表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あやかしばかし  作者: 東上春之
第一章 出会いと覚醒
1/59

第一話 覚醒と出会い 一

更新です。思いついた物語を書き紡いでみました。

Twitterで「東上春之」と検索していただければ出てくるので是非フォローしてください。「星降ル夜ノアリアドネ」という作品も書いているので是非読んでみてください。

 いつもと変わらない「普通」の日々。

 何事もなく過ぎる「日常」の風景。

 ただ穏やかに、ただ静かに流れていく「今日」という日。

 俺、「倉宮晴人」はそんな当たり前のように過ごす毎日が好きだった。

 倉宮晴人はこの春から東京にある都立高校に通っている十五歳の少年である。

 背丈は百七十五センチほどと高過ぎず、かといって低いわけでもない。目鼻立ちはよいと周りは言うが、彼自身はそうと思ったことはない。

 高校に入学してから二ヶ月、部活動には入っていないが、運動が不得意というわけでもない。学業にも真面目に取り組み、交友関係は広くはないが、よく話す友人が何人かできた。

 そんな至って普通の、ごくごく一般的で、どこにでもあるような晴人の「日常」は、この日、「妖」という昔話の中だけの存在だと思っていた「物ノ怪」によって破壊された。


 ~~~~


 久しぶりに夢を見た。どうしてか、昨日は妙な疲労感が一日中抜けず、家に帰るとすぐに眠くなってしまった。

 夢の中で俺は大きな家にいた。覚えている、確か祖父の家だ。小さい頃、一度だけ行った父の実家だ。その日の夜、夕食の席から抜け出した俺は庭に咲く桜の木に目を奪われた。

 黒より黒く、吸い込まれてしまいそうなほどに暗い夜の闇の中。一筋の月明かりに照らされた桜木が光源のように輝いて見えた。

 俺は光に誘われるように庭に出た。桜の木に近づくと、木の上から人影が伸びていることに気が付いた。

 子供心に気になり、声をかけたら・・・。

 バチッと何かが弾けるようにして晴人は目を覚ました。夢で見た光景に懐かしい気持ちになったが、それ以上に生まれて初めて気持ちの悪い「空気」を感じた。

 ここ半年は両親が二人共、仕事の都合で出張に出ていたせいで家では一人の時間が多く、ふと寂しさを覚えたのかとも思ったが、この全身に絡みつくような気味の悪い感覚はそういったものとは種類の違う、何とも言葉にできない独特な空気感だった。

 底知れぬ不安感に襲われたが、高校の登校時間が迫っていることもあり、晴人は大急ぎで準備を終わらせて何とか家を出た。

 高校に向かっている間も部屋にいた時以上に濃密な「空気」が全身にまとわりついて離れない。


(何だこれ、体調が悪いわけでもないのに気持ち悪い。べったり何かがくっついてるみたいな嫌な感じが離れない)


 歩けど歩けど晴人を不快にさせる気配は離れていかず、押し潰されそうな不安感に汗が止まらない。どれだけ歩いたか、あるいはまだ数分しか歩いていないのか、そんなことも分からなくなるほどに晴人は消耗していた。

 やがて足が動かなくなるとタイミングを見計らったかのように見たこともない、けれど聞いたことはある「存在」が晴人の周囲を取り囲んだ。

 そして、それと同時に世界が赤く上塗りされた。


「我らは「妖」。人とは異なる理に生きる存在である」


「妖」。晴人の正面に建つ一軒家の屋根から全身が血のような赤い色をした「鬼」がそう名乗った。赤い鬼は晴人の数倍は太い腕を組み、幾体もの妖と共に晴人を見下ろした。よく見れば身体が炎で形作られている者や腕から蛇を生やしている者など異形の存在達にぐるりと周囲を囲まれていた。


「妖?なんだそれ」


 精一杯の強がりを込めて喉を震わせた晴人の声は妖達を余計に増長させ、気色の悪い金切り声が響き渡った。

 怖い。本能がそう訴えている。

 生まれて初めて空気や雰囲気に対して恐怖心を抱いた。このピリピリと肌を刺すような感覚。こちらの命を測るような視線。

 こんな状況はおかしい、有り得ない。そんな否定の言葉を思い浮かべようと今、目の前に広がる魑魅魍魎の光景は変わることなく、妖は不敵な笑みを浮かべている。

 段々と血の気が引いているのが分かる。指先は冷たく、脚の力は抜け始めている。眼前の妖達から感じる圧迫感に身体が怯えているのだ。

 どうにか痛みで正気を保とうと唇を力いっぱい噛んでも、もう何も感じない。身体のどの感覚よりも恐怖という感情が全てを上回っていた。


「お前が倉宮晴人だな。お前の持つその力、奪わせてもらおう」


 その声に合わせて周囲を囲んでいた妖達が一斉に晴人に襲い掛かった。

 逃げろ。そう頭が叫んでも身体が言うことを聞いてくれない。脚が、腕が、動かない。生きようとする本能すら呑まれ、その場に立ち尽くすことしかできない。

 無防備な晴人にニヤリと笑い、真上から飛び掛かる犬の妖は人間の血にまみれた鋭い爪を大きく振りかぶった。

 咄嗟に身体を捻って避けようとするが妖と目が合い、恐怖で身体が動かなくなった。その爪が晴人の頭を捉える寸前、世界を破る「音」がした。


「馬鹿が。誰がそんなことさせるかよ」


 その声と共に赤く染まった世界がひび割れ、足元に白と黒の短剣が刺さり、晴人は半透明のドームのようなものに包まれた。次の瞬間、晴人に襲い掛かった妖達が一斉に紅の炎に包まれ、悲鳴をあげながら爆発した。

 爆風の余波で生き残った妖達は距離を取り、動きを止めた。


「人の主に舐めたことしてくれたじゃねぇか、おい!」


 そう言いながら自身の身長ほどもある大太刀を肩に担いだ大男が晴人の後ろから姿を現した。パリッとしたスーツに似合わない大太刀を妖達に向け、晴人を背に入れて怒号を吐いて妖達を牽制している。


「こうしてお目に掛かるのは初めてですね、我が主」


 今度は和装の女性が上手く状況を飲み込めない晴人に微笑みかけた。

 これまた場の雰囲気に似合わない白い和服に身を包み、陽の光を反射するほどに眩しいブロンドの長髪を耳にかけている美女。

 その朱い瞳は吸い込まれそうなくらいに美しいと思った。

 女性は晴人の額に流れる冷や汗や下唇の血溜まりをハンカチで丁寧に拭き、乱れた制服を整えた。晴人が「ありがとう」と礼を言うと足元に刺さっていた二本の短剣が人に姿を変え、晴人の両腕に抱き着いた。


「晴人さまぁ大丈夫?」

「大丈夫ですか?晴人様」


 白と黒を基調とした、お揃いだが、色違いの服を身に纏う瓜二つの二人の少女。

 一人は肩甲骨辺りまで伸びた白髪に対称的な褐色の肌。もう一人は腰辺りで揃えられた黒髪に陶器にも匹敵する白く透明な肌。二人共幼く見えるが、その瞳には刃のような鋭さが帯びていた。


「うん。大丈夫だと思う」


 まだ混乱で上手く働かない頭で晴人が答えると二人は同じように目を輝かせ、和装の女性の方へ視線を向けた。


「酒呑童子、一旦退きますよ」

「あぁ、行くぞ」

「晴人様は私達がお連れしまぁす」

「しっかり掴まっていていてくださいね」


 そう言うと二人は摩訶不思議な状況に困惑している晴人の腰に腕を回して肩を担ぎ、その場から撤退した。人間とは思えない跳躍力で一気に住宅街を抜け、停められていた四人乗りの車に乗り込んで車を走らせた。

 あの場所から離れ、追手の気配が遠のくと身体にまとわりついていた不快感が一気に引いていくのを感じた。安心してため息をつくと、両隣に座った少女二人が腕に抱き着き、手を握ってきた。


「いきなりこんなことになって困惑していますよね」


 助手席に座る女性がルームミラー越しに声を掛けてきた。


「まぁ。正直、今は夢の中なんじゃないかって思うくらいには困惑してる」

「そうでしょうね。そう思って当然だと思います」

「それにさっきの妖ってのもよく分からないけど、お前達も何なんだ?どうして俺はその「妖」に狙われて、どうしてお前達は俺を主って呼ぶんだ?」


 危険から逃げるため、この車に乗ったが、実のところ彼らに対しても妖に感じたものとは違う不安を感じていた。そもそも人間は手から炎を出せなければ、短剣に姿を変えることなんてできない。

 それにミラーを見るまで気が付かなかったが、強く噛んで血が出たはずの下唇に傷が一切ない。段々と手足の感覚が戻ってきて痛むはずの唇が全く痛くない。

 一体、彼らは何なのだと晴人は眉をひそめた。のだが、両隣から手を握られているせいでどうにも力が抜けてしまう。


「それもそうですね。まずは私達が何者なのか、そのご説明からした方がいいでしょうね」


 女性はミラーから目を離し、身体を半ばこちらに向けて話し始めた。


「私達は「式神」。「陰陽師」と契約を交わし、彼らの力となり、その力を振るう「妖」です。私は「朱雀」と申します。そして、先ほどから晴人様にべったりなのが「干将」と「莫耶」です」


 朱雀。妖怪や神話の類いに詳しくない晴人ですらその名は聞いたことがあった。古くから方角にまつわることの多い神話の鳳。干将と莫邪の名前は聞いたことがなかったが、有名な妖なのだろう。


「干将ですっ!」

「莫耶と申します。よろしくお願いいたします」

「う、うん、よろしく?」

「運転しているのが「酒呑童子」です」


 ハンドルを握る酒呑童子は片手だけ上げて反応した。

 酒呑童子という名前は聞いたことがある。確か、京都に住んでいた大鬼のはずだ。古典の題材の中でそんな名前を聞いた気がした。


「よろしく」

「そして、今、外で索敵しているのが「鵺」です。彼は隠密を得意としているので基本的に姿を見せることはありませんが、常に晴人様を見守っています」


 朱雀、干将、莫邪、酒呑童子、鵺。妖怪やそれにまつわる伝承、神話に詳しくない晴人でも聞いたことのある名前に驚きつつも、現実感のない状況に更に困惑していた。


「何か凄いな。妖怪とか詳しくない俺でも聞いたことがあるような名前ばかりだ」

「以上の五名が晴人様にお仕えする式神です。では改めてこの状況のご説明をさせていただいますね」

「うん、お願い」


 ここまで来たら話を聞かないことには前に進めない。そう決意し、晴人は話を全て聞いてから判断することに決めた。


「晴人様は今日の朝から普段と違う何かを感じていらっしゃいましたね」

「そう、身体に纏わりつくみたいな嫌な感じだった」

「それは「気」と呼ばれる気配の一種です。人間の言葉では空気や雰囲気と言った方が分かりやすいと思います。普通の人間は普段の生活から何となく感じているものですが、晴人様はある事情から今までそういった気を感じることができませんでした。ですが、問題が起こったのは今朝です。晴人様、普段とは違う何かと聞いて思い当たることはありますか?」


 その言葉を聞いて一番最初に思い浮かんだのは今朝見た夢のことだった。


「普段と違うかは分からないけど、今朝子供の頃の夢を見た。父さんの実家に行った日の夢だったんだけど、途中でバチッて何かが弾けたみたいに目が覚めた。それって関係ありそう?」

「やっぱり。あの夜の夢を見たのですね」

「あの夜の夢?」


 父に連れられて京都の実家に帰省した頃の夢だったが、そんなただの出来事に何か自分が襲われる理由があるのかと晴人は疑問に思った。


「まさに晴人様が夢に見たその日、晴人様はこの国でも三本の指に入る妖「玉藻前」と契約を結び、式神としたのです。そして、その妖が今現在、晴人様の身を狙っている犯人です」


「式神」。式神とは本来存在が不安定な妖が陰陽使いと契約を交わすことで人の世に留まる器を得た存在であり、式神契約によって陰陽使いと妖には主従の関係が結ばれる。

 陰陽使いは式神を得ることで陰陽師としてのスタートラインに立ち、妖は陰陽使いから呪力を供給されてその力となる。

 大まかに言えばそういった関係がほとんどの陰陽師と式神の関係性であるが。


「え、待って俺と契約して式神になってくれたのに俺を狙ってるの?」


 だというのにその式神は主である晴人の身を狙っているらしい。状況が全く掴めない晴人。契約して式神になってくれたのに主である自分の身を狙っているというこの状況。

 だが、実際に妖達に襲いかかられて朱雀達が守ってくれなければどうなっていたか分からない。


「その通りです。先ほど襲ってきた妖は恐らく彼女が送り込んだ先遣隊です。いくら晴人様の式神だからといっても京を統べる妖の頂点ですから彼女の動きはずっと監視され、我々に共有されていました。私達が晴人様の覚醒に気が付いているのですから彼女もそれは同様でしょう」


 自分が襲われた原因、襲う元凶、自分を守る式神達。段々と今の自分を取り巻く状況が掴めてきた晴人。

 今日襲撃されたのは玉藻前という式神が配下の妖を使って襲ってきたから。

 朱雀達は敵対する妖から自分を守る式神。

 晴人は概ね状況が理解できるようになってきた。


「既に晴人様が妖を見ることができること。そして、私達が晴人様をお守りしていることも伝わっているでしょう。晴人様の覚醒に呼応して彼女は京都の妖達を引き連れ、この東京に進軍してくることも考えられます」


 その光景はまさしく、


「まさしく「百鬼夜行」の大攻勢です」

「まずくね」

「まずいですよ。そうならないためにお父上とお母上が京都に行かれています。着きましたね、倉宮家の別邸です。一旦ここに避難しましょう」


 目の前のモダンなマンションに車が進むと視界が一瞬眩み、再び窓から外を見ると和風の屋敷に辺り一面が変化していた。


「さっきまでマンションだったのに」

「鵺の結界術です。この屋敷は倉宮家が用意した非常用の住居で最悪の場合、籠城戦になることを想定して防御面は折り紙付きですよ」

(籠城戦とかあるんだ)

「さ、屋敷に入りましょうか」

「ご案内でぇす!」

「ご案内したします」


 干将と莫耶に腕を引っ張られ、屋敷の玄関をくぐる晴人。廊下を奥へ進み、居間、客間と通り過ぎ、奥の広間へとやってきた。広間には木目調の長方机とそれを囲むように座椅子が六個並んでいた。

 晴人は朱雀に促され、上座の位置に腰を下ろした。朱雀は晴人から見て右手側に、酒呑童子は左手側に、干将と莫邪は車内と同じように晴人の両隣に座った。


「では車内での話の続きですが、これから晴人様を狙って大量の妖がこちらにやって来ることが予想されます。この事態を予見したお父上、晴信様から、晴人様宛てにお手紙を預かっています」


 朱雀は懐に手を入れ、机の上に晴人へと書かれた封筒を置いた。続々と出てくる自分の知らない自分に関する情報に困惑する晴人。


(彼らだって見た目は人間にしか見えないけどさっき襲ってきた妖達と元は同じ。でもそうとは思えないくらい人間らしくこっちの表情を読み取ろうとしてくるし。でもそれを考えるのは多分今じゃない。今は)

「読んでいいか?」

「もちろんです」


 晴人は恐る恐るその封筒を手に取り、手紙を取り出した。三つ折りにされた紙を開くとすぐ上に「晴人へ」と書いてあった。


 晴人、この手紙を読んでいるということはお前にかけた封印が解かれたということだろう。既にお前の式神が説明しているだろうが、今置かれている状況と「倉宮家」について改めて伝えておく。

 お前を狙っているのは京都を根城にしている妖「玉藻前」。配下の妖の数もその力も我々の想定以上に増大していて明確な脅威になっている。

 そして、今、監視の目を逃れた妖がそっちに行ったはずだ。だから今までお前を陰から護っていた式神達がお前の前に現れた。

 次に晴人には伝えていなかったが、「倉宮家」は代々続く陰陽師の家系だ。

 陰陽の家系のお前が今まで妖を見たり、その気配を感じることがなかったのはその瞳に封印を施していたからだ。

 今まで黙っていて本当にすまない。お前に話すべきではないと思い、倉宮家や妖、封印のことなどお前にずっと黙っていた。だが、もうそうは言っていられない状況になってしまった。

 玉藻前がお前を狙っているのはお前の瞳に宿っている陰陽術を増幅する「祓魔の瞳」と名付けられた力を奪うためだ。

 陰陽術は妖の起こす超常現象を分析し、人の力で再構成したものだ。つまり、元を辿れば妖の力と同じような性質を持つため、恐らくだが、晴人の力を悪用することが可能だと考えられる。

 それが露見して危険に晒されないように今まで封印していたが、その封印も既に解けているようだし、お前の式神にはこれから本格的に警護についてもらう。

 封印が解けて妖が見えるようになって彼ら式神のことも見えるようになっただろう。

 お前の五体の式神は「酒呑童子」、「朱雀」、「鵺」、「干将」、「莫耶」と言い、それぞれ戦闘、補助、索敵、武装に秀でた式神で様々な面からお前を護ってきた。

 一般人には式神は見えないからある程度の間なら今までと変わらない普通の生活を送れるはずだ。だが、玉藻前を止められなくなればその生活は失われ、周りの友人にも危険が及ぶ可能性がある。

 そこで提案の一つだが、もし晴人が陰陽を学び、陰陽師として玉藻前と相対する気があるのなら「青霊堂」という陰陽塾に編入できるように取り計らうが、どうしたい?

 お前が陰陽の世界から距離を置きたいのならその意思を尊重する。

 どうするかは任せるから好きに決めるといい。入塾したいと思ったのなら青霊堂側にコンタクトを取るから連絡してほしい。

 晴人がどういう選択をするのか分からないが、どんな選択をしようとも私はその選択を尊重する。

 好きにするといい。

 追伸。朱雀達に鍵を渡した家は今後も好きなように使っていいから。皆にもそう伝えているから気にせずに使ってくれ。


 手紙には晴人を狙う存在の名前、狙われる理由、目の前にいる式神達のこと。

 そして、選択肢について書かれていた。

 陰陽や妖について詳しくない晴人でも名前くらいは聞いたことがあった。

「玉藻前」。九つの尾を持つ狐の妖怪。妖怪の中でもかなりメジャーな存在ではあるが、それ以上に改めて父の手紙で紹介された自身の式神について晴人は困惑していた。


(さっき車で朱雀が紹介してくれたし、この手紙にも書いてあったけどあの人酒呑童子なの?確か凄く強い妖怪で鬼のトップとかじゃなかったっけ?それに朱雀って四神って呼ばれる伝説の生物じゃないの?鵺って名前も聞いたことあるし)

「なるほど。取り敢えず玉藻前っていう妖が俺を狙ってて、皆は俺を守ってくれている。今後も妖が狙ってくることを覚悟してこの生活を続けるか、青霊堂って陰陽塾で陰陽術を学んで襲ってくる妖に対抗するかの二択しかないって状態か」


 晴人は手紙を折りたたみ、封筒に戻した。

 今はまだ晴人だけが狙われている状況だが、もしかしたら今後、晴人を誘い出すために友人の誰かが狙われる可能性だってある。彼らは少し前の晴人と同じで妖なんて見ることはできないだろうし、理不尽な暴力に気付くことすらできないだろう。

 狙われているのは自分だが、襲われるのは自分だけとは限らない。

 口では二択と言ったが、晴人の中には一択しか残っておらず、それは長年晴人を見守ってきた彼ら式神達も感じ取っていた。


「簡単に言えばそうなりますね。けれど今まで通りの生活は難しいでしょうね」

「だよな」


 言われなくても分かってる。むしろ、「無理」ではなく「難しい」と言ってくれただけで晴人は嬉しかった。

 晴人はあの日常が好きだった。友人と父と母と、何気ない日々を過ごし、ありきたりな思い出を共有し、そんな穏やかな日常が好きだった。

 けれど、もうそんな日々は訪れない。晴人がそれを望もうと日常の外から彼らはやって来て理不尽に今までを壊していく。

 目を閉じ、思い耽る晴人に朱雀はどう言葉をかけてよいのか分からなかった。

 晴人と契約してからずっと見守り、守護してきた。その自負は誰にも例え身内である酒呑童子達にだって負けはしない。朱雀は常にそう考えてきた。

 晴人からは見えなくとも、自身の存在を感じてもらえずとも十年以上晴人を見続け、晴人の日常を守り続けた彼女には今、晴人が思い悩んでいることが手に取るように分かる。


「よし。決めた。入るよ、陰陽塾。何もしなかったら襲われるだけだし、例え逃げたとしてもすぐに限界はくる。だったら少なくとも自分の身をちゃんと守れるようになって玉藻前を止められるくらいにはならなきゃな」


 顔を上げてそう言った晴人の手は強く握りしめられ、その言葉が強がりであることは誰の目にも明らかだった。晴人ならそう言って自分を犠牲にするだろうなと彼らには分かっていたのだろう。

 干将と莫邪は晴人の腕を抱き締め、朱雀は仕方ないかという表情を浮かべ、酒呑童子は腕を組みながらうんうんと頷いていた。

 そんな式神達の様子を見て晴人は不服そうに唇を尖らせた。


「別に投げやりじゃないからな。考えたよ、少しくらい。狙われてることを忘れて普段の生活に戻ろうかって。でもそれは難しいもんな」

「難しいですね」

「俺が近くにいると巻き込んじゃうから。行かなきゃいけない、だけどやっぱ怖いな。陰陽師ってどうすればいいんだろうな」

「だいじょーぶ!」

「私達が精一杯支えますから。一緒に頑張りましょう」

「ありがとう。できることから頑張るよ。まずは父さんに電話してこようかな」


 そう言うと晴人は椅子から立ち上がり、大広間を後にして一人になるために別の部屋に移動した。

 いくつかの扉と曲がり角を越えて辿り着いた自分の部屋はベッドと机だけが置かれたシンプルで殺風景な一室だった。

 最低限の物はあるけれど個性を示す物は一切なく、光が差し込まない形だけの窓。ひたすら静かで晴人の呼吸の音だけが響く部屋。

 ただ部屋として存在するそれに晴人は自分自身を重ねていた。

 部屋の明かりもつけず、蹲るように床に座った。今、晴人は自身の式神である妖にその身を狙われ、迫る脅威からまた別の式神達に守られてその脅威から身を守るため、そして友人達を巻き込まないために陰陽塾に入ることを決めた。

 けれど、そこに晴人の意思はなかった。全て「理由」のためだった。

 身を守るため、友人達を巻き込まないため、陰陽の家に生まれたため。そこには義務感のみがのしかかり、そうせざるを得ない状況が晴人にそうさせていた。

 選択肢があるようでそんなものはなく、どのみち逃げ出そうと結末は変わらない。

 どれだけ先送りにしても後回しにしても最後には陰陽の世界と向き合わなければならない。


(なんで俺なんだろう。なんで俺がそんな大事に巻き込まれて大変な役をやらなきゃいけないんだろう。俺は普通の、皆との日常を過ごしていたかっただけなのに。妖とか陰陽師とか本当に)


 床に座った晴人はベッドに背中を預け、長いため息を零した。

 電話をすると言って広間を出たものの正直何もする気にならない。だらんと伸ばした腕すら動かす気も起きないくらいうなだれていた。

 なんとか片膝を立ててみてもその恰好はあまりにも格好が悪かった。

 それは晴人自身も感じ取っていることであり、今自分がしていることは単なる駄々であると分かっていた。

 陰陽師としての力が覚醒してしまったことも、玉藻前に命を狙われていることも、身を守るために陰陽術と向き合わなければならないことも、自分ではどうしようもないことだが、同時に自分にしかどうにかできないことであると晴人も理解はしている。

 理解しているからこそ納得したくなかった。妥協したくなかった。

 仕方ない、しょうがないなんて言葉に逃げたくなかった。その言葉に逃げてしまえば楽なのは分かってる。逃げてしまっても恐らく誰一人文句は言わないだろう。

 何故なら皆こう言うからだ。仕方ないと、しょうがないと、悪くないと。

 晴人にはそれが我慢ならなかった。

 立ち向かいもしないで、向き合いもしないで何が仕方ないだ、何がしょうがないだ。ふざけるな。逃げ出したくせに、戦わなかったくせに何が分かるんだと心の底は叫んでいる。


(俺だって逃げ出したい。俺だって仕方ないって言い訳したい。でもそれは受け入れたくない。だって最高に格好悪いから。逃げたいけど、目を逸らし続けたいけど、どうしてもそうはしたくない。怖いけど、その恐怖に負けたくない。その恐怖に負けて)

「諦めたくない」


 ぽつりと零れたその言葉は晴人の絡まった心に抵抗なく浸透し、納得したように晴人は顔を上げた。


「そうか、単に俺はムカついてたんだ。理不尽を押し付けられて腹が立っていたのに理屈っぽく悩んでナーバスに落ち込んでたけど、そんなこと考える必要なんて初めからなかったのか。すっきりしたらもっとムカついてきたな」

(そうだよ、俺は悲劇のヒロインになりたいわけじゃないし、そうやって誰かに慰められたくもない。父さんの手紙に書いてあった「祓魔の瞳」の力だって単なる事実なだけであって「可哀想な私」を演出する舞台装置なんかじゃない。式神達だって物語の登場人物なんかじゃない。きちんと向き合って俺の意思を伝えてこの状況をぶっ壊すために力を貸してもらわなきゃな)


 悩んでいたのが馬鹿らしくなった晴人は寄りかかっていたベッドに手をかけて立ち上がり、グッと背伸びをして胸につっかえていた無駄な思いごと一息に吐き出した。


(やることは決まった。陰陽塾で陰陽術を学んでこんなに俺をネガティブにさせた玉藻前に一言文句を言ってやる。それでなんで俺を狙うのか理由を聞く。まずはそんなとこだな。取り敢えず、)

「父さんに連絡するか」


 スマホを取り出し、父である晴信に陰陽塾へ入学するための報告を入れた。

 連絡が返ってくるのがいつになるのか分からないが、ひとまずは引っ越しが最優先課題だ。

 手紙には関東の陰陽塾は東京郊外にあるらしく、十中八九この家は陰陽塾に通うことを予期して用意されていた物件だろう。


「あっ、晴人様が笑ってるよ!」

「良かった。お悩みは一段落ついたのでしょうか?」

「あの様子だとそうでしょうね。だってあんなに笑ってらっしゃるもの。ほら私達も覗いているのがバレないように戻りますよ」


 少しだけ開いた扉の奥でカラッとした笑顔を浮かべる干将、ホッと胸を撫で下ろす莫耶、頬に手を当てて微笑む朱雀。

 心配してついてきた三人が覗いていることに晴人は全く気が付いていなかった。

まだまだまとめきれてない話ではありますが、形にしていきたいと思います。カテゴリー的には学園バトルものとして書いていくつもりです。

キャラ名:倉宮晴人くらみやはると酒呑童子しゅてんどうじ朱雀すざく干将かんしょう莫耶ばくやぬえ玉藻前たまものまえ倉宮晴信くらみやはるのぶ

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ