第十六話 出会いと覚醒 十六
更新です。Twitterでも活動しているので是非。「星降ル夜ノアリアドネ」という作品も連載しているので見てみてください。
せめて風呂掃除でもと言ったが、莫邪に追い出され、結局何から何までしてもらってしまった。
まだ九時を過ぎたくらいだったが、やることもないので自室のテレビに電源を入れて普段見ていたニュース番組にチャンネルを切り替えた。
そこでは妖や陰陽師などの言葉やそれに繋がるような報道は一切なく、今自分が身を置いている世界は世の中の裏側なのだと思わされた。
自分が見えている世界は大多数の人間には見ることができない。妖という存在の特殊性、妖を払う陰陽師の責任、陰陽師が生まれながらに身を置く陰陽界の異質さ。
数日前の自分にこの話をしても信じてもらえないだろうなと晴人は苦い笑みを浮かべた。
他にもチャンネルを切り替えてみたが、世の中はいつも通り回っていた。テレビの電源を切り、部屋の電気も消し、晴人はベッドの上で大の字に寝転がり、目を閉じた。
塾長には詰められ、同級生には強引に試合を挑まれ、クラスメイト達には憎悪の目を向けられ、何ともまあ、騒がしい一日だった。
(羽月とちゃんと仲良くなれたことは良かったかな。でもあのやり方は駄目だったかもな。こっちが話したんだからそっちも話せよみたいな脅しに近い言い方だったのは良くなかった。明日会ったら謝んなきゃ)
羽月の秘密を聞きだすために晴人は自身の秘密のほとんどを彼女に明かした。
羽月もこちらが明かした以上に彼女について話してくれた。真波羽月という人間がどんな人生を送り、今ここにいるのかということを知った。彼女の在り方に納得した。
一条家が倉宮家に何かを仕掛けようとしていることは既に鵺を通して手紙で父に送った。
メールで送ると何が起こるか分からない。
電波を傍受される可能性やスマホがハッキングされる可能性を考慮して手紙にするべきだとの朱雀の提案を受け、鵺が自身の分身を生み出し、手紙を届けさせた。
明日の朝には手紙は父の元に届き、倉宮家として何か対策に動くだろう。
(寝るか)
大の字の体勢からのそのそと身体を捻り、掛け布団を捲ろうと目を閉じたまま腕を伸ばした。
「はぁい、捲りますよ」
「ありがと」
捲られた布団を身体の上に乗せ、一息つくとその違和感に晴人は目を開けた。首を横に向けると干将が布団に入ってきた。
「何で?」
何でいる?何してる?何時からいた?そんな疑問を全て含んだ晴人の言葉。晴人に気付かれぬように干将がベッド脇に立っており、晴人が眠ろうと掛け布団を捲るのを待っていたのだ。
「まぁまぁ」
そんなこと言わずに、と晴人の頭を撫でる干将。晴人が身体を干将に向けると干将は両の手を晴人の首にかけ、身体を抱き寄せた。
初めは少し驚いた晴人だが、干将から流れ込んでくる優しい暖かさに晴人も彼女を抱き締めた。暖かいが、重さを感じない。柔らかいが、抵抗を感じない。
式神は肉体を持たない。
彼らは主の呪力を使い、その身体を形成する。呪力体に質量はなく、彼らが身に纏う服も、放つ炎も、流す涙も呪力が世界に解ければ、それは霧散する。
だから、彼らの身体には重量も、硬度もない。それなのに晴人が干将から確かな熱を感じるのは彼女が晴人のために熱を生んでいるから。
干将は呪力をコントロールして晴人の入眠に適した体温に誘導しているのだ。干将は晴人の疲労が少しでも回復するようにイチャイチャしに来たわけだ。
「まぁいいけど。おやすみ」
「おやすみなさぁい」
干将の熱が段々と身体に伝わっていき、晴人は干将との境が分からなくなるほどに熱が交じり合うといつの間にか眠っていた。
晴人が規則正しいリズムで呼吸し始めると干将は自身の呪力で晴人を覆い隠した。
玉藻前の精神干渉から晴人を保護するために毎晩朱雀、干将、莫邪の三人が交代で晴人と玉藻前の間のパスを遮断している。
今もしつこく晴人に精神干渉を仕掛けてくるので日中以上に夜は特に神経を尖らせていた。
彼女達が必ず晴人と閨を共にするのは晴人とイチャイチャするため以上に彼を絶対に守るという使命に準じるために何があろうと彼の傍を離れないのだ。
(晴人様が覚醒してから玉藻前の精神干渉が露骨に強くなった。あっちも気付いてるよね、晴人様が不完全なこと。だから、日に日に干渉が強くなってるし、探知も積極的になってきた。晴人様の生活圏内の妖を下げたのも晴人様個人を特定しやすくするため。あっちに私達以上の妖がいないからこのやり方でいるけど、痺れを切らしたら京都で監視してる陰陽師を倒してでもこっちに来そうだなぁ)
玉藻前が何を考えているのか、その情報が欠けている以上京都で彼女を監視している陰陽師達も殲滅に動くことに消極的であり、京都で局所的な戦闘が始まってしまえば、他の地域で妖達が活発化してしまう恐れがある。
京都の主戦力が玉藻前にかかりきりになっている今、北海道や九州などの距離が離れている場所で妖が暴れ出した場合、到着が数時間単位で遅れることが簡単に予想できる。
現地を管轄する陰陽師達で対処が可能ならそれに越したことはないが、そうはならない可能性は十分にある。今全国で陰陽師と妖はかつてないほどに睨み合っている。
図らずもその中心は胸の中で眠る少年なのだ。干将は胸に抱く主に強く敬愛の念を抱いていた。晴人もいづれ自身が陰陽界の中心だと気が付くだろう。
そして、唯一最悪を避けることができる存在であることも。
数ヵ月と経つことなく、晴人は問題の渦中にその身を投じることになる。自身が望まない形で「陰陽師」であることを強要されるだろう。
加えて一条家も倉宮家に対して何かしらの工作を仕掛けてくると真波羽月は言っていた。
一条家は京都九家の中では四条家に次ぐ立ち位置で代々雷と風にまつわる術式を生まれ持ち、九家の中でも特に妖を払うことに積極的な家だ。
京都に住む陰陽師からも一目を置かれる家で伝統と格式を重んじ、陰陽師としても陰陽庁が発行する専門ライセンスの下一級以上を取得している者を多く輩出している。
陰陽塾に入塾した時点で四級ライセンスが仮発行され、式神と契約して初めて正式な陰陽師として陰陽庁に登録される。
ライセンスは公式には六段階が存在し、四級、三級、二級、下一級、一級、そして上一級と分かれている。式神契約、四級ライセンスの取得をもって国が認める陰陽師となり、政府への協力を条件に階級に応じて様々な援助が国から行われる。
陰陽家では家の補助の元、子息に強力な妖と契約させることはよくあることではあるため、陰陽庁も陰陽塾入塾前の契約に関しては家の責任であるとして干渉することはない。
個人でも陰陽庁に申請し、試験をパスすれば、四級ライセンスは発行される。
塾では四年次に三級取得の試験があり、取得後に陰陽庁からの委託任務や研究発表などで成果を残し、七年次にある試験に合格できれば、卒業までに二級ライセンスまでは取得することができる。
そこから下一級ライセンスを取得するにはまた別の成果を示す必要があり、陰陽塾卒業生の中で最も人数が多いのが二級ライセンス保持者達である。
陰陽師は一般の職業と比べて命の危険が伴う仕事ではあるが、年々生還率も上がってきており、塾生活を通じて集団で戦闘を行う意識も増しているため、特にこの二級は分布図で見ても五割近くとなっている。
一条家に下一級以上の陰陽師が多いのはその血や先天術式が優れていることもあるが、学生の頃から一条家とその周りの家の陰陽師と共に積極的に陰陽庁からの依頼を受け、妖を払っている。
他の学生と比較しても成果としては頭一つ抜けており、実践経験も多く、妖との戦闘にも慣れている。個としても集団としても戦闘面は非常に優れている家であるというのが世間一般の評価だ。
干将としてもそんな家が倉宮家とことを構えようとしていることが未だに信じられなかった。
むしろ、四条家に動きがないことの方が不気味でならない。
一条家の動きに四条家が気が付かないはずがない。推測だが、倉宮家も一条家の動きに気が付いていたはずだ。気付いた上で泳がせているのだろう。
倉宮家とその分家、更にその周りの家々がどれほどのリソースを持っているのか分からないが、一条家を上回るリソースを持っているのは疑いようがない。
(晴人様が私達を見えるようになったのは嬉しいけど、晴人様が面倒事に巻き込まれるのは嫌なのよねぇ。こうなったからには最後まで力になるだけだけど、悪い方に行く気がしてならない。玉藻前が何したいのか分かれば、やりようはいくらでもあるのに。ほんと、面倒な妖を式神にしましたね、晴人様は)
そう自虐的な笑みを浮かべ、晴人の寝顔を眺める干将。
彼女は晴人への結界を更に強化し、晴人の首にかけていた両手を彼の背中に回して晴人に抱かれるように彼の胸に顔を埋めるのだった。
カーテンの隙間から差し込む陽の光に当てられて晴人は目を覚ました。
目を開けると身体の上で猫のように丸くなった干将が目に入った。
晴人が起きたことに気が付いた干将は互いの顔を向き合わせるようにうつ伏せになり、晴人に抱き着いた。
「おはよう」
「おはよう、晴人様」
彼女の頭を撫でると嬉しそうに胸に顔を埋めてきた。今日も晴人は晴人だ。玉藻前からの精神干渉を完全に拒絶できたことに干将は喜んでいた。
「ありがとな、皆のお陰で寂しくないよ」
「どうしたの?突然」
「干将とか朱雀が一緒に寝ようとするのってずっと独りだった俺を一人にしないようにって気遣ってくれてるからだろ?ありがとな」
式神達が必ず晴人の寝起きに立ち会うのは晴人が精神干渉の影響を受けていないかどうか確かめるためだ。
だが、干将にとっては今この瞬間、その理由が変わった。
十四歳の少年が半年近く一人暮らしを強いられたのだ。それが彼を守るためであっても彼は孤独だったのだろう。
心なんてないはずなのに干将は晴人の微笑みに胸がとても痛くなった。痛くて、苦しくて、でもそれ以上に晴人をもう独りにしないという思いが胸の奥から溢れ出してきた。
「晴人様は一人じゃないよ。嫌って言っても一人にしないから」
「それは、最高だな」
晴人は干将を抱きかかえたまま身体を起こし、ベッドから降りた。
干将を降ろし、部屋を出て洗面室で顔を洗い、居間に向かうと晴人の動きを完璧に把握している朱雀が朝食を作って待っていた。
「いつもながらって言っていいのか分かんないけど、凄いな」
「お褒めいただきありがとうございます。主と式神は繋がっていますから、晴人様がついさっき起きられたことも干将が一晩中晴人様の身体の隅々まで舐め回すようにチェックしていたことも当然把握しています」
「朱雀だって一昨日、一晩中晴人様の寝顔を穴が開くくらい見つめていたんでしょ?」
「えぇそうですよ。何か問題でも?」
「朝から言い合いは止めてましょう。晴人様、お座りください」
「ありがと、莫邪」
莫邪が二人の間に入ったことで朱雀と干将の言い合い、というより互いの所業の暴露合いは止まったが、晴人が朝食を食べ終わるまで二人はまだ不服そうに不貞腐れないほど度に睨み合っていた。
思うほど熱になるだからもっと飛び込むの未開の世界