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あやかしばかし  作者: 東上春之
第一章 出会いと覚醒
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第十九話 出会いと覚醒 十九

更新です。Twitterでも活動しているので是非。「星降ル夜ノアリアドネ」という作品も連載しているので見てみてください。

 晴人の白刀と温羅の鬼火がぶつかり合い、今度は温羅の炎が弾け、温羅の方が晴人から距離を取った。左手を開いて閉じ、治らない掌の傷に首をかしげる温羅。

 呪力体である妖には身体という概念は姿形でしかない。失った四肢や身体器官は呪力によって容易に修復することができ、傷などは負ったとしてもものの数秒で消えてなくなる。

 妖にとって損傷とはあってないようなものなのだ。

 だから、温羅は強烈に疑問に思った。何故自分の掌は焼け焦げたままなのだと、どうしてこの傷は修復されないのだと。

 有り得ないことが、在りはしないことがその身に起こったのだ。呪力のコントロールがおざなりになるほどに目に見えて温羅は動揺していた。

 傷が直らない、身体が修復されないということは、もし自身の核を攻撃されれば自身という存在はどうなってしまうのか。

 詰まるところ、頭の片隅にもなかった「死」の可能性が発生したということに他ならない。掌の傷が直らないのは偶々かもしれない。

 だが、仮に腕を斬り落とされれば、脚を失えば、首を落とされれば、その考えは温羅の生存に著しく危機感を覚えさせた。存在としての危機に温羅は初めて口を開いた。


「何故俺の傷は直らない?何故この傷は塞がらない?」


 一切言葉を交わそうとしなかった鬼が口を開いたことに晴人は驚きつつ、当然かと口角を上げた。

 倉宮家の「祓魔術式」。

 妖を祓い、世を浄めるために何世代も研鑽を重ね、陰陽術の粋を結実させた妖に本当の意味で「死」を与えることのできる術式。

 この祓魔術式は妖の「存在」を祓うことのできる術式であり、妖という本来形の持たない不形体の存在を斬ることができる。

 そして、何よりこの術式は発動のために一切の祝詞も印も必要としない異端の術式なのだ。奏の術式が良い例だ。あの術式を発動するために奏は祝詞を唱えていた。

 術式効果が高い術式ほど、長文の祝詞や複数の掌印を必要とする。そうすることで術式が成立し、その効果を発揮する。

 だが、倉宮の術式はそれらを必要としない。

 倉宮の血のみを発動の媒介として制限することであらゆる過ほどを省略している。発動の予兆すら感じさせない術式のため、呪力に対して鋭敏な感覚を持つ鬼種の、それも名を持っている温羅が気が付かないほどに終点にして、終焉にして、絶対の術式。

 それが現世から妖を祓い、祓い続けることを使命付けられた「倉宮家」の術式。


「それを正直に答えるほど俺は馬鹿じゃないよ。例えお前が誰かの式神だったとしても羽月を狙った以上、俺は全力でお前を祓う」

「舐めるよな人間が」


 呪力を爆発させ、全身に鬼火を纏う温羅。

 初めて感情らしきものを見せた温羅に晴人は雷撃の簡易符を投げ、距離を詰める。温羅は雷撃を最低限の動きで躱し、反撃として炎を吐いた。

 炎が爆発しようと晴人は躱さず、最短距離で温羅に突撃する。祓魔術式は妖を祓う矛なだけでなく、妖の「術」に対して盾としての効果も存在する。

 妖の存在を現世から弾く祓魔の力は妖の呪力を伴った攻撃すら世界から弾き出す盾にもなるのだ。晴人は更に炎を投げる温羅に構わず、一直線に黒刀を投げた。

 正確に頭部を狙った投擲を温羅は身体を逸らし、すんでのところで避けた、そう思った。

 晴人が投げた刀は自身の後方に飛んでいく、そのはずだった。

 だが、温羅の目に映ったのは空中で黒刀を掴み、斬撃を加えた晴人だった。

 晴人は簡易符も投擲も囮にして温羅の視線を外し、視覚の外に回り込んだ。右肩口から心臓の位置近くにかけて斬りつけ、温羅の身体を大きく裂いた。

 傷口を抑え、大きく後ろに跳ぶ温羅。じりじりと身を焼く傷跡がいのちの危機を実感させる。これで確定した。


(奴の攻撃はもう受けれん。だが、呪力が大幅に持っていかれた。それに呪力が吸われているのか、炎の大きさが小さくなっている)


 晴人は黒刀を消し、左手に陰陽符を持った。手負いの鬼と息を切らしていない陰陽師。一見すると陰陽師が優勢に見えるこの状況。

 だが、晴人も満身創痍に近く、初めて使う「祓魔術式」と先天術式である「吸収術式」にまだ身体が追いついておらず、身体内での呪力バランスが著しく崩れているのだ。

 先ほどから式神の誰も言葉を発しないのは全員が晴人の身を保つために全力を尽くしているからだ。

 倉宮家の戦闘スタイルは二つの術式を並列起動し、吸収術式で祓魔術式に必要な呪力を敵から奪い続け、祓魔術式で半永久的に妖を祓うというものだ。そのため、倉宮家の陰陽師は近接戦闘に特化した者が多く、代々妖を祓ってきた。

 祓魔術式の制限の一つに膨大な呪力消費というものがある。

 大き過ぎる力の代償としては細やかなものだが、必要呪力量で言えば通常優秀とされる陰陽師の内包呪力量では十秒も術式を維持できないほどの消費スピードなのだ。

 倉宮家の人間でも吸収術式無しに五分以上ただ術式を維持するだけでも、それができる者は稀であるほどだ。

 その術式を戦闘で使うのであれば尚更呪力消費は加速的に上昇する。この戦闘もまだ一分と経っていないが、吸収術式がなければ晴人は息をすることすらできなかっただろう。

 それほど、祓魔術式とは規格外に使用者に負担を掛ける術式なのだ。

 だが、それ以上に晴人の身体に負担を掛けているのが倉宮家の先天術式「吸収術式」である。

 吸収術式は単に周囲の呪力を吸う術式ではない。周囲の呪力をありのままに吸収してしまう術式なのだ。

 常、陰陽師の内包する呪力とはその陰陽師自身が体内で作り出したものだ。陰陽師が陰陽術より先に呪力コントロールの技を学ぶのは身体から余分な呪力を放出しないためだ。

 本来、魂だけの存在である妖が姿形を持てるのは現世に溢れる無垢なる呪力を喰らうからだ。

 この無垢なる呪力は現世で生きる全ての人間から微量に漏れ出ているものなのだ。世界で生きる全ての人間は陰陽師として覚醒する可能性を秘めている。

 陰陽師の始祖安倍晴明もまたその先祖を辿れば、普通の人間だ。晴明が生まれるまでに何らかのきっかけで特殊な素養に目覚め、結果的に晴明が誕生した。

 大雑把に言えば、全ての人間は知覚していないだけなのだ。

 知らないからできない。本当にただそれだけなのだ。呪力とは様々な方法で練ることができる。

 感情を爆発させることでも、精神を落ち着けて自身と対話をすることでも、何もしなくても生み出すことができる。そのため、陰陽術でない人間でも無意識的に微量な呪力を生み出し、それが現世に溶け出すことで無垢なる呪力となるわけだ。

 妖はそうした呪力を喰らい、姿を得た。皮肉なことにその妖に「妖」以外の名を与えるのもまた人間なのだ。

 妖の起こした現象や事件をその当時の人間達が恐怖し、鬼や狐に「酒呑童子」や「玉藻前」などの名を与えた。「名」とは「存在」だ。そこにあってよいという赦し、そこにあるという情報。

 想像が形となり、形が存在となる。人間によって生まれながら、人間を否定する存在。人間がこの世界から死滅すれば、自ら呪力を生み出すことのできない妖は当然消滅するだろう。

 だが、それでも妖は妖であろうとする。災いであろうとする。災禍であろうとする。

 仮に世界が陰陽師だけになる、または世界中全ての人間が日本では「呪力」と名付けられた精神エネルギーをコントロールできるようになったとしたら、もしかすれば、今とは違った形で異形の存在を現世から消滅させることができるかもしれない。

 むしろ、そういった存在を生み出さない世界になるのかもしれない。

 陰陽師が呪力コントロールを重要視しているのはそれが一般の人間との明確な差だからだ。

 正しく呪力を扱えれば、自身の力となり、妖を生み出さないことにも繋がる。陰陽師と人間を区別する考えは古くから存在した。

 陰陽師からしてみれば、妖が生まれる原因でもあり、妖に襲われる対象でもあるのだから常々悩みの種ではあった。

 人間は妖を見ることができない。陰陽の才がなければ、呪力によって存在する妖は視認できないからだ。

 だから、陰陽師は彼らを守るために伝承を作った。危険な場所に近づけないため、用心を怠らせないために伝承と昔話は詠まれていた。

 名は存在であり、妖にとっては「縛り」にもなった。名と伝承によって妖は存在を固定された。鬼は狐には成れず、狐は鬼には成れなくなった。

 姿形を持たない「存在」であった妖が姿形を決めつけ、縛り付けられた。それでも妖は人間が生み出す呪力がなければ、存在することができない。

 自ら呪力を作り出すことができない。周囲の呪力を喰らうことでしか呪力を獲得することができない。

 だから、倉宮家は「異端」なのだ。倉宮家として土御門家から分離した一家は陰陽師と妖、両方の性質を併せ持っていた。

 自身で呪力を生み出せると同時に周囲の呪力を際限なく、吸収することができた。喰らうことができたのだ。これを異端と呼ばずして何と言う。

 過去の陰陽師達はああだのこうだの喚き散らかしたそうだが、土御門の血に勝れる者は誰一人としていなかった。単純明快に成長した初代の倉宮は最強だった。

 誰が何を言おうと、同じ土御門の血を引く初代藤、初代近衛以外に倉宮に太刀打ちできた家はどこにもなかったのだ。異端ではあれど、その力は認められ、京から妖の脅威を祓う役目を何百年と全うしてきた。

 羽月のために死力を燃やしている晴人もまた倉宮家の陰陽師なのだろう。羽月を守るために晴人は今、最高に無茶をしている。

 五人の式神が全力を上げて内外から「倉宮晴人」という存在を固定しなければ彼が彼でいられなくなるほど、現在進行形で無茶をしていた。


(晴人様、急いでください)

「了、解」


 朱雀が急かすということはそれだけギリギリの状態ということだろう。皆にこれ以上負担をかけないためにも、自分の身体のためにも時間をかけられない。

 気付かぬうちに制服に隠れる左腕が肩から肘にかけてひびが入っている。幾度も再生と破壊が繰り返されることで左腕だけでなく、全身に内側から焼くような痛みが走っていた。

 だが、そんなことは些細なことだと晴人は笑みを浮かべた。

 一度任せると、守ると決めたのだ。ここで自分がどうなろうとどうだっていいことだ。

 晴人はこの生死がかかった状況に少しテンションが上がっていた。元より危険とは縁遠い世界で生きてきた晴人が初めて直面した危機的状況。

 陰陽を学んで数日、陰陽術を使って戦闘をしたのは今日で二度目。

 経験らしい経験もなく、これほどまでに「陰陽師」として戦えていることは正に倉宮晴人という陰陽師が持つ非凡な才能をありありと示している。

 晴人がここまで無茶ができるのは彼を支える式神達の尽力のお陰以外の何物でもないわけだが、五人の式神をここまで追い込むことができるのは膨大な呪力とそれを不自由なく使用する晴人だけだ。

 それは異常なのだ。温羅もその異常性に気が付いている。温羅は知っている。倉宮晴人という人間が昨日陰陽塾に入塾し、皆の前で陰陽術の歴は浅いと公言したことを。

 それは他ならぬ真波羽月自身が温羅の主に定期連絡の一環として伝えたことだからだ。主も倉宮である以上、情報通りにはならない可能性を言及していた。

 倉宮晴人は陰陽師として未熟なはずなのだ、これほど陰陽術が使えるはずがないとそう考えていた。

 だが、現実はどうだ。

 倉宮晴人は紛うことなき陰陽師であった。所々荒削りな部分はあるが、現にこうして追い込まれているのだから想定以上の存在ではあった。

 温羅は修復できない身体ではなく、着物を修復し、襟を締めることで自重で垂れる右腕を袖で引いた。眼前に映る陰陽師は一点にこちらを見据え、ただ笑っている。


(決める気、か)


 あの瞳は幾度も見たことがある。敵を一点に見つめ、己の全力をその身に込めた「人間」の目だ。もう深手は負えない。

 もし、攻撃をくらえば、核が露出しているため、祓われてしまうだろう。温羅は残る全ての呪力を全身に纏い、鬼火を幾つも作り出した。

 臨戦態勢の変化を確認して晴人は地を駆けた。今度は簡易符を使わずに正面から温羅に向かって行く。温羅は後退しながら距離を詰める晴人の足元を爆発させるが、晴人は脚が焼け爛れようと一切かまうことなく、その数歩を駆ける。

 鬼の炎は「モノ」を焼く。温度などは介在しない。焼くという概念を具現化したものが「鬼火」という鬼固有の「術」。狐が他者に化けるように、大蜘蛛が糸を吐くように、鎌鼬が風を操るように、鬼は炎で焼き尽くす。

 だから、人間に耐えられるはずがないのだ。

 だと言うのに、この人間は笑みを浮かべて炎をくらう。そよ風とでも言うように鬼の炎を受け流す。

 温羅は心底、倉宮晴人が「怖い」と思った、思わされた、思ってしまった。妖には痛覚も、恐怖を感じる心も存在はしない。あるのは妖を妖たらしめる精神性だけだ。

 だが、温羅は主に対しても感じなかった、自分を死の淵まで追いやった主に対してすら感じることのなかった「恐怖」を、迫りくる少年に感じてしまった。

 一度そう思ってしまえば、「ソレ」は毒のように身体中を蝕み、温羅の脚を鈍くする。

 晴人はその隙を逃さず、更に距離を詰める。温羅は晴人の顔めがけて炎を浴びせようと左手を前に突き出したが、晴人は一瞬で身体を屈めることで温羅の視界から外れ、温羅の左腕を斬り落とした。

光るほど影はでき燃えるほど灰になる走るほど見えてくる危ないライン自由も平和も望めば生まれるけど

用語:鎌鼬かまいたち

ちなみに「治る」ではなく、「直る」なのは妖や式神は「存在」であっても、「生命」ではないからです。治癒ではなく、修復なのも同様の理由です。もっと言えば「傷」ではなく、「痕」の方が適切かもしれませんが。

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