第三十話 出会いと覚醒 三十
更新です。Twitterで「東上春之」と検索していただければ出てくるので是非検索してみてください。「星降ル夜ノアリアドネ」という作品も連載しているので是非。
だが、だからといって内に燻る醜い欲は簡単に薄れたりはしない。それでも己の愚かさを受け入れると強引にこの場を離れることを考える余裕くらいは生まれるものだ。
晴人は身体を横に向けて力の入らない腕を支えに身体を起こした。
「羽月。ごめん。俺はここから離れなきゃ」
動く腕だけで動かない脚を畳に引きずり、座敷から脚を降ろす。よく疲労困憊で動かなくなった脚を棒と表現することがある。
今の晴人の脚は棒なんて生易しいものではない。鉛や鉄とも違う。もはや脚としての機能は残っておらず、引きずり、物や壁に手をつくことでしか前に進むことができなくなっていた。
椅子の背に手をかけ、机の端に手を添え、壁に背を預け。無様に、惨めに、息を荒げ、身体を引き、どうにかドアに向かっていく晴人。
そんな晴人の前に羽月は両の腕を広げて立ち塞がった。
「駄目だよ。言ったでしょ、私は視えてるの。晴人君が苦しんでる理由もその原因も私には分かる。呪力が足りないんでしょ?だから身体の中で黒い呪力が溜まり続けてる。そうでしょ?」
そうだ、なんて言えない。そう言えば彼女が次に何を口にするのか、晴人は分かっている。羽月が晴人を分かるように、晴人もまた羽月が何を考えているのか分かってしまう。
優しい彼女が、他者の機微をよく見ている彼女が、今の晴人の姿を見て、それをどうにかする手段が分かっていて、そして、それを自分がどうにかできるとしたら彼女なら間違いなくこう言うだろう。
「だったら私の呪力を全部あげる。そしたら全部解決でしょ?」
やはり、彼女がこういう人だ。
だから、駄目なのだ。彼女は優しいから、彼女は優し過ぎるから、リスクをリスクとみなさない。
呪力が足りないからといって身体の中に黒い何かが滞留するなんて異常以外の言葉で形容できないのだ。しからば、そこにはそうなる理由があって、そうなる原因がある。
羽月にはそれがなんとなく分かってしまう。今の晴人の状態が術式による副作用であることも、その術式をあの式神の正体と同じで自分には話せないことも羽月は理解している、できてしまう。それが陰陽師で、陰陽の家に生まれた者の業であり、責任。家を背負う者が課せられた責務。
晴人は羽月を傷つけた。彼女がそれを否定しようと晴人はそれを否定する。今思えば、羽月の瞳に看破されてしまうのだから話した上で、口外しないことを約束してもらう。それだけでもよかった、のかもしれない。
数刻前、晴人は倉宮家と真波羽月を天秤にかけ、倉宮家を取った。昨日、羽月に色々と話してしまったことを反省し、彼女にも言われたことだが、もう少し秘密に対する意識を改めた方がよいとそう考えた。
倉宮家が自分の存在と共に隠してきたことをむやみやたらに口にするべきではないとそう考えていた。だから、羽月との関係に線を引いた。これ以上こちら側に来ないように、これ以降こちらの事情に巻き込んでしまわないように。
「駄目だ、羽月」
「何が駄目なの?」
晴人の言葉を遮るように羽月は己の言葉で覆い被さる。一歩、また一歩と両の腕を広げたまま晴人に歩み寄る。
「駄目な、ものは、駄目だ。俺は、君を傷つけ、たくも巻き、込みたくもない」
息が続かない。鼓動が速くなる。その原因は羽月が近づいてきているからだ。甘美で、豊潤で、香しい美味が近づいているからだ。
呪力に味なんてないんだろうが、狂った頭は、本能は、喰らえと、その花をたおり、蜜を吸えと怒号を鳴らす。
「もう傷ついたし、もう巻き込まれてる。だから大丈夫だよ」
「そ、れは違、う。はぁはぁ、俺は、確かに、君を傷つけた。でも、まだ引き返せる。引き帰れる。俺を、一人にしてくれ」
彼女はどんな顔で俺を見ているのだろう。どんな瞳を俺に向けているのだろう。憐れんでいるのか。悲しんでいるのか。同情しているのだろうか。嫌悪しているのだろうか。
いや、どれでもないのだろうな。どれにも当てはまらず、どれにも当てはまろうとしない。
多分、彼女はただ真っ直ぐにこちらを見つめてくれているのだろうな。そういう彼女だからこれ以上。
「いやだよ。絶対にいや。君を独りにしない」
そう言って羽月は壁に添えた晴人の手を取り、自身から離れようと、自身を守ろうとする晴人を自身の方へと引っ張り、その腕で抱き締めた。
触れた。触れてしまった。
倉宮晴人は果実に手が届いてしまった。
真波羽月は果実を手渡してしまった。
城門は壊された。本能の濁流が晴人に流れ込み、意識を塗り潰し、彼から晴人を奪い去る。そうなってしまう、はずだった。
「まぁ及第点なんじゃないんですか?晴人様」
抱き合う二人を突如、白金の炎が包み込んだ。
ギリギリ愛いけないボーダーライン




