴人は胡坐をかいた脚の力を抜き、目を瞑った。
(私は、君が知りたい。君のことまだ全然知らないから)
顔を伏せたまま羽月は小さくため息をついた。
今日の彼は心ここにあらずという様子で、普段よりも何を考えているか分からなかった。車で東京駅に移動していた時も、新幹線で話していた時も晴人は窓を眺め、何かを思案していた。その時から嫌な予感はしていた。
京都駅に着いて彼の姿が消えた時は頭が真っ白になった。音のなくなった世界にキーンという耳鳴りだけが響き、置いて行かれたのだと、そう思った。
だが、その静弱を破ったのは他ならぬ彼だった。いなくなったわけではなく、協力者と話していて新幹線から出るのが遅くなったと言ったが、そんなことはどうでもよかった。
彼に行こうと言ってもらえる。それだけで他の全てがどうでもよくなるくらい嬉しかった。
京都の街を駆け抜けて倉宮家の屋敷にやってきて彼の両親と会った。
彼が来客と話している間、彼の母から倉宮家がこの騒動に対してどのような態度を取るのか教えてもらった。一条家と矛を突き合わせることに誰一人として反対する者が出なかったことが引っ掛かっているらしく、青霊堂に戻っても気を付けるように念を押された。
その後は彼との同居事情について色々と質問をされ、何となく感じていた自分に対する釈然としない気持ちがすっきりしたような気がした。それと同時に心の内にしまっておこうとしていたものをすくい上げられた気分になった。
来客が帰り、居間で昼食を摂っている時、私はどんな顔をしていただろうか。きちんと彼が望む適切な距離感を守れただろうか。
これ以上彼に迷惑をかけるわけにはいかない。ただでさえ、一条家を筆頭とした京都九家と敵対しているのだ。彼も口には出さないが、状況解決のためにいっぱいいっぱいのはずだ。
今は余計な問題を晴人に抱えさせるべきではない。
分かってる。ちゃんと分かってる。だけど。
(君の力になりたい。君が倒れてしまわないように。朱雀に言われたからじゃなく、私がそうしたいから)
この部屋に来てしまったのも彼が望む距離感からは逸脱しているのかもしれない。こうして彼に隣にいてほしいと思うのも、彼の手を強く握ってしまうのも、彼にとっては望んでいないことなのかもしれない。
私の願望を彼に押し付けているだけなのかもしれない。彼が強く拒まないから、その優しさに甘えているだけなのかもしれない。
彼にとって私のする行いは全て迷惑なだけなのかもしれない。
それでも、私は君が知りたい。そう思ってしまうことが君にとって迷惑なことだとしても、君という人間について教えてほしい。君の話を君から聞きたい。私も私のことをもっと話すから。
どうしてこんなにも思ってしまうのか。
この気持ちにまだ名前は付けられないけれど、君が話してくれたならいつか名前が付くのかな。
それとも、君が名前を付けてくれるのかな。
(どうなのかな?)
ゆっくりと顔を上げた羽月は繋いだ手に視線を向け、頬を緩めた。どうやら思い悩んでいる間に隣の人は眠くなってしまったらしい。
やはり晴人自身も見えないところで疲労が溜まっていたのだろう。この一週間、晴人は夜遅くまで式神達と訓練していた。家でも塾でも疲れているような素振りは一切見せなかったが、両親と会ったら安心して気が抜けたのかもしれない。
(安心して眠くなったのかな。かわいいな)
羽月は手を離し、晴人の肩をゆっくり引いて座っていたクッションを枕に身体を倒した。身体を動かしたから起きてしまうかとも思ったが、見た目以上に疲れているのかすぐに寝息が聞こえてきた。
立ち上がり、ベッドの上に置いてあった毛布を取り、晴人にかけた。部屋の電気を消し、羽月は晴人の枕元に座り、携帯を開いた。
案の定、奏から心配の連絡が何件も来ていた。
(ごめんね、奏。サボったわけじゃないから許して)
ごめんなさいと一言打って羽月は携帯を閉じた。今日、交流会に参加しない旨は朱雀が倉宮家の人間を通して既に小此木に伝えてある。羽月も少し前に朱雀から伝えられている。
奏に何も事情を話さないのは彼女を巻き込まないようにするため。極力、青霊堂の人間を巻き込まないようにしようと数日前に晴人と話し合った。今は必要以上に連絡を取らない方が彼女のためになるだろう。
一条家が倉宮家と敵対していること、もしくはそれに準じる行動をしていることは同じ京都九家なら気が付いているはずだ。奏が気付いていなくとも七条家の方で情勢を把握している可能性もある。
楽観的ではあるが、九家全てが一条家の味方なのかすらまだ分からない。
もしかしたら七条家は違うのではないかと羽月は希望的観測を抱いていた。せっかくできた友人を傷つけたくないと願ってはいるが、もし敵対することになったら羽月は迷わないだろう。
(晴人君だったらどうするんだろう?知り合って間もないから案外ドライだったりするのかな)
隣で眠る晴人の髪を撫で、羽月は晴人の頭を浮かし、太ももに乗せた。
心理描写って難しいですよね。人はお互いに胸の内を曝け出さなければ本当の意味で分かり合うことはできない。言葉を交わすことだけが理解への道である。
ちゃんと話し合わなきゃ本心なんて伝わらないのです。




