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あやかしばかし  作者: 東上春之
第一章 出会いと覚醒
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第三話 出会いと覚醒 三

更新です。Twitterで「東上春之」と検索していただければ出てくるので是非フォローしてください。「星降ル夜ノアリアドネ」という作品も書いているので是非読んでみてください。

 朱雀の返答する声音が明るいものとなり、晴人は安心して額を離した。朱雀の表情は俯いていた数刻前の面影もなく、完全以上に立ち直っているように見えた。

 机に突っ伏していた干将はぷはーと声を出しながら後ろに倒れ、酒呑童子は思った結果にならなかったことに瞼を閉じたが、特に口出ししてこないところを見ると彼の中での落としどころとしては悪くはないのだろう。


「よし、じゃあこの話はここで終わり。俺が決めたから酒呑童子もこれ以上言わなくていいからな」

「・・・まぁ、いいだろう」

「他にはなんかあるか?」

「私はありません」

「私もなーしです」


 皆、特に気にしないと応えてくれた。

 それだけでも彼らの仲の深さを感じられて晴人は無性に嬉しかったし、その絆と言える繋がりを自分も築いていこうと改めて心に決めた。

 晴人は腰を上げ、元々座っていた座椅子に座り直した。干将も身体を起こし、朱雀は少し乱れた着物を直した。その際、何故か名残惜しそうに襟首を直したのが目に付いたが、干将は見なかったことにした。


「じゃあ、俺から。陰陽塾に入る手続きは父さんに連絡がついてからになるからひとまずは待ち。後は今の家からこっちに荷物を運びたいんだけど、まだしない方がいいかな?」

「そうですね。今日、明日はこの家に留まって鵺に外の様子を確認してもらうのが無難だと思います。この時期からだと青霊堂には編入生として入学することになるでしょうから晴人様さえよろしければ今から陰陽術についてお教えしましょうか?」

「確かに時間もあるし、そうするか。よくよく考えれば目指すって言ったはいいものの、まだ何も知らないんだよな」

(妖に襲われてから数時間。ようやく腰を落ち着けることができそうだ)


 晴人の陰陽に対する知識は妖と式神についてのみでそれ以外の陰陽師として必要とされるものは持っていない。

 父が話をすると言っていたから編入試験等はないかもしれないが、他の陰陽師を目指す生徒達と比べて知識や経験が足りていないことは晴人も自覚していた。手紙や話を聞いた限り、式神になってくれている彼らは相当格の高い妖だったそうで彼らに見合う主に近づくために学ぶことは多い。

 だが、陰陽塾という新たな環境に晴人はワクワクしていた。


「ではまずは「陰陽」というものの始まりからお話しします。陰陽とは妖の使った「妖術」を当時の人間達が分析し、体系化したところから形作られました。明確に陰陽術という形になったのは平安時代中期、各宗派に分かれていた「術」を「安倍晴明」が統合し、「晴明式陰陽術」という一つの規則性が生み出されました。現在多くの陰陽師が彼の作った陰陽術を基にした「陰陽術式」を使っています。陰陽塾では多くの術式を見ることができるでしょう」


 平安中期、安倍晴明によって確立された陰陽術は陰陽五行を基盤として、術の行使に陰陽符を用いるスタイルだった。陰陽術と陰陽術式の違いは簡単に言えば、陰陽術を使うための方法の一つが陰陽術式である。

 術式にはいくつも種類がある。朱雀が言う「多くの術式」とは晴明式陰陽術から細分化された多くの術式という意味だ。


「もちろん、歴史のある陰陽家は生まれながらに持つ術式以外にもその家独自の術式を開発、発展させています」

「なるほどね。ちなみにうちの術式ってどんな感じなの?」

「倉宮家の術式は二つに分かれています。一つはこちらの陰陽符です。この陰陽符には対妖に特化した「祓魔術式」が組み込まれています。この陰陽符と武器を併用した近接戦闘が倉宮家のスタイルです」


 朱雀は懐から木箱を取り出し、机に置いた。こういった術式が刻まれた陰陽符は「刻印符」と呼ばれ、術の媒介となる呪具の一つだ。

 陰陽符には刻印符の他に「簡易符」、「式神符」、「封印符」などが存在する。

 簡易符は使い捨ての陰陽符で、工程の少ない術式を内包させ、少量の呪力を込めることで術式を発動させるものだ。

 式神符は呪力によって式神を形作る陰陽符であり、封印符は戦闘では祓いきれない妖を封印という形で閉じ込めるために使用される。

 封じられた妖は儀場で祝詞をあげることで祓われ、不滅やそもそも死の概念を持たない妖を滅するために用いられていた。

 倉宮家の陰陽符に刻印された祓魔術式は、この封印符に収められなかった妖や強大過ぎる力を持った妖に対抗するためにこの術式は構築された。これは古来より倉宮家が京の外敵を祓う役職に就いていたことに由来し、倉宮家の陰陽師は代々この術式を洗練させてきた。

 現代では陰陽符の発達に合わせて刻印符という形で術式を最適化させ、武器またはその身体に術式を付与し、妖を祓ってきた。


「陰陽師なのに近接戦闘がメインなんだ。意外だな」

「倉宮家は代々京の外敵の排除を担っていた家のため、祓魔に特化した術式とスタイルになったのです。陰陽術の基礎は体内の気を呪力に換えることですが、晴人様は既に無意識的にそれができるレベルにあります」

「そうなんだ、全然そんな感じしないけど」

「複数の式神との契約を維持する中でできるようになったのでしょうね。その力を正しく扱えるようにするため、私が術式を、格闘については酒呑童子がお教えしていこうと考えています」

「分かった。お願いね」


 今の晴人は膨大な呪力を持て余している。五体の式神がその呪力を引き受ける形でコントロールしているが、日に日に呪力は大きくなっている。陰陽師を目指すと決めたのだから自身の呪力に早く慣れておく必要がある。

 それに晴人が呪力を正しく扱わなければならない理由はもう一つある。


「次にもう一つの術式ですが、これは通常とは異なり、生まれながらに晴人様の身体に刻まれた「先天術式」、付けられた名は「吸収術式」。その効果は常に周囲の呪力を吸収するというものです。祓魔術式もこの吸収術式を前提に作り出されました」


 呪力を感じることができなかった晴人が成長し続けていたのはこの吸収術式が機能していたからだ。酒呑童子が内側から、朱雀が外側から晴人の代わりに術式をコントロールしていたが、晴人の中の呪力の受け皿が大きくなるにつれて制御が効かなくなっていった。

 そして、晴人にかけられていた封印を壊すに至った。


「祓魔術式は強力な代わりに消費呪力も大きいですから吸収術式を併用することで継戦能力を維持するわけです。当初、倉宮家の先天術式は忌み嫌われていましたが、祓魔術式の開発と対妖戦闘において実績を積み重ね続け、その評価を覆しました。土御門家からその地位を引き継ぎ、陰陽御三家と呼ばれる家になっていますが、その道のりは相当険しいものだったのですよ」


 当然だ。近くにいるだけで呪力を吸われるのだ。

 異端と言われ、奇異の目で見られていたのだろう。それを陰陽御三家と呼ばれるまでに発展させたのは相当な苦労をし、陰陽の世界に多大なる貢献をしてきたはずだ。

 晴人にとって倉宮という名は単なる自身の家を表すものだが、それ以外の陰陽家、ひいては知性を持つ妖にとっては強大な力を持つ大家の一つなのだ。


「いくら安倍晴明の子孫である土御門家の直系だからと言っても、良く思わない者達は数多くいました。だからこそ、晴人様がこれから背負う誇りや責任は倉宮家が長い歴史の中で積み重ねてきたものの結晶だとお考えください。それは良くも悪くもですが」

「結構重いんだな」

「歴史とは常に後を生きる者に全ての責任を押し付けるものです。ですが、晴人様には我らや多くの味方がおります。晴人様を支える準備は既にできておりますのでご安心を」

「準備万端過ぎて怖いよ。まぁ覚悟はしてるけどな。改めて皆、よろしく頼む」


 式神達を見回す晴人。彼らは皆頷き、晴人も「よしっ」と安心して笑みを浮かべた。

 陰陽師として、倉宮家の人間として、そして付き従ってくれている式神達の主として進んでいかなければならない。これから待ち受ける陰陽の世界に向き合うために晴人はいくつもの壁を越えなければならない。


「早速、陰陽術について教えてもらおうか」

「では、まずは陰陽の基本である陰陽五行についてご説明いたします」


 ~~~


 晴人が陰陽師として目覚める数日前。京の都から南東に数十km、宇治の山奥の更に奥。そこに築かれた妖の、妖のためだけの領域。

 妖の女王によって「神楽場」と名付けられたその領域は周囲を結界で隔絶され、暗く深い夜の世界の中で多くの妖が生活していた。妖が治める土地に妖が忌み嫌う存在にちなんだ名を付けたのは皮肉以外のなにものでもないだろう。

 この領域の女王たる「玉藻前」が暮らす居城は、神楽場を見下ろすように山上に居を構えている。

 神楽場は中央の闘技場とその周囲を囲むように点在する商店街、そして闘技場の奥にある歓楽街、大まかにこれらの三要素がこの神楽場の根幹を形成している。

 玉藻前の根城は戦国時代に国内で見られた和風の城を意識した造りをしている。

 これは玉藻前の趣味が最大限反映されており、天守閣の一室にて月夜の晩に月明かりを背に盃を傾ける、そんな雅な情景を思い描き、玉藻前はこの城を造らせた。

 六百年前は月を誰よりも近くで見たいだけだった。

 だが、百年、二百年と経つにつれて玉藻前は発展していく城下街の変化を見るのも悪くないと思えるようになった。

 人間と違って妖には寿命がない。その代わり、妖はその根源たる欲を失った時点で妖として生を終え、消滅する。それは人間にとっての死というよりも成仏に近く、玉藻前は入れ替わり立ち代る数多の妖の魂を送ってきた。

 そんな変化のない戦いと喧騒と欲望だけが渦巻く世界で玉藻前は時を過ごしてきた。


 そんな時だ、玉藻前が彼と出会ったのは。


 この世界に存在して何百年経ったか、そんなこととっくの昔に数えなくなったのにその日は何故か過去のことを思い返していた。

 月の明かりに照らされて盃片手に酒を飲む。

 妖にとって物質的な食事も身体的な睡眠も必要はない。生物ではない彼らの身体は肉体を持つ人間とは異なり、呪力によって構築された身体を維持するのに必要なのは呪力のみ。

 妖が糧にする呪力は二種類。

 一つは人間またはその体内から微量に漏れ出た呪力。妖が人間を捕食するのは快楽目的もあるが、より上質な呪力を得るためでもある。

 呪力は意識的に体内の気を変換することで生成されるが、陰陽師の第一歩としてこの工ほどを無意識的にできるようにならなければならない。

 だが、より純粋な呪力はより純粋な感情によっても生み出される。つまり、「恐怖」。死への恐怖は怒りや喜びをゆうに超え、妖にとって最高の「食事」なのだ。

 この呪力は陰陽師が形成したものではなく、妖が見えない一般人の気が無意識的に呪力化し、放出されたものだ。日本国内だけでも一億人以上の陰陽術を使えない人間が存在している。この国に強力な妖が多数存在する理由の一つがこれである。

 もう一つは同じ妖の呪力である。

 三大妖やそれに次ぐ格を持つ妖の多くは同族を喰らうことでより濃密な呪力を獲得し、より上位の妖へ成長してきた。酒呑童子や玉藻前もまた妖を喰らい続け、両者とも一国の王へと進化していった。

 神楽場での六百年は玉藻前の興味を刺激したが、変化が緩やかになるにつれて玉藻前は渇きを感じるようになった。

 酔いもしない酒を飲み、盃に自身を映すのはそれくらいしかもうやることがなくなってしまっていた。色褪せた胸の空白を虚しさで埋めるくらいが丁度良かった。

 この一世紀以上の間に数えられないほどの出会いはあった。

 時には人に化け、時には人の身体を乗っ取り、命短い人間達と関わり、時代の変化の外側を生きてきた。その中で彼女を欲した者もいた、彼女を望んだ者もいた、彼女を求めた者もいた。

 人ではない妖である彼女の力を欲した者。

 人以上に美しく妖しい彼女の美を望んだ者。

 人とは思えない妖艶なその身体を求めた者。

 その誰もが彼女を満たすことはできなかった。

 それは底の空いた瓶に水を注ぎ続けるようなもの。満たされない胸にいつしか彼女は「飢え」を感じるようになった。

 妖としてそんなことが起こるはずがないのに彼女は「欲望」がなくなっていた。妖を妖たらしめている欲望というエネルギー。玉藻前はそれが砂のように零れ落ちていることに気が付いていた。


(今夜の月も相も変わらず憎たらしいわ、何百年も姿を変えずにずっと私を見続けて。しつこいったらありゃしない)


 千年以上姿を変えず、ただそこにあり続けた月は常に玉藻前を見下ろし、玉藻前は月を見上げていた。月夜の晩、とあるお家の広い庭に悠々と佇む桜の大樹の太い枝に玉藻前は腰を下ろし、盃を傾けた。

 ひらひらと桜の葉が風に舞い、ぽつりと盃に一枚落ちてきた。呪力が濃い場所では特定の植物しか群生しない。

 だから、玉藻前は時間を過ごす時、好んで樹木の上に座っていた。この日は雲一つない満点の星空、黒より暗い闇夜と、普段の宵の刻よりも満月が強調される特別な日だった。

 月明かりだけが世界を照らし出し、周囲の呪力が自然と玉藻前という存在を強調していた。

 美姫、傾国の美女、魔性の女、時代時代で様々な呼ばれ方をしたが、共通して玉藻前と関わった者達はその美しさを称え、美し過ぎるが故にその美に狂わされて堕ちていった者も多い。

 玉藻前にとってその全ては単なる出来事に過ぎない。人間の惚れた腫れたなんて妖である玉藻前には些事に等しく記憶に留める必要もなかった。

 しかし、玉藻前はその全てを覚えていた。全てを記憶し続けていたからこそ玉藻前は妖であるにも関わらず、「飢え」を感じていた。

 玉藻前はその飢えを言葉にすることができなかった。何百年もその答えを玉藻前は探し、見つけることができないでいた。

 それもそのはず。

 玉藻前の疑問に対する答えは「感情」という人間のみが持ち合わせているものでしか回答することはできない。人間にとっては非常に簡単な答えを、妖である玉藻前は答えまでの思考に辿り着けなかった。


(美しい月を見ても、美酒を嗜んでも、この渇きが癒えることはない。生きながらも死んでいるのと同じ、何も得ない退屈な日々。けれど近頃は終わりが見えるようになってきた。底のない器がその形自体から崩壊を始めている。後百年、もしかしたら二百年経てばこの身体も朽ち、魂も世界に拡散するのかしらね)


 自暴自棄とまではいかずとも心は既に世を捨てていた。朽ち果て灰へと還ることだけが今の玉藻前の全てだった。


(後どれだけの刻を無為に過ごせばよいのだろう。この渇きが続くのは鬱陶しいけれど、これに耐えきらないと灰になることはないのでしょうね)


 玉藻前の世界は酒ですらもう味など感じないほどに灰色に染まっていた。唯一光という色を放つ月ですら色を失い始め、瞼を閉じれば、色のない世界の片鱗が顔を出す。

 恐怖も、脅威も感じない。あるのは無。存在に対する純粋な否定。それが玉藻前には心持ち良かった。

 否定されるということは逆に言えば、否定されている間は存在を肯定されているということだ。否定すらされなくなって初めてその存在は完全に世界から放逐される。否定することが存在の肯定であるなんて実に人間らしい考え方をしていると玉藻前は皮肉を思って笑みを浮かべた。


(本当に、どうしたものかしらね)

「ねぇ、何してるの?」


 この出会いが彼女にとって止まらない飢えも、耐え難い渇きも、満たされない欲望も、その全てを消し飛ばし、それまでとは全く異なった存在に変わるきっかけとなった。

 それと同時に陰陽師全体のパワーバランスを根底からひっくり返す激震が陰陽界に波及した。

さあ始めよう

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