第四十一話 出会いと覚醒 四十一
更新です。Twitterで「東上春之」と検索していただければ出てくるので是非検索してみてください。「星降ル夜ノアリアドネ」という作品も連載しているので是非。
晴人は思った、この世界の両面を見て陰陽界の歪みも現世の社会の息苦しさも元を辿れば同じものではないかと。変わろうとしないからそうなり続ける。変化を受け入れない人間がいるから歪みを正すことができない。
変わり続けなければいつか自分を見失ってしまう。
この国のどこにいようと自分が倉宮晴人であることは変わらない。
だが、陰陽界に足を踏み入れた途端、倉宮であることが倉宮晴人の価値であるかのように周囲は値踏みをする。七条奏も家の名に強いこだわりを持っていた。
それが悪いことだとは思わない。間違っているとも思わない。ただ、それだけが人としての在り方だとは思いたくなかった。それだけが自分を表す記号だと思われることが気に入らなかった。
だから、奏との試合を了承した。軽くあしらわずにぶつかってあげることが彼女のためになると思ったから。負ける気はなかったが、勝てないかもしれないとは思っていた。
ちょっとばかし彼女にはできないズルをした時は少しだけ申し訳ない気持ちになった。式神と複数契約しているからできたズルで負かしてしまって。でも話してみれば思った以上に奏は素直な女の子で、こちらの話をちゃんと聞いてくれた。
翌日には色々なものに折り合いをつけられたのか初めて会った時よりも明るい表情をしていた。
次は晴人の番だ。多少手伝ったとはいえ、奏は自分の抱える葛藤に対して自分で結論を出した。やるせなさと折り合って、もどかしさと向き合って、どうしようもなさと手を取り合って、奏は前を向いた。
やりたいこと。やるべきこと。やらなきゃいけないこと。どれから手を付けていけばよいか晴人にはまだその結論が出せないでいた。
京都に行って玉藻前に会って話をしたい。
東京にいて一条家の監視の目を引き付けて敵戦力を少しでも分散させておくべき。
陰陽師として来たる日のために強くなっておかなければならない。
できることなら今すぐに京都に行って玉藻前と話しをしてこの状況を好転させるきっかけを作りたい。一条家と対立するにあたって想定外の事態を引き起こせるとしたら妖陣営だ。
陰陽家同士は力が拮抗していたとしても妖陣営がどちらにつくかで状況はいくらでも覆る。玉藻前が妖のリーダーだというのなら接触することで味方にできなくても、こっちに意識を向けられるかもしれない。
少しでも京都から遠ざけることができればその間に父達が一条家の暴走を止められるはずだ。そうは言っても現地に辿り着くまでが遠過ぎる。
(今は朱雀に任せるしかないか)
そんなことを考えながら外を見ていると青霊堂の周辺がテープと仮囲いで囲われていた。あれだけのことがあったのだ。とその破壊の一端を担った晴人は自らに呆れてため息をついた。
ゲートに近づくと作業員が車の横にやってきた。酒呑童子が倉宮家の用で来たと倉宮家の陰陽符を見せて説明するとすんなりとゲートを開けてくれた。
壊れた道や花壇を眺めながら裏口に大きく回り、車は地下駐車場へと到着した。
青霊堂を外から見て分かったのは塾周辺にかけられていた結界そのものに綻びはなかったということ。つまり、結界のどこかに穴を開けられたから敵に侵入を許したのではなく、元から開いていた穴から敵は侵入してきたということ。
付け加えるならその穴を開けた人間が塾内にいたということ。
「まずいな。塾内に裏切り者がいるぞ」
神妙な面持ちでそう言った晴人にそんなことは分かってると羽月は腰に手を当てた。車から降りた酒呑童子は先に降りていた晴人に鍵を渡し、姿を消した。
「でしょうね。じゃなきゃ最上階に阻害結界を張れないもの」
「次は中の、最上階に行こう」
損傷の無かったエレベーターを使い、晴人達は最上階に移動した。ドアが開くとどういうわけか人が誰もいなかった。羽月の話からこの階で戦闘はしなかったそうなので下の階に比べて目立った被害は見られなかった。
この階には妨害術式が張られていたこともあり、昨日の段階で陰陽局の調査部が念入りに調査していた。最上階がもぬけの殻だったのは既に検証が終わっていたからだ。
「確かこのフロアは塾長室と重要資料保管室だけだっけ?」
「そう。それで妨害術式が塾長室に仕掛けられてたの」
「解除は難しかった?」
「大変だったよ。晴人君が戦ってるから凄く焦ったし」
そう話しながら晴人と羽月は塾長室へ歩いていく。廊下を真っすぐ進み、突き当たりの扉を開けた。塾長室は廊下とは違い、いくつもの陰陽符が壁や床に張られていた。
その中で一際目を引くのは火が灯った祭壇であった。小さな火が祭壇の中心で燃えていた。初めてこの部屋に入った日、この祭壇も火もこの部屋にはなかったはずだ。
だが、晴人にはこの陰陽具がどういった効果をもたらすのか理解することはできなかった。
「なんだあのいかにも陰陽って感じのやつは」
「あれは何かの祭壇かな。でも中心に炎が一つ、供物が桐箱だなんて。こんな形見たことない」
(酒呑童子、何か分かるか?)
(台の中に刻まれた術式はこの塾周辺に張られた結界と関連があるものだが、詳細は厳重に隠されていて分からないな)
(おっけい。ありがとう)
「羽月、妨害術式はどこに張られてた?」
「こっちに五枚の陰陽符が張ってあって順番に切らないと解除できない術式だったの」
羽月は部屋の左奥を指差し、晴人は一人、彼女が指差す方へ歩いていく。床と壁に目を向けると術式の痕跡が濃く残っている。晴人は片膝をつき、部屋に残った術式の残滓に直接触れた。
バチッと何かが弾ける感覚と共に「誰か」の姿が情報として頭の中に流れ込んでくる。真っ黒な呪力で姿が覆われているのにそれが「誰か」だと認識できる。こちらに気付いた黒いもやが首を掴もうと腕を伸ばしてきた。
振り払おうと腕を動かそうとしても力が入らない。伸びる腕に首を絞められそうになる、その寸前、晴人ともやの間に激しい閃光が弾け、現実に引き戻された。
「おわっ」
意識が戻るや否や酒呑童子に襟首を掴まれ、部屋の入口まで投げ飛ばされた。空中で体勢を変え、尻餅をつかずに着地した晴人は顔を上げて酒呑童子を見ると干将の作った白刀を術式の残滓に突き刺した。
すると黒いもやが晴れ、白刀も姿を消した。
「何が残ってたんだ?」
「この術式を調べようとした人間に対するカウンターだな。だが」
酒呑童子は口を閉じた。この部屋に感じる激しい違和感。不可思議な順序、ちぐはぐな処置。陰陽塾にとってこの部屋に仕掛けられていた妨害術式は都市機能に影響を与えるレベルのものだった。
調査が既に終わっているのだとしたらこんな罠がここに残っているはずがない。先に調べた者が発動させているはず。
それにあの祭壇はこの部屋を陰陽的に安定させる役割を持っている。この残滓を浄めるわけではないのだ。となれば、この術式の残滓に見えたものはここに来る人間に張った罠。それも事件の調査が終わった後に、である。
(晴人の考えが読まれた?いや、この部屋を使う者に対してか?読めないな)
「この術式、別の術式を上書きするってより誤った情報を大量に認識させて術式をオーバーフローさせるって感じだよな」
「そうなの。だから刻印符が五枚も必要なのかも。でもその刻印符も剥がしたら燃えちゃったし」
「晴人、今日のところは帰るぞ」
なんで、と晴人が聞く前に酒呑童子は姿を消していた。酒呑童子の重い声に晴人は素直に従うことにした。そんな晴人に羽月も反対することはなく、この日はこれで塾を後にすることにした。
時刻はまだ正午にも回っておらず、これからどうするか考えていると羽月がショッピングモールに行きたいと言うのでそちらに行くことになった。
家には必要最低限の物しか持ってこれなかったそうで新しく買いたかったそうだ。
「じゃあ好きなの買いなよ、お金出すから」
「えっ、それは悪いよ。それに私は助けてもらってるわけだし」
「元を辿れば俺が迷惑をかけちゃったからせいだから。何やらどれだけ使っても問題ないカードがあって」
そんなちょっとふざけた調子で話す晴人に羽月は自然と笑みをこぼしていた。そんなこんなでこの日は穏やかな日を過ごした。ショッピングモールでの会計は全て晴人が無理矢理持ち、羽月は困ったように眉尻を下げる。
両手いっぱいの袋を持って家に帰ってきた時には陽は少しだけ傾いていた。
抱えた荷物を彼女の部屋の前まで運んだが、部屋はまだ見ないでほしいと言われ、晴人は荷物を渡して自室に戻った。
その後、夕食を済ませ、居間で休んでいると丁度朱雀が家に戻ったが、その表情は思わしくなさそうであった。
朱雀の話をまとめると倉宮の者との話し合いの結果は芳しくなく、現時点では京都に直行するのは難しいそうだ。倉宮家のリソースを京都に大きく割いている現状だと陽動をするにしても力不足なんだそうだ。
これで完全に足が止まった。事実上、晴人達は東京から出られなくなってしまった。
朱雀から話を聞き終えた晴人は就寝の準備を全て終え、ベッドに寝転がった。正午過ぎ、羽月とショッピングモールで買い物をしていた頃、塾から今週いっぱいは休塾にすると追加連絡が入った。
比較的インドア派な晴人からすれば休みになることは嬉しいが、休みになるなら京都に行ってしまいたかった。京都に行って面倒なしがらみごと問題を片付けて羽月に平穏を返してあげたかった。
晴人は瞼を閉じ、眠りについた。
(このくらいかな)
その頃、羽月は走らせていたペンを止め、机に置いた。机に向かって小一時間、現在自分が置かれている状況を紙に書き出していた。パソコンでまとめてもいいが、彼女は実際に手を動かす方が好きだった。
紙上の世界を上から見つめ、羽月は頭を悩ませていた。いったい自分に何ができるのか、と。
晴人の式神である朱雀は言った。式神はあくまで式神、人間になることはできない。人間の感情を読み取ることができても理解し、共感することはできない。
だから、羽月がそれを望むなら晴人の傍で晴人の理解者になってほしい。倉宮晴人が人間で居続けられるように傍で見ていてほしいと言ったのだ。
羽月は自分も同じ陰陽師だと言ったが、朱雀は今の晴人に信用できる味方がほとんどいないことを憂慮しており、羽月が望まないなら倉宮家に新居を用意させ、一条家との問題が落ち着けばそちらに移ることもよいだろうと提案していた。
朱雀の提案を受けた羽月はすぐにその答えを返すことができなかった。了承しても、拒否しても羽月は当面の間、安全が保障された生活が送れるだろう。
羽月には失うものがないのだ。一方、羽月が断れば朱雀は晴人のためにまた新たな協力者を探すことになるだろう。
「次」を見つけるのにどれだけリソースが割かれるか分からないが、知り合って間もない自分にこんな話をしたのだ。朱雀の、ひいては倉宮家の中で晴人という特別な存在を守るということがどれだけ重大なことか、部外者の羽月でさえ感じ取れてしまった。
だからこそ、羽月は返答に悩んでいた。朱雀から提案された「お願い」にではなく、その裏にある朱雀からの「問い」への回答に悩んでいた。
果たして真波羽月は倉宮晴人の傍に仕えるに相応しい陰陽師なのか。彼の進む未来に自分は必要なのか。確かに現時点では真波羽月はどの陰陽師よりも倉宮晴人という人間を知っている。彼の優しさも、強さも、弱さも。
共に過ごした時間は短くとも、交わした言葉が少なくとも、羽月は誰より、何より、晴人を見ていた。彼の心根を、人としての真っ直ぐさを、その目で、心で感じていた。彼から伝わる音が、熱が、羽月の中に新しい感覚を作っていた。
彼と過ごす時間はどんな些細な、ありきたりな一時でも羽月には輝いて見えた。良くも悪くも周囲を意識して考え込んでしまう羽月にとって無鉄砲に見えてよく物事を考えている晴人の姿は実に興味深いものだった。
奏を圧倒しながらも、七条奏という孤独な少女の在り方を彼は否定しなかった。否定せず、解釈させることで彼は奏に変わるためのきっかけをつくった。憑き物がとれたというと大袈裟だが、彼に負けて奏は存外嬉しそうだった。
いつの間にか、いや、本当は父から話を聞いたあの時から真波羽月は好奇心と調査のために手を伸ばした倉宮晴人という存在に強く惹かれていた。
だが、惹かれるほどにその輝きは羽月の両の手を焦がし、純然たるその距離が羽月の心に歯止めをかけた。朱雀が語った「誰か」に自分がなれる自信がどうしても湧かなかった。
勢いで情報を書き出したはよいものの、それは客観的でそれでいて主観と想像が交じり合った、今の羽月の状態を表すには丁度よい、煩雑な文字の羅列であった。
まとめようにもまとめるために必要なたった一つの「覚悟」はまだこの胸には灯らなかった。
(まぁそれでいいと思いますけどね)
羽月の部屋の外で様子を見守っていた朱雀は静かにその場を去った。
物置からいくつかの木箱を取り出し、居間から出てすぐの階段を下り、地下の修練場に入った。晴人の陰陽術上達のために用意されたこの部屋に一人、朱雀は腰を下ろした。懐から取り出した通常よりもやや大きく、かなり細かく書き込まれた地図を広げ、持ってきた木箱の一つをひっくり返した。
地図上に色の違う均一な形をした石が撒かれ、朱雀が簡易符を使うと動き出し、それらを地図に振り分けた。
白は倉宮家を含む晴人の味方と言ってよい家々。黒は明確な敵対陣営。赤は共倒れの隙を窺っている家。青は介入をしないであろうと考えられる家。最後に黄、ここは何を考えているか分からない者達。
足りない情報が多いながら朱雀の予測は概ね外れてはいなかった。
地図上には白石が最も多い。日本全土に広く点在し、関東に最も集中している。次点で青。これらは東北に多く石が置かれている。三番目に多く、京都に集中しているのが黒。京都を中心に近畿に広く石を置いていた。
赤と黄の石を動かす際、朱雀は黒よりも雑把に操作した。それは細かな情報が掴めていないからでもあるのだが、それ以上に朱雀が露骨にこれらを嫌うのは晴人の渡京が滞っている最大の原因であるからだ。今の倉宮家はこれらの介入を警戒せざるを得ない。
地図上では確かに倉宮家は最大勢力だが、中立以外が合流したとすれば同等かそれ以上になる可能性もある。それに。
(考えの分からない妖が多過ぎます。一条家の思惑よりも彼らに同調しているように見える妖達の動向が気掛かりですね)
あれから京都の情勢は報道されなくなった。陰陽局が発信しているニュースにも京都の状況は全く取り上げられなくなった。朱雀は報道が操作されていることよりもこの状況を非常に深刻だと考えていた。
こちらの行く手を的確に阻んでいる。倉宮の者に京都の動きを調べさせているが、思うような情報は得られないだろう。このままでは完全に後手に回ることになる。
晴人の式神としてそれは断じて認められない。
晴人は一条家の在り方を良しとしなかった。晴人にはまだ陰陽界に残るしきたりや古い慣習などを説明してはいないが、今となってはそれでよかったのかもしれない。
陰陽界における婚約者とは単なる結婚の相手という意味ではない。特に子を産むことができる女性に対しては家の発展のために使う「道具」という意味で使われる言葉なのだ。
羽月がこの言葉を口にした時、晴人は少し恥ずかしそうな顔をした。もし説明していれば羽月の口にした「婚約者」という言葉に晴人は驚愕ではなく、別の目を彼女に向けただろう。怒ったか、悲しんだか、憐れんだか。
優しい晴人ならその全てを思い、そしてその全てを隠して羽月を思って恥ずかしそうな自分を演じただろう。その行き場のない憤りを拳に移し、自分を傷つけただろう。
何十年も晴人を見てきた朱雀にはそんな姿が容易に想像できた。理不尽を嫌う晴人にその理不尽を覆すことのできる力が備わった。幼稚な言葉を使えば「暴走」、今まさに眼前の少女に理不尽を強いてきた巨悪を打ち倒せる機会と口実が転がってきたのだ。
晴人を見くびっているわけではないが、突き進んでしまう可能性はゼロではない。そして朱雀達式神はその晴人の行いの一切を止めることはないだろう。なぜなら、朱雀達は晴人の式神なのであって倉宮家に属する妖ではないのだ。
彼らは皆、晴人のために力を振るえど、正義のために力を使うことなどない。何が起ころうと、何を起こそうと彼らが晴人と違う方向を見ることは絶対にない。彼らはそういう存在なのだ。晴人とはそういう存在なのだ。
もちろん晴人自身はそれを知らない。朱雀や干将は頻繁に晴人の味方だと口にしているが、彼らの言葉の本質を理解していない。
朱雀が羽月にあの話をしたのは妖である自分達にはできない役割を彼女になら任せてもよいと考えたからだ。真波羽月が晴人を裏切る可能性はほとんどない。彼女の親族は把握した限り全員倉宮家が保護した。
生活の援助もする。将来は倉宮家が保証する。一条家からの脅迫も効果がないくらいには彼女と彼女の家族を囲っている。言い換えれば彼女の家族を人質にとっていると言えてしまう。
晴人はそうは思わないだろうし、もしも倉宮家が羽月の家族に危害を加えようとしたなら晴人は全力で倉宮家に矛を向けるだろう。
朱雀は羽月のことを信用していない。自分以上に晴人のことを理解し、晴人の成すことの手助けをできる存在はいないと自負している。他者に晴人を任せようだなんて一度たりとも朱雀は思考しなかった。
だが、晴人を理解できても共感し、感情を共有することはできない。それが妖と人間との絶対的な違いだと朱雀は常々考えていた。駄目なのだ。妖では晴人の力にしかなれない。彼が「晴人」でいられる居場所にはなれない。
晴人が式神達を認識できるようになって陰陽術を扱えるようになって朱雀はより彼の傍に彼を人間でいさせてくれる「誰か」が必要だと考えた。晴人が羽月を助けると決めたのは朱雀にとっても都合がよかった。
晴人は感情的に、朱雀は打算的に羽月を助けることを決めた。
朱雀は妖だ。人間のように同情したり、憐れんだりはしない。羽月が使えると判断したから彼女を助けると決めた晴人の手助けをし、彼女からその代価を徴収している。
たとえ彼女がその役割を拒否したとしても問題はない。というよりも彼女は拒否しないと朱雀は確信を持っている。
だから朱雀は思い悩ませていた羽月に声をかけなかった。羽月の背中を押すことは今は逆効果なのだ。朱雀は分かっている。腹は当の昔に決まっているのだ。今はただどう折り合いをつけるか悩んでいるだけ。羽月自身も心のどこかではもう気付いている。
彼女の心を揺らす誰かはもう現れない。なぜなら彼女は倉宮晴人に出会ってしまったのだから。
朱雀は軽く笑みを浮かべ、石を取り出した箱とは別の箱を開け、一枚の黒い陰陽符を手に取った。
(これが使われないことを祈るばかりですね)
符に施された封を確認し、再び箱に戻した。その後も陰陽具の点検や関東にいる倉宮の者から受け取った書類の確認などを済ませた。黙々と作業をしていると部屋の戸が開き、晴人が入ってきた。時計を見ると朝を回っていた。
「朝ご飯は食べられましたか?」
「いやこれから」
「では今日は陰陽術の講義をしましょうか。朝ご飯を食べられたらまた来てください」
「分かった」
部屋を出る晴人を見送って朱雀は羽月の様子を見に行こうかとも思ったが、後日にすることにした。彼女自身の今後を左右する話だ。もう少し考える時間があってもよいだろう。
この日、晴人は朱雀と基礎的な陰陽術の復習とその発展術式について学んだ。それでもまだ知識では幼い頃から陰陽術に触れてきた塾生達とは差があるため、もっと教えてほしいと晴人は言ったが、朱雀は焦る必要はないとストップをかけた。
翌日は酒呑童子に格闘術を叩き込まれた。温羅との戦闘では技ではなく、感覚任せに戦っていたことに酒呑童子は不満を持っていたらしく、それはもう徹底的に戦闘というものを教えられた。
週末は干将と莫邪が呪力操作の訓練を手伝い、ひたすらにイチャイチャしていた。
週が明けて修繕が終わった青霊堂に登校するとクラスメイト達が晴人と羽月の周りに集まってきた。皆、口々に二人に対して謝り、二人も敵に操られていたのだから仕方がないと言うと自然と人だかりは小さくなり、二人は席に着いた。
後ろに座る奏と宗近にも操られてしまったことを謝られた。特に奏は目に見えて落ち込んでいた。京都九家に名を連ねる七条家でありながらまんまと操られてしまい、友人に迷惑をかけてしまったことが情けないと落ち込んでいた。
「本当に不甲斐ない。ごめんなさい、二人共」
「気にしないで、奏。宗近も。私だって術を受けなかったのは晴人君のお陰だし」
「はづきぃ~」
晴人が温羅の出現に冷静でいられたのは実は奏のお陰だったりする。奏の様子がおかしかったことで警戒心が急上昇し、不意をつかれなかった。そういう意味では感謝したいところなのだが、それを伝えてしまうと傷口に塩を塗り込むことになりそうな予感がし、晴人は羽月に任せることにした。
宗近も晴人に謝ってきたが、気にするなと声をかけた。そんな日常を感じる談笑をしていると小此木が扉を開けた。
「よーし。皆座れ」
全員が席に戻ると小此木の表情が急に神妙なものに変わった。
「今日は全体に連絡事項がある。毎年この時期に行っていた京都の陰陽塾との交流会だが、」
京都の陰陽塾との交流会。その言葉を聞いた瞬間、晴人は大きく目を見開いた。それが見えたのは隣に座る羽月と前方に立つ小此木だけだったが、教室の空気が一変したことを全員が感じ取り、緊張の糸が強く張られた。
「毎年七月半ばに京都で行っていたが、今年は来週から一週間かけて行われることになった。何をするかはまた後日、塾から連絡するから端末をよく確認しておくように。連絡事項は以上だ、今日も真面目に講義に取り組むように」
そう言って小此木は教室を出た。
(これで京都にいける)
晴人は机の下で強く握った拳から力を抜き、にやけた顔を戻すために深呼吸をしたが、どうもそう簡単には戻らないらしい。
京都に行くことを見送った矢先、こんな手があったかと晴人は高揚していた。この方法なら一条家がしてくる以上の無茶をすることができる。若い陰陽師の将来を守るためというお題目さえあれば倉宮家の力を使って何でもできる。
ちょっと護衛が豪華だったり、ちょっと陰陽局から何人か派遣員がいても新人育成のためであれば何らおかしくない。陰陽塾は陰陽家から独立している。余計な横槍を入れるのは格段に難しい。
晴人が笑みを浮かべる横でこの京都行きについて羽月は全く違うことを考えていた。
羽月は京都での交流会の存在を知っていた。そのため彼女は七月半ばが一条家のタイムリミットだと考えていた。一条家は宣戦布告から一ヶ月以内に争いを終息させる気なのか、それとも晴人が来ることは織り込み済みで勝算を見たのか。
だが、急遽来週にも晴人が京都に来られるようになってしまった。晴人は京都入りにテンションが上がっているけれど、むしろ後に引けなくなった一条家がなりふり構わない行動をとって倉宮家に甚大な被害が出る可能性が出てきた。
(予想より早く京都に行けるのはいいけど、逆にこっちの身動きが取りづらくなった)
今、関東で一条家の想定しない事態が発生し、それが引き金となって京都で大規模な戦闘が始まりでもしたら余計に晴人を京都に行かせまいと敵勢力が見張りを強化するかもしれない。
下手に刺激しないようにして膠着状態のままにしなければ暴発を招きかねない状況になってしまっていると羽月は眉をひそめた。
教室中が京都に行ったら、と話しているのに晴人と羽月だけは黙々と講義の準備をしている姿を妙に感じ、四限の実技の講義が終わると奏は晴人と羽月を引き留め、ついでに宗近にも声をかけた。
クラスメイト達が実技室から出たのを確認して奏は晴人に疑問をぶつけた。
「朝から様子がおかしいけど何かあるよね」
「あぁ、ある。だからそれ以上何も聞かないでほしい」
これは倉宮家の問題だ。部外者である奏に話す理由がない。ましてや彼女は一条家と同じ京都九家だ。何も知らない方が彼女と七条家にとって益になるとそう晴人は思ったから何も聞かないでと言ったのだが。
「やだ」
「おい、なんでだよ」
やだの二文字で蹴り飛ばされてしまった。
「私は知りたいから聞いてるの。だから教えて。京都に何があるの?これでも私は七条家だから、絶対力になれると思う」
迷いなくそう言った奏に晴人もまたその意思を変えることなく首を横に振ることで彼女の申し出を断った。
奏がこうして力になってくれようとしただけで羽月は嬉しかった。少し前の彼女ならこんな言い方はできなかったはずだ。それと同時に晴人が奏の手を取らない理由も納得できてしまった。
今じゃない、七条家の力を借りるとしたら間違いなく今じゃない。もっと効果的な場面が必ずやって来る。それまでは一条家の味方、最低でも晴人の味方ではないと思わせなければならない。
そのためにはまだ奏と手を取り合うわけにはいかないのだ。
「奏、ごめんなさい。晴人君も私も奏に話す気はないの、もちろん天草君にも。ごめんなさい」
「・・・羽月はそっち側なのね」
「そう」
「分かった。それで納得する、もう聞かない。わがままを言ってごめんなさい倉宮君」
「いや、気にしなくていいから」
そう言った晴人の言葉は奏には冷たく感じただろう。彼女を突き放さんとするように聞こえただろう。それでも今彼女と七条家と表立って繋がりを持つわけにはいかない。
晴人と羽月は奏と宗近を置いて部屋を出た。
「晴人君、私はずっと隣にいるから」
「私もいるよ、晴人さま!」
「我らは常に貴方様のお傍におります」
「おう。頼りにしてる」
真っ直ぐと続く廊下にただ二人。ではなく、二人と式神が五人。
今日もまた「日常」が過ぎていく。大きく変化した「日常」を過ごしていく。
新たな、いや出会うはずだった、生まれながらに出会っていた仲間と「今日」を歩んでいく。
もう戻らない、立ち止まることのできない「これから」を進んでいく。
だが、不安はない。もう覚悟は決めたから。成すべきことを決めたから。
晴人は進む、進み続ける。その行く先が道なき道だったとしても。これまでも、これからも晴人は進み続けるのだった。
更新ががっつり遅れましたが、一応これにて第一章は完とさせていただこうかと思います。
今回で第一章は終わり、これからどんどん物語の世界が広がり、第二章へと進んでいきます。第二章について軽くネタバレしておくと第一章で明確に敵対することになった一条家の陰謀に本格的に晴人が巻き込まれていくという展開になります。
登場人物も一気に増え、様々な視点から物語が進行していくので文量としては第一章の二倍以上になると思います。
何度も読みたくなるくらい面白い作品であることをモットーにこれからも書いていきます。応援よろしくお願いします。




