第十話 出会いと覚醒 十
更新です。Twitterでも活動しているので是非。「星降ル夜ノアリアドネ」という作品も連載しているので見てみてください。
「生まれた家だから大切にしたい気持ちがあるっていうならまだ理解できる。ただ、七条の考えはやり過ぎだと思う。俺は人の価値は生まれで決まらないし、決めちゃいけいないと思ってる」
彼女の根底にあるのは恐らく陰陽御三家に対するコンプレックスだろう。
一般の陰陽師以上の才はあれど、京都九家は陰陽御三家ほどの圧倒的な陰陽の才はない。それは不条理でも理不尽でもない。厳然たる事実だ。それが彼女を強く苦しめた。
晴明式陰陽術の正統後継者である土御門家から分かれた御三家は陰陽界において特別以外の何物でもない。それは覆せない事実であり、嘆いたところで仕方がない話なのだ。
だから、彼女はそのジレンマに囚われて抜け出せないでいるのだ。
「これは俺が言っても説得力がないかもしれないけど少なくともあそこでこの試合を見ていた人達はお前が七条家の人間だからとかそんなことでお前の努力を否定するような人間だったか?俺はまだ話したことないけどそういう感じには見えないけどな」
晴人は羽月達の方へと目を向けた。ほとんどの生徒と交流がないが、今も心配そうに奏を見ているのだ。少なくとも彼らは彼女を妬み、嫉むような人間ではないのだろう。
「・・・」
晴人の言葉は「陰陽界」を生きてきた奏にとってお門違いも甚だしい言葉ばかりだった。陰陽界はその血が全てなのだ。陰陽の才は血によって受け継がれ、血によって繁栄する。
過去、陰陽界で上にのし上がろうとした家々は一切の例外もなく、自家に優秀な陰陽師を取り込み、その子供にも優秀な陰陽師と婚姻させるなどして「家」を作り上げてきた。
八百年以上も続く血統の奪い合いを経て今の歪な陰陽界は構築された。今でこそ強引な結婚や強制的な婚姻はなくなっているが、監視の目がなかった地域では明治時代以降もそういった行いがあったと言われている。
それをなくすために御三家は定期的な全国回遊を行っていた。宗近が倉宮家と出会ったのにはそういった背景があった。
晴人の言う綺麗事は奏にとっては何の意味もない言葉だ。どれだけその言葉を並べようが、陰陽師の価値は生まれで決まるものであり、彼自身がその証明である。
この数十分で奏の十年以上の努力が蹴散らされたことは事実であるが、奏が晴人に対して言い返さないのは晴人に負けたという現実を彼女が受け入れたからだ。
「君の言う通り彼らは京都にいた陰陽家の人達とは違った。それはこっちに来て良かったことだと思う。東の陰陽家は血筋よりもその力に重きを置いているから正直気が楽だったわ。だけど余計に強さに執着するようになった」
奏は膝を立て、胸に脚を抱え込んだ。彼女の声音が一段と暗くなったことに晴人はその悩みに対して彼女がどれだけ考え込んだか、その一端を感じ取った。
晴人も広げていた脚をたたみ、座り直した。奏は膝の上に頭を置き、俯いたまま話し出した。
「強ければ認められるということは裏を返せば強くなければ認められないということなの。結局京都も東京も本質的には変わらない、そんな場所だった。七条家であることは祝福である以上に呪いだった。強くあらねばならない、強くあり続けなきゃいけない。それはどこまで行っても呪いだったの」
呪い。
奏の言ったその言葉は晴人の胸にすっと腑に落ちた。彼女はどこまでも呪われていた。京都だろうと東京だろうと「七条奏」はその名に呪われていた。
「前へ、先へ、止まることを許されず。でも進んだところで私よりも前を走ってる人はいくらでもいた。それこそあなた達御三家は私なんかが想像もつかない道を進んでいるんだと研鑽を積めば積むほどに実感した。どれだけ手を伸ばそうとあの背中には手が届かなかった。どこまでも遠かった」
遠い。
遠いのだ。
彼女にとってその距離はどうやっても埋められなかった。
だから、彼女は強くなりたいと願った。強くありたいと手を伸ばした。
「本音を言えば、羨ましかったんだと思う。距離は開いていく一方で、追い付こうと頑張ってもそれ以上に離される。陰陽師としての才能の違いを見せつけられているようで心底腹が立って」
段々と彼女の声は弱々しく、小さく光る灯火のように細くなっていく。
「本当に、羨ましかった」
搾り出すように口にした彼女の言葉は七条奏という人間が心の底にずっと抱え続けていた呪い。環境を呪い、血を呪い、そして、自身を呪った奏の本心。
決定的な才能の差は努力だけでは埋められず、常に追いかける側に立ち続けた陰陽家七条奏は御三家の人間を羨んでいた。
それが全てとは言わないが、彼女が晴人に試合を申し込んだ理由の一つには自身が羨望し続けた存在が目の前に現れたというイレギュラーが発生したから。
しかしながら、このイレギュラーはお互いにとっても、なのだ。
彼女の家は七条家。七条家は京都九家と呼ばれる「京都」の名家だ。幼少期から京都で育った彼女が今東京で学舎に通っているということは本来ならば有り得ないことなのだ。
「そっか。七条は背負い過ぎたんだな、期待と家を」
奏の背負った、いや背負わなければならなかった責は京都九家特有のものではあるのだろう。
御三家に対抗するためには個々人の力は勿論、それ以上に家としての強さが求められた。その重圧は彼女が発した言葉以上に彼女に圧し掛かってきた。
七条奏が強さや力に執着していたのは裏を返せば、自らに求められる役割をこなすことに必死だったということなのだろう。
七条家は京都九家の中でも陰陽師としての「力」を期待されている家だ。
京都を代表する妖である稲荷の大狐と契約しているという事実は京都という地に認められているという宣言でもある。
七条家の次期当主となるのは奏の兄であるため、彼女が大狐と契約を交わすことはないが、兄を支え、七条家の繁栄に寄与することは彼女に求められていることだった。
それは陰陽師としても、女としても、だ。
彼女が東京の青霊堂に通うことになったのは京都九家の影響力を京都以外にも広げようと当主達が考えたからだ。彼女の近い世代で言えば、三条家の者が福岡に、八条家の者が広島にそれぞれ送られている。
それぞれの家がこの地のコミュニティと良好な関係を築くことを目的に子息を送り、概ね彼らの思惑通りに関係構築に至っているようだ。
「・・・どうなんだろう。思い上がって空回って、結局君に負けて。もうどうしたらいいのか分からなくなってきたわ」
背負い過ぎていると晴人は言った。
だが、奏にとってそれこそが自分のあるべき姿であると考えていた。
七条家に生まれ、陰陽師を目指した時点で多くのものを背負っている。そうあるべきだと、それが正しいとつい先刻まで思っていた。
その決意も陰陽術を学んで二日の人間に負けてしまえば、風に吹かれた砂の城のように形が分からなくなってしまった。
「俺は陰陽師を目指し始めて少ししか経ってないから他の家がどうとか全然分からないけど、七条の努力自体は絶対無駄にはならないと思う。だからこそどうしたらいいのか分からないなら背負った物下ろしてちょっとだけ肩を休めてもいいんじゃない?」
「下ろせないわ。それが陰陽の家に生まれた者の務めで、責任だから」
「でも俺より弱いじゃん」
「うぐっ。急に姿勢が変わったじゃない?馬鹿にしている?」
晴人の急な口撃に心を刺され、思わず顔を上げた奏。垂れた前髪を横に流せば、胡坐をかき、少し笑っている晴人が目に映った。
「馬鹿にはしてないよ、事実ではあるけど」
「それを馬鹿にしているって言うのよ。はぁ、もう言い返す元気もない」
「ごめんごめん。でもやっと顔を上げたな」
「何が言いたいの?」
「改めて言うよ。七条は背負い過ぎだ。京都九家だか何だか知らないが、そんなに追い詰められるような組織なら俺が全部壊す。だからこの青霊堂ではただの学生でいればいい、その方が楽でしょ」
「随分過激なことを言うのね。京都九家を潰すの?」
「七条は京都九家が重荷になってるんでしょ?多分そう考えてるのは七条だけじゃないと思うし、俺としても無駄に張り合ってこられるの面倒なんだよね」
「やっぱり馬鹿にしてる?」
「そんなつもりはないって。正直、陰陽界の勢力図とかどこが敵でどこが味方かとかまだ分からないけど、変に敵対視され続けるのって損でしかないし。なら潰す方がいいと思わない?」
「君ほんとに普通の高校生だったの?考え方が陰陽家のそれよ」
「まぁ半分くらい冗談だけど」
晴人は組んだ脚を解き、膝に手を付きながら立ち上がり、奏に手を差し出した。
「他の京都九家が七条みたいに目の敵にしてくるなら、潰そうかな」
笑ってはいるのに目は笑ってはいない、そんな表情を見せる晴人に驚きながらも奏は彼の手を取り、立ち上がった。握った彼の手は非常に綺麗なものだった。奏は不格好な自分の手が少し嫌になった。
「怖いこと言わないでよ」
二人の握手に観客達は肩を撫でおろし、小此木を先頭に二人の元に集まってきた。
「二人の間で勝敗は決まったな。七条、もう大丈夫か?」
「はい。思い上がった自尊心をへし折られました」
カラッとした声でそう言った奏の表情は言葉とは裏腹に憑き物が取れたような表情をしていた。これが本来の彼女の表情なのだろう。
「そう自分を卑下するな。お前は十分優秀な陰陽師だ、ただ倉宮がそれ以上に優秀な陰陽師だったってだけだ。どちらが優れててどちらが劣っているというわけじゃない。どちらも将来有望な「俺の生徒」だ」
そう力強く発した小此木の言葉に奏だけでなく、晴人も本当の意味でこのクラスに入ったのだと実感した。小此木が手を叩き、全員に晴人と奏の試合を間近で見た感想を考えさせた。
その中で羽月が真っ先に手を上げた。彼女の発言を先頭にそれぞれ違った視点や見方での感想を口にしていった。
「皆、よく集中して見ていたな。少し早いが、授業はここまでとして、後は倉宮との交流会とするか」
「はいはーい。私、倉宮君の学生時代の話聞きたいです!」
「俺も」
「陰陽術習い始めたばっかなのになんであんなに強いのか教えてくれよ!」
矢継ぎ早に投げかけられる質問にたじろぐ晴人を尻目に羽月は実技室の端に座る奏の隣に腰を下ろした。
「どうしたの?」
「奏に謝ろうと思って」
「羽月が謝ることなんて」
ない、と言おうとする奏の手を握り、羽月は奏の瞳を見つめる。
「私は、奏が晴人君に試合を申し込んだ時、晴人君が勝って奏が負けると思った。結果としてはそうなったけど、私は彼の強さを知っていたの。それこそ奏じゃ勝てないって言葉で分かっちゃうくらいの差があるって知ってた」
彼女の言う知ってたという言葉の裏にある何かについて気になりはしたが、奏は聞かないことにした。七条家の自分が知らないことをどうして彼女が知っていたのか、奏は聞かないことにした。
それに知っていたからといって羽月が倉宮晴人の情報を奏に教える義務はない。それが理解できない奏ではない。
「そんなの羽月は何も悪くないわ。私が倉宮君に試合を申し込んだことと羽月が倉宮君の実力を知っていたことは何の関係もないことで、羽月が私にそのことを教えてくれなかったとしても羽月に責任なんてない。だから気にしないで」
「ありがとう、奏」
「いいのよ。それにもし知ってたとしても結果は変わらなかった。私は彼に勝てなかった」
「それでも、ごめんなさい、奏。私は私の意思で奏に味方しなかった。それを謝りたかったの」
「もう、分かった。羽月って普段は気を抜いているのにこういう時は義理堅いっていうか、頑固っていうか」
「えーそんなこと言わないでよ。そんなこと言ったら晴人君に突っかかっていった奏なんて正に悪者って感じだったよ。怖い顔だったなー」
「止めてよ。今思い返しても・・・」
奏と羽月が仲が良さそうに話している様子を横目で見ながら晴人はクラスメイトからの質問攻めに答えを濁しながら答えていた。
流石にプライベートに関することを聞いてくるような者はいなかったが、倉宮家について知ろうとする者は数人いた。
ずっと普通の家だと思って暮らしていたとしか答えられないため、そう話していたが、流石は陰陽塾。
良い意味で勉強熱心な生徒が多く、正直面倒に感じ始めていた。そんな晴人の様子を見かねたのか、小此木が「そろそろ教室に戻るぞ」と助け船を出した。
守りたい世界のためだとか大それたもんじゃなくただ君のために大切なあの人を想う時誰だって小さな主人公になれるはずだよ